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リロード  作者: 黒十二色
番外編 リバーシブル
91/125

Chapter6 まちの夏休み5 別れ

 翌朝、起きるなりヒロアキは言った。


「海へ行こう!」


「海? どうして?」


 と私が返す。


「夏だからだよ」


 無駄に渋い声を出していた。


「海……海ね……いいかも」


「海! いきたーい!」


 少女は元気にそう言った。


「というわけで、行くか」


「何で行くの?」


「電車」


「…………わかったわ」


 徒歩じゃないんだ、と思った。


 ヒロアキたちは三十分くらいで準備を完了した。ものの五分で終わらせた私は、スタンバイしてずっと待っていた。


「まち……」


 と出がけにヒロアキが言ったとき、「なあに? お兄ちゃん」とマチが返事した。


「いや、お姉ちゃんのことだよ。……いくらなんでも、ここから水着になる必要ないんじゃないか?」


「だって海に行くんでしょう?」


「電車乗るんだぞ? 痴女か、お前は」


「……ダメなの?」


「普通の服を着なさい」


「……わかったわ」


「ねえお兄ちゃん。わたしの水着は?」


「行く途中に買ってやるよ」


「本当?」


「ああ」


「私のは?」


「まちは、それでいいだろ?」


 私は不満を表明して黙り込んだ。


  ★


 外に出た。駅までの道を歩く。


 会話がなく、静かだった。蝉の声だけが妙にうるさい。


「ヒロアキ」


「ああ」


 私達を監視しているような気配があった。


「まち」


 とヒロアキが言った時、またマチが、


「なぁに? お兄ちゃん」


 と言った。


「あー……いや、お姉ちゃんのほう。……お姉ちゃん」


「……何?」


「こっちから仕掛けないか?」


「そうね」


「二人はここにいて。私が行くわ」


「頼んだぜ、お姉ちゃん」


 そう呼ばれた時、苦しかった。これから先もずっとそう呼ばれるのかと思うと、つらくて仕方なかった。


「…………お姉ちゃんって呼ぶの……やめてよ」


「……じゃあ何て呼べばいいんだよ……」


「名前よ。名前を呼べばいいの。名前を呼んでよ!」


「まち……」


 そのヒロアキの呼びかけに、「なに? お兄ちゃん」マチが応えてしまう。


「……もう嫌…………」


 今朝から、ずっとこうだ。「まち」とヒロアキが言うたびに彼女が振り返る。


 私という存在が消されてしまったみたいで、めまいがしそうだった。


 ――私は、蔵野まちだ。


 名前を呼ばれないのは、そうだ、私にとっては存在を否定されるみたいなものなんだ。


 飛んで走って塀を蹴った。


 私達を監視している者達のところへ降り立ち、その二人を軽く殴り飛ばした。


「っく……」


 うまく急所を外された。


 武器を構えることなく私に向かってくる。


 昨日の不良たちみたいなチンピラの動きじゃない。プロだった。


「私達に何の用? 何者?」


「それは……」


「言えないの?」


「実は……私達は、こういう者です……」


 渡された名刺。


 片手でそれを受け取った。


「……松井田グループ…………?」


 松井田グループ……確か、電気製品とかを作っている大きな会社だった。


 名刺には、電話番号も住所も記されていて、一見して、怪しいところは何一つなかった。


「何で、こんな会社が私達を?」


「いえ、私達はただ、お嬢様を、お迎えに……」


「お嬢様?」


「はるかお嬢様が家出をされてですね、それでお迎えに……」


 あの娘は松井田はるかという名前らしい。


「だったら、コソコソと尾行したりしないで、正面から迎えに来ればいいじゃない」


「ですが、誘拐の可能性もありまして……」


「そう、でも……そのはるかお嬢様とやらは記憶が無いわよ」


「え? そう……ですか」


「ついてきて」


「はい」


 私は、その二人の男をヒロアキとマチのところに連れて行った。


「あ、どうだった」


「ええ、やっぱり私達を監視していたそうよ」


「そうか。やっぱり、マチのことか?」


「……そうね」


「お嬢様」と、男が言う。


「おじさん、誰?」


「そんな……私のこともお忘れですか?」


 マチは首を傾げる。


「わたしは、マチっていうの。おじさんの名前は?」


「…………はるかお嬢様……」


「はるかお嬢様……? あ――」


 少女はそう言って、雷に打たれたように動きを止めた。思い出したようだった。そして、はるかは、


「運転手さんだ!」


 クイズの正解を見つけたようにそう言った。


「ええ、そうです。はるかお嬢様……」


「でも、海……」


「海?」


「これから海に行こうと思ってたの」


「海くらい私達がいくらでもつれてってあげましょう」


「でも……」はるかはヒロアキを見つめる。


「お父さん、心配してるんじゃないか?」


「まちお姉ちゃん……」はるかは私を見つめた。


「お母さんも、心配してるんじゃない?」


「うん……」


「ええ」運転手の男は頷いた。「お父様もお母様も心配しておられます。どうか、お戻りください」


「……わかった……」


 私はその声をきいて、とても安心していた。同時に、安心という自分の抱いた感情に対して、ぶつけようの無い怒りがこみ上げた。


 でも、平静を、装う。


「まちお姉ちゃん!」


「何?」


「ヒロ兄ちゃん!」


「何だ?」


「また遊びに来て良い?」


「ええ、いいわよ」


 演技した。


「ああ、いつでもおいで。待ってるよ。海、行こうな」


 ヒロアキはにっこりと笑いかけた。


「うん! バイバイ!」


 軽い調子で、「また明日」とでも言うように、言った。


 はるかという少女は、目の前にやってきた車に乗った。


 運転手だという男に手を引かれて乗せられた。


 その高級車が、私たちの前を横切り、そして通り過ぎる。


 車が加速してゆく。


 後部座席から、私達に向かって手を振る姿が見えた。


 手を振って、手を振って、手を振った。


 ずっと見つめて、車が視界から消えるまで、手を振り続けた。


 消えた後も、振っていた。


 なんだか、別れが、とても呆気なかった。


 まるで最初から少女と会わなかったかのようだった。


 真夏の蜃気楼のように、虹のように、もう見えなくなってしまって、彼女を乗せた車が通り過ぎた後には、揺れる陽炎と、蝉の声が残された。


 私の頭の中では、彼女が見えなくなる直前、何百メートルも先の最後の表情が何度も脳内再生していた。


 悲しそうな、曇った、表情。


 とても暗い、全てを諦めたような表情。


「ヒロアキ。何か不安だわ。彼女、最後に悲しそうな顔したのよ」


「……考えすぎだろ。まちとの別れが辛かったんじゃないの?」


「そう、かなぁ……」


 そうだと、いいんだけど……。


 ……いつもの私だったら、どうしただろうか?


 あの悲しそうな顔をみて駆け出して、車の後を追ったに違いない。


 でも、よくわからない感情が私にブレーキをかけていた。


「……まぁ、別れっていっても、もう二度と会えなくなるわけじゃないだろうし、何よりも……誰も死ななかったんだ。最高じゃないか」


「……ええ、そうね」


「……そういえば、全く関係ない話だけどさ、ヒョウ柄の服ってじいっと見ると視力検査のアレに見えてこないか? Cとか書いてあるやつ」


「ランドルト環ね」


「あとさ、俺『西欧』って字をつい『西殴』って書いちまうんだよ」


「ばかじゃないの? ヨーロッパに謝りなさい」


「それからさ」


「ヒロアキ」


「……なんだよ」


「私は、大丈夫だから」


「……あ……ああ……うん……」


 無理にどうでも良い話をして私を元気付けようとしていたのかと思ったけど、もしかしたら、気を紛らわそうとしているのはヒロアキの方だったかもしれない。


「そういえばさ、まち…………最近――」


  ★


「――最近メガネかけなくなったな」


 そう言ったのは新渡戸だった。


「それヒロアキにも言われたわ。揃いも揃って何なのかしら。別にメガネかけなくてもいいじゃない」


「まぁそうだな。でもまっちーは、メガネ無いほうが可愛いぜ」


「それもヒロアキに言われたわ」


「そ、そうですか」


「ねー、おなかすいたー」


 と、さきがいつものように言う。


 駅前に来ていた私達は、強い日差しの中で立ち尽くしていた。


 本来ならアキさんも来るはずだったのだが、突然のキャンセルで五人で遊ぶことになった。


 しかし、特に目的もなく……何をするのかは昼食後に決めることになった。このへんは、いつものパターンだ。


「どっか食い物屋見つけたら入ろうか」


「っていうか目の前にあるけどな」


「そば屋とラーメン屋か」とヒロアキ。


「うどんが食べたい」がっくんがそう言った。


「加賀、何でここにないものを……」と新渡戸。


「いや新渡戸、そば屋にはうどんも大体あるだろう」


「そうよ、ゆーきの言う通り。あるはず」さき。


「そうなのか?」


「お、あるぞ、うどん。ほら、食券堂々と売られてる」ヒロアキ。


「うどんだぁー」


 がっくんが駆け込もうとしたが、新渡戸が肩を掴んでこれを阻止した。


「まぁ、待て。ここは多数決でいこうじゃないか。ちなみに俺はラーメンだ」


 いつものように新渡戸が提案する。


「民主主義ね! 多数派の暴力ね」


「高島、ちょい黙れ」


 その新渡戸の言葉遣いに頭にきたんか、がっくんが険しい口調で、


「新渡戸が黙れよ」


「ゆーき……」


 さきの頬が、ぽっと赤くなった。


「まぁったく、新渡戸はひどいヤツだな」がっくん。


「ホントにね!」さき。


「まったくだ」


 ヒロアキまでもが新渡戸を責めていた。


「お前らが多数派の暴力だよ……」


「いつものジョークよ」


 さきはそう言って、ふふん、と笑った。


「まちは? どっち?」


 がっくんが訊いてきた。


「パスタが食べたいわ」


「まち……」


「何よ、ヒロアキ」


「空気というか、雰囲気というか、状況から考えて、話そう」


 ヒロアキに諭された。


「ラーメンがいいんだけど、新渡戸とかぶるのよね」


「サラっと毒を吐くな! 泣くぞ?」


「冗談よ」ふふんと笑ってみせた。


「山田君は?」


 高島さきがきくと。


「ラーメンかなぁ?」


 つまり、多数決でいえば、私とヒロアキと新渡戸がラーメン派で、さきとがっくんがそば・うどん派なのだった。


 その時、ぐー、と誰かのお腹が鳴った。


「さきちゃん、お腹がしゃべったけど?」


「いちいち言わないでよ! 恥ずかしいなぁ!」


「で、何の話だっけ?」


「うどんにするか、そばにするか、でしょ?」


「ええ……いいえ、違うわ。何でラーメン消したの?」


 思わず一度は肯定してしまった。最初はラーメンにするかそばにするかという比較だったはずが、ラーメンを消してくるあたり、最近のさきは策士だ。


「ばれたか」てへへと笑いながら。


「ばれるわ!」とヒロアキ。


「でもまちは一回肯定したよな」


 意地の悪い新渡戸がそんなことを言ってきたので、私は否定する。


「してないわ」


「したろ」


「してない」


「むー……まちに新渡戸君の嘘つきが伝染ったー」


 さきが言ったとき、私は怒ったような口調で言ってやった。


「一緒にしないで! 最悪!」


「あのなぁ……」


「確かに一度肯定したわ。ごめんなさい、新渡戸と違って素直になるわ」


「うむ、わかればよいのじゃ」


 さきはそう言って胸を張った。


「ここは公平にジャンケ――」


「くじ引きにしましょ!」


 さきが新渡戸を制して言った。ジャンケンはさきとがっくんが弱すぎるからくじ引きにしようというのだろう。


「くじなんてどこにあるんだよ?」


「つくるわ」


「まぁ、いいだろう。アタリを引いた人が決定権を獲得だな」


 新渡戸の言葉に反応して、


「パスタもありってこと?」


 私はそう言った。


「まち……わざと言ってるよな……」


 とヒロアキに叱られたので、


「いいえ……ええ、ごめん……」


 本気で謝った。


  ★


 くじ引きは、さきと新渡戸との精神戦の末、さきの勝利に終わったらしい。新渡戸がさきの握っていたくじ引きの紙を勢いよく引っ張ったせいで、さきが手を怪我したようだ。


 どうもくじ引きが長引きそうだと思ったヒロアキは、私を連れてメガネ屋に入って、メガネを試着したりしていた。私は、ヒロアキのメガネ選びよりもくじ引きの結末が気になったので、ガラス越しにその結末を見守ることにした。


 どうやら終わったようだ、となった時、私は彼の名を呼んで、店を出た。


「ゆーき、いたいよぅ、新渡戸君にやられたよぅ」


 さきが、怪我した手のひらを、がっくんに見せつけていた。


「いたいのいたいの、新渡戸に飛んでけー」


 その呪いを浴びせられた新渡戸はグッと胸をおさえて、


「……ちょっとマジ微妙に心が痛いんだが」


 そこに、私たちが再び合流する。


「やっぱり高島の勝ちか」とヒロアキ。


「あ、まちも山田君もどこ行ってたの?」


 さきの質問に、ヒロアキが答える。


「ちょっとそこのメガネ屋に」


「二人とも視力いいのに」とさき。


「オシャレだよオシャレ」


 ヒロアキはそう言って、格好つけてメガネを装着した。


 しかし、その格好いい動きに反応する人はいなかった。


 そのままだと何となく気まずくなりそうだったので、私は話題を変える。


「さき、ケガしてるじゃない。しかも利き手。どういうこと?」


「新渡戸君にやられたの」


「新渡戸、サイテーね」


「すみません」


「私に謝ってどうするのよ。さきとがっくんに謝りなさい」


「ごめんなさい」


 そしたらさきは、言うのだ。


「しょうがない。新渡戸君を許してあげよう。それはさておき、牛丼が食べたいです。牛丼屋に入ります」


「まってさきちゃん!」とがっくんが止めにかかる。「そばとラーメンの二択だったはず!」


「へへん! 問答無用デース」


 そのさきの態度にいらっときたのか、がっくんは、ぺしっと軽く叩いた。


「う……殴られたぁー、家庭内暴力だー!」


「まだ家庭内じゃないよ!」


「まだ?」新渡戸。


「まだ?」ヒロアキ。


「まだ……?」私。


「まだって言ったな……」再び新渡戸。


 がっくんは、「う…………むー……」とか呟き、さいは、「むー♪」とご機嫌だった。


「うん。まぁ、いいや、誰がなんと言おうと、あたしは、丼が食べたいです。牛丼屋さんに入ります」


 がら。


「いらっしゃいませー」


「五名です」


 とさきが言った時、私の脳が勝手に反応した。


「ちょっとさき」


「ん? 何?」


「私たち、ごめ――」と言いかけて、止まる。「ごめ……ごめんなさい……」別の言葉で上書きした。


 あぶないところだ。五名じゃなくて六名だと言いかけてしまった。


 首を傾げるさき。


「何でもないわ。五名です」


 店員さんに告げると、案内される。


「はい、ではこちらへどうぞー」


 席に向かう道中、新渡戸が、さきに怪我させたことをまだ謝っていた。


「高島……その……ごめんな」


「ああ、あれ、ケチャップよ」


「……大嘘だよな」


「うん、よくわかったね」


 誰にでもわかる嘘をついて彼女は笑い、席に着いた。


 そして、夏は、終わってゆく……。


  ★


 夏の終わり。


 さきの家に遊びに行ったとき。唐突にさきがきいてきた。


「ねえ、まち。あの漫画読んだ?」


「ええ、読んだわ」


「どう……だった?」


 漫画の結末は、物語の中での恋人との悲しい別れの後、現実世界で、その生まれ変わりと再会して結ばれるというものだった。


 アキさんがしてくれたピグマリオンのお話みたいだった。


「面白かったわよ」と私は言う。


「あの終わり方、どう思う?」


「……幸せ……だったと思う。人間に、なれたんだもの」


「でもまち、記憶はあってもその人そのまま本人じゃないわけじゃん」


「そうね……だけど、私は、ハッピーエンドだと思うわ」


「むー、やっぱりあたしが少数派かー」


 さきは、きっとフィクションの中に『完璧な幸福』を求めているのかもしれないと思った。


 そしてアキさんは『救い』を求める。


 私は、何を求めているだろう?


 作られた世界に対して、抱く希望は何?


 ――きっと、続いていく未来。


 私は、『終わらない物語』を欲しがっているんじゃないかと思った。


 この夏は、色々なことがあった。


 マチ、松井田はるかとの出会い。さきやアキさんと料理したり、ヒロアキとケンカして、新渡戸に迷惑かけて、お祭りにも行ったわね。そして、マチとの別れ。その他いろいろ。かけがえのない思い出たち。


 何か忘れているような気もするけど。


「……ねえ、まち、今、何か考えた?」


 と、さきが私の心を読んだかのように訊いた。


「え? ええ、何か忘れてるなぁって」


 と言ってはみたものの、思い出せない。


「……あたし、思い出したかも……」


「え?」


「……夏休みの宿題」


「あ」


「うあー! ベタなやつだ! ていうか、あたし、受験生だったの完全にわすれてたぁ。うえーん、どうしよう」


「お、落ち着いて! まだ時間はあるわ」


「まち……時間、巻き戻せないかなぁ」


「私も、それは思うわ」


 でも、皆に会う前にまで巻き戻ってしまうのは、とてもこわいな。




 私はメガネを掛けなくなった。


 メガネが無いほうが可愛いと言われたからというわけじゃない。


 新しい自分になるため。強くなるため。


「こんなの、ただの役作りみたいなものだもの」


 だから――。


「もう、いらないわ」


 ヒロアキにはそう言った。


 本当は、捨てようかどうしようか迷っていた。


 ヒロアキが、


「――これでいつもの蔵野まちだ」


 そう言って、彼が私にくれたアイテムだったから。


 だから、大切なんだ。


 でも、ヒロアキと並ぶためには、その度の入っていないレンズが邪魔でしかなかった。


 それは、私の顔には、もういらない。


 過去を捨てるわけじゃない。


 だから、このメガネは捨てないけど、いつも胸にしまっておく。


 その、ひび割れた赤フレームのメガネを。


 私は人間だ。皆がそう認めてくれる。私は人間だ。


 そう思えるのが、とてもとても、うれしかった。




【まちの夏休み 終わり】

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