Chapter5 まちの夏休み4 マチとお祭りとまち
「お祭りに行こう!」
さきはそう言って、自分の部屋の天井を指差した。
何故天井を指差したのかわからなかったけど、きっと意味なんか無いんだろう。
「お祭り?」
私は訊き返す。
夏休みの間、何だかんだ言っても、やっぱりヒロアキの家には帰れない勇気の無い私は、新渡戸の家とさきの家に何泊もしていた。ここ数日は、さきの家に厄介になっている。
「この間さ、新渡戸君ちで、まちが浴衣着てたでしょう? あれいいなぁーって思ってさ」
「でも、アキさんがいないと……」
浴衣は、いつもアキさんが着付けてくれた。
やり方は教わったから一応できるけれど、なかなか綺麗に着こなすことができない。
さきに頼むのはどうかと考えたけども……さきは、試行錯誤しているうちに着物を破きそう。
「大丈夫。アキさん寂しがり屋さんだから、呼べば尻尾振って来るわよ」
さきはそう言って親指を立てた。
「そんな犬猫みたいに……」
「それに、おかーさんも着付けできるもん」
「そう……いいわね、お祭り……一度行ってみたかったの」
「え? 行ったことないの?」
「ないわ、組織のお祭りなら一回か二回参加したけど……」
「組織のお祭り……って、どんなことしてたの?」
「えーと……食べて、踊って……それだけよ」
「それ、楽しいの?」
「きっと、楽しいわ。私達にとっては。組織の外の人から見たら子供だましかもしれないけど、並べられた色とりどりの料理の中から何でも自由に食べられる、なんてことは、その日以外なかったから……」
「そっか……まぁ、とにかく、まち、浴衣持って来てる?」
「ええ。何故かあるわ」
新渡戸から借りた浴衣はいつの間にか私のものみたいになっていた。白地に紺の模様が涼しげだ。
「じゃ、アキさん呼ぶね」
「ええ」
「ー♪」
鼻歌まじりに携帯を取り出した。
★
アキさんが来て、そして、さきのお母さんも呼んで、着付けてもらった。
胸がアキさんより大きいのがバレて、「だましたな」と言われた。何を言っているんだって思った。
さきのお母さんは浴衣を取り出してきて、さきに着せ、アキさんにも無理矢理に着せた。
でも、履物が一足だけ足りなくて、私は何故か浴衣にブーツというおかしな格好をすることになった。
私に合う靴が他になくて、さきのお母さんの友達からもらったという赤茶色の革のブーツだけが私の足にピッタリ合ったからだった。
私が普段履いている靴ですら合っていなかったので、さきのお母さんにすごい怒られた。
「足に合わない靴を履くなんて愚か者のすること」
とまで言われて、そのブーツをくれると言った。
古いものだったけど、しっかりした作りで、まだまだ使えそうで、素敵なブーツだった。
すごくいいものだった。
うれしい。
でも、この、浴衣には全く合わないと思う。
そもそも夏にこんなレザーのブーツなんて……。
「ねえ、お母さん」
玄関で、さきが、母親を呼んだ。
「どうしたの?」
「あたしの、本当のお父さんとお母さんって、どういう人だったの?」
さきのお母さんは、驚かなかった。ついにこの日が来てしまったか、という顏で、寂しそうに言った。
「さき……どうして急にそんなこと……」
「どうしても知りたくて、でも今まで勇気がなくてきけなかったけど……でも……」
さきがそう言うと、さきの母親は、さきの目を優しく見つめて言った。
「あのね……さき。実は私も知らないの。お父さんも。だから……」
「あ、あはは、そうか……ごめんなさい……」
「謝ることはないの。知りたいって思うのは、当然だと思う。でも本当に――」
「もういいよ。もうきかないっ。大丈夫、気にしないから」
「……そう……」
「お父さんとお母さんがいて、そのほかにも二人も親がいるなんて、それでその二人が生きてたら、幸せだなって思っただけなの。だから、知らないならそれで、いいよ」
お母さんは俯いてしまった。
そこで、アキさんが重苦しい空気を破って元気に声を出す。
「さ、さあ、行こうか! あ、そういえば、加賀君とかは呼ばなくていいの?」
「まち、どうする?」さきが言って、
「……呼びましょうか……」私は頷いた。
「わかった。呼ぼう! じゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃーい、気をつけてねー」
「………………」
外に出たところで、さきは言った。
「あはは……おかーさん、怒ってた……」
「え? 怒ってたかしら……」
「おかーさんね、怒る時だけ、あたしのことを『さき』って呼ぶの」
私は、何と声をかけていいかわからなかった。
「嘘……吐かれちゃった」
「え?」
「知らないなんて、嘘。本当の両親のこと、知ってるのに、嘘吐いた。おかーさん正直だから、嘘なんか吐けないんだから……」
私たちは、さきの名前を小さな声で口にするだけで精一杯だった。
「あはは……一番、こわがってた結果になっちゃった……」
私たちは何も言えなかった。
「薄々、こうなる気はしてたけど……やっぱり、辛いな……。知ってるのに、隠さなきゃならない本当の親って……どんな人なんだろうね…………」
「まぁ……えっと……とにかく! ぱーっとやろうぱーっと! お祭りだよ!」
アキさんがそう言って、
「うん! ごめんね。お祭りの前に!」
さきが笑顔でそう返した。
★
「ゆーき達、ちょっと遅くなるって」
さきが携帯の画面を見ながらそう言った。
「そう……」
「『先に遊んでて』って言ってるけど……そんなに時間かかることあるのかなぁ……」
「まぁ、さきの家の近くの神社だから……電車に乗って来なくちゃいけないし……」
「もう……しょうがないなぁ」
ニヤリと笑ってアキさんは言ったけど……。
「アキさん、それずっと前にあたしが言ったダジャレだよ? 生姜は英語でジンジャーっていうアレでしょ?」
「べ……別にパクったわけじゃないわよ」
「それはそうなんだろうけど……」
「私達にダジャレで勝とうなんて無理よ」と私は言ってやった。
「うむむむ……」
「先に、少しだけ遊んでましょうか」と私。
「そうだね」さきが頷いた。
★
「アキさんアキさん」
たこ焼きを頬張りながら、さきはアキさんに声をかけた。
「ずっと前から訊きたかったんだけど……新渡戸君のどこが好きなの?」
「何で急にそんなこと……」
「ちょっと気になるじゃん。だって、あの新渡戸君だよ?」
「そこまで言うこと……」
「だって、ねえ、まち」
こちらに振られたので、私も頷いてみせる。
「ええ、新渡戸だものね」
「……うーん……神様のせいにして納得してくれるならいいんだけど……」
「納得しない」
「だろうね……でも……まぁ、あの新渡戸がってところだろうね…………」
「どういうこと?」
「札付きの最低人間だから、あたしとしか釣り合わないのよ」
「何か、すごいネガティブね」
「ううん、むしろポジティブなの。だって、二人なら前を向いて歩いて行けるから。マイナスにマイナスを掛ければプラスになっちゃうのよ」
「そうかなぁ?」
「それに、たぶんあたしもゆっきーも潜在的にプラス思考だしね」
「ゆっきー……」とさきが呟いた。
「あ、加賀君のことじゃないわよ?」
「わかってるよ、そんなの」
「……私の知り合いの話だと、そういうの、ナルシストみたいなものらしいわよ」
こういう話をしていたのは、たしか、金髪の長刀使い、田山明孔だ。ある少女を好きになった理由が、人間として何かが欠けている自分自身と重ね合わせて好きになったのだと言っていた。それは、水面に映る自分自身に恋をするようなもので、アキさんと新渡戸も、互いに鏡に映った自分と重ねることで、お互いを好きでいるんじゃないかと仮説を立てたのだ。
「まちちゃん……手厳しい……」
「アキさんもそう思ってるんだ。ナルシストみたいだって」
「そう思ったこともあるけど……私はやっぱり違うと思う」
「違うというのは、幻想ではないの?」
「もしかしたら、その……ナルシシストに近いかもしれないんだけど、そんな悲しいものじゃないと思う。好きな人がそこにいて、触れられる。話しかければ、返答がある。ずっと水面を見つめて止まっているわけじゃなくて、二人でどこへでも行ける。存在していないモノ、鏡の向こうの自分を求めているわけじゃないから、悲しくないと思うの」
「なるほど……」
「ナルシストって、確か神話が語源なのよね」
「お、まちちゃん興味ある? 語っちゃうよ?」
「少し、聞きたいわ」
「あたしも聞きたいー」
「ようし、それじゃあアッキー先生のギリシャ神話講座その三といきますか」
「おー」
さきが楊枝に刺さったたこ焼きを頭上にかかげて元気に返事をした。
ほんの少しの沈黙があって、林田亜季は語り出す。
「かしましいニンフがいました」
「ニンフって何?」
「若い女の人の姿をした精霊って感じかな。そのニンフが、彼に恋してアタックしました。でも、それは実らなくて、そのニンフはやつれて、やがて声だけになってしまいました。それが、エコーっていって、今で言うやまびことからしい。で、そういう風に端麗な容姿で、他にも大勢の女の子たちのアタックを受け続けるにもかかわらず、それをつっぱね続けました。それで、ある日泉に映った自分の顔を見たとき、恋してしまって、ずーっと、その泉の中の自分にアプローチし続けました。でも当然それは自分自身なので、その恋も実りませんでした。そうしている間に、どんどん痩せていってしまって、やがて……餓死してしまいましたとさ……とまぁ、簡単に言うとこういう話」
「何か、新渡戸君っぽいね」とさき。
「そうね」私は頷いて、「新渡戸の場合は、女の子の好意に全く気付かないのか、気付いていない振りをしてるのか……」
「ああ、じゃあさ、この神話の彼も、想われてることに気付いてなかったのかな」
「そうかもね……まぁ、相当省略したし記憶も曖昧だから、気になるなら自分で調べて」
「この、新渡戸君みたいな彼の名前教えてよ」
さきが言って、アキさんが答える。
「ああ、言わなかったか。ナルキッソス……だったかな」
その時、アキさんの背後に、顔をしかめた新渡戸がいた。別に盗み聞きをしていたわけではなく、たった今到着したところだった。
「……おい、誰がナルキッソスみたいだって?」
「あ、新渡戸っち。待ってたよ」
「おーアキ、浴衣似合うね、可愛いね」
そして、がっくんもやって来ていて、「さきちゃん」と声をかけた。
「ゆーきおそいー何してたの?」
「いや、急いで来たよ?」
「なら、いいけど……」
会えたのが嬉しいくせに、むくれてみせていた。
ヒロアキは……いなかった。
「まっちーあれだな、なんというか、エキセントリックな格好だな。浴衣にブーツとは」と新渡戸。
「だねぇ」
「履物が足りなくて……」
「あ、ところで全く関係ない話なんだけどさ、さき、まち、アキって、皆母音は『あい』なんだね」
「ボインはいないがな」
新渡戸が言った。
セクハリストが本領を発揮していた。
「まちは大きいわよ」とさき。
「だがボインじゃないな。美乳だ、な、加賀」
「何で僕にふるの新渡戸。たしかにまちは美乳だけども」
「あたしは……?」とさきは上目遣いで。
「微乳かな」
「本当?」
「嘘はついてないつもりだよ」
「あ、本当だ! やった! あたし美乳だー」
「いいのか? 字が違うって言わなくて」
と新渡戸が彼女にきこえない小声で言って、
「いいんじゃないの? 喜んでるし」
同じく小声でがっくんが答えた。
「……ヒロアキは?」
私は、新渡戸にきいた。おそるおそる、きいた。
「ん、後から来るって言ってたぞ」
「そっか……」
「よし、遊ぶぞー」
部長の新渡戸が号令をかけて、さき、がっくん、アキさんが同時に「おー!」とこたえた。
私は少し遅れて、控えめに「おー」と呟いたのだった。
★
今川焼。ソースせんべい。あんず飴。
やきそば。くじ引き。お好み焼き。
その他色々エトセトラ。チョコの付いてるバナナとか。
普段見ないようなものが売っていて、まるで違う世界に迷い込んだみたいだと思った。
不思議な世界だった。
これが、本当のお祭りなんだ。
「おじさん! カキ氷ください」
屋台のおじさんに向かって、さきが元気よく言った。
「シロップはどれ?」
「全部かけてください」
「え……お嬢ちゃん、全部かけたら、たぶん味が混ざって美味しくないよ? せめて二つにしようよ」
「味混ざんないようにするのがおじさんの腕の見せ所でしょ?」
「まずくても文句言うなよ」
カキ氷屋のおじさんはそう言って、氷の山に六種類のシロップをかけた。さきはうれしそうにそれを受け取り、代金を渡した。
「あれ? まちは? アキさんは? もう食べないの?」
「あたしは、もうお腹いっぱい……っつーか、さきちゃん。その小さな身体のどこに食べ物しまってるの……?」
「あはは、アキさん何言ってるの? 胃だよ?」
「それは、わかってるけど……」
私はカキ氷屋のおじさんに代金を支払い、
「イチゴとメロン」
と言った。
「あいよ!」
赤い液体と緑の液体が、白くて冷たい山を流れていった。
「へい、おまち」
受け取った、冷たかった。
プラスチックの平たい小さなスプーンで、氷を口に運んだ。
「甘い……」
イチゴとメロンの香りがした。冷たくて、頭がキーンとなった。
「おじさん! 変な味する!」
と、さきが言った。
「うははは! だから言ったじゃねえか!」
氷をごりごり削りながら、おじさんは大きな声で笑っていた。
私はカキ氷を食べた後に残った、イチゴとメロンのシロップの色が混ざってわけのわからない色になっている液体を少し飲んだ。
甘ったるいだけ甘ったるくて、美味しくはなかった。
それを飲み干し、近くにあったくずかごに捨てた。
その時だ。私はきいたことのある声がした。
「あ! まちお姉ちゃんだ!」
振り返るとマチがいた。
まちお姉ちゃんと、そう言った。
そう聴こえた!
思い出してくれたの?
マチの横にはヒロアキもいた。
「いやぁ、ごめんごめん、遅くなった。あれ? 新渡戸と加賀は?」
「さあ、さっきまで一緒にいたけど……どこいったんだろ」とさきが答えた。
「ヒロアキ……」
私は、ずいぶん久しぶりに会う彼の名前を呼んだ。
「よぉ、まち。久しぶり」
彼は平然とそう言った。特に寂しくなかったんだろう。私を見ても、そんなに嬉しそうじゃなかった。
「あ、この子ね。まちが言ってた子供って。ねえ、お名前は?」
さきが笑顔で語りかけた時、マチは言った。
「わたしは……えっと。忘れちゃった……」
「どういうこと? ヒロアキ」と私。
「俺が知るかよ。記憶が全く安定しないんだよ。俺のことは忘れないみたいなんだけどな」
「どうして……」
「まぁ、とにかく、俺は新渡戸と加賀を捜してくっから」
「あ、ちょっと……この子は……」
「預かっといて! すぐ戻る」
「あ、え……? ちょっと……」
ヒロアキは駆けて行ってしまった。
それからすぐに、アキさんが私に声をかけてきた。
「まちちゃん」
「何? アキさん」
すると横からマチが、「おばさん誰?」とアキさんに向かって言った。
「おば……っ?」
「こら、ちょっと年増なだけでまだおばさんって年齢じゃないわよ」
「年増っ」とマチ。
「それもよくないわ」
「このガキ……」アキさんは奥歯を強く噛んで拳を握りしめた。
「アキさん、大人げなく怒ったりしないよね?」
「大丈夫よ、さきちゃん。ちょっと年上の女の子への敬い方を教えてあげるだけだから」
「に、逃げるわよ」
私はマチに言ったが、首を傾げられた。このままでは逃げられないので、私は軽い彼女をお姫様だっこした。
「あ、待ちやがれ!」
アキさんは不良みたいな口調で怒っていた。
私は、少女を抱えて駆け逃げていく。
「まち、逃げて! ここはあたしに任せて先に行くのよ!」
楽しそうなさきがアキさんの前に立ちはだかり、追撃を阻止してくれた。
★
「……ここまでくれば、大丈夫ね」
「あ、まちお姉ちゃん。あれやりたい!」
お姫様のように抱かれた少女が指を指した先には、何やら赤い布に蔽われた雛壇のようなものがあって、そこに並べられた商品を、銃を構えた人が狙い撃っていた。その背中に見覚えがあった。
見事に外して、コルクを詰めている新渡戸の姿があった。
彼が構えて引き金を引こうとした時、私は新渡戸に話しかけた。
「新渡戸」
また外れた。集中力が足りないようだ。ただそれだけの話のはず。なのに、新渡戸は私をにらみつけた。
「何よ」と視線に答えた。
「いや、今のは絶対落とせてたはずなのに、まっちーが話しかけたから……って……何で急に巨大な子供抱っこしてんだ? お前の子か?」
「違うわ。そんなのどうでもいいの。これ、どうやってやるの?」
私は少女を降ろしながら訊いた。
「これは、別に何も難しいことないぞ? コルクを詰めてだな、引き金を引くだけだ」
「新渡戸は何を狙ってたの?」
「う……えっと…………」
そんなに言いにくいものでも狙っているのだろうか。
キャラメルの箱、キャラクターのぬいぐるみ、ドロップ缶、ちいさな人形、可愛らしい胸の大きな女性のフィギュア、おもちゃ、小型のプラモデル箱、チョコレート菓子などなど、たくさんの景品が並べられている。
新渡戸のことだから、巨乳フィギュアあたりを狙ってるんだろうな思った。
「がっくんはどうしたの?」
「ああ、トイレ。腹こわしてるらしくてな」
「そう……」
「で、やるんだろ。おねえさーん。弾追加ー」
新渡戸がお金を置いて、胸の大きなお姉さんに声をかけると、
「はいよー、どうぞー」
新しいコルク弾が出てきた。
「えっと、名前は?」
新渡戸の問いに、
「忘れちゃった」
と少女が答えた。
「……そうか、よし」新渡戸は頷き、「名も無き少女よ。これをこうして、こう撃つ。わかったか?」
台に身を乗り出して、銃を構え、引き金を引くまねをした。やり方をやって見せたのだった。
「うん。やってみる」
そして少女は銃を構えた。
引き金を引く。
ぽふん。と、銃声。軽い軽い、とても軽い音。
銃らしくない静かさ。さくらの白い銃みたいだった。
「外れたー」
ぽふん。ぽふんぽふん。
「ちょっとお兄ちゃんにかしてみなさい。どれが欲しいの?」
外してばかりだったからか、新渡戸が銃を取り上げた。お手本を見せてやるつもりらしい。
「あれ、あのちっちゃいお人形」
「ようし……」
ぽふん。と音がしただけだった。外れた。
「あれ……」
ぽふん。外れた。
「新渡戸、かして」
私は新渡戸からコルク銃を取り上げて、手本を見せてやる。
「いくわよ」
ぽふん……と音がして、コトンとちいさな人形が落ちた。
「あ、落ちた!」
「ねえ、次あれ!」
「どれ?」
「あのお菓子」
ぽふん……コトン。
「すごいすごい」
その時、新渡戸が横から、
「まっちー、あれ取って」
とか期待で目を輝かせて言った。人差し指がさした先には、クマ的な動物のぬいぐるみがあった。あれは、それなりに大きくて、なかなか難関そうだ。
「新渡戸……それは自分でやりなさい」
「だってあれさ、アキの好きなキャラクターなんだよ」
「なおさら自分で取りなさいよ」
「お願いします。マジお願い」
「……仕方ないわね……」
何回も泊めてもらったし、浴衣ももらってしまったしで恩がある。その借りを少しだけ返してやることにしよう。
私は大物に挑戦する。
一発目が完璧に当たったけど落ちずにぬいぐるみが揺れただけだった。そこで私は、残りの二発を立て続けに同じところに当て、ぬいぐるみを揺らし落とした。
「わーい、まっちーあいしてるー」
「アキさんが聞いたら怒るわよ?」
ばれなきゃいいの、と新渡戸は言って、
「お嬢ちゃんうまいねー。女スパイみたいだったよ。はい、これ商品」
「どうも……」
私は三つの商品を受け取ると、二つを少女に、もう一つを新渡戸に手渡した。
「まぁ、アキは怒っても可愛いからいいし……ん?」
新渡戸はジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、発信ボタンを押し、耳に当てた。
「もしもし……加賀? 何だよ……は? 何だって? もう一回言え、聞こえんかった。……何ぃ? 紙がない? それはやべーな……ご愁傷様。高島にでも持っていかせる……あはは、冗談だよ。待ってろ。今行く。公園のトイレだよな……ああ。じゃあな」
電話を切った。
「と、いうわけだ。行って来る」
「ええ、いってらっしゃい」
軽く手を振った新渡戸は人の波の中に飲み込まれていった。
私は、はぐれないように少女の手をしっかり握った。
握り返す温かい手が、うれしかった。
★
「あ、まちお姉ちゃん。今度はあれ」
少女がさっきの景品をぼりぼりと食べながら指差した先には、水槽があり、その中を小さな魚が泳ぎまわっていた。
「これ? これ、何?」
と私はきいた。
「知らないの? 金魚すくいだよ」
得意げに少女は答えた。
「金魚をすくってどうするの?」
「うーん……食べるのかなぁ……」
「そうなんだ」私は頷いた。
と、そんな会話を交わしていると、店番のおじさんが苦笑いで声を掛けてきた。
「いやいや食べれないよっ。水槽か何かで飼ったりしてくれると金魚もうれしいよ。一回百円。どうかな」
「へぇ……やってみる?」
私がきくと、少女は「うん」と頷いた。
「じゃあ、二人分」
「はいまいど。はいこれ網ー」
代金を支払い、破れやすそうな網の付いた虫眼鏡のような形の道具を受け取る。
ばしゃ。と水面に道具が触れたが、金魚たちはササッとよけていった。
「あれー、金魚にげてくよー」
「ええ……逃げるわよね」
「それ、それ!」
ばしゃ。と金魚すくい道具が水面を叩き、白い網は破けた。
「あ……破けちゃった……」
「私も……」
「あー残念ー。二人とも『ポイ』が破けちゃったね。だけど、失敗しても二匹はあげるよー、どれがいい?」
「元気なのがいいな、ね、お姉ちゃん」
「ええ」私は頷く。
「姉妹かい? 仲いいね。お嬢ちゃんたち可愛いから特別にこのデメキンあげちゃお」
「わーい」
「ありがとうございます」私はぺこりと頭を下げる。
「いいのいいの」
私は、おじさんから二匹の金魚の入った袋を受け取った。
歩き出す。
少女が振り返ったので、私も振り返る。
おじさんは笑顔で手を振っていた。
そして、私の手の先の少女も同じように、金魚をひっかけた手を振っていた。
私は歩きながらペコリと一度頭を下げた。
★
「水風船だっ!」
少女は弾んだ声を出した。
「水風船?」
「わたしこれは得意なの。お姉ちゃんのためにとってあげるね!」
「百円」
愛想の悪いおばちゃんだった。
「は、はい」
私は代金を支払い、少女の挑戦を見守った。
白い脆そうな紙縒りの先にホックが付いていて、それを水に守られている水風船に付いているゴムの輪に引っ掛けて釣り上げれば、それを手に入れられるようだ。そしてその輪になっている部分を指にはめてヨーヨーのように扱うらしい。
「えい、えい」
あっという間に二個釣り上げた。
しかし、三つ目大きいのを取ろうとして、
「あ……」
ホックは水の中に沈んでいった。
「へへへ……欲張っちゃった、でも、これ!」
「ええ、ありがとう!」
私は、彼女から水風船を受け取り、それを左手の人差し指にはめた。ぼよんぼよんした。
うっとりした。風船の中に水が入っていて、ゴムの伸縮でヨーヨーのようにして遊ぶ。単純なことなのに、なんだか、楽しかった。
賑やかな世界の中を歩く。
浴衣を着て、古いブーツを履いて、左手には水風船。右手は少女に繋がっていた。
少女の右手にあるのは金魚と水風船。
肩から掛けられた小さな鞄からは景品のちいさな人形がはみ出していた。
おまつり……。これが、おまつり……。
★
「……ヒロアキ、どこかしら……? 見当たらないね」
私がそろそろヒロアキと合流しようと、きょろきょろと周囲を見渡していた時。
「きゃ!」
小さな少女の悲鳴がきこえてきた。
私の視界の外で、少女が転んだのだ。
誰かとぶつかってしまったようだった。
「いてえな! ったく、最近のガキは! 帰れや!」
ぶつかった不良は叫んだ。
私が少女のほうに目をやると、人形が飛び出し、地に落ちて汚れ、金魚を入れた水の入った袋はひっくり返り、黒と赤、デメキンと、リュウキンが、土の上をぴちぴちと飛び跳ねていたのが見えた。
「まちなさい」
私はその四人組の不良を呼び止めた。
「あぁ?」
不良の一人が振り向いた。
「拾いなさい」
「は? オレ達なんもしてないんだけど? いいがかりなんだけど?」
「ぶつかったでしょう?」
「はぁ? ぶつかってきたのそっちじゃん?」
その不良は私の全身を、つま先から頭の先までなめ回すように見つめてきた。すごく嫌な気分になった。
そうこうしているうちに、他の三人の不良たちもわらわらと集まってきた。
「なになに? どうしたの?」
不良の一人がいう。
「不思議ちゃんに絡まれちゃってさ」
ぶつかった不良が、そんなことを言った。
「せめて……あやまりなさい」と私は言った。
すべての私に対する侮辱は許してやるから、ぶつかって転ばせてしまった少女にあやまれという意味だ。
「はぁ? あやまるのそっちじゃね? もうちょっとで金魚の汚い水がかかるところだったんですけどォ?」
また別の不良が言った。
「あーもう、まじしらけるー。早くいこーぜぇ」
今度は別の不良がそう言った。
「チッ」
不良の一人は舌打ちをして威嚇してきていた。
クソみたいな連中だった。
「まちお姉ちゃん、大丈夫だよ……もう行こう」
人形の汚れを払い落としながら、汚れた服の女の子は私の浴衣の裾を引っ張る。
大丈夫だった。怪我はなかった。でも、絶対に許せない。
二匹の金魚は、おじさんが好意でくれたものだ。それを台無しにされて、そのままだなんて許せない。
「おら、その子、大丈夫だっつってんじゃん」とぶつかった不良。
「あやまれ」
私はきつい口調で言った。
「はぁ? 殺すぞ? この女」
やれるものならやってみろと思った。
私は、左手の水風船のヨーヨーを、男の顔面にぶつけてやった。
ぱちん、と軽い音が鳴る。
「こ、この野郎!」
殴りかかってきた。
その拳を右手で受け止めた。
男を軽く突き飛ばす。尻餅をつかせてやった。
「てめぇ……」
どうやら本気にさせてしまったようだ。立ち上がって、手の関節をバキバキ鳴らしている。
「まち!」
声がした。振り返ると新渡戸がいた。
「トラブルか? 加勢するぜ」
「あたしも」
アキさんまで来た。
むしろ邪魔だけど、でも、
「ありがとう」
と言った。
「何このボクちゃんたち。まじうざいんですけどォ」
不良は言って、
「よく周りを見渡してごらんよ。あたしたちは女三人に男一人。それにイチャモンつけてる四人組の不良男四人組。どっちが悪いかは明らかよ!」
アキさんはそう言ったけど、そういうふうに見た目で善悪を決めるのは偏見に他ならないんじゃないか。
と、そう思ったが、言わないでおいた。
「ちくしょう! やっちまえ!」
短気な男達は一斉に殴りかかってきた。
人形を持った少女は怯えていた。
そして私は、軽くではあるけれど、彼らを殴り、蹴り、投げた。大事な仲間を完璧に守りながら、四人を片づけた。
何が起きたのかわからないという様子で、地に這いつくばる男達。
私は、その一人をブーツのかかとで踏みながら、
「あやまれ」
と言った。
「……す、すまん……」
あやまられた。
気は晴れなかった。
「まちお姉ちゃん……」
その少女の怯えの瞳は、男へ向けられていたのか、私に向けられているのか、わからなかった。
……いや、違う。ダメだ。
わかってるじゃないか。
わからないふりをしちゃダメだ……。
状況から考えれば、彼女は今、私に怯えているんだ。暴力的な私に……。
「ケンカはどこだー?」
警備員のような人たちが、叫びながら来てしまった。
警察沙汰になったらまずい。
私はいろんな書類で誤魔化してはいるけれどこの社会に存在していないはずの人間だし、少女には警察に捕まるわけにはいかない事情があるという。
私は再び少女をお姫様のように抱えて、駆け出した。
「新渡戸! あとよろしく!」
「え? え? ちょっと!」
「新渡戸っち! 逃げるよ!」
「ちょ……名前そんな堂々と呼んで逃げるとか言わな――あぁ、ちょ、待ってって! 説明すればわかってもらえるから、手ぇ引っ張んなって……」
振り返って見えたのは、アキさんの手をふりほどいて警備員に向かって仁王立ちする新渡戸夕貴と、心配そうにたたずむアキさんと、やべぇやべぇと言って逃げ出す不良たちの姿だった。
★
逃げ切った。
少女と二人。人がいないところまで逃げた。
「ごめんなさい、でも、許せなくて」
少女を降ろしながら、私は少女に向かってそう言った。
「ううん……ありがとう……でも……ちょっとこわかった」
――何が……?
とは、訊けなかった。
子供は正直だ。思ったことをそのまま言ってしまう。私のことをこわがっていたなんて、わざわざ彼女の口からは聞きたくなかった。
「金魚……置いてきちゃったね」
「うん……」
「もう一度、金魚すくい、する?」
少女は首を横に振った。
「わたし、おうちに帰りたい」
それは、ヒロアキのいる家なのだろうか、本来住んでいる家なのだろうか。
「どこの?」
「ヒロ兄ちゃんの」
ずっと、このままこの少女はヒロアキの近くを離れないつもりなのだろうか。
本当は記憶が戻っていて、戻っていない振りをしているんじゃないだろうか。
繋いだ少女の手からは変わらない温もり。
早く、早く彼女の本当の家を見つけなくちゃ。
そうしないと、私の居場所がなくなってしまう気がして、こわかった。
「あ! ヒロ兄ちゃんだ!」
少女の視線の先には確かにヒロアキがいた。『かた抜き』と書かれた看板の奥で、新渡戸とがっくんと一緒に画鋲片手に薄い板とにらみあっていた。
二人を捜しに行くと言って走っていったのに、完全にミイラ取りがミイラになっている状態だ。
「ヒロ兄ちゃーん!」
駆けて行った少女。
やがて二言三言交わした後、ヒロアキの手を引いて戻ってきた。
「ねえ、帰ろう?」
そう言って、私の手も握った。
彼女を通して、私とヒロアキが繋がった。ひろみの存在を、思い出して、泣きそうになってしまった。
「ヒロアキ、良いの? 皆は……」
「ああ、あっちはあっちで遊ぶからいいってさ。子供は早く寝ないとな」
「そうね……」
私達三人は、そのまま歩いて帰る。
手に入れたのは、汚れた人形、二つの水風船。
もう一度、勇気を持とうと思った。
この少女と、そしてヒロアキと近づく勇気を。
「さき達を置いてきちゃったけど……」
「大丈夫だって。あいつらならちゃんと合流するさ」
「そうね……」
「……ていうかまちさ……」
「何? ヒロアキ」
「浴衣にブーツって、何かおかしいぞ」
「わかってるわよ……そんなの」
少女が疲れた、と言ったので、私が背負って帰ることにした。
しばらくすると、私の背中で眠っていた。
家に着いて、ベッドにゆっくり降ろすとぱちりと目を覚ました。
また、「お姉ちゃん誰?」と言われるのがこわかった。
こわかった。こわくて、目を見ていられなかった。
「あれ? まちお姉ちゃん……どうしたの? ここ、どこ?」
ほっとして、状況を説明する。
「ここは、家よ。私と、ヒロアキの」
「あ、わたし寝ちゃってたんだ」
「ええ」
「あ、あのね、わたし、名前思い出したの。わたしね、マチっていうの!」
また、私の胸がずきりと痛む。
「そ、そう……なの……」
「お姉ちゃんと、お揃いだね!」
「え、ええ!」
笑顔を、作っていた。
急に、振り出しに戻されたような気がして、白と黒とが渦巻いた。
「おやすみ! お姉ちゃん」
パタン……と勢いよく引き戸を閉める音。
「ヒロアキ……」
「どうした?」
「あの娘……名前思い出したって……」
「ああ」
「マチ……だって……」
「ああ」
「でも、私、あの娘のこと好きよ」
「そっか」
「でも……私、どうしたらいいかなぁ」
ヒロアキは、何も答えてくれなかった。




