Chapter1 さきちゃん逃亡事件5
視点:高島さき→加賀遊規
ビュン、という風の音。その音で、暑かった昼間からは考えられないくらい肌寒くなっていることに気付いた。小さく震えた僕の視界には、一つの小さなシルエット。薄明かりの中、振り向くこともしなかった。
「さきちゃん?」
返事がない。
「ごめん」
これも返事がなかった。
僕が、何を言ったらいいのか考えていると、先に、さきちゃんに先回りされてしまった。
「仲直り……した?」
その質問には、頷くことができない。
「それどころじゃなくなった」
「何で?」
「さきちゃんが出て行っちゃったから」
「また、あたしのせい?」
「だって、一番優先したいんだ」
「いいよ、あたしなんか」
「どうして出て行ったの?」
僕はきいた。この質問をすること自体が、正解じゃないだろうと思いながら。
「わからない?」とさきちゃんは少し険しい顔をした。
「捜すのに必死で、考えなかった」僕は言い訳をした。
「考えてみて。あたし、待ってるから」
とても長いこと静寂が君臨した後、僕は勇気を出して声を押し出す。
「……さきちゃんのせいにしたから?」
「そうね。でも、あたしのせいにしたっていうよりも、ゆーきが自分で考えてなかったって言ったから」
「言ってない、そんなこと」
「あたしがどうとかって、あたしの名前出したってことは、そういうことでしょ?」
「違うんだ。自分で考えて、ヒロアキのこと、許そうって思った」
「じゃあ何であたしの名前出したのよ」
「それは…………」
「本当に、自分で考えた?」
「それは、だって、僕だってヒロアキとは親友でいたいから、もういなくなっちゃったみやこのことで争ったってどうしようもないって思って……」
「……そっか。それなら、良いの……ごめんね、逃げちゃって」
「いや、僕の方こそ、ごめん」
「ねえ加賀君」
さきちゃんは僕に背を向けたまま立ち上がってそう言った。
「うん?」
「あたし、加賀君のこと……好き……かも……」
「……なつかしいね、何だか」
さきちゃんはいつもの笑顔で振り返って、
「そうよね、でも、ゆーきはあたしのこと好きでしょ?」
と言った。
「な……何言ってんだよ……」
「……じー」
声に出されて見つめられる。
「大好きだよ」
「うん」
「…………」
「今、ゆーき『なつかしい』って言ったよね」
「え? あぁ、うん」
「山田君がみやこちゃんのことで言ったのは?」
「――なつかしい」
「確かに少しニュアンスとかディティールとかは違うと思う。だけど山田君の『なつかしい』だって、みやこちゃんのことを忘れてしまって言ったことじゃないと思うの」
「そうかもね」
「そうなの!」
「そんなの、言い切れないよ」
「信じ切りなさいよ、仲間でしょ?」
「でも……」
「問答無用でーす!」
彼女はそう言って、僕に、キスをした。
「これって、問答のうちに入るんじゃない?」
「どっちでも良いよ、そんなの」と彼女は言う。
「……帰ろうか」と僕が言う。
「うん」
「皆には、待っててって言ってあるから」
「皆、待っててくれてるかな」
「待ってるって、信じ切る!」
「うん!」
手を、繋いだ。階段を下りる。
「夜の学校って、何でこんなにこわいんだろう」
「きっと、いつも皆がいるのにいないからじゃないかな」
「……なるほど。あ、ゆーき、そっち行ったら見つかっちゃうよ?」
「え、いや、でも。いいからほら」
「…………」
さきちゃんは戸惑ったような空気を出しながらも黙ってついてくる。
そして僕たちは、事務の窓口の前に立った。
「あ、長いことすいませんでした。忘れ物見つかりました。ありがとうございます」
「ずいぶんでっかい忘れ物だねぇ」
「あはは……」
「ありがとうございましたー」
「失礼します」
「気ぃつけて帰りなよー」
僕と彼女は、二人そろって返事をした。
★
新渡戸の家の玄関を通り抜けた。
リビングのほうから声がする。
「それで……その彫像はどうなったの?」まちの声。
「うん。その彫像は、生身の人間になって動き出したの。そして、彫った彼の奥さんになった。という素敵な話よ」
これは、アキさんだろうか。
「素敵なのかしら……それって……」
まちとアキさんの話している声が聴こえた。
「ただいまー」
僕が言うと、新渡戸が大して怒ってもいないのに怒った口調で、
「おそい! まさか二人で遊んでたんじゃないだろうな!」
「おかえりー」とアキさん。「まぁまぁ、新渡戸っちもそう怒らずに、あたしは今日が今まで遊んだ中で一番楽しかったよ?」
「え、どういうことだ、アキ。そ、それはつまり、俺と二人きりでいても楽しくないって……」
「ああ、違う違う。だって、ほら、皆のこともいっぱい知れたし、新渡戸っちのことも……ね」
「ヒロアキ」
「……何だ?」
僕はヒロアキに向けて言う。そして、
「まち」
蔵野まちにも。
「何?」
「僕は、二人のこと、赦すよ」
そしたら、二人は俯くついでみたいに頷いて、
「ありがとう」
「ありがとう……」
とても悲しそうに、そう言った。




