リバースエッジ エピローグ5 山田ヒロアキ
あのジョージをめぐる戦いから、数日が過ぎた。
窓の外に、雲ひとつ見当たらない青空が広がっていたので、まちを誘って桜を見に行くことにした。
川沿いに桜並木が続く公園。
俺は適当な私服。
まちはあの戦いの日の梅田さくらのように、黒い服を纏って歩く。
あのさくらからもらった服を着ないのか、と訊いたところ、
「主役は桜でしょう?」
と言っていた。
とはいえ、こうも黒ずくめだと、何かの喪に服しているんじゃないかと思ってしまう。
いやまぁ、口には出さないが、実際意識してそういう服装をしているのかもしれない。あるいは、無意識的にそうなってしまったという可能性もある。
とはいえ、どんな服に身を包もうとも、まっちーは可愛い。俺にとっての新しいコモンセンス。
強風で、桜吹雪だった。
まちはそれでほんの少しだけ表情を曇らせたが、俺の視線に気付いて、無理に笑った。
変に素直になったまちも、これはこれで可愛かったし、黒い服と桜の花びらのコントラストが綺麗だった。
「綺麗ね」
まちはそう言った。俺がまちを含めた景色が綺麗だと思ったのと同じタイミングで。
「ああ」
「座る?」
「そうだな」
ぽつんと置いてある普段は誰も座らないような三人が掛けられるくらいのベンチに、座った。
何となく恥ずかしくて、隙間を空けて座っていた。
長い長い沈黙。
気まずい……。
まちはただ頭上の桜たちを眺めていて、無言を気にしているわけでもなさそうで、とりあえず、俺もまちと同じように頭上を見た。
一面満開の桜色は、神々しくもあった。
「まち、好きだ」
――え?
「え?」
「ええ、私もよ、ヒロアキ」
――え?
……って……。
「ねぇ、ヒロアキ、私を抱いて。え? いいのかい? やさしくしてねっ。ふへへへへ、やさしく? やさしくとはこういうことかい? あ、あぁぁん! はげしすっ――ぶふぇあふぁ……」
新渡戸だった。
気色悪い声色で一人芝居をする馬鹿野郎を、二人で蹴り飛ばした。
こんな変な奴の接近を許していたのが妙に腹立たしかったのと、折角の桜観賞を邪魔されたのと、まちとの優雅な共有時間を奪われた、という三つの理由で、俺はもう一発蹴飛ばすことを決め、立ち上がり、じりじりと近寄る。
駆け逃げようとしたので、腕をつかんだ。
「ちょっ――冗談だよ、本気になるなって」
「うるさい、俺は怒ってる」
「ごめん、ごめん。ほら、あやまるから、ほら、ごめん」
「とりゃ」
「うぇあぁ……」
あまりに必死にびびるので、撫でるように軽くローキックするくらいで許してやることにした。
奇妙に体をくねらせて避けようとする新渡戸が滑稽で、少し笑えた。
まちはといえば、もう何事もなかったかのように先程とおなじように上を向いて、桜を見ていた。
俺も再び、先程座っていた位置に座り直す。
再び頭上に目を向ける。
「おいおい、俺と会話してくれないのかよ」
二人して新渡戸の存在を無視するように上を向いてしまったのが気に入らないようだった。
「まっちー。おーい、まっちー」
「うるさいわね! 新渡戸と話しても面白くないの!」まちがついに怒った。
「お前それ、人格否定だぞ……」
「そうね」
感情のこもってない声で、まちは言う。
「そうだな」
俺も適当に相槌を打つ。
「桜と話してる方が面白いってのか……」
「……そうね」とまち。
「…………そうだなぁ」と俺。
「えーい!」新渡戸が掛け声とともにジャンプした。
「うわ」
「何してんのよ!」
新渡戸が「えーい」とか言いながら俺とまちの隙間に割り込んできたので、二人でドカッと蹴り飛ばしてやった。学習しないヤツだ。
「うぉあ! いってぇ……」
しばらく尻をおさえていたが、新渡戸はすぐに立ち直り、話しかけてくる。
「二人で花見か? いいなぁ、アベック&カップルは」
無視する。
「お、まっちー、今日も可愛いねー。その黒い服はあれか? 次の魔女役を狙ってるのかな?」
これも無視。
「なぁ、まち」新渡戸はまた俺の声真似をして、「今日はどんなプレイに興じようか。え? また変なことやらせる気? ふへへへ、とりあえず此れを着てもらおうかぁ。こ、これ? やだ、こんなの恥ずかしいよぅ。よいではないかよいではないか。あーれぇー……」
お前の存在が恥ずかしいよ。
ひたすらに無視だった。
「えーい」
またしても我慢できずに割り込んできた新渡戸だった。
「もー! 邪魔!」
まちが本気の目を向けてそれを突き放すと、俺との隙間を埋めるようにぴったり真横に座り直した。
密着。ドキドキ。たまらない。
自分の顔や耳が赤くなっていくのがわかった。
「仲がよろしいこって」
「う、うるさい。用がないならどっか行けよっ!」
俺は急に恥ずかしくなって新渡戸を追い払おうとしたが、どうもどこかへ去る気はないようだ。
「ヒロアキ。馬鹿は放っておきなさい。相手するだけ時間の無駄よ」
「そうだな」
まちの言葉に完全に同意する。
とはいえ、相変わらず酷い扱いで、少し不憫に思えた。
そして、まちはひたすら桜観賞に夢中だった。
……俺もまちに付き合うことにする。
パシャリ、と不意に聴こえたシャッター音。
音のした方に顔を向けた瞬間、パシャリ、もう一度、同じ音がした。
「何撮ってんのよ」とまち。
「いや、記念に」新渡戸。
「何の記念だよ」俺
「花見の記念に決まってんだろ?」
「……あら? そのカメラ……がっくんの?」
まちが気付いた通り、新渡戸の手にあったのは、加賀のデジタルカメラだった。
「ん。そう、加賀の」
「来てるの?」
「あれ? お前ら、ケータイに連絡しただろ? 見てないの? それ見て来たんじゃないの?」
「あぁ、えっと……俺は家に置きっ放しだな」
どこだったか、ベッドの横か、コタツの上か。
「私は……どこかに失くしたわ。たぶん家のどこかだと思うけど……」
そんなまっちーが可愛い。
「どっか抜けてるよな、お前ら……」
「で、さきとがっくんはいるの?」
「ああ、いるよ。今頃きっとあっちも二人っきりで良いムードなんでしょうね」
「なに妬んでんのよ。馬鹿みたい」
「はいはい。俺は昔っから馬鹿だよ」
新渡戸が自虐したが、昔から馬鹿なのは知ってるので、否定はしてやらない。
「ほら、行くぞ」と新渡戸。
「ああ、行こう、まち」
俺は立ち上がり、彼女の手を引っ張る。
そして、そのまま手を繋いだ。
「えーい!」
新渡戸が言って、俺とまちの繋いだ手を解き外そうと手刀を繰り出した、が、まちと俺の手は離れなかった。
「あ、怒った?」
「ええ、怒った」
まちが、こわい。怒りのオーラが静かに燃えているのがわかる。
「じょ、冗談だよ、ごめん。ごめんなさい、すいません……あの、ほんともう、ね……」
ダッと地を蹴って、新渡戸は走り出した。まちに滅ぼされる前に逃げたのだ。
「あっ、おい、新渡戸」
「こっちだよ、早く来ーい」
新渡戸は、跳びはねながら大きく手を振って、駆け出していった。
「まったく……」
まちは、呆れたような溜息を混ぜて呟き。
歩き出す。
そしたら溜息と一緒に、不機嫌も全て吐き出したかのように急に上機嫌になった。
俺も、まちと手を繋いだまま、並んで歩き出す。
「ここに来てるのが、新渡戸だけだったらどうする気だったんだ?」
「どういう意味?」
「え? うーん…………」
どう言えば良いんだろう。
うーむ、「俺と二人っきりでいたかったかい?」なんて言いたくないな。
さすがに。
「そうねぇ……」まちは少しだけ考え込み、「新渡戸だけだとは、最初から思わなかったわ。うん。さきとがっくんもいると思った」
本当かどうか怪しいものだが、機嫌の良いところに水を差すこともないだろう。
橋を渡って少し歩くと、芝生の上に敷かれたビニールシートに座って、紙コップ片手に「こっちこっち」と手招きする新渡戸が見えた。
高島と加賀の姿は見えない。
「遅えよ! なにチンタラ歩いてんだ。遅刻だ遅刻。……ん? どうした? 座れよ」
新渡戸の奥に……高島と加賀が横たわっていた。
ゆるい笑顔で、幸せそうに……。
これは……もしかして……。
「二人……どうしたの? こんなところで寝ちゃって」
新渡戸が座っているシートの上に、俺とまちも座った。
「新渡戸……お前、まさかとは思うが……」
周辺は、アルコールのにおいに包まれていた。
なんて堂々と……。
とりあえず言っておこう。
――未成年飲酒、ダメ! 絶対!
「まぁ、カタイこと言うなってぇ~」
そして実にステレオタイプな酔い方だな。
俺の表情を読み取った新渡戸は悪代官じみたいやらしい笑いを浮かべる。
「バレたらまずいんじゃないの?」
まち、それは違う。
バレなくともまずいものはまずい。
「えー、何のことー?」
「飲ませたんだろ? 二人に。お前が」
「梅干でも食べたんじゃないの?」
「まぁ良いわ」
まち?
良いのかよ! ダメだよ!
「まっちーも飲む?」
「いいえ、遠慮しておく。お酒は二十歳になってからよっ!」
「そうだ! 二十歳になってからだ!」と俺。
「あとタバコもよ!」とまち。
「そうだ! 煙草もだ!」俺も同調する。
「何だかカタいよなぁ~お前ら」
新渡戸はそう言うと、瓶に入った液体を一気に飲み干していた。
「うまいのか?」
「っくぁーっ……のむ?」
「いや、飲まないが……」
「もし警官とかに見つかったらどうするの?」
「どうってぇ? 逃げればいいんじゃないのー?」
よくわからんが、公務執行妨害じゃないか、それって……。
「まぁ、逆に、これだけ堂々とやってりゃ怪しまれたりはしないだろうが……いやまて……お前ここ仮にも近所の公園だぞ? 知り合いに会ったらどうするんだよ」
「えー? 知り合いぃ? 俺は孤独なの。知り合いなんかいねぇー!」新渡戸は叫んだ。
「こいつ、急に酔い回ってないか?」
「梅干でも食べたんでしょう?」と、まちは言った。
梅干しで酔うなんて、俺の友達は宇宙人ばかりなんだろうか。なんてな。
だけど、この桜の美しさだ。飲みたくなってしまう気持ちもわからないでもない。
「……じゃ、そういうことにしとくか!」
「ねぇ、君たち大学生?」
不意に、背後から声を掛けられて、振り返ると……。
「ん? 大学生なのかな? 高校生なのかな?」
俺達五人の共通の知り合いが、張り付いたような笑顔でしゃがみこんでいた。
しゃがみこんでいる理由は、座っている俺達と同じ目線に立つためであることは言うまでもない。
「あら、相馬先生。こんにちは」
あっれ、担任教師じゃねぇか。
これってまずいんじゃないのか。
「はい、こんにちは。で、皆さんの年齢はいくつでしょう?」
「へーい! カタイこと言うなよー。今日くらい良いだろー。俺今日誕生日なんだよー」
いや、俺の記憶だと今日は新渡戸の誕生日のはずはないのだが、まぁ嘘吐きで有名な新渡戸だからな、これまで誕生日まで今まで偽っていた可能性すらある。
「つまり、今日で二十歳になったと?」
「十八だよ、十八。エイティーン! 十八歳以上だからもうオトナなんだよォ!」
百歩譲って大人と認めるんだとしても、校則でわりと厳しめに禁止されているけどな。
「ねぇ、相馬先生」
「ん……蔵野まち、か……」
「見逃して」
「うーん……」
あ、交渉の余地あるんだ。
「ところで……何で先生がこんなところいるんだよ」と俺。
「ココ、サクラ、サイテール。ミニキタ」
「何でカタコトなんですか、っていうか桜なんてわざわざこんな公園まで来なくても……」
「ここの桜並木な、微妙に有名なんだよ。特に、だ。うちの学園の教師陣とかにはね……」
「ということは、もしかして……他の先生方も……?」
「というかだな、あれを見てみろ」
相馬先生の指差した先には……。
「げ」
対岸で、教師陣が宴会していた。
よりによって何であんなところで……。
「まぁ、蔵野がいるからな。見逃してやらんこともないが……おいこら、新渡戸、寝るな」
「んあ、寝てませんよ」
「寝てたろ」
「らい……」
らい?
「……なあ加賀ぁ、教科書何ページ?」
「バカね」
「こいつはいつも通りだな……」と先生。「まぁ……助けてやりたいのは山々なんだが、さすがに、これ見つかったら、かばい切れんぞ……」
「ええ、そうねぇ……。ね、ヒロアキ、放って帰っちゃいましょうか」
「冗談だよな」
「ええ、冗談よ」
いやさっきの口調は絶対に本気だった。
「……まぁ、とにかく、だ。先生は戻るからな。見つからんよう頑張れよ」
「ええ、ありがとう先生」
先生は去っていった。
「まあ、お酒を隠せば、寝てる限りは大丈夫でしょう。先生は私を見逃すのは当然だものね」
「ああ、そういえば、組織につかまってたのを解放させたのがまっちーなんだっけ?」
「そう。だから、命の恩人なのよ」
まちは、眠ってしまった三人を順番に眺めて、言う。
「呑気ねぇ……川一本向こうから丸見えだってのに」
「俺達らしいといえばらしいだろ?」
新渡戸も加賀も高島も、幸せそうに眠っている。
「ひろみぃ……」
と、新渡戸が言った。
「みやこ……」
加賀が言った。
「ひろみが新渡戸にとられちゃったわね。じゃあ私は『メイ……』とか『レイコ……』とでも言えば良いのかしら」
「対抗しなくていいからっ」
俺はツッコミを入れる。
「むにゅ……もう食べれないよぅ……」
と、高島が言った。
「ははは」
俺は声に出して笑い、
「ベタな寝言ねぇ」
まちはクスリと笑う。
「高島らしくて、良いんじゃないか」
「ええ、そうね……」
まちはそう言って、もう一度頭上の桜を眺めた。
「色々、あったな」
「色々、あったわねぇ」
しばらく静かに
「お酒以外のもの、無いのかしら」
「ないみたいだな」
「新渡戸って、どうしようもない馬鹿よね」
「それも長所だけどな」
俺はそう言うと、仰向けに寝転んだ。
視界には相変わらず桜が舞っていて、飽きない。
「ねぇ、ヒロアキ」
「ん?」
「私の罪は、赦されたかなぁ……?」
「……きっと」きっと悲しいけど、それは、「一生かかっても、赦されるわけ、ないよ」
「うん、ありがとう。はっきり言ってくれて……」
「でも、俺もそうだから……」
「本当はね、まだ迷ってるの。戦い続けなきゃいけないんじゃないかって。私には戦うチカラがあって、それを必要としている人は、いっぱいいて……ここでこうしていることこそが、『逃げ』なんじゃないかって……」
「だから、明孔たちに、あんな風に言ったんだな」
何かあったらいつでも呼んでくれ、というようなことを……。
「ええ、だから、本当に、また、戦うことになったら……」
「なったら?」
「……付き合ってくれる?」
「…………愛の告白?」
「うん」
俺は一つ息を吐き、言ってやるんだ。
「どこまでだって付き合うよ。地獄はこの前行ったから、次は天国とかにでも」
「天国なんて、行けるわけないじゃない」
そう言って、まちは「ふふふ」と曖昧に笑った。
「それじゃあそこは、行けたら行くってことで」
「ありがとう……ヒロアキ」
そして、まちも俺たちと一緒に、仰向けに寝転がった。
「……ありがとう……ごめんなさい……」
まちは、きっと誰に言うわけでもなく言った。
俺への言葉でもなくて、きっと桜の花びらにでも、枝にでも幹にでもなくて、その先の、空に向けて言ったんじゃないかと思う。
たくさんの〈器〉を殺したこと、霧野みやこを殺してしまったこと、〈器を生む者〉たちを死なせる爆弾を起動させてしまったこと、森岡レイコを引っ張り上げられなかったこと。メイを死なせてしまったこと。たくさんのミサキを間接的に殺してしまったこと。
その他にもあるのかもしれない。
とにかく、それら全てに罪を感じていて、たとえば俺が「いくつかはまちの罪にはならないよ」と言ったところで、彼女の罪がゼロになるわけもなくて。また、俺の罪がゼロになるわけもない。
できれば……そうだな……。
――死んでも償いたい。
そう思っているんだろう。
どう足掻いたところで、そんなことが叶う確証は無いけれど、叶う気なんか欠片もしないけれど、俺に出来得ることを考えると、殺してしまった命の数に匹敵するくらい、人を生かすような「何か」をして生きたいと思っている。
具体的に、どういうことがしたいのか、なんて問われても、今はまだぼんやりしていて、答えられないけど……。
「まち」
俺はまちに問いかける。
「…………」
「あれ? まち?」
返事がないので、体を起こして彼女の方を見た。
「…………ははは……お前も呑気じゃねえか」
まちは眠っていた。
他の三人に全然負けないような、幸せそうな顔で。
左目からひとすじ、涙の流れたアトがあったけど、それでも幸せそうに……。
そういえば、布団のないところで眠ることにかけては、まちは一日の長がある。
そりゃあ他の三人に負けてはいられないだろう。
……さて、俺も眠ろうか。
幸せそうな寝顔ができる自信はないが、きっとこれも、第七帰宅部の活動の一つなんだろう。
『桜舞う公園で昼寝する』
何とも素敵だ。
「よっしゃ! 俺は、やるぞぉー!」
小声でそう叫ぶと、両手の人差し指と親指とでフレームを作って、すぐに意味の無いそれを解く。
視界いっぱいの桜と空を焼き付けるように何度かまばたきをした後に、ゆっくりと目を閉じた。
強風は、いつの間にかそよ風に変わっていた。
【リバースエッジ おわり】




