Chapter1 さきちゃん逃亡事件1
ここから番外編です。
視点:加賀遊規
ある梅雨の中休み。よく晴れた日の、正午ごろのことだった。とても暑くて、さきちゃんが長袖で来たことを後悔していたりしたのが印象的だった日。
公園を新渡戸を除く四人で歩いていたときのこと。
「――霧野みやこね、なつかしいな」
ヒロアキがそう言ったのが原因だった。霧野みやこが夏でもいつも長袖を着ていたという小さな話から喧嘩に発展した。大喧嘩で、殴り合いになった。ヒロアキは何も抵抗しなかった。ずっと謝っていた。だから、それはもう、殴り合いというよりは、僕の一方的な暴力だった。
僕の手は、とても痛かった。
「ごめん」
ヒロアキは何度も言った。
「ごめんじゃねえよ!」
僕も何度も言った。
だって許せなかった。「なつかしい」なんて言葉で片付けられてしまったことが、どうしても、ゆるせなかったんだ。
みやこが死んでしまってから、まだ一年も経っていないのに、もう「なつかしい」だなんて…………悔しくて、悲しかった。
「がっくん、もうやめて」
僕はきっと誰かが止めてくれるのを待っていた。まちが呟いたので、ようやく僕の手は止まった。あの日、級長だった蔵野まちを殴れなかった分をヒロアキにぶつけてしまったみたいで、自分にも腹が立った。
「ヒロアキは悪くないわ」とまち。
「悪い。俺が悪いんだ。まち、むしろ俺は、今のまちの言葉のほうが、俺は許せない」
「そんな……私はただ……」
「理由はどうでもいい。まちが今の俺を許すのは、ダメなんだ」
仲直りなんかできないまま、まちはヒロアキが連れ帰ってしまった。僕とさきちゃんの二人きりになった。
「ゆーき……」さきちゃんは、
「な、なんだよ」
「あれだけ謝ったんだから、許してあげてよ……」
「ゆるせないよ! みやこがそこに生きてたって否定されたんだよ! それも……殺した当人がそれをした!」
「あ……あ、あたし、そんな加賀君は好きじゃないわ! 殴ったりするような人は嫌!」
「さきちゃん……」
「そもそも、まだみやこちゃんのこと気にされるのが気に入らない!」
「でも……だって、もう、死んでしまったから……」
「そうね。加賀君の中からみやこちゃん消すことはできない。でもね、それでも嫌なものは嫌」
「なんでっ、そんなこと言うんだよ……」
「あたしより、みやこちゃんを選ぶの?」
「選びようが……ないよ……」
「じゃあ、別れよっか」
「え! 嫌だ!」
「よく嫌だなんて言えるわね。あたしを選んでもいないのに」
「さきちゃんは、僕のこと、す――」
「好きよ、とても。すごく。大好き。でも加賀君があたしを一番大切に想っていてくれないんだから、仕方ないでしょう? 大切にされたいもん。そうね、山田君あたしのこと好きだっておもってくれてたみたいだし、付き合っちゃおうかなぁ」
「嫌だ!」
「じゃあ山田君のこと、ゆるしてよ」
「……ヒロアキ次第だよ」
「何で? 山田君は仲間でしょ? 加賀君から話ききに行くとかできないわけ? 山田君だって加賀君があたしとのんびり過ごしている間に、いっぱい戦ったり、悩んだりしてきたんだってわかってるはずでしょ? わかってないわけ?」
「わかってるよ、それは、ヒロアキから聞いてしってる。でも――」
「でもじゃないでしょ? わかってないじゃない。罪を償うために罪を重ねてしまって、守ろうと思っていたものを守っても、結局、その……失って……、努力してもまちの方がずっとずっと強くって、きっと悔しくて。もっともっとって空回りしちゃって……そういう日々が、みやこちゃんのことを遠く昔に思わせたって、本当に仕方のないことじゃない! いつまでも過去に縛られてるゆーき――…………加賀君とは違うの。山田君はちゃんと前見てんのよ、ばか」
「僕だって、前向いてる」
「どこが?」
「だってさきちゃんのこと、一番好きだし」
「むー。わかってない……。本っ当にばか! そんな風に好きって言われてもこれっぽっちも嬉しくないよっ!」
「どうすればいいんだよ……」
「自分で考えるとかできないの?」
「みやこのこと忘れろって言うの?」
「そうは言ってないでしょ!」
「何なんだよ、もう!」
「しらない! あたし今日はもう帰るね。山田君と仲直りしたらまた会ってあげる」
「会ってあげる……? 何だよそれっ!」
僕は帰ろうとした彼女の腕を掴んだ。
「…………! 何よ! 離して!」
「嫌だよ!」
ばしん!
強引に手を引っ張った僕の頬を、彼女が平手で殴った。
「……なんで」
弱々しい声が出た。
「……ばかじゃないの……」
彼女はそう言うと、目のあたりをおさえて走り去って行ってしまった。
「何だよっ、もう……」
僕は思わず呟いて、公園の砂を蹴り飛ばした。
★
午後三時、新渡戸家、僕の答え。
「……で? 何で俺の家にわざわざ修羅場持ち込むわけ?」
「本当、ごめん。でも、ここしかないなって思って……」
「まぁ、別に良いんだが……今回、ほとんど同じ内容の連絡を加賀とヒロアキから受けてこのわけわからん集会となったわけだ」
「ごめんな、デートか何かだったか?」
「いや、特に予定は…………あ、いや、まぁ……でもなぁ。なぁ!」
「何か歯切れ悪いわね」
「ねぇ、新渡戸っち、これあたし必要?」
「いーや、アキは部外者」
「だよねー、あはは……二階に避難してるね」
そう言ったのは、林田亜季さん。この春から新渡戸と付き合っているらしい年上の女性。何かと物知り。そして新渡戸と付き合うなんてとんでもなく物好き、ともいえるかもしれない。
新渡戸から彼女と付き合いはじめたと聞いた時には本当に驚いた。まさかあの新渡戸に恋人ができるなんて、全く想像できなかったからだ。
いやまぁ、それを言い出したら、僕がさきちゃんと付き合えているということだって、少し前からしたら奇跡みたいなものなんだけども。
「でもそうだなぁ……うーん……別に聞いててもいいよ?」と新渡戸。
「あ、本当? じゃあ聞いちゃお。良い?」
新渡戸が言うには、彼女は修羅場を見るのが好きで、どうせこのちょっとした修羅場のことも後で完全再現させられると思ったんだろう。まぁ、アキさんがいたところでたぶん僕とヒロアキの話には何の影響もない。裁判を傍聴するようなものだ。だから、
「構わないよ」
素っ気なくそう言った。
「ああ、別に、気にならない」
ヒロアキも同じような調子で言った。
「まぁ、それで、だ。ヒロアキからまず何か言いたいことがあるらしいから、言ってもらおうか」
「ああ……」
そして、ヒロアキは頭を下げる。
「加賀、あと新渡戸も、本当にごめん! こんな、謝っても赦されることではないんだろうけど、心から謝る! 霧野みやこのこと、もう赦されたと思って忘れかけてた! 本当に、ごめん!」
「私からも謝るわ。二人とも、ごめんなさい……」
「何でまちが謝るの?」
「実は……ヒロアキが言ってしまったことを、私が、ヒロアキは悪くないって言ってしまって、それで……」
「……そっか」
「加賀は? 何か言うことないか?」
「ああ。うん……。僕としては、みやこのことをまるで何もなかったことのように言ったのは、とても赦せることじゃない。だけど、許すべきだって思う」
「どういうことだ? それ」
「さきちゃんが、ヒロアキを許せって言――」
「ストップ」
それまで、黙っていたさきちゃんが、少し低い声で僕を制した。そして、
「……ゆーきのばか! 全っ然! 何っにもっ! わかってない! あたしが赦せって言ったから? 何なの! あたしのせい? あたしが何も言わなかったら、仲直りの一つもできないわけ? すぐそうやって何でも他人のせいにして! 何ていうの……もう、信じられない! だいたい、こないだ山田くんが殺した当人みたいなこと言ってたけど、みやこちゃんをやっちゃったのは山田君じゃなくて、まちだし! むしろゆーきが土下座して謝らないとダメなくらいでしょ! この大ばか! ダメ人間! もう知らない! 帰る!」
大声でまくし立てた。
「お、おい……高島……あっ……高島?」
「ばかっ!」
呆然とする僕にそう言って、ドタドタと新渡戸の家が崩壊するんじゃないかってくらい乱暴な足音を立てて、彼女は走り去った。
バダン、と玄関のドアの閉まる音。
そして長い時間、静寂が広がる。その静かな世界を破ったのは、家主である新渡戸だった。
「加賀……追いかけなくて良いのか?」
「え? あぁ……ああ? あ。えっと」
呆然としてしまっていた。
「はいこれ、さきちゃんの鞄」アキさん。
「あ、はい」
「しっかりね」
拳を握ってみせたアキさん。
「……はい……」
僕はゆっくりと立ち上がる。そして、言った。
「ごめん! 皆待ってて、すぐ戻るから!」
走りだした。新渡戸の家の廊下が、軋んで音を立てた。




