Chapter10 ぐるぐる
迷いながらも見つけた光。誰かを守るという行為。
殺した全ては戻らない。せめて忘れぬようにと心に刻む。
こんな愚かな男でも、生みの親だと言うのなら、殺し殺させたくはない。
と……そう……思ったけど……。
★
周囲を見渡した私の視界に飛び込んできたのは、猟師が使うような銃を両の手で構えた十人以上のミサキ達だった。
あるものは背後から、あるものは蛇の亡骸の上に立ち見下ろしながら……。
「ふははははははは! 切り札は最後までとっておくものなんだよ! 終わりだ、ミサキ! こいつら全員蜂の巣にしてやれ!」
猟銃くらいで、私が殺されてしまうことはないし、ましてセバスチャンや、さくらも大丈夫だろう。でもヒロアキが、四方八方十六方からの銃弾に完全に対処できるとは思えない。
私は彼を守らなくてはならない。
「バカが……」
セバスチャンは呟いた。
そして、再びジョージが振り下ろす右腕。
今度は私たちを囲んだミサキ達から発砲。
さくらは……セバスチャンが拘束していたからか、その右腕に反応することはなかった。
歯を食いしばって衝動に抵抗するさくら。
セバスチャンも、さくらを押さえつけるのが精一杯なようだった。
猟師が狩で使うような銃の銃声。
いろんな方向からの一斉銃撃。
集中世界。
静寂世界。
この時……私はまた油断していた。
構えたリグレット。
銃弾は、何かを貫いて、弱々しくリグレットにぶつかった。
それが床に落ちる音が、妙によく響いた。
何が起きたのかわからなかった。
――思い出そうとする。
たった数秒前に起きた出来事が、思い出せない。
ノイズ。
思い出したくない。
目の前の風景が信じられなくて、目を閉じて、もう一度開けてみる。
同じ光景が飛び込んできた。
一瞬完全に存在を忘れていた彼が、彼を産み落とした母親と同じようにそこに横たわっているという現実。
「ぁ…………」
――メイ。
「メイー!」
まだ……五月にもなっていない。
嘘……またなの?
何で……。
「何で飛び出したりしたのよ! 何で!」
「キュゥン…………」
弱々しく鳴いた。
か細い声。
嗚呼、そうだ。
私の……私のせいだ。
私が、一度も戦わなかったから。
私が、弱いんだと思ったんだ……。
――ちがうの。
ちがうのよ、メイ。
私は、私は、私は本当は強いのよ。
ここにいる誰よりも、誰よりも強くて、迫り来る銃弾なんて全部叩き落してしまうくらいに強いの。あなたに守られるような私じゃないのよ。
ばか……。
「メイ! しっかりして……」
揺すってみる。
ただフゥと苦しそうな息を吐いた。
声を上げようとしているのか、声をかみ殺しているのか、苦しそうに掠れた音を鳴らすだけ。
薄く開いた目が、私の無事を確認して安堵しているようだった。
「そうよ……あなたのおかげで私は生きてるわ。あなたが、守ってくれたおかげで……」
私は、ダメな主だ。ダメな母親だ……。
あなたの存在を一瞬ではあるけれど忘れてしまった。
忘れてしまった!
自分の身を守ろうとした……。ヒロアキの身を守ろうとした……。
「……メイ?」
呼吸も、止まった。
「何よ……これぇ…………」
私のせいだ。
私のせいなんだ。
また私が殺してしまった!
私の弱さが……。
憎い。涙が出るほど、憎い。
「……その子の名前……メイっていうの?」
さくらの声がした。だけどそれは、さくらの声ではなかった。
「そうよ、メイ。来月が五月だから、メイ」
「あの子の……子供なのね……」
また別のところから、さくらの声がした。その声もさくらからのものではなくミサキの声だった。
さくらはセバスチャンにしがみついてただ、泣いていた。
「あの子……?」と私。
「二階の……大きな部屋の……」
メイが生まれた場所のことだ。
「ええ、そうよ……。この子は、メイ……。メイっていう名よ」
「うっ……」
全てのミサキが、硝煙をあげた銃に、リロードしながら、涙を流し、むせび泣きを堪えるようにして、でも声を上げて、ないていた。
ジョージはそれに気付く様子もなく、ただただ、天井しか無い天井を見上げてまるでタクトを振るうように踊りながら笑っていた。
――笑っていた。
憎い。
体が自然に動いてしまうほど、憎い。
目の前が真っ暗になって真っ白になって真っ赤になった。
私の視界にはただジョージの姿と、その男の死のイメージしかなかった。
地面を蹴る。
今までにないくらいの速度で視界が流れた。
「ジョージィイイイイ!」
叫んでも、男は振り返らない。
構わない。
殺す。殺す。殺す。死んでもらう。キリ裂かれて死んでもらう。
メイを殺した。死ぬ条件には十分すぎる。
ミサキに殺させた。
殺させようとした。
殺される条件には十分すぎる。
それでも泣きながらも割り込もうとするミサキが赤い視界の左側に見えた。
邪魔をしないで。
そう思って斬ろうとした。
でもその必要はなかった。
何かの弾丸にミサキは貫かれた。その姿を無機質な感情で確認してジョージに向き直る。もう私のジョージへの一直線の射線に割り込み遮るようなモノは何もない。ただジョージの笑い声と、地を蹴る私の足音だけが自分の耳にうるさいくらいに響く。
ごくごく小さな銃声がして、先ほどミサキを貫いた弾丸が、セバスチャンの持つ白い銃が放ったものだと理解した。
そんなことはどうでもよかった。
ただ……。
ただ、ぐるぐるだった。
死と殺。
黒と黒のぐるぐる。
その思いが高速で回転しながら一直線に飛んでいく。
私がリグレットという輝く凶器を振り上げた時になってやっと、ジョージとかいう男は私の存在に気付いた。
遅い。何もかも遅い。遅い。おそすぎる。
死の恐怖で笑いが陰る。
私がその狂った男の死ぬ姿を焼き付けようと目を見開いて、脳天めがけて左腕を振り抜く。
けど、私の刃は、ただただ、空を切っただけだった。
「ヒロアキ……」
彼の右腕が、私よりも先にジョージを殴り飛ばしていた。
雑巾のように砂や石や血で化粧された滑りやすい床をジョージの体が滑り、そして、また長く部屋を横切るあの蛇の死体にぶつかって止まった。
「お前が! お前の右腕がぁ! まちを泣かした!」
「ジョージッ!」
叫んで駆け寄ろうとした近くにいたミサキだったが、また白い銃のサイレントな一言で言葉を失って倒れこんでしまった。
「まち、約束、破ってもいいかな?」
「え……」
「あの、誰も殺さないって約束……」
「だ……ダメ……私が……私に殺させて……お願い……」
「ぅぅ…………」
呻いたジョージ。
「ぅぅ……じゃねえよ……」
ヒロアキが憎しみの目で見下ろす。
気付けば、私の左腕には銃弾に貫かれた痕があった。
いつの間にか、ミサキに撃たれていたみたいだ。
血が流れていた。
痛い。痛いな……。
でも、でも、メイはもっと痛かったに違いないんだ。
だから、私もそれと同じくらい痛い思いをこのジョージとかいうモノに与えなくてはいけない。
当然の論理だ。
「待って!」
ミサキの声――いや、違った。それはさくらの声だった。
さくらは、緑色の髪のまま、真っ赤な銃に弾丸を装填した。
空の左手で前髪をさらりとかき上げながら、歩み寄る。
でも、かき上げた意味は無く、同じ場所に前髪は落ち着いてしまった。
「あたしに、やらせて……」
足音が響いて、さくらがジョージの前に立つ。
ジョージの目の前に赤い銃を突き出す。
「ねぇ、ジョージ……」
長い長い沈黙の後、さくらは続ける。
「…………本当は、色々と言いたいことあったはずなんだけど……忘れちゃったわ」
悲しそうに笑い、そして。
引き金。
その腹を打ち抜く。
「ジョージ!」
叫んだミサキ。叫んだだけだった。
私は、メイとの出会いを思い出していた。
短すぎる彼の生涯を思い出していた。
そして、ミサキとのある約束を思い出す。
ジョージはまだ死んでいなかったから、その約束は果たせそうだった。
「ジョージ……きこえる?」
私はそう言った。
ジョージは頷きも首を振りもしなかったが、続けて言う。
「ミサキがね、あなたに伝えてって言ってたわ。……無事、産まれたよって」
「そうか……あぁ、そうか。無事に、産まれて、良かった。僕と、みさきの……美咲……の――」
「バイバイ……ジョージ……愛して、いたわ……」
真っ赤な銃からのこれまでで一番大きな銃声が、痛いくらいに響いた……。
ジョージの仰向けに倒れる体の下から血が染み出る。
完全に、目の光が消える。
ミサキたちもただ黙ってしばらく立ち尽くしていた。
その目には、流れ続ける涙。
まるで体中の水分全てを出し尽くすように、ずっとずっと泣いていた。
私の目からも涙がずっと流れていたけれど、そんなものは拭ってやった。
永遠に思えるような静寂。
とてもとても静かで、耳が痛くなるようだった。
静寂を破ったのは、ミサキの足音だった。
ミサキ達は、一斉に動き出し、壊れてしまったコンピュータを元の場所に並べはじめた。
明らかに動きそうにないものもあったが、構わず並べていた。
「何……してるの?」
さくらが訊く。
「ジョージを、誕生させるの」
ミサキが答えた。
「させない」
ミサキが並べたコンピュータ端末を叩き落とすさくら。
ミサキはそれをもう一度拾い上げ、同じ場所に並べた。
その姿が、悲しい。
「そういう、プログラム……ジョージは死なないわ」
「もう、死んだじゃない!」さくらは悲痛に叫んだ。
けれど、ミサキは言う。
「私は、ウメダミサキは、ジョージを愛しているの。失いたくない、かけがえのない人」
「そんな……ミサキが一人死んでも何とも思っていなかったじゃない!」
「わからない? それでも、好きな感情が。あなたになら、わかると、思う。あなたが、本当の梅田美咲なんでしょ?」
「……ち、ちがう」
「そう、ちがうんだ……」
興味なさそうに、ミサキは言った。
「あたしは、あたしは……」
――斬撃一閃。
セバスチャンの鋭い居合いの一撃が、ミサキを一人、両断してしまった。
「あ……」
「プログラムとやらを止めるぞ。全てのミサキと全ての機材を破壊しろ!」
静寂に響き渡る大きな声。
その音量で、耳がおかしくなりそうだった。
「あ……あ……」
力なく声をもらす、さくら。
「梅田美咲良! 聞こえなかったのか!」とセバスチャン。
「……ねぇ、ミサキ……ジョージはミサキ達を愛してたのかな?」
さくらは、別のミサキに訊ねた。
「……そうね……きっときっと……あぃ――」
そう言って、笑ったところで、彼女の肉体は胸の辺りから真っ二つに斬られてしまった。
また、セバスチャンが斬った。
「……ジョージ」
さくらは呟き、座り込んで少し泣いて、その涙を拭うことなく立ち上がり、その目からの水を撒き散らして、緑色の髪を振り乱しながら、何度も赤い銃に弾を込めては放つを繰り返した。ミサキにぶつかり、蛇の死体にぶつかり、床に、天井に、機械に。でも私達には当てないように……。
それは、何十発も、何百発も、手持ちの弾丸が無くなるまで続いたようだった。
彼女の代わりに、銃が泣き叫ぶ声が、何度も響き渡った。
私は、それを見ていることしかできなくて、見ているのが辛くなって、ヒロアキと一緒に部屋の端に並んでいる白い箱を破壊し尽した。
また自然と、涙が、こぼれていた。
★
やがて訪れた今日何度目かの静寂。
全てのミサキは死に、血の湖が広がる。
全ての機械は粉々になり、ジョージの体もぼろぼろだった。
田山が落ちた孔から下を見ると、入り口の扉がある橋の上に、田山が大の字を描いて倒れていた。
「明孔!」
ヒロアキが彼の名を呼んだが、目覚めなかった。ヒロアキはこの五階の孔から飛び降りて、田山を起こして二人で戻ってきた。
セバスチャンが、全ての死体を外に運び出すと言ったので、皆でミサキたちと、合成獣、そして、メイと、ジョージ……それから、蛇の亡骸だけは、大きすぎてどうしようもなかったけど……。
全てを橋の上に運び出す。
ただただ、悲しかった。
セバスチャンが田山を連れて「他の連中と連絡を取りに行く」と言って消えた。
私は、メイのそばを離れたくなかった。
ふと、橋の向こうに、人影が見えた。両の手に大きな袋をいくつか抱えていた。その姿は、ミサキだった。
「え……」
彼女は弱々しく声を吐くと、
と、多くの食材が入ったスーパーマーケットのビニール袋をドシャリと落として、ジョージの亡骸に駆け寄った。しゃがみこみ、手で顔に触れて、触れた瞬間に涙を流した。
「あなたは……誰?」
ミサキは、さくらを見上げて言った。
「あたしは……梅田咲良」
さくらは言った。
「そう……美咲ではないのね……」
「うん……」
雨が、降り始めた。
降り始めたその雨は、すぐに土砂降りになった。
涙雨にしては降り過ぎじゃないかと思う。
痛いほどの雨。
まだ春真っ盛りで、夕立の季節にはまだ少し早いのに。
気付けば返り血まみれだった服。
雨で洗い流しても、きっとこの汚れは落ちないだろう。
歩み寄ったさくらが、ミサキといくつか会話を交わした後、さくらは、ミサキを真っ白な銃の一撃で打ち抜いた。
簡単に死を覚悟したミサキは、目を瞑り、幸せそうに、そして涙を流しながら、ジョージに覆いかぶさるようにして倒れた。
雨は、血を洗い流していく。
でも、きっとこの血たちがこの場所から消えることはないだろう。
さくらが、今しがた撃ち殺したミサキの抜け殻を背負って森の中へ入っていく。
私とヒロアキはそれに続いて歩いた。
「さくら」
「……なに?」
「そのミサキ……どうするの?」
「うん……この子が、ある場所に埋めて欲しいって」
「さっき、こう言ったの。『彼の危機に立ち会わなかった私が彼と一緒の場所に埋められるわけにもいかない。それに、私決めてた。彼と一緒の場所じゃなくて、あの子たちと一緒の場所が良い』って……」
「そう……」
「あの子達って……何だろうね……」
やがて不自然に土が盛られた場所に辿り着いた。
その隣に、穴を掘り、彼女を埋めると、新しい山を作ろうと、さくらが座り込む。
私とヒロアキも、同じように座り込んで、砂場遊びをするように、新しい山を作った。
無言で作り終えて、森の外、また橋の上に戻る。
雨のシャワーが、心地よかった。
「そういえば、ヒロアキ……今回はメガネ掛けなかったわね」
「そうだな……まぁ、変身はその道のプロに任せておくのがいいな」
「変身のプロってあたしのことー?」
とさくら。
「えっと、まぁ……」
「あたし別に好きでこんな体質になったわけじゃないわよ?」
悲しそうだった。
★
私は、メイと彼の母親を埋めてあげた。森の中にまた新しい山を作った。
「ごめんね」
「…………」
彼は何も言わなかった。
私は、誰も、殺さなかった。でも、私が斬らなくても、彼も彼女も斬られた。私の代わりに撃たれてしまった者もいた。空が、私の代わりに泣いていてくれた気がした。
私は、まるで死神みたいだな。
いろんな人が、死んでいく。
もしも、生きている限り、ずっと誰かと別れ続ける物語が続くんだとしたら、
確かに、死は、救い、だな。




