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リロード  作者: 黒十二色
第三部:リバースエッジ
74/125

Chapter9 赦されざる者

視点:蔵野まち→山田ヒロアキ

 疲れなんて吹き飛んだ。まちが悲しそうだったから


 まちが自分の子だと言った獣はただ小さく震えていた。

 それはきっと、まちも震えているからだと思った。


  ★


 まちたちが待つ三階へジャンプする。


 俺だけギリギリで届かなくて、二回跳ぶ羽目になった。


 しかもその二回目もさくらのしなやかで長い腕に掴んでもらってようやく辿り着けたのだった。


 我ながら情けない。


 外側の装飾とは幾分イメージが違ってシンプルな装いだったが、等間隔に並ぶ真っ直ぐな柱はそれだけで美しいなと思った。


 一度「いくぞ」と言ったセバスチャンの声に応えて歩き出した俺達だったが、何故か俺の脚が言うことを聞かず、自分の意思とは関係なしに座り込んでしまったので、しばらく休憩していくこととなった。


 まちとさくらから「背負ってあげようか」というようなことを言われたが、さすがにプライドが許さないので少し休憩させてくれと皆に頼み込んだのだった。


 俺の脚は、一時的な機能停止の後にすぐに元通り動くようになって、俺は立ち上がり、慣らし運転をするように、ゆっくりと歩き出した。


 まちは、床に座っていた。メイと名付けられた小さな獣とずっとじゃれあっていて、その姿は可愛かったけど、まちの目が自分よりその子に向けられているのを見たくなかった。


 見苦しい男の嫉妬というやつだ。


 獣以上にまちに馴(な)らされているようで、我ながら情けない。


 そして行き場を失った俺の目は、一人で同じ柱の周りをぐるぐると回るという謎の行動をしているさくらを捕らえた。


 背後からこっそり近付く。


 何やら時計のようなものを眺めていた。


「ぁ」


 さくらが俺の接近に気付いた。


「ヒロアキ君、後ろから黙って近付くなんて、きもいよ? めっ」


 きもいとか言われた。

 めっ、された。


「はぁ……すみません。ただ、何してるのかなって」


「え? あぁ、ちょっと」


「時計ですか?」


「……ううん。時計だったら、良いんだけどね」


 コンパスだった。

 北と南とを指し示す道具。


「ぐるぐるですね」


「うん……ぐるぐる」


 時計回りに回転していた。


 強力な磁場や心霊スポット等では、磁気コンパスは正常に機能せずぐるぐると回り続けると、何かのテレビ番組で見た。


 さくらが盛命城と呼んでいたあの場所がある樹海も、そのような場所らしい。


 さくらは、コンパスを持った手を外套の中にしまう。


 今度は何が出てくるんだろうか、と期待したのだが、手の中は空(から)っぽで、そして、その手を自分の髪の毛に滑り込ませ、軽く撫でてから自然に垂らした。


 髪の毛を触る癖があるようだった。


「……何じろじろ見てるの? 何か付いてる?」


「いや……何も……ただ、そのマントから色々なものが出てくるなって思って」


「魔法みたいだって?」


「いや、未来的ネコ型ロボットみたいだなって」


「えぇ? あたし猫っぽいかなぁ?」


「猫っぽくもロボットっぽくもないですけど、ただ、色々な道具が出てくるから……」


「色々って、ちょっと方位磁針出しただけじゃない……」


「でも、いっぱい持ってましたよね」


「まぁね。備えあれば憂いなしよ! 着替えとかもあるよ。そういえば、ヒロアキ君の服、汚れてるね。着替える? 女の子の服だけど」


「遠慮しときます……」


「おい、休憩は終わりだ! 早く来い!」


 セバスチャンの声。俺が立ち上がっているのに気付いたらしい。

 本音を言うと、もう少し休みたかった。


  ★


 四階。


 階段を登って、四階に着いたが、立ちはだかる敵はいなかった。


 城へ入る際に、俺とまちと明孔を襲った地対空ミサイルを放った砲台が、辛うじて原形を留めているのみで、数人のミサキが累々と横たわり、全員、既に事切れているようだった。


 さくらやセバスチャン、それから田山とまちは一度戦って身にしみているが、今は仲間のこの四人は、絶対に敵に回したくないなと思った。


「暴発でもあったのか?」

 と田山が言った。


「そうだね……たぶんね……」

 さくらが苦笑いで答えた。


 たぶん、ここを破壊したのは、さくらだろう。


 俺は歩きながら、この場所に来てからの出来事を一つ一つ思い出して、一つだけセバスチャンに訊きたいことを見つけた。


 報告はもう田山がしているだろうから、訊きたいことだけを訊く。


「セバスチャン」


「何だ?」


「熊の頭にライオンの体して申し訳程度に翼が生えた生物って、何かわかる?」


「……さっき梅田美咲良が銃撃で倒した二頭の合成獣(ごうせいじゅう)のうちの一頭だな?」


 合成獣という呼び名に決まったらしい。


「合成獣?」


「そうだ。合成された獣だからな。で、熊の頭にライオン……だったな……」


「ああ。ついでに言えば爪も熊っぽかった」


「そうだな……人面でライオンの体をしている生き物なら聞いたことがある」


「どういう生き物だ?」


「……スフィンクスという化物でな」


「あのエジプトの?」


「……まぁ、そうだな……しかし、私が言っているのは、ギリシャの神話でのスフィンクスの姿だ。エジプトでどのようにその生き物が描かれているかは知らないが、とにかく、昔、スフィンクスという、体がライオンで、人間の女の顔をした化物がいてな、その化物は、人間に謎かけをするんだ。解けなければ殺すという脅しと共にな」


「ふぅん」さくらが話に割り込んできた。「どんな謎かけ?」


「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足となる生き物は何か、というものだ」


「どこかで聞いたことあるな」と俺。


「その答えは何なの?」と、さくら。


「何だと思う?」


 さくらは頬に指をあてて考え込む。


「朝は四本でしょう? 昼に減って、夜にまたちょっと増えてる……。起きたときから二本何かを使って……一本増えて……増えるのが謎ね……人間……かな。四本あった足が二本に減って、でも三本目の足が謎ね……うぅん……」


「そう。正解は、人間だ」


「あら、そうなんだ。でもどうして?」


「朝、つまり生まれたときには四つん這いだが、成長するにしたがって、二本足で立つようになる。そして人生の黄昏たる老人になると、杖を突いて歩くようになるから、だそうだ」


「なるほど。そっか、そっか! 確かにそうだね……」

 さくらは、ふむふむと頷く。


「そして、その謎を解かれたことを苦痛に感じ、この化物は崖から身投げして死んだんだそうだ」


「うーん……謎かけねぇ……問答無用で襲ってきた感じだったけどなぁ」


「所詮は不完全な人間の研究だ。神の領域に手を突っ込んだところで、まともな生物が生まれるはずはない。もっとも、化物という意味では限りなく正解に近いけどな」


「ああ」


 話がちょうど一区切りした時、不意に、まちの声がきこえた。


「メイ! メイ!」


 責めるような声だった。


 見れば、メイがミサキの死体で遊んでいた。


 咥えて引きずり回し、得意げにまちに見せていた。


「メイ……ダメよ……。そういうことをしてはいけないの……ダメだったら……」


 悲しそうだった。


 悲しそうにミサキからメイを引き離した。


「ダメよ……わかるでしょう?」


 メイは答えない。

 キョトンと首を傾げていた。


「化物の子は、化物か……」

 ばちん、という音。


 そう言ったセバスチャンの背中をさくらが叩いた音。


 おそらく、世界でただ一人、セバスチャンにそのようなことをしても許される人物がさくらなのだろうと思う。


 セバスチャンは驚いた顔でさくらの方へ向き直った。


 さくらはグイと襟元に掴みかかってセバスチャンを責め立てた。


「化物とか、何でそんなこと言うの! メイって名前があるでしょ? それで呼びなさい! もしも、化物だって言うなら、メイを化物にしてるのは、あなたってことになるわよ」


「その論理は理解できん」


「論理じゃない! 動物は人間の言葉ちゃんと理解するのよ? 人間の気持ちもわかるし、表情だって読んでるのよ? あなたが彼を理解しないと、信じないと、メイは本当の仲間になれないの! メイはお腹が空いているだけなの。別にミサキを取って喰おうってわけじゃないわよ。それに、まちちゃんがそれをさせないわ!」


 さくらはそう言うと、肩を怒らせて歩き、メイとまちに近付いて、外套の中から、兎にあげるような野草や野菜くずが入った袋を取り出して、メイに差し出した。


「ほら、メイちゃん……ごはんだよ……」


 不思議そうにさくらを見ていた。


「まちちゃん、これ、メイちゃんにあげて……」


「……ええ……」


 まちが手をに野菜を載せてメイの口元に差し出す。

 食べない。


「ほら、こうやって、食べるの」


 まちが逆の手でキャベツの欠片を自分の口に運んで噛み砕いていた。


 それを見てようやく、メイは恐る恐る、まちの手から引きずるようにタンポポの葉を咥える、それは、メイの口の中へ消えていった。


 しかし……、


「ケホッ! カフッ!」


 うまく噛み砕けないのか、喉に引っかかったようで、ほとんどを吐き出してしまった。


「あ……」


「……そっか、まだ本当はお乳飲んでるくらいの……時よね……」


 それでも人一人を振り回すのだから、やはり獣らしい。


 しかし、俺から見て、メイは生まれたばかりにはとても見えない体つきと、顔つきをしていた。


 牙も、かなり立派だった。


 体長は一メートルと少しで、俺の見解では、おそらく歯が肉食に適した構造になっているからうまく噛み砕けなかったのと、食べるという行為を知らなかったために飲み込むことができなかったのではないだろうか。まぁ推測でしかないのだが。


「ごめん……さくら、そんなの出ないわ……」


「ま、まぁ、終わってから考えましょう! 全てはジョージに会ってからよ! それから時間が動き出すの!」


 まちはメイの額を二、三往復撫でた後、俺達に向かって歩き出した。

 セバスチャンはそれを見るとすぐに、通路を先へと進みだす。


 とりあえず思ったことは、ここはまるで西洋風冥界動物園だなということだった。


 もうこうなれば親しみのある日本風妖怪たちが出てきてくれたら愉快な気分になるとか思ったが、頭の中で大きく首を振って、やっぱりもう変な生き物は出てきて欲しくないなと思った。


 通路の先に階段があった。


「行くぞ」

 セバスチャンの低い声が響く。


  ★


 五階。


 二十段ほどの急な階段を登り終えると、思わせぶりな銀色の扉があった。


「開けるぞ」


 それぞれがそれぞれの返事をして、扉が開かれる。


 室内には、機械の発するモーター音と呼吸音。

 そして、荒い呼吸音が響いていた。


 人影はすぐ近くには見当たらなかった。


 慎重な足取りで奥へと進む。


 俺はイノセンスを、まちはリグレットを構える。

 さくらは白い銃と赤い銃とを外套の中で握っているだろう。

 セバスチャンは腰に差した刀の柄に手を当てていて、明孔は長刀を完全に抜いていた。


 明らかな人の気配。


 その気配のする方へと歩く。


 いた。


 でも、あぁ、これは何と言ったらいいんだろうか。


 目の前の光景、ソファに座った白衣を着た男にくっつく裸の女がいるわけで……。新渡戸風に言うと、「ジョージは情事の最中でした」とか言うのかな。


「お……おお! 美咲! 美咲じゃないか!」


 俺には一見して区別が付かないが、この男には「さくら」と「さくらの姿をした器であるミサキ」の区別がつくらしかった。


 大げさ過ぎるほどに感動している様子だった。


 でも……今「美咲」って呼んだような……。


 だとしたら、区別がついているわけではない……のか?


「会いたかったよ! よく……よく帰ってきてくれた!」


「ジョージ……」


 ジョージは今しがたまで共にいたミサキを乱暴に放り投げた。女が裸だっただけで、ジョージは服をちゃんと着ていた。全身、白い服。


 ジョージは両手を広げてさくらを歓迎した。白衣が揺れた。


 しかし、さくらは、それに応えるように、左手に持った真っ白な拳銃を突き出した。


 彼の顔面に銃口を向けて。


「な……」

 ジョージは驚きの声を漏らす。さくらの反応が予想外だったのだろう。


「美咲?」さくらは引き金に手をかける。「あたしのことを美咲って言ったの? ごめんね、ジョージ、それは嘘の名前なの。本当の名前は、さくら。美咲はあたしの大事な姉の名前。これ以上、お姉を汚さないで!」


「なんだ……そうか……」


 ジョージは向けられた銃口から目を背けると、近くにあった椅子に座り、キーボードを高速で数回叩いた。


「ここまで来たのは僕を殺そうっていう話か……。それなら僕にも考えがあるよ。考えがね……。本当はもう少し鍛えたかったんだけどね」


「もう少し? 鍛える? 何の話よ」


「もう少しで完成なんだ。最強の生物がな」


「ふざけたことを……あのみにく――……奇妙な動物たちのこと?」


 その時、俺達が入ってきた銀色の扉から、ミサキが一人、入ってきて、


「ジョージ」

 と感情のない声で言った。


 あのミサキは、もしかして、さっき俺と明孔の目の前で化け物の檻のレバーを切り替えたミサキではなかったか。ということは、飼育係のようなミサキがいて、その猛獣たちの管理をしていた


「どうした」


「ミサキが一人、食い殺されてしまいました」


「そうか。また作らないとな」


「――ジョージっ!」

 さくらは叫んだ。怒りに満ちた声で。


 しかし、引き金は未だ引かない。


 俺達は対峙する二人をただ見守っていた。


「美咲。君が出て行ったのが悪いんだ。僕が君をとても強く美しくしたのに、君が裏切って、僕と君の子まで殺して出て行ってしまったんだ」


「違う!」


「違う? 何が? 僕は悲しかった。君が僕を裏切ってしまったことがね」


「ジョージが裏切ったんでしょう! あたしは、あなたのことも、あの子のことも愛してたわ!」


「じゃあ、どうして出て行ってしまったりしたんだい?」


「だから、あなたが……裏切ったから……裏切って、勝手に、いじくって……」


「安心して良いよ、美咲。君のことは殺さない。やり直そう! そうだ。もう一度やり直そう。他の連中はこの場所を知られた限りは生きて帰すわけにはいかないけど、君だけは殺さないよ。君はここに住むんだからね。もうミサキなんていらない。美咲一人がいればいい。研究なんてやめてしまったって良い。君が望むならね。でも、やっぱり君が僕のことを殺す気でいるんなら、僕は、この世界を滅ぼすよ。今までの研究の集大成としてね」


 恍惚と、愛を囁くようにジョージは語った。


 さくらがどんな表情をしているのか、俺達に背を向けているのでわからない。


 しかし、彼女の体は小刻みに、怯えるように震えていた。


 ゆっくりと、彼女の髪が緑に変わり、外套からは光が漏れ出した。


「あぁ、やっぱり美しいよ。美咲」


「ち、ちが……う……あたしは、美咲じゃない」


 弱々しく首を振る。


 轟音がして、振り返ると――。


 何だこれ……。


 巨大すぎる蛇がいた。


 上から降ってきたようで、石の床なのに何故か土煙を纏いながらゆっくりと接近してくる。


 体長、数十メートル。もしかしたら百メートル以上あるかもしれない。その尾の終点が見えないからだ。


 ジョージは蛇に向かって言った。


「僕の不可侵の研究室に入ってきた不届きな連中だ。この四人を……殺せ」


 言葉が通じたのか、すぐに巨大な蛇は俺に向かって突進してきた。


 蛇の目が完全に俺を見ていた。


 また真っ先に俺が狙われてるのかよ!


 まっちー助けて……。


 視線はまちを探す。


 しかし、なんと、まちは、メイを連れて安全な場所に避難しようとしていた。


「かわいそう……」


 まちは小声でそう呟いただろう。聴き取れなかったが唇がそう動いた。


 何だ「かわいそう」って! 俺のことか!


 あぁ、もう視界が霞むほど疲労してしまっているけど、もう少し頑張るしかないか。


 蛇の巨大な瞳は、相変わらず俺を見据える。


 きもい。こわい。まがまがしい。


 二股に割れた舌を出したり引っ込めたりしながら突っ込んでくる。


 蛇の攻撃を避けた。瞳は依然、俺を捉えて放さない。


「セバスチャン! これ何て生き物?」

 俺はきいた。


「蛇だ!」

 見たまんま、答えてくれた。


「やっぱそうか!」


「ヒロアキ、そのままひきつけておけよ」と明孔。


「蛇? 蛇ではない! これが、最強の生物! ドラゴンだ! ふはははははは」


 狂った男の高笑いが聴こえてきた。


 ドラゴン?


 これが?


 ただのデカイ蛇ってだけでドラゴン的要素が見当たらないぜ。


 ドラゴンってのはなぁ、もっとスマートで格好良くて……こんな気色悪い、いかにも蛇な顔してないはずだ。


 俺は広い部屋をぐるぐると大きく回る。

 まるで陸上競技場のトラックを周るように。


 ゴールテープが蛇の体とか嫌だな。


 ドゴン、ガシャン。と色々な材質のものが石の床に落ちる音がする。バチッ、ブチ。と何かが引っ張られて切れる音がする。ガコン、と金属が潰れるような音がする。


 色々な物が蛇の体の下敷きになっていく。


 たとえば、先刻ジョージが操作したコンピュータの端末であったり本体であったり、机であったり、そしてミサキまでもがその巨体に轢かれていた。


 抜けたケーブルから火花が舞った。


 さっきまでミサキのいた場所には血の池ができていた。


 ははは……なるほど……あんなのの下敷きになったり締め付けられたりしたらひとたまりもないな。


 蛇は狂ったように俺に噛み付こうとしてくる。ガチンガチンと響く牙の音。


 こわい。


「はははははは! やれ! やれぇ!」

 ジョージが叫んでいる。


 あいつは狂ったように笑い叫ぶ、狂ったように、というか狂っているんだろう。


「明孔! セバスチャン! まだか!」


 金属音が二つ重なって響いた。

 何事かと思って見てみたら、二人の男が蛇の身体に刃を突き刺そうとして、弾かれていた。


「ダメだな……硬い」セバスチャン。


「あーあ、こりゃ斬れねえなぁ……」明孔。


 悠長だった。


 俺は追われまくってて、こんなに必死なのに!


 そんなタイミングで、足がもつれて転んだ。


「やべっ」


 最悪的に鍛錬が不足している。


「ヒロアキ!」

 まちの声。


 ――って、うぉあ!


 すごいの飛んできてる!


 白い刃が俺に向かって回転しながら飛んできていた。


 それがリグレットだとわかるまで少し時間が掛かった。


 巨大蛇の顔面が目の前に。


 生温かい風が吹く。


 俺はリグレットを何とかしっかり掴み、そしてその刃で巨大蛇の右目を切り裂いた。


 右手にイノセンス。左手にリグレット。反り返った刀ふたつ。


 目を傷つけられた蛇は悶絶し、うねうねと体をくねらせた。


 きもい。


 そして次の瞬間、


「ボォオオオ!」


 叫びとともに炎を吐いた。

 ――って、火ィっ!?


「ひぁ!」


 思わずそんな悲鳴。


 ギリギリで避けた。


 どういう構造で火吐いてんだ! わからん!

 そして俺は、リグレットでその首に斬りかかる。

 高い音で、金属が鳴いた。


 跳ね返る。


「ちくしょ!」

 歯を食いしばる。


「ヒロアキ!上!」

 声に反応して上を見る。


 またうねうねした。


 そしてまた、炎を吐いた。


 これも避ける。


 というか、避けないとたぶん死ぬ。


 人の接近する気配を感じて、右側を振り返ったら、、セバスチャンが蛇の左目に標的を変えて、突進していた。


「むぅん!」


 しかし、刀を振る前に、ペロっと登場した舌に阻まれ、そして、頭突きをもらって吹っ飛んだ。


 壁にぶつかるが、しっかりと受身を取ったためか大したダメージは無い様子で、すぐに立ち上がった。


 明孔は、蛇が自ら焼いた部分を斬ろうとしていたが、やはり斬れない。


 俺も焼かれた場所が脆いとは思うから、そこを付く。


 イノセンスで思いっきり、「弱い者の持ち方」をして振り下ろした。

 カナヅチを振り下ろすようなイメージで。


 刺さった!


「ゲアァアァ!」


 痛みがあったのか、苦悶の叫び声をあげた。

 傷。血はほとんど出なかった。


「明孔! 傷はつけた!」


「オーケー!」


 蛇が痛みで体をブンブン振るったので、鍛錬不足の俺はあっさり弾き飛ばされた。

 そして、目の前には、血走った蛇の左目があった。


 あぁ、その前に口があるな……。


 喰われる……。


「うおりゃあああああああああ!」

 明孔の叫び声。


 そして……。


 俺の目の前の蛇は目を見開いたまま、口を開いたまま、俺を飲み込むこともなく、炎を吐くこともなかった。


 瞳は光を失っていた。


 明孔が間一髪で、蛇の頭を胴体から切り離してくれたおかげで、噛み砕かれたりもせずに済んだ。


 胴体は、まだうねうねと波打っていたが、今、止まった。


 引きちぎれないものでも、僅かな切れ込みを入れることで簡単に切れるようになる。こんな時にこんな喩えはちょっとアレだが、納豆パックに付いているタレとかカラシの袋と同じようなものだ。


 それと同じ原理で、イノセンスで蛇に付けた小さな切れ込みに、明孔の持つ長い刀を突き刺せば、皮革が硬くとも、裂くことができる。肉は切れる。切れ込みを入れることに成功した時、皮革ですら大した意味を持たなくなったのだ。


「見事だ、山田ヒロアキ。田山明孔」


「はっは、ジジイも老いたな」と田山。


「そうだな……」とセバスチャン。


「やっぱり冗談通じねえよ……」

 田山明孔は苦笑した。


 俺はもう、疲れたのと死の恐怖とで声が出せないでいた。


「ヒロアキ!」

 まちがメイと共に駆け寄ってきた。


「あ、まち。ありがとう、助かった」

 そう言って、リグレットを返す。


「よかった、無事で……」

 受け取りながらそう言っていた。


「ははは……本当にね……」

 こわかったぁ……。


「でも……殺してしまったのね……」


「殺してやるのが、こいつのためだった」


「……ごめんね」

 まちは、蛇の亡骸にそう言った。


「そうだ、さくらさんは……」

 俺は見渡して、すぐに発見できた。


 ジョージのそばで、緑髪のまま無表情で佇んでいた。


 白い銃の銃口を、ジョージに向けたまま……。


「さくら!」


「……え……あ……」

 我に返ったようだった。


「あ……あたしは……あたしは、梅田美咲良……美咲なんかじゃ……」

 呟く。小さく頭を振る。


「……ドラゴンが……敗れた? そんなバカな……そうか……やはり未完成だったんだ。最強の生物兵器が人間ごときに敗れるなど有り得ない」


「これが、答えでしょ、ジョージ。今まであなたのやってきたことは何の意味もなかったの。もうこんな、おかしな研究はやめて、その頭脳を別なところで……」


 さくらはようやく元の調子を取り戻し、しっかりとした語調で、諭(さと)すように語りかけた。


「美咲……」


「何よ……」


「銃を向ける相手が、違うだろ?」


「え?」


「僕はね、君に五つのプログラムを刻んだ。一つ目と二つ目は、以前にも言った通り、体内の細胞の再生能力と、人間が本来持つ力のコントロール。三つ目は、君が絶対に僕を忘れないこと。四つ目は、君が僕を愛し続けるように。そして、最後に、僕の命令に従うようになっていることだ!」


「そんな……」


「さあ、撃て、あいつらを、撃てぇ!」

 ジョージは振り上げた右腕を振り下ろす。


「い、嫌!」

 そしてさくらは、外套から右腕を真っ赤な銃と共に取り出すと、その銃口を、俺に向けた。


 ああ、また、俺なんだ……。


 まちが俺の前に割り込んだ。


 ものすごく安心する情けない俺。


「違う」さくらは、首をぶんぶん横に振る。「あたしは、違う! こんな、こんなこと……」


「余談だけどね……僕にとって一番強い人間はね、美咲、君であるべきだ。だから僕はそこのミサキもどきなんかは君より弱く設定してあるんだよ」


「な、何よ、これ……腕が、勝手に……み、皆、まちちゃん! 逃げてぇ!」

 引き金に手が掛けられる。


「ぅっぅうううううううう!」

 抵抗するように呻くさくら。歯を食いしばって苦悶の表情。


 ――発射。


 俺の前のまち目がけてその銃弾は飛んでくる。


「むん!」

 しかし、その遥か手前でセバスチャンが射線に割り込み、それを叩き落した。


 そして、そのまま、さくらの持つ赤い銃を目がけて鞘から抜きたての刃を振り下ろした!


 鈍い金属音。大きな音。


「何っ……」

 セバスチャンの低い声。


 斬撃は真っ赤な銃に直撃したが、その銃身には一切の傷が付くことはなく、そしてピクリとも動かなかった。また、引き金が引かれた。


 しかも今度は連発だ。


 セバスチャンは素早い動きでその四発のうち三発を叩き落したが、一発は避けるのが精一杯だった。


 その強力な銃弾は、俺達のほうへ飛んでくることはなく、あさっての方向へ飛んでいき、ジョージがドラゴンだと言い張っていた蛇の亡骸にぶつかって、その巨体を弾き飛ばした。ズン、と音がする。


「もう……だめ」

 さくらが言った次の瞬間には、赤白い閃光が見えるばかりだった。


 この世の終わりのような、激しい轟音。

「っく……」

「うわ」

 鈍い打撃音。

「ぁあああああああ!」


 何が起きているのか、わからないくらい、めまぐるしい。


 訪れた静寂の中で、カチカチカチカチという弾倉が規則正しいリズムで回転する虚しい音だけが響いていた。


 俺の左斜め後ろにいたはずの明孔の姿がなく、折れた明孔の持っていた長い得物の刀片が落ちているだけ。


 壁に直径三メートルほどの大穴ができていて、砕けた小石や大石、落ちる砂がパラパラと眩しい外の世界の光に照らされて控えめに輝いていた。


 俺の目には必死の形相をした明孔の残像があるだけで、そこにはもう、明孔の姿はなかった。。


 今起きたことを思い返してみる。


 真っ赤な銃から放たれた赤白い一撃は、閃光となってセバスチャンを襲った。彼はそれを、叩き落すことができず、まちと俺とセバスチャンを通る射線から何とか軌道を変えるのみだった。


 まちと俺の真横を通り抜け爆風を起こしながら通過した弾丸は、運悪く明孔を襲った。


「うわ――」


 と言っている間に明孔の能力的に不可避というところまで迫った強烈な銃弾。


 なんとかそれを止めようと両手に握った長刀で受け止めるが、まるで飴細工のように、パキンと折られてしまう。


 それでも、その折れて短くなってしまた刀で受け止めようとした明孔。


 それすら折れた。


 なお勢いを失わない銃弾は、明孔を壁に叩きつけ、そのまま石壁は崩壊。

 ついでのように床も抉られて、明孔は、


「ぁあああああああ!」


 と、声を上げて外に落ちていったのだ。


 ドサ、と物が落ちる音がした。バラバラカランカランと元は壁だった砂塵と小石が明孔の後を追うように落ちた音がした。


「いててて……うぁ!」


 落ちた後に、また何かが上から降って来て、直撃したようだった。


「何なんだ一体……」明孔の声。


 声がしたので一応生きているようだった。


 それが、先ほどの一瞬の出来事。


「あ……あ……。田山君、大丈夫かな……」


 撃ったさくらが、引き金を断続的に引き続けながら、そんなことを言った。


「大丈夫だ。あれくらいで死なれるようでは困る」


 セバスチャンはもう一度刀を鞘に納める。


 さくらは赤い銃を外套の中にしまうと、今度は白い銃を両手に持って、セバスチャンに向けて構えた。


 俺も、まちも、メイも、その風景を見守るだけで、動くこともできなかった。


「セバスチャン……」


「梅田美咲良。本当に、君の意思ではないんだよな?」


「そうだよ。僕の完璧なプログラムだ。ミサキは僕には逆らえない。絶対にね。絶対だ」とジョージ。


「思い出せ。私は、お前を……美咲などと呼んだ事は一度も無い!」


「でも……」


「思い出せ! お前は美咲じゃない! 美咲良! あるいは、さくらだ! ミサキにしか通じない呪縛ならば! お前を縛るものはない!」


 さくらの左手にあった白い銃から弱々しい銃撃音。


 セバスチャンに向けて放たれた銃弾。


 セバスチャンはそれを何事もなかったように掌(てのひら)で握りつぶす。


 もう一発。同じ手で音もなく握りつぶす。


 まるで、彼女に「お前は何もしていない」と言うかのように。


 そして、彼女に近寄り、その銃を優しく取り上げると、彼女の体を抱き寄せた。


「ごめん、なさい……」


「ジョージ……覚悟は……いいな?」


「ふ、覚悟をするのはお前達の方だ」


 その真意がわからず、とりあえず周囲を見渡した俺の目に飛び込んできたのは、猟銃を構えた十人以上のミサキ達だった。


 あるものは背後から、あるものは蛇の亡骸の上に立ち、見下ろしながら……。


「ふははははははは!」ジョージは狂い叫ぶ。「切り札は最後までとっておくものなんだよ! 終わりだ、さあミサキ! こいつら全員蜂の巣にしてやれ!」


 猟銃くらいで、俺たちが全滅するはずはないが、それでも、まだ奥の手があるのでは、と身構える。


 あるいは、その猟銃の威力が核弾頭のような威力かもしれない。


 そうなればジョージもこの城も滅ぶからそんなことはないとは思うが、狂った人間が何をするかわからない。


「バカが……」

 セバスチャンは呟き、さくらをさらに強く抱き寄せた。


 左腕にはさくらを、右腕はさくらの持ち物である真っ白な銃を持っていた。


 両手はふさがってしまった。


 だから、本当なら、俺が動いて、彼女らの戦闘力を奪うべきなのかもしれない。


 しかし、あらゆる角度から狙われていたのでは、全てかわしたり受け止めたりする自信は無い。まちなら何とかそれが可能で、且つ俺を守ろうという思考すらしていると思う。


 そして、再びジョージの右腕は振り下ろされた…………。




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