Chapter8 死と生と
視点:梅田さくら→蔵野まち
死んでいく、死んでいく。私と同じような存在が。
殺していく、殺していく、敵と同じ姿をした人が。
ああ……見たくない
★
出迎えは、それ以上ないほど派手なものだった。
白銀の服を着た、六人のさくらの姿をした人々。
〈器〉だ。
世界は壊れてしまっているらしい。
それとも私が壊れているんだろうか。
気付けば、内緒話のような静かな銃声と叫び声のような派手な銃声、二発の銃弾が、既にさくらの姿の〈器〉を打ち抜いていた。
撃ったのは黒い外套の女、さくら。
轟音と共に、撃たれた女の輝いていた白い服は、鈍い赤色に染まった。
止まったような時間の中で、二人がかりで、セバスチャンに襲い掛かる彼女たちが見えた。
見えた、と考えた瞬間にはもう、彼女たち自体が斬られていた。
私に向かってきた二人の「さくらのようなもの」に目をやる。
表情はなかった。でも、私を止めようという意志は伝わった。
私は……もう……殺さない。
その意志は揺らぎながらも固まっている。
浮島のように、船のように、心に浮いている。
だから、鞘から取り出さないままリグレットを振り回す。
右へ左へ。的確に二人を弾き飛ばした。
一人はセバスチャンのほうへ、もう一人はさくらの方へ飛んでいった。
セバスチャンは躊躇なく、それを切り裂き、あたしを責めるような目を向けた。
さくらは、地に膝をつくその子に高速で近寄る。
真っ白な銃を、彼女の額にあてがうと、僅かに躊躇い、そして引き金を引いた。
静かな静かな銃声。まるできこえないかのような。
静寂。
動いているのは、三人だけになった。
「まちちゃん……鞘から抜かないと何も斬れないよ……」とさくら。
「どうした、蔵野まち。リグレットは飾りか?」とセバスチャン。
ああ、壊れている。平然と殺して。私も以前はこんな風だったのだろうか。
私は、もう誰も殺さないと、何度も誓った!
ヒロアキと。私自身と!
こんな、こんなのは……
「地獄の……入り口だ――」
「ああ、そうだな」セバスチャンは頷いた。「だが、もう足を踏み入れた。抜け出すには、その主を倒さなければならない」
「そう、ね。そのためにここまで、ようやく来た」さくらは決意の目をして、「行きましょう」
セバスチャンは一度空気を切り裂く。刃に付着した血が刀を離れて地面に落ちた。刀を鞘に納める。
さくらは、黒い外套のどこかから弾丸を取り出して、両の手に持った二丁の銃に手際良く再装填した。
そして二人、駆け出す。
あたしもようやくリグレットをバナナケースのような鞘から取り出し、その鞘を放り投げると、進むセバスチャンとさくらに置いていかれないように、私も走り出す。
入口の尋常じゃなく大きなくすんだ銀色の扉を、セバスチャンが開く。
ギィィィと、音が鳴る。
闇が迎えてくれた。
いくら視界をある程度自在にコントロールできるとはいえ、目を凝らせば闇の中でも昼間のように世界が見えるとはいえ、僅かな明かりもないのではきっと何も見えないはずだ。もっとも、僅かの明かりもない闇というものが存在すればの話だが……ともかく、ある程度の光源が必要なのだ。たとえば夜ならば星明かり程度でも良い。月があれば眩しいくらいだ。
この城の中が懐中電灯にでも照らされたなら、周囲の光景は私の瞳に鮮明に映し出されるはずなのだ。
足を踏み入れてすぐは、世界は暗かった。
しかしすぐに、世界は光を取り戻す。
目が慣れたというわけではない。
私の手の中で光るものがあったからだった。
リグレットが淡い光を放っていた。
私は周囲を見渡す。
外見の壮麗さから一転して、城の内部は、岩を穿っただけの、まるで蟻の巣のような無機質な造りだった。
少し奥に進むと、また風景が変わった。
相変わらずの無機質な造りで、装飾というものが見当たらないが、よくよく見てみれば、それは明らかに自然物ではなく、人工のものだった。
パッと一見した感じでは、無機質に思えた内部だったが、良く見れば色が無いだけで、美しく磨き上げられた壁や床、そして直線美があった。
もしかしたら照明さえあればこの場所も十分に美しく輝いているんじゃないだろうか、と思えたが、この程度の弱すぎる光ではこの場所にある物の大まかなカタチはわかっても色まではわからないのだ。
上を見ると、低い天井があった。
四角柱の柱に触れてみる。
何て言えばいいのだろう。
つるつるだった。すべすべだった。さらさらだった。長く美しい髪の毛を触っているような、滑らかな感触。心地よかった。
「行くぞ……」
セバスチャンはそう言って歩いていく。
うるさいくらいに反響する足音。
その歩く先には、階段が見えた。
付いて行く。
「あー……こちら『睦月』……」
セバスチャンが無線機を取り出して話す。
「あれ……壊れたかな……」
通じないようだった。
「田山君は、無線機持っていないの?」とさくら。
「ああ、はぐれる事を想定してなかったからな」
階段に差し掛かった。一段、二段とその階段を踏みつける。慎重な足取り。三人分の足音。私は、こわがりだからいつも一気に登ってしまうのだけど、今日はセバスチャンの背中に付いていくことにした。
「ねぇ、セバスチャン。どうして上に行くの?」
「……美咲良。君からセバスチャンと呼ばれるのは何だか不思議だな……」
「嫌?」
「嫌じゃないさ……美咲良。どうして上に行くか、だったな。決まっているだろう? 支配者は最も高い場所にいるものだ」
「あたしは地下にいると思うけど……」
「理由は?」
「ん、何となく」
堂々と勘を根拠に言ってのける性格が、少しだけ高島さきに似ていると思った。
カツン、とセバスチャンの発した短い足音。
彼が立ち止まった音だった。
「ジョージとの付き合いが長いのは君だ。そして、私はジョージという男の顔すら知らない。君が地下にいると感じるのなら、そこに向かうとしよう」
「え、あ、うん……ありがとう」
「礼はいらない。君の勘に従うという最も合理的な方法を選択するまでだ」
「あ、でも……あたしの勘当たったことないんだけど……」
「それでも……ジョージはこの場所から逃げるようなことはしないだろうからな……」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「こんな城を建てる人間が城を捨てるものか」
「そういうもの?」
「さあな……どちらにしても、地下に何か我々に有益なものがあるかもしれない。どこから探してもこの城の全てを見て回ればいずれジョージには辿り着けるんだ。焦る必要はない。情報収集も大切だというのは君も知っているだろう?」
「うん……」
私は、二人が会話しているのを、終始黙ってきいていた。
上り切ろうとしていた階段を下り、地下への入り口を探す。
隠されていなかったので、すぐに見つかった。
リグレットの明かりを頼りに地下へと進む。
足元の感覚が変わった。
大理石のようにすべすべだった石の床が、ざらざらした感触に変わったのだ。
かと言って土や砂というわけでもない。
ただ磨かれていないというだけだった。
「……牢屋だな……」とセバスチャン。
鉄の檻がいくつも並び、朽ち果てた動物の骨がいくつもあった。
もう使われていない場所のようで、死臭や腐臭もなく、ただ土の臭いがした。
「やはりどこでも、地下には牢屋を作るんだな」
私は、かつて地下に囚われていた相馬先生のことを思い出した。そういえば、組織の真っ白な建物にも、地下牢があった。
そこで、私は、ふとあることに思い当たる。
この牢には誰も囚われていない。失踪した〈追う者〉の仲間たちは、どこへ消えたのだろう。
「ねぇ、田山の部下達はどこにいるのかしら? 牢にいないとなると……」
「わからない……だが、あの者たちがここへ侵入できたとして、生きて帰れるとは……思えないな」
「そうね……」とさくらが答えた。
私は、盛命城(器を生む者の本拠地)で戦った岩城を追い詰めていた六人のことを思い出した。彼ら程度の力では、あっさり「さくらのような者」達に倒され……殺されてしまうだろう。
ヒロアキだったらどうだろうか。
ヒロアキで、一人の「さくらのような者」と互角程度だと思う。
でも、ここは敵の拠点。地の利は敵にある。
大勢に囲まれでもしたら……。
心配だ。
「……山田ヒロアキが心配か?」
私の考えていることを見透かしたセバスチャンが言った。
「ええ……」
でも、それ以上に、彼が傍にいてくれないと、私は不安だ。
弱くなったな……と、私は思った。
「……あ」
不意に、さくらの声。さくらが何かを見つけたようだ。
外套をはためかせて何かに駆け寄る。
「これ、使えないかな」
言って、両手で差し出したのは蝋燭と燭台だった。
さくらは燭台に蝋燭を立てる。
「試してみるか」
セバスチャンは取り出したマッチを点火し、さくらの手にある蝋燭に近づけた。
「どかぁーん!」
さくらが叫んだけどその叫びは空しくエコーを返すだけ。
さくら流のジョークなんだろうか。
無反応でいるのは失礼かなと思ったけど、言葉が出てこなかったので何も言えなかった。
セバスチャンは当たり前のように無視。
そして、蝋燭に移った炎は爆発とは無縁にも思えるような静かなものだった。
世界が一気に明るくなる。
セバスチャンは慣れた仕草でフッと息を吹きつけてマッチの炎を消すとまた、
「行くぞ」
と言った。牢屋の奥に道は続いていないようだった。
彼の投げた火の消えたマッチが、ざらざらの床の上に落ちた。
★
道中、たくさんの扉があった。不自然すぎるくらいに扉が多い。
誰かの気配のない扉は罠かもしれないので、開かずに無視する。
再び大理石のような滑らかな床のフロアから階段で上層へと向かう。
二階。
階段は見当たらない。
建物の形状からして、まだまだ上があるはずだ。
階段を探し歩く。
と、その時だ。
「オォォォォオオ!」
人のものではない声がして、私たちはそれぞれの武器を構えた。
私の目の前の扉の奥から聴こえているようだった。
私は、その扉を思い切り押し開く。
侵入し、扉はすぐに閉じた。
大きな部屋だった。
畳を何畳敷けるかで計算して、六十畳くらいだろうか。
そのくらいの部屋。広い部屋。
私達三人が部屋に入ると、視界に飛び込んできたのは、一人の女と、横たわる巨大な……生き物だった。
その生物に似た生き物は何だろうかと考えると……その顔は牝のライオンや、山羊、そして蛇……まず頭が三つ存在する時点で、この世の生き物ではないように思えた。
体長は、約五メートルもあり大蛇のような太く長い尾を持っていた。
「キマイラ……」
セバスチャンが呟いた。
「オオオオオオオオ!」
私達を威嚇するように、その獣は吼えた。
ライオンのような頭だけが吼え立てていた。
他の頭は寸分も動かない。
ぐったりとしている。
獣が、何かに威嚇しているのに気付いたのだろうか、「さくらのような者」が、私達の方を向いた。
「……何の用で、ここに?」
女は表情なくそう言った。喋れるようだ。
「ジョージに会うためよ」
さくらが答える。
「あなたの、名前は?」
「あなたこそ名前は?」
さくらが訊き返した。
「私は、ミサキ。ジョージの……恋人であり、娘」
「ミサキ……そう……あたしは咲良! 梅田咲良。美咲っていう名前はあたしにとって大事な名前。あなたみたいな人間じゃないモノが軽々しく名乗って良い名前じゃないわ」
「あなたが、ジョージの言っていた美咲なのね……?」
「……知らないわよ、そんなの。……ジョージはどこ? 今どこにいるの?」
ミサキと名乗った女は頭上を指差した。
「上ね……」
「美咲ではないの?」
「美咲じゃなかったら、何だって言うのよ」
「ジョージに……会わせるわけにはいかない!」
そう言って、ミサキはさくらに向かって突進した。手には銀色のナイフ。
瞬間、さくらの髪の色がグリーンに変わる。
彼女の手から投げ出された燭台を私の手が受け取った。
さくらは外套の中から真っ白な銃を左腕と共に取り出すと、躊躇無く引き金を引いた。
空気が漏れる音のような小さな音がして、銃弾が女の腕を貫いた。
ナイフが輝く床に落ちる。軽い金属音。
ミサキはすぐに逆の手でナイフを掴むが、白い銃からの弾は、また、貫く。
ナイフは床に再会した。
「ミサキ。あなたのしてきたことに、罪はないかもしれない。けど、あなたは、生きて良い存在じゃないのよ……わかるよね……」
ミサキは静かに首を振った。
「どうして、わからないの? 同じ姿をした人がたくさんいるのは、おかしいじゃない!」
ゆっくりと首を振った。
彼女にとっては、ミサキは多くいるものなのだ。
それが、当然なんだ。
私は……蔵野まちはどう思っている?
ミサキという存在を否定するということは……私にとってどういうこと?
それは……それは自己否定じゃないだろうか。
だから、だから、だから……。
だから――
私は、駆け出していた。
両手を打ち抜かれたその女の所へ。
さくらから渡された燭台はその場に置いて、綺麗に磨かれた床を蹴っていた。
ちょうど小さな音を立てて銃弾が発射されていて、私はそんなものをリグレットで弾き飛ばす。
「……ま、まちちゃん?」
驚いた顔。
でも、私は――
「殺さないで……」
と言った。
「え?」さくらが声をもらす。
「殺さないで! 生きてはいけない存在なんて、いない!」
「でも、まちちゃん……これは、戦いなんだよ? 組織の人が、〈分身〉……〈器〉を守るなんて……」
「私は組織なんて知らない! もう組織の人間じゃない!」
「そうなの?」
さくらは首を傾げながらセバスチャンの方を見た。
「ああ、かつて組織にいたが……まぁ、色々あってな」とセバスチャンが答える。
「何が色々よ! あの時も、あなたの力が足りなくて、ヒロアキが死にそうになったのよ!」
「まちちゃん、落ち着いて」
さくらが銃を構えたままそんなことを言う。
「そうだ、蔵野まち、落ち着いて良く考えろ、お前の背後にいるそれが何人もいるのを見ただろう。異常だとは思わないのか?」
刀に手をかけながら、セバスチャンは言った。
「異常? 何よそれ! 異常なのは、セバスチャン! さくら! 二人のことでしょう! 何の躊躇いも無く人を殺して! 双子みたいなものじゃない! 同じ姿をした人間がたくさんいたって良いじゃない! 同じ人間がいたって……私だって! レイコって人と同じじゃない! 同じでしょ! 違う? さくら!」
「そう……だな」
とセバスチャン。しかしさくらは、
「でも……ちがうよ……白石レイコは白石レイコで、まちちゃんはまちちゃん……」
「じゃあ! さくらはさくらで、ミサキはミサキじゃない! どうして……? どうして殺してしまうの? 罪って何よ……存在が罪って何よ! 死ぬべき人間なんているわけないじゃない!」
「蔵野ォ!」
セバスチャンが叫んだ。気圧される。
「状況を考えろ! ここは敵の腹中だぞ!」
「知らないわよ! そんなの!」
「知らないだと!」
セバスチャンは地を蹴って私に向かってきた。
「っ」
耳に障る金属音が響く。
刀での重い一撃を私の曲刀が受け止めた。
セバスチャンは本気で私に斬りかかってきた。
押される。押し返す。
そのまま、つばぜり合いの攻防が続く。
「目を覚ませ!」
「どっちがよ!」
「二人ともやめなさい!」
「嫌だ!」
私は譲らない。さくらに何をどう言われようと、ここは引けない。
「ああ、美咲良。止めるな! この分からず屋に分からせてやるんだからな!」
「分からず屋はどっちよ! この人を殺すなら私も殺すことと同じよ!」
ついに、私は、つばぜり合いをするリグレットを両手で握った。
ここから先は本気だ、もしかしたら本気でセバスチャンと斬り合うことになるかもしれない。その結果、命を落とすことになるかもしれない。それでも守りたいと思った。
「敵に加担するのか?」
「……ちがう! ただ、もう彼女は両手は使えないでしょう? もう戦えない。十分じゃない」
「どちらにしろ殺すんだ。それが遅いか早いかの違いでしかない」
「何でよ!」
「〈器〉だからだ」
「だから何で!」
「〈器〉だからだと言っている」
「この子がそうなら、私も〈器〉よ!」
「……ならば、敵か?」
「やめなさいっていってるでしょ!」
さくらも本気で止めに入る。
「うるさい!」とセバスチャン。
「さくらもセバスチャンに味方するのね?」と私。
さくらは、「ばか!」と言って、私と彼に両手の銃から威嚇射撃した。
足元に弾丸。
それでも、彼も私も怯まない。
「止めるな、美咲良」
「セバスチャン、私はあなたを倒したりしないけど、命ある限り、あなたの刃からミサキを守ってみせる!」
「、私を倒さないで止めるなど、お前にできるものか」
「できないわけないわ!」
カツン、という音が響いた。
いつの間にか黒髪に戻っていたさくらが、私に向かって一歩進み寄った。
それでセバスチャンとのつばぜり合いからは解放された。
セバスチャンが下がったからだった。
「な、何よ……」
そして、さくらはとててと駆け寄り、身構える私を、ぎゅう、と抱きしめた。
「え?」
どうしたらいいか、わからなかった。身動きがとれなかった。
「まちちゃん……ごめんね、あたしは、大丈夫だよ。同じ姿してるからって、殺してしまっても、あたしは平気。これはね、やらなくちゃいけないことなの」
「でも……」
「まちちゃんは、〈器〉なんかじゃないよ。あたしが保証する。ちゃんと、誰かのお腹で育って、生まれてきた子だよ。生まれて来ちゃいけない子なんかじゃ、なかったよ」
私は言葉を返せなかった。
誰かっていうのは、誰なのだろう。さくらのことではないのだろうか。
抱きしめられた私は不安と混乱と安心のうちに、身動きがとれないでいた。
「……ごめんね」
さくらの声とともに、静かな銃声。
「あ……」
その、机から消しゴムが落ちるみたいな、とても軽い音は、あたしの背後にいたミサキが撃ち抜かれた音だった。
「な……何でよ……何してるのよ!」
撃ったさくらは私の体を離れると、
「美咲ってね、あたしの双子のお姉の、名前なの」
と言って俯いた。
どういう言葉で返せば良いのかわからず、押し黙ってしまう。
その時、「ね……」という声。ミサキが、最後の言葉になるであろう声を出す。
かすれて弱々しい声。
「あれ、まだ生きてる」
心無い言葉。さくらは彼女を人として見ていなかった。
さくらにとって、化物を見るようなものなのだ。過去に私が霧野みやこを人間として見ていなかったように。それ以前の〈器〉を、自動的に殺し尽くしていた時のように。
「ねぇ、あなた……名前は?」
ミサキは私に名前をきいた。苦しそうな声だった。
「私?」
きき返すと、頷いたので、「蔵野まち」と答える。
「そう、のまちさんっていうの……」
「違うわ、蔵野、まち。まちよ」
「ねぇ、のまちさん……あの人に……ジョージに伝えて欲しいの」
「え?」
「無事に、産まれたよって……」
「え? 産まれた?」
「あの子……あの子の名前……立ち会ったミサキが決めるって、皆で、決めた……でも、できないや……」
「え? え?」
私は、彼女の目線の先に目を向ける。
「ねぇ、苦しい……。のまちさん……殺して。私を、殺して」
「そ、そんなの……」
「お願い……あなたの手で」
さ、最悪のお願いだ。嫌だ、嫌だ。
「早く!」
「ぁ――」
セバスチャンの剣が、ミサキを完全に殺した。
獣すら、黙っていた。
私は、ミサキが最期に目線を送ったあの横たわる獣の方へと駆けた。
その巨体に近付く。
全く動かない。
触れてみる。
温かかったが、三つの頭は一つも呼吸していなかった。
私達が争っている間に、死んでしまったらしい……。
不意に、私の視界の端に動くものが映った。
――それは、目の前の巨体から産み落とされたであろう、とても小さな命だった。
三十センチメートルほどしかないカラダを震わせて、懸命に立ち上がろうとしていた。
以前ひろみとヒロアキと三人で一緒にテレビ番組で見た産み落とされてすぐに立ち上がる草食獣のように。
足がカクンと折れて、崩れ落ちる。
それでも、何度も、何度も立ち上がろうとする。
私は思わず手を貸したくなるのを我慢する。母親は手を貸さないのだ。
山羊のような体をしていて、頭はライオンのそれで、背中からは空に飛び上がれそうな翼が生えていた。
カクン。と、また、崩れ落ちた。
こんな不思議な体をしているから、元々立ち上がれない構造になってしまっているのかもしれない。
でも、そんなことを私が考えても仕方の無いことだ。
そして、何度目だろう、何回も崩れ落ちたその脚で、震えながらも雄々しく立ち上がったのは!
数歩、その子は歩いた。
私に向かって。
「あぁ……よかった! よかったね……っ」
私は、その子を抱きしめた。
「キュゥン」
可愛い声を発した。
「……これはまた、とんでもないものが生まれているな……」セバスチャンの声。
「そうね……」さくらの声。
私の背後に、悪魔と魔女が迫っていた。
「……セバスチャン! さくら! お願い!」
二人は顔を見合わせる。
まるで、何かの漫画で読んだ、内緒で拾ってきた猫を両親に発見された時の少女のように、私は哀願する。
「この子に、何の罪があるっていうの? もしも……もしもこの子まで殺すって言うなら! 全力で相手になるわよ!」
立ち上がってリグレットを構えた。
そんな私を一度思い切り睨みつけた後、セバスチャンはハァと溜息一つ吐いて、
「とんだワガママ娘に育ってしまったな」
と言った。
「あなたに育てられた覚えはないわよ」
「……そうだな」
「ねぇ、セバスチャン。あたしもね、この子は殺したくない。だってもう、この子、ほら、まちちゃんの子だもん」
さくらは、やっと私の肩を持ってくれた。
子猫のような私の子は、私から離れようとしなかった。
産み落とした本当の親よりも、私を母だと思ってしまっているらしい。
何と言ったらいいだろう……少し悲しい気持ちになった。
「……仕方ないな。……勝手にしろ」
そして、
「行くぞ」
セバスチャンは低い声でそう言って、先頭に立って歩き出す。
「……ありがとう」
私は彼に聴こえないくらいの小さな声でそう言った。
彼の背中が、「礼はいらない」と言っているように見えた。
★
さくらが再び燭台を手にして、歩き出す。
そこで私はさくらに話しかけた。
「さくら」
「何? まちちゃん」
「それ、私が持つわ」
それ、とは燭台のこと。
蝋燭は、元あった長さの三分の二ほどにまで溶けてしまっていた。
「どうして?」
「だって、私の武器は片手でも大丈夫だけど、さくらは両手に銃でしょう?」
「……ん……そうね……」
「だから、渡して」
私は、さくらの手から燭台を受け取った。
「ところでさくら、さっき髪の毛が……」
「あ、変わっちゃったかな」
「ええ、緑色に……」
「そっか……やっぱり、おかしいかな?」
「ううん。綺麗だったわ」
「あ、あはは……そっか! えっと……まちちゃんは、変身しちゃったりすること、ない?」
「ないわ」
「したいと思う?」
「……そうね……少し、思うわ」
今の私。
……迷ってばかりの私から、変わりたい。
もしも誰も死なない世界があるんなら……。
「どうして、人は、死ぬのかしら」
私の問いに、
「――死ってね、」
間髪入れずにさくらは応える。
「死って、一番の救いなのよ」
意外な言葉だった。
「そう。救い。希望でもある。誰も死なない世界って、考えたことある?」
「……一応」私は答える。
「人間って、生きている限り、何かを殺して生きてるって知ってるよね」
「ええ。殺さないと生きていけない」
「それから解放されるっていうことは、罪からの解放にならない?」
「そんな……」
「この地球っていう舞台にいる以上、生まれて、死なないと劇は終わらない。いくつもの物語が地球っていう一つの物語を作り上げているのよ」
「地球という……物語?」
「ひとりひとりが、主人公であり、脇役であり、観客でもある。半永久のアドリブ劇。あたし達は、ちょっと不思議の国に迷い込んでしまっているけどね……」
「それと、死なない世界と、どう関係があるの?」
「あ、あぁ、いや……ちょっと良い台詞思い浮かんじゃって脱線したけども……、そうねぇ……たとえばだけど、たとえばの話なんだけど、もしも、まちちゃんが死なない体と死なない心を持っていて、更に老いない体と心があったら、どんな未来があると思う?」
「……想像もつかないわ」
「たぶん、死ぬより辛いと思うよ。とは言っても、あたしも死んだことないから比べられなくて、わかんないけど、死ぬことと死なれることに、きっと悲しみの差なんてないと思うから、大事な人を全員喪うことは、決まっていることで。きっと生きることが苦痛になって、でも死のうとしても死ねなくて。どうしたらいいんだろうって思って……」
「……さくらは、生きているの、苦しい?」
返事はなかった。
どうなんだろう。
でも、皆が死なない体になれば、誰も悲しまなくて済むはずだ。だけど、それってつまり、人にとっての禁断。人の命を人が手を加えて操る、言わば神の領域への侵犯だ……。
神の審判は決してそれを赦さないと、過去にセバスチャンや松島の組織では言っていた。
だから〈器〉は壊されるのだとも。
だから、その「人のようなモノ」を多く殺してきた。
それが正しいことだったかどうか、なんて、私一人が考えても答えなんて出ない。
「セバスチャン」
私は彼の背中に話しかけた。
「何だ?」
振り返らずに、彼は答えた。
「もう一度、器を壊す理由を教えて」
「……もしも、神というものがいるとしたら」
「神の都合じゃなくて、あなたの意思が知りたいの」
「……人というものを構成する要素を、バラバラにして考えてみろ」
「皮膚……血……肉……骨……」
「違う。それは体という要素でしかない。大きく分けても、体、精神、魂の三つだろう」
「そこに記憶も入れてよ」
と、さくらは言った。
「記憶と精神は同じようなものだろう」
「全然違うわ」
「そもそも、精神も魂も同じようなものなんだ。人間は体と心で生きているんだよ」
「違う。記憶がなければ人間じゃない」
「では赤子は人間ではないのか? 記憶を蓄積できない人間も人間ではないのか?」
「あ……それは……人間……赤ちゃんも、記憶の無い人も、人間よ……」
「人の形をしていれば、人間ではないの?」と私。
「ならば、彫像にも魂が宿るとでも? 人形にも魂が宿るとでも?」
「でも、そうならないと確かめる術はないじゃない……」
「まあ、とにかく、人間の根本的要素は、体と精神、そして魂。その三つだ。精神は記憶と言い換えても差し支えはない。つまりは経験による思考パターンという名の電気信号とも言えるな。その三つが、決して離れないのが人間だ。体が表だとしたら、魂は裏。その二つを繋ぐのが、記憶であり精神だ。この中で、魂を失ったとき、つまり『裏側』を失った時、人は人でなくなるのだ。例えて言うなら、根の喪失。根がなければ、樹はそもそも樹ではない。その場からの消滅であり、それが、死だ」
「何を言っているのかわからないわ」
「樹木が、次の世代のために種を残す。それが人の生きる意味と同じであり、そして、根がなければ育たない。表も無ければ裏も無い。幹がなければ……幹がつまり記憶のようなものだな。幹がなければ枝は伸びない。枝葉がなければ花は咲かず、花が咲かなければ実は生らず実がなければ種もない。種がなければ生まれもしない。突然の根の喪失が、死だ」
つらつらと長いたとえ話だったが、理解を拒むような説明だった。
「わかる? まちちゃん?」と、さくら。
「いえ、全然」
「セバスチャン説明下手なんじゃない?」
「貴様らの理解力が乏しいだけだ」
「ひどいねぇ」
さくらが同意を求めてきて、私は頷いた。
「……ええ」
「〈器〉とはつまり、最初から根が無い人形のことだ」
――人形ではない。
そう思った私は反論する。
「ねぇ、セバスチャン」私は彼の目を見て真剣に話す。「狼に育てられた少女の話知ってる?」
「……何だ、それは」
私は説明する。
「生まれてすぐ、行方不明になった女の子が、幼少期を狼に育てられたんだって。奇跡みたいなことだって言ってた。それで、捕獲……されたその子は、まるで狼そのもののような行動しかしなくて、人間の姿をしていてもそれは狼の魂ということ? 根っこが狼だから、人間じゃないということになるの? その子は、人の世界に馴染むことなく、すぐに死んでしまったらしいけど……そういう時、根っこはどこに置けばいいの?」
「それは、わからないが……」
そして、しばらくの静寂の後、セバスチャンが言った。
「私は、認めたくないんだな。〈器〉というものを人間だとしてしまったら、蔵野や山田ヒロアキや田山に命じて殺させたのが、全て人間だと言ってしまうことになる。そうなれば、私の罪深さは地球を貫いてしまう程になる。今さら、自分を慰めるように人間を〈器〉だと言い張る必要は、ないのかな……」
「造花だって、花だわ」と私。
「……私はそうは思わない。そして、たとえミサキという大量生産された人形を人間に分類したとしても、私は人間として、その存在を殺す。セバスチャンという人間として、ミサキを殺す」
そこの決意は固いようだった。
だけど、私だって、決意は固い。
「私は、殺したくない」
大切な約束だから。
「そうだな……殺さないことを責めることは、私はしてはいけないな……」
「ひろみにも、レイコにも、殺してしまった霧野みやこにも、生きる権利はあったんじゃないかって……だって、私が、生きてるんだから……人を殺した人間が……」
少し静かな時間があって、やがてさくらが口を開く。
「ここで、ジョージの研究を潰せば、きっと器だとか分身だとかも生まれなくなるわよ! そのために盛命城を壊したんでしょ?」
「ええ。もう誰も、私のように、〈器〉を殺すような悲しい思いをしないように。〈器〉だからって、殺される人が生まれないように。だから、盛命城の人たちは、全員、殺しちゃったのよ……」
「え、まちちゃん……が……?」
さくらは驚いた目で、でもほんの少しだけ怒りを込めた目で、私を見ていた。
セバスチャンが、さくらの方を向いて説明する。
「梅田美咲良。盛命城を潰したのは、蔵野まちと山田ヒロアキだ。彼女たちは、組織を抜けてたった二人で、器を生み出す研究をほぼ壊滅させた。……私は長い間かけて踏み出せなかったのに、彼女達はそれをあっさりやってのけた。
その、きっかけが、山田ヒロアキが一人の少女を殺してしまったこと。私が命じて殺させた。山田ヒロアキが〈器〉だと思って殺してしまった。それが、全てのハジマリだったんだ。だから、全ての罪の原因は、私にある。
私の組織の誰が誰を殺そうと、それは、その者の罪ではなく、私、セバスチャンの罪だ。そして、今、私が率いる作戦に於いても、誰がミサキを殺そうと、それは私の殺しだ。
門で六人。さっきの部屋で七人目。私の目的は全ての作られた人間を殺し、ジョージの元へ辿り着くことだ」
そしてセバスチャンは私に向き直り、
「蔵野まち……どうか、殺させて欲しい。それが、松島との約束でもあるんだ。岩城と森岡にはお前も出会ったんだろう? その禁断の研究を知ったんだろう?」
「セバスチャン」と私。
「何だ」
「私が、作られた人間だったら、私も、殺すの?」
彼は無言を返した。
「さくらが、人という種に手を加えられた人間だって、知ってるんでしょ? 彼女も殺すの? 私達を殺さないで、ミサキを殺すのなら、その境界線は、何?」
また、彼は無言を返した。
私とさくらは、ただ静かに彼の答えを待った。セバスチャンが、どのような判断を下すのかを、ひたすら待った。
やがて、彼は言う。
「梅田美咲良も蔵野まちも、殺さない。境界線は主観でしかない。もしも、蔵野がミサキを殺させないと立ちはだかるとしても、私は全力でミサキを殺す。後悔するのは、全てが終わってからだ」
「あたしも、ミサキはやっぱり全部殺さないといけないと思う。何よりも、ミサキ自身がそれを望んでると思うから」
さくらも彼に同意した。
――殺されることを望んでる?
「……そんなわけ、ない」
「ごめん……勝手な考えかもしれないけど……、そう思うしか、ないもん」
さくらは、無理に笑って、そう言った。
だけど、私は知っている。命あるものが死にたがっているわけがないことを知っている。
「……ひろみも死にたくないって言ったわ。霧野みやこも死にたくないって言ったわ。レイコは……死にたかったみたいだけど……」
二対一、だ。
「全ての罪は私が持つ。だから、二人は今日一日だけは、私に従ってくれないか?」
「……セバスチャンって馬鹿ねぇ」さくらは呆れたように言う。「自分が罪を持つなんて言っても、そんな言葉なんかで罪が人に移ったりしたら苦労しないわよ。それに、もうあたしも、そして多分まちちゃんも、赦されない罪を持ってるの。その上でまちちゃんは、ミサキを殺したくないって言ってるの。でも、多数決で考えるなら、この場は、過半数を遥かに超えて、ミサキは、殺してしまわなくちゃならない存在になるわね……」
「……私が、折れなくちゃいけないの?」
「ごめんね、まちちゃん。でも、わかってほしい。今日だけは目をつぶってほしい。ずっと、ずっとあたしはジョージを追ってきた。人が人を作り出すなんていう狂った研究を続けているなら、それを止めようと思った。もう止まらないのなら彼を殺そうとすら決意してここにいるの。彼……セバスチャンは、そんなあたしと何年も前から約束してるのよ。いくつかの約束は、破られてしまったけど……」
約束。約束か……。
「……わかったわ……ワガママ言って、ごめん」
「ううん」さくらは勢いよく首を振った。「きっとね、狂ってるのは、まちちゃんの言うように、あたしと彼の二人だけ。まちちゃんが正しいんだよ。だから、ワガママ言ってるのは、あたし達」
正しいって、何だろう……それは口に出さないことにした。
「まちちゃん。ありがとう……ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……行きましょう」
私はそう言って、石の廊下を弱々しく歩き出す。
これで立ち話は終わりだ。
手元にある蝋燭は、ほとんど溶けてしまっていた。足元には温かい感触。先ほどの部屋で生まれた獣の子が、付いてきていた。元気を失った私を心配しているようだった。もしこの子が、私を主だと思っているなら……弱い主で、ごめん。
すぐに視界に現れた階段を、私が先頭に立って上り切った。
三階。明るかった。
この階は巨大な一つの部屋が一つあるだけだった。
部屋には、数十本の四角柱の太い柱が並んでいた。
城の正面を除く三方向にガラスを張ってない大きな窓があって、そこから、外を見下ろすことができた。
「あ、あれ、ヒロアキ君じゃない?」
真っ白な建物が見える。その有名なギリシャのアクロポリスにある神殿のような建物の近くに、ヒロアキが肩で息をしながら俯いていた。
そして、すぐに田山がそこに駆け寄る。
二言三言会話した後、建築物が破壊された音がして、神殿が土煙を上げたかと思ったら、次の瞬間には、大きな体をした獣が二頭、ヒロアキに襲い掛かった。
田山は一目散に駆け逃げていて、ヒロアキが稲妻を描きながら不格好に逃げる。
あ……私は何をボーっと見つめているんだろう。
助けなきゃ。ヒロアキが危ない。助けなきゃ。
ところが、飛び降りようとした私よりも先に、さくらが飛び降りていた。
黒衣の女が、三階から一階へと飛び降りた。
そして、地に降り立った刹那、地を蹴ったさくら。
鮮やかな緑に染まった髪は美しい直線の軌道を描いて、理性を持った人間の限界を超えた速度でヒロアキまで到達した。
音速か、それに匹敵するくらいのスピードだったと思う。
そして――。
激しい轟音が響き、獣二頭を蹴散らして余りある威力を持った砲撃にも似た紅蓮の銃撃は何本もの白い神殿の柱を打ち抜いたらしく、神殿の反対側から抜け出し、数本の樹をなぎ倒したところで、止まったようだ。
凄まじい破壊力だった。
「な……何、今の……」と私。
さくらの右手には真っ赤な銃。
黒い外套が風になびいていた。
「あれが、ブラッディブルームという銃だ」とセバスチャン。
「あの赤い銃のこと……?」
「ああ、ここだけの話で美咲良には秘密なんだが、あれは、いわくつきの魔銃でな……持ち主が例外なく謎の死を遂げるという呪いがあるらしい……」
「それにしても、あんな小さな銃からどうやってあんな威力……物理的にありえないわ」
「そう、それが魔銃と呼ばれる所以だ。その重い引き金を引く速度や力で、銃弾の威力を調整できる。昔、分解しようとした命知らずがいたようだが、その者はあっさりと命を落とした」
「今ので、何割くらいの力なの?」
「さあな……私も、実際あの銃が何かを破壊するのを見たのは初めてだ」
「そう……セバスチャンは撃ってみたことないの?」
「……死ぬのはこわいのでな」
「意外な答えね」
「……私の母は、何の知識もなしに、あの銃を握って、引き金を思いっきり引いても、窓ガラスを割ることもできないほどの速度の弾しか撃てなかったから、それを名前の割に平和な銃だと言って愛していたが……あれほどとはな……。成る程、魔銃だ」
「ブラッディ……ブルーム……」
「どういう意味だと思う?」
「わからないわ。どういう意味?」
「私も知らないさ」
ヒロアキは、さくらと楽しそうに何か話した後、私に向かって手を振った。
私は、何故この場所で立ち尽くしてしまっているんだろう。
ヒロアキが危なかったのに、ヒロアキを助ける役を、さくらに奪われたままで……。
苦しかった。
彼に合わせる視線を私は持っていないような気がして俯くと、そこにはまた、私の子がいた。
可愛らしく首を傾げていた。
★
合流した田山が、「持ってやる」と言ったので、燭台を彼に渡した。もっとも、もう蝋燭はほとんど溶けてしまっていて、今にも消えそうだったけど……。
合流したヒロアキは疲れ果てていた。
私だって、心が少し疲れてしまっていたけど、彼が無事に私のところへ帰って来てくれたことで、大きく安堵した。
「まち……ただいま……げっまた化物か!」
ヒロアキは私の可愛い子に向かってそう言った。
イノセンスを構えたので、私の子は怯えてしまって、少し震えていた。
大人しい子だった。
なお、私もリグレットを持っているけれど、それに怯えることはないようだ。出会った時から手に持っていたからかもしれない。
「違うわ。この子は、私の子よ。怯えてるじゃない。引っ込めなさい」と私。
「いつの間に産んだんだよ」ヒロアキは冗談ぽく言った。
「ついさっきよ……」
「そんな、父親になる俺に何の相談もなしに……両親に正式にご挨拶しないとな」
「だって。さくら、どうする?」
「え? あたしに振るの? というか、これ何のコント?」
さくらは戸惑ったのか視線をあちこちさせていた。
「はっは、女性陣には冗談が通じないみたいだな」
田山の乾いた笑い。
「遊んでいる暇はない。先へ進むぞ」
二人が合流した途端に、口調が氷柱のように冷たく鋭くなったセバスチャン。
「はぁ、一番冗談通じないのはやっぱジジイか……」
田山は嘆きの溜息を吐いて彼の後に続いて歩き出す。
「そんなこと、ないと思うけど」
私は田山にそう言った。
五人で歩き出した。
「なぁ、まち」ヒロアキは私の足元を指さして、「それはそうと、その凄まじいお前の息子の名前は何だ?」
「え? えーと……そうねぇ……さくら、何が良いと思う?」
「ぇぇ? あたしが決めちゃっていいの?」
「ふざけなければ」
「わかった……じゃあ……」
そして、さくらは言った。
「――メイ」
「メイ? どういう意味?」
「ほら、来月五月でしょう? だからメイ。英語で、五月で、メイ」
「……ん? 何で今月の名前付けないんだ?」
もっともなことを田山が言った。
「エ、エイプリルはダメなの。四月バカとかで、バカで嘘つきになっちゃったりするでしょ? いや、バカじゃなかったし嘘もつかなかったけど」
「は?」
田山は全力で顔をしかめた。
「とにかく、メイ、メイちゃん。ほらぁ、メイちゃぁん、伯母さんだよー」
さくらはメイと名づけた子に向けて両手を広げるが、彼女の腕の中にメイが飛び込むことはなかった。
ずっと私の足元から離れなかった。
「良い名前ね。ありがとう」と私。
「……メイだから、姪でおばさんっていうダジャレだったんだけどなぁ」
「わかりにくいことしないで……というか、ダジャレから名前つけたの?」
「あ、いや、ダジャレは咄嗟に思い浮かんだだけで、ちゃんと考えて名前は付けたよ!」
「そう……ダジャレのセンスはともかくとして、ありがとう、さくら」
「いや、まちがダジャレのセンスとか言っちゃダメだと思うなぁ」
とヒロアキ。
「うるさいわね!」
怒ってやった。
「こらこら、メイが怯えるだろ」
「あ、ごめんね。メイ」
あぁ、早く家に帰りたい。そして、この子の誕生を、皆で祝うんだ。さきも新渡戸もがっくんも、きっと皆で祝ってくれる。こんな歪な獣でも……。
だって、私を受け入れてくれた皆だから。




