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第三部:リバースエッジ
70/125

Chapter5 さくら編・其の壱 おとしもの

視点:山田ヒロアキ→梅田美咲良(梅田桜良・梅田美咲)

 偶然の出会いなのか、運命の出会いなのか、閉じかけていた記憶の扉が、開いていく。

 その最悪の思い出の引き出しの鍵は、容易く解き外さてしまう……。


「――やめて」


 きっと……こわかった。


  ★


 落としてきた。


 ポケットに孔が空いていたわけでもないし、そこにあるとわかっているものを落としてきた。


 落としたことにも気付いていた。


 それを「置いてきた」って言わないかって?


 ……違う。


 それらは「置く」なんて生易しいコトバで表してはきっといけないものだ。


 ひとつは落下加速度でもう止まらない程の速度で堕ち続けているだろう。


 次のひとつは、確かにこの手で置いたけれど、置いたというよりは、捨てたと言った方が良いだろう。


 最後のひとつは……きっと上手く言い表せない。


 あたし自身とでも言えばいいのかな。


 落としてきた三つのそれらを目をつぶって視界から追い出そうとしても、まぶたの裏から出ていってくれない。


 ――それって何?


 あたしは自問する。


 何となく答えたくない。


 だから、あてもなく探す。


 もしかしたら、その「おとしもの」達を見つけたくないのかもしれなかった。


 こんなにも自分の気持ちがわからないことを、あたしの体と心に手を加えたあのヒトの所為にしたいと思った。


 どこにもいない、みつからない……という前提で、あのヒトを探し続ける日々が続いた。何年間だろう。時間の経過に興味は薄かった。とにかく長い間、探し続けた。


 また、あのヒトを見つけてどうしたいのかという目的もぼんやりとしていた。自分の心が濃霧に覆われているのが何となく恥ずかしくて、


「バカみたいだな」


 そう呟いて考えるのをやめた。


 全ては見つけてから決めればいいと思った。


 その時のあのヒト次第。


 だって、あたしは、きっとまだ、あのヒトを、愛して、いるから。


  ★


 あたしには姉がいた。一卵性の双子だった。良く似ていた。


 お姉は子供のころからよく言っていた。


『たった数秒か数十秒か数分違って生まれてきたのに私が姉で、桜良が妹なんて不思議よね』


 でもあたしはそうは思わなかった。


 あたしが妹であることは当然のことのように思っていた。


 双子ではあったけれど、あたしたち二人の物事の感じ方や成長の仕方は細かなところで違っていた。


 そう、あたしの本当の名は、桜良。


 梅田桜良(さくら)。


 名前を変えたのは、盛命城(せいめいじょう)に行ってからだった。


 それまでは、あたしは桜良。


 あたしは死のうと思った。


 理由は、あたし以外の家族全員。飼っていた犬までもが殺されたからだった。


 それが事故なのか事件なのか陰謀なのかわからないけど、死んでしまったのだから殺されたことに違いなかった。


 あたしは憎んだ。


 何よりも、のうのうと生き残っている自分自身を。


 あぁ、思い出したくないな……。


  ☆


 あたしは昔、スパイのような仕事をしていた。双子であることを利用してお姉とあたしが、まるで二人で一人のように装ってスパイ活動していた。


 二人で一緒の仕事もあったし、単独の仕事も多くあった。


 ちょうどその日はあたし一人に軽い仕事があって、久しぶりの休暇をとったお父ちゃんとお母ちゃんとお姉と愛犬にして老犬のエイプリル、その四人で遊びに行っていた。


 そして、死んだ。


 簡単な仕事が終わり、事務所に行って報告をしようとしたら、腕を引っ張られて会議室に連れて行かれた。


 何事かわからず周囲を見渡すあたしに、叔父さんは告げた。


『兄貴が死んだ』


 つまり……えっと、叔父さんの兄ってことは、誰?


 あたしは無理矢理そう思った。


 本当は言われた瞬間に何を言われたかわかった。


 でも、そんなの信じたくなんかなかった。絶対に。


 四月一日だった。


 性質(たち)の悪い四月バカ、エイプリルフールなんじゃないかと思ったけど、突きつけられた現実。


 四人の死の証拠だった。


 ――お姉のお気に入りの赤いセーター。

 ――お母ちゃんのお気に入りのバッグ。

 ――お父ちゃんのいつも持ち歩いていた真白い銃。


 赤黒い塊の付いたそれらを目の前に並べられた。


 そんなことでは信じられなかったあたしは、四人の変わり果てた姿を見ようとした。叔父さんたちからダメだと言われ、腕を掴まれたけど振り払って、その部屋の扉を開けた。


 あぁ……。


 信じざるを得ない光景だった。


 あたしは四つの骸(なきがら)を一つ一つ確認して、傷口に触れて、それは確かに皆の感触で、でも冷たくて。


 白い壁にぶつかるまで後ずさり、右肩がぶつかって、力が入らない情けない脚は崩れ、膝をついた。


 ……泣いた。


 例えば死体が偽者で、エイプリルフールドッキリ!


 とか言って皆が背後から誰かが現れたり、例えば、死体が偽者で、皆は秘密の任務に赴いて、あたしは危険だからって置いて行かれたとかそんなストーリーを妄想した。


 でも、あたしが皆を見間違える筈ないもの。


 ――あぁ、皆、死んだんだ。


 許せなかった。


 誰が悪いのかと、叔父さんに詰寄ったけど、叔父さんは首を振って「不幸な事故だった」と言った。


 事故?


 絶対嘘だと思った。


 だけどそんなことよりもただ悲しくて、どうして一緒に逝けなかったのかって自分の身が憎くて、泣いた。


 思考にはモヤがかかりはじめた。


 どうして自分が生きているのかという疑問と共に……。


 あたしは、変な気を起こさないように、と叔父さんに閉じ込められた。


 あたしはもう既に変な気を起こしていた。


 ポケットには弾丸が一つ。「皆と離れたくない」と言ったあたしに、皆の形見を置いていってくれた。


 叔父さんは頭が悪い。


 あたしのことを理解していない。


 みんなの形見――。

 お姉のお気に入りの赤いセーター。

 お母ちゃんのお気に入りのバッグ。

 エイプリルの首輪。

 お父ちゃんのいつも持ち歩いていた真白い銃。


 ――銃。


 あたしは銃だけを取り上げた。


 死のうと思った。


 あたしは、ポケットにあった弾丸を装填。


 一人ロシアンルーレット。自分の、こめかみに当てる。


 一回、二回。三回、四回。


 あぁ……。

「生きろ」

 と言われている気がした。


 一回目でお姉を想った。

 二回目でお父ちゃんを想った。

 三回目でお母ちゃんを、

 四回目ではエイプリルを想った。


「死ぬな」

 と言われている気がした。


 五回目の引き金は引けなかった。


 あたしはそれでも、自分のみが幸せになんて生きられないと思って、ドアを銃で打ち抜いて、抜け出し、そしてあの樹海で迷い死のうと思っていた。


 中途半端な死の決意。


 自分の手では死ねなくなってしまったので、自然の力で死のうと思った。


 もうどうでもよかった。


  ★


 目的地に着いた。


 春の若葉が輝いていて、皮肉に思えた。


 その死の森に足を踏み入れる。


 進んでいくと、その視界に入ったのは、不自然なトンネルだった。


 出口の見えないトンネル。


 この場所なら誰にも見つからずに死ねると思った。


 その闇の中に足を踏み入れた。


 歩を進める。


 振り返れば緑の世界。


 ――もうあの陽の当たる場所にはきっと戻れない。


 そう思った。


 トンネルがどこまで続いているのかと思ったらすぐに、行き止まりだった。ドアだった。ドアノブがあった。鉄の扉のようだった。真っ暗で扉の色はわからなかった。開いてみた。


 袋小路だと思った場所にあったのは、更なる深い闇だった。


 その場所こそ、あの盛命城。


 人の気配を感じながらも、あたしは堂々と真っ赤な螺旋の階段を下る。


 ――そして、その先で森岡さんと岩城さんに出会った。


 階段を下り、声が漏れ聞こえる扉の前に立った。


 一瞬躊躇いながらも、これは夢なんだと思って、思い切って扉を開くことにした。


 恐る恐る扉を開いた。


 その視界には、二人の男が立っていた。


 そして一人の女が裸のまま横になっていた。


 後に聞いた話では、その瞬間のあたしの思考は、そのまま口に出てしまっていたらしい。


「え? 何これ……解剖? 実験? 夢? あたしもこんな風に? 誰? 嫌だ。そんな死に方は嫌。嫌だ……死にたくない、こわい。助けて……お姉。……あぁそうだ……お姉はもう死んだんだ。……こわい、ダメ、その子、殺さないで、誰が死ぬのも……」


「君は?」


 ノイズまじりに聞こえた声。


「あたしは、梅田…………」


 桜良。


 気を失った。


  ★


 目覚めた時、二人の男がいた。先刻の二人の男。


 だとするとあたしは先刻の裸で寝かされていた女の人と同じ立場なのだろうか。


 自分の体に触れてみる。


 服は着ていた。


 あたしが元着ていた服ではなかったけれど……。


 もう一度二人の男を見る。二人とも白衣を着ていた。


 一人は見るからに厳しそうな顔立ちをしていた。


 まるであたしがスパイの仕事を教わったあの教官のようだった。


 体格も筋肉質で、強そうだった。


 もう一人は、対照的にやせぎすの男で、とても優しそうな顔をしていた。


 強そうな人が岩城さん、優しそうな人が森岡さんだった。


 何をされるのか、と怯えているあたしの手を森岡さんが気安く握り、言った。


「自殺……だよね?」


 あたしはこくり、と頷く。


「名前は?」


「梅田…………美咲」


 あたしは……桜良は死んだんだ。


 ――死んだ。


 もう死んだ。


 あたしはお姉の分まで生きたい。


 もし……お姉が生きていたら、死のうとしたあたしを叱りつけ、「美咲」と名乗ったあたしに平手打ちでもくれていただろうけど……お姉はもう、いないんだ。


 それが悲しくて、泣いた。


「大事な人を、喪(うしな)ったの?」と森岡さん。


 あたしは頷いた。


「……ここにはね、君みたいに自ら命を絶とうとした人が多くいるんだよ。でも、皆、生きている」


 こう言ったのも森岡さんだった。岩城さんは、ずっと険しい顔をして、やりとりを眺めているだけだった。


「みんな、生きてる? どうして?」


「さあ……どうしてだろうね……。でも、死ぬのは、こわいだろう?」


 あたしは頷いた。


「私達は、拒まない。ここにやってくる多くの人々のことも、君のことも。でも、彼らや君の、死、は拒む。私達は、人を生み出す研究をしている」


「生み出す、研究?」


「そう、人を殺すのとは、正反対の、研究だ」


「でも。それで、あたしは、どうすれば……?」


「ここで過ごすか、心配してくれている人々のところへ帰るのか。死ぬことだけは、私は許さない。生きたい、と願っても、それが叶わなかった人々がいるのだから、自ら命を絶つのは許されることではない。自殺……とは自分を殺すと書く。自殺は、つまり、この世で最低で最悪の行為、罪、殺人に相当する。わかるね?」


「心配してくれる人なんて、いない……」


 皆死んじゃった……。


「ならば、ここで暮らすと良い。良いだろう?」森岡さんはそう言って、険しい顔の人に向き直り、「岩城」と呼びかけた。


 岩城さんは、「ああ、いいんじゃないの?」と、素っ気無く言った。


「もしも研究に協力してくれるなら嬉しいが、無理強いはしない。どうする?」


「死なせて……くれないの?」


「ああ、死なせない」


 長い長い沈黙の後、あたしは言った。


「…………ここにいても、いいの?」


「いいよ」


 微笑んだ森岡さんが、神にさえ見えた。


「……ありがとう……ございます……」


 あたしは、またやってきた睡魔に襲われ、ゆっくりと目を閉じた。


 何かそういう薬でも摂取したかのように。


 最高級に心地良いまどろみの中で、二人の会話が微かに聴こえてきた。


「……お人よしだな。相変わらず」


「そうかな? もしも彼女が零子(れいこ)だったら……それが彼女の意志だろうが、死なせたいと思うか?」


「……そいつは、絶対に思わないだろうな」


「あぁ、私はしろ――」


 暗転。


  ★


 あたしの美咲としての生活が始まった。


 ぐっすり眠り、起きた後、世界は違って見えた。もう死のうなんて思わなかった。もしかしたら、それも薬のせいなのかもしれなかったけど……。


 でも、それでも構わないと思った。


 あたしは、目覚めた数日後には、二人に「研究に協力したい」と言った。住まわせてもらっている以上、そうするべきだと思った。喜んで迎え入れてくれた。


 最初は見ているだけだった。


 今にして思えば、あんな研究は、狂気の沙汰(さた)だったと思えるけれど、当時は、それを当然のように受け入れてしまっていた。


 それは、「人を作る研究」だった。


 しかし、研究は限界を迎えていた。  研究によって「白石レイコ」という肉体を作り出すことができても、彼女の心臓が動いても、彼女の精神が生まれることはなかった。


 喋らなかった。


 自分の意思では動かなかった。


 完璧な人形だった。


 研究資金も残り少ないようだったし、行き詰っていたと言える。


 あたしは、特筆すべき知識も能力もなかったから、研究している人達のために、主に食事を作ったりお茶汲みをしたりしていた。どちらもあまり美味しくはなかったらしい。でも、あたし個人としては楽しかった。


 しばらく、盛命城にいて、あたしのように自ら命を絶とうとした人が次々と仲間になり、人口が増えていった。


 中には説得に耳を貸さずに死んでしまう人もいたけれど……。


 加えて、どこから入ったのか知れないけれど、研究資金も潤沢になり、一つの村や町と呼んでも良いほどの人が住むようになった。何の苦労もなく過ごせる、楽園のようだった。


 長く盛命城にいて、わかったことがあった。


 命の研究している者たちには、二つのグループがあったということ。


 一つは、森岡さんと岩城さんの意志の下に「白石レイコ」という一人の人間を生き返らせる目的で研究をする人々、もう一つは、特定の人間でなくても、誰でも良いから、「一人の人間」を作り出すという目的で研究する人々だった。


 後者の方が研究が進んでいて、その技術は、森岡さんや岩城さんたちにもたらされることはなく、彼ら独自で研究されていた。


 この時点で、盛命城は分裂していたのだろうと思う。


 基本的に、盛命城にいる人々は、上記二つのうちどちらかのグループに属していたけれど、あたしは常に中立の立場にいた。


 そして、同じく、どっちつかずなスタンスをとっていた人がいた。


 ――ジョージだった。


 あたしはきっと、ひと目で彼を好きになった。


 それはきっと、「何か」を喪(うしな)った悲しみを埋めるために、弱すぎる心が「誰か」を求めたんだと思う。


 きっと、そうだ。

 誰でもよかった。

 最低だ。


 彼が盛命城へ来た経緯は、よく知らない。


 森岡さんも、岩城さんも、彼の能力に期待していたようだったけど……。


 彼はいつも一人ぼっちで、誰とも交わろうとしなかった。


 だけど、誰も、そんな彼を責めることなく、他の人々と同等に扱った。


 そもそも、盛命城は万人平等のユートピアで、格差なんて無いはずだった。


 でも、どうも創始者二人の側に付いた人々が、研究が進んだ新参者達の側から見下ろされているようだった。


  ★


 ある日、仕事の合間の休憩時、螺旋の階段。


 あたしが盛命城の上層から、下層の深い闇を見つめていると、背後から声を掛けられた。


「あの……」


 振り向いた。


 そこに居たのが、ジョージだった。


 以前から何度か見かけて、気になっていた彼が目の前にいた。


 彼の方が背が高かったけど、階段の一段下にいた彼だったから丁度あたしと同じくらいの目線になった。


「あの、あなたは?」


「あたし?」


「はい、な、名前を、教えてください」


「あ……美咲、梅田美咲」


「美咲……良い名前だ」


 うれしかった。


「僕は、ジョージ……」


「ジョージ……格好いいわね」


 彼は微笑んだ。本当に、嬉しそうに。


 それが、ジョージとの直接的な出会いだった。


 今にして思えば、あたしはジョージの多くを知っているわけではない。


 極端に頭が良いこと、名前(それでも本名は知らない)、そして人見知りな性格。


 ――それだけ。


 それでも、ジョージがあたしを好きだという事実は、あたしがジョージを愛する理由にするには十分過ぎた。


 ……あたしはジョージと恋人同士になった。


 そしてジョージは、あたしと二人で研究を開始した。


 二人っきりの、盛命城三つ目のグループ。


 あたしは、的外れなことばかり言って、ジョージを困らせ、ジャマばかりしてしまったけど、それでもジョージは誰にも秘密の研究として、残された白石レイコの細胞から、あの細胞を完成させた。


 それは、言わば、白石レイコになるタマゴ。


 ジョージが言うには、「白石レイコの遺伝子をそのままコピーした、いずれ白石レイコに育つはずの人の種」とのことだった。もっとも……その遺伝子は「そのまま」ではなかったのだけれど……。


 ジョージはその子をあたしの子宮に着床させた。


 成功して、お腹も大きくなっていって、つわりなんていうものも初めて経験して、盛命城の皆にも祝われて、休暇をもらって……この頃が、盛命城にいて一番幸せな頃だった。


「二人の子供だよ」

 とジョージは言った。


 真に受けた。


 その時にはすでに私は何となく彼に違和感をおぼえ、彼の何かが狂っていると思っていたけれど、それが何なのかわからなかったので、とりあえずあたしは、お腹の中でその子を育てた。


 名前は、生まれる前に決まっていた。


『白石レイコ』


 今にして思えば、狂っていたのは「何か」じゃない。

 彼の全てが狂っていたんだ。狂人だったんだ。


 そのことに明確に気付いたのは、あたしとジョージの子が、岩城さんによる帝王切開で生まれた日だった。


 全ては彼の予定。計画。


 森岡さんと岩城さんに「白石レイコ」という肉体情報を持った自然に育つ赤子を育てる、と報告し、育っていく白石レイコの親として、研究を続ける。


 だけど、それは彼にとって、子育てではなく、実験に過ぎない。


 それが、彼が当然のように持つ狂気。


 あたしはそれでも構わなかった。


 この生まれた子を、二人の子供にして、盛命城で生き、死んでいく。  白石レイコの生みの親として彼は確固たる地位を築き、また新たな命の研究を進める。それも良いと思っていた。


 彼の唯一の誤算は、あたしに「白石レイコ」の遺伝子に手を加えたデータを見られたこと、そして、それをあたしが理解したこと。


 ついでに言えば、あたしのカラダをも改造していたことを、あたしに知られたこと。


 あたしはジョージを問い詰めた。


「あの子は、あたしとジョージの子じゃなかったの? どうしてあんな……」


「僕が作った〈分身〉は、僕の力による世界を変えるような革新的技術による賜物だ」


「そんなこと訊いてない!」


「だから、僕はこれから〈強化した分身〉を何人も作って、世界を変えてやるんだ」


「ジョージ…………」


 呟き、そして、最後にあたしは言う。


「どうしてあたしのカラダをいじったの?」


 それに対するジョージの答えは、


「愛しているから」


 あたしは憎しみに似た感情から、ジョージを引っぱたいた。


 小気味良い音がしたが、すっきりはしなかった。


「失敗したかな……」

 彼の呟いたその心無い言葉に、泣いた。


 あたしはジョージを愛していた。


 信じていた。本当に「白石レイコ」の母となるのも良いと思った。


 必要なら、森岡さんたちにも秘密にして、彼女を育てたかった。


 それが完全な白石レイコの再現にならないとしても、だ。


 それなのに、何?

 何なの?


 こんな不自然な、改造、改悪。

 最低の男だった。


 救いようの無い馬鹿。

 あたしを愛しているなんて、よく言えたものね。

 あたしのカラダを自分の好きなように改造して楽しんで。


 ――あたしは人形じゃない!


 一度死を目指したからって、あなたの好きなようにいじくり回していい玩具じゃない!


 ああ、そうね、そういう男だったのか、気付くのが遅かった。


 百年の恋もさめるというもの…………だけど……どうして。


 ――どうして?


 どうして、まだ好きだと思ってしまうの?

 ああ、あたしは、ダメな女だ…………。


 ああ……お姉の名前を……「美咲」と名乗ってしまったことを、激しく後悔した。


 加えて、あたしと二人だけの研究だったはずなのに、いつの間にか彼は、森岡さんや岩城さんと水面下で反発する人達とも共同で研究していて、あたしが産んだ子の他に、四人ほど子供を作っていた。


 それらは、「白石レイコ」の分身ではなかったけれど、あたしは、裏切られたと思った。


 特別じゃなかった。


 あたしだけがジョージの特別じゃなかった。


 特別でいたかった。


 棺のようなベッドに五人並べられた赤子。


 あたしの心に何かが渦巻いた。


 その感情の名前に興味はない。


 ただ、ぐるぐるだった。


「あぁ、狂っている。やっと気付いた。ここに人間なんて、いないんだ」


 台詞を棒読みするように、あたしは呟いた。


 クリアになっていた思考に再びモヤが下りてくる。


 そして、あたしは……人間界で最低最悪の罪を、犯した。


 さすがにこのことは、今まで誰にも言えないでいる。


 どうしてそんな行動を選択したのか、わからない。


 考えたくもない。そうだ。忘れかけてしまっていた。

 こんな重大な罪を、忘れそうになってしまっていた。

 最悪だ。最低だ。人間じゃない。悪魔だ。魔女だ。


 最悪だ。


 あたしは、いつの間にか、その部屋にいた。

 あたしは、ベッドに横たわる五人の赤子の前に立つ。

 全員、眠っていた。静かだった。


 そして、その首を……。


 一人、二人。三人、四人。


 そして、最後の一人。

 あたしのお腹で育てた子。


 その首に手をかける。


「ダメだ……できないよぉ…………」


 あたしは、その子を優しく抱き上げると、背中にきつく縛りつけた。


 熱いくらいに温かい彼女の体。


 世界の大気は暖かいを通り越して暑過ぎるように感じられた。


 汗。


 嫌な汗が噴出す感覚があった。


 あたしは彼女を背負ったまま森岡さんの部屋に忍び込んだ。


 ドアのロックなんて無いようなものだった。

 金庫のロックなんて無いようなものだった。


 命を助けてもらったのに、ロクでもない女だと考えて、失笑する。


 二つの意味で彼らの「イノチの研究」をぶち壊すのだから。


 財宝の隠し場所が記されたと思われる一枚の紙を汚く折りたたみ、穿いていたジーンズのポケットにねじ込む。


 音を立てないように、森岡さんの部屋を後にする。


「あぁ、そうだ」


 呟いて、もう一度階段を下りる。


 忘れ物をした。大事なもの。


 ジョージとあたしの部屋に静かに入る。


 ジョージは眠っていた。


 涙を流した跡が見えた。


 心が痛んだが、もう引き返せない。


 あたしは音を立てないように、施錠された引き出しの鍵穴に鍵を挿し込み、開錠。引き出しを開け、お父ちゃんの形見、真っ白な銃を取り出す。


 丸いテーブルに目を向けると、一枚の紙切れと、丈夫そうな白い袋に入った粉薬のようなものがあった。


 紙切れを手に取る。


 逆の手で粉薬も手に取った。


 元々夜目が利くほうだったが、暗闇の中で文字が読めるほどであるわけがなかったから、この時は、あたし自身驚いた。


 そしてジョージに改造されたことを初めて実感した瞬間でもあった。


(美咲、ごめん。ごめんなさい)


 紙切れにはそう書いてあった。


 あたしはその文字列を何度か読み、逆の手にあった粉薬をポケットに入れた。


 ぐしゃり。ジョージの手紙の方は握りつぶして投げ捨てた。


 もう。もう遅い。


 遅いんだ。


 あたしはもう気付いてしまった。


 ――ここが狂人の世界だって。


 そして理由不明の涙を拭って、扉を乱暴に開けて閉めた。


 ガチャリバタンと音は鳴る。


 皆が寝静まっている時間帯。


 その音は大きく響いた。


 ミスじゃない。あたしは音を立てようとして音を立てた。


 でも、どうして音を立てたんだろう?


 馬鹿みたいな説が浮上する。


 あたしは、もしかしたら、ジョージと一緒にこの地下世界から脱出したくて、彼に気付いて欲しくて音を立てたんじゃないかって。


「あぁ……」


 ああ、もう考えるのはやめた。


 走っていた。


 無音の世界をただ走っていた。


「レイコ……大丈夫? 生きてる? 生きてるわよね……温かいもんね」


 あらゆる照明が落とされた真っ暗な回廊。


 通称「夜」


 その中を走り登る。


 後ろは振り返らない。


 振り返ればまた引き戻されそうでこわい。


「もう少し……もう少しだから」


 背中の赤子に語り掛けるようにして、自分に言い聞かせた。


 それでも脆弱なあたしは懲りずに狂人の思考を廻らせる。


 今ならまだ戻れるかもしれない。


 きっとジョージはあたしを許してしまう。


 森岡さんや岩城さんも優しい人だから……。


「ううん!」


 首を振った。


 ダメだ。絶対にダメだ。


 人を、それも生まれたての命を奪うような人間を、あの二人が許すはずがない!


 あの二人だけじゃない。世界の誰も許すはずがない!


 ――後悔?


 している。後悔だらけだ。


 あたしが弱いばっかりに、こんな子が生まれてしまった。


 あの子たちを殺してしまった!


 あたしがいなくなってしまった。


 あたしはもう、きっと……人間なんかじゃない。


 けど、きっときっと……あたしのせいじゃ……ない。


「もう少し……もう少し……あと少し」


「ほら、さくら、出口だよ、見える? ……あと少し……」


 ――後悔?


 そうね、ジョージに出会ってしまったことも後悔している。


 でも、それは運命の神の悪戯のようなもので、あたしにはどうすることもできなかった。


 この世界を生み出した神がもしもいるのなら、言ってやりたい。


「どうしてあたしばかりがこんな目に遭うのか! 愛する人達を喪って、死のうとして死ねなくて! 彼に想うままいじくり回されて! その所為で人を殺してしまって! そして何でまだ彼を愛したままのあたしがいるのかっ!」


 そうだ、あたしのせいじゃないわ。

 ジョージがあたしのカラダをいじったからこうなった!


 そうだ、きっと心もいじったに違いないんだ。


 最低だ。最悪だ。最低だ。


 あたしは、入り口の扉のロックを素早く外し、躊躇わず外に出た。


 鉄扉の閉じる音がする。


 外は、それなりに洞窟の深いところだったので、暗い。


 遠くに光が見えるから、地上は夜じゃないみたいだった。


 あぁ、罪だ。最低だ、最悪だ。


 よろける体。視界には、光が見えた。


 その方向へ歩く。虫けらのようだ。


 でも、でもそうだ。違うんだ。これは違う。


 あたしは、違うんだ。


 あれらをやったのは美咲。

 あたしは元々美咲じゃなかったじゃないか。


 なんだ、そうか。


 そうなんだ。


 あたしはもう、


 ――美咲と名乗らない。


 あれは、美咲という名前は、この奈落、扉の向こうの地獄での名前。


 あの世界は違う。


 現実じゃない。


 考えながら、岩のトンネルの外に出た。


 まぶしい。


 ああ、ほら、ほらね。違う世界だ。


 もう「夜」は明けたんだ。


 あたしはほんの少しだけ安心した。


 最低だった。





 持ち出したのは、五つ。


 子供と、お守りの銃と、財宝の情報と、ジョージが作った薬、そしてあたし自身だった。


 陽のあたる場所に出た。


 背中には大人しい赤子。眠っていた。


 あたしは、こんな明るい場所にいてはいけない気がして、自らのお腹で育てたその娘を、着ていた白衣に包んで、車道の日の当たる場所に置いた。


 危険。


 そして、その場から走って逃げた。


 こわくなった。


 でもすぐに、置いてきてしまったことがもっとこわくなったあたしは、置き去りにした場所に舞い戻った。


 風の強い日だった。


 風なんて、何日ぶりに浴びただろう。


 もう一度やり直したかった。


 あたしの愛する我が子。


 愛したジョージとの子供。


 ジョージの血もあたしの血も流れていないから、あたしとジョージの子である事実を見失っていた。


 ――後悔した。


 願った。


 どうか、死んでしまっていませんように、と。


 そこにまだいますように、と。


 夢想する幸せな未来。


 でも……そこにあったのは、風の中で木に引っかかりバタバタと音を立てている白旗のような白衣だけだった。


「ぁぁ……」


 モヤがかかったあたしの頭は、また最悪の思考をめぐらせる。


「あたしの子じゃ、ないもの」


 言って、涙がダバダバ出た。


 最低だった。



 この罪は、きっと生涯許されることはないだろう。あたしに残る、永遠の呪い。せめて、地獄の世界から連れ出したあの子が、生きていることを願う。


 眠っていただろうか。泣いていただろうか。起きたとき、世界が変わってしまったことに戸惑うだろうか。生まれたばかりの、外の全てから、風雨から母親が守ってあげなくてはならないあの子。生存確率を……誰か、教えて。


 ――待って……やっぱり、教えないで。


 聞くのは、こわい。


 こわい。



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