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リロード  作者: 黒十二色
第三部:リバースエッジ
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Chapter6 さくら編・其の弐 なくしもの

視点:梅田美咲良

 偶然の別れなのか、運命の別れなのか。崩れかけていたあたし自身は、過去の二つの名前を捨てた。罪を忘れることでしか生きられなかった。

 きっと……こわかった。


 ――あぁ、失くしたのは、何だっけ?


  ★


 最低最悪なことに、盛命城を脱走する際に彼らの財産の隠し場所の鍵と地図を盗んでいたから、お金に困ることはなかった。


 とあるコインロッカーに隠されていたバッグには、本物の札束。


 怖くなったけれどもう後には引けなかった。


 そして、盛命城を抜け出して何日か何週間か何ヶ月かが過ぎた。


 たぶん一年は経っていなかったと思う。


 そのころに、またしても偶然に耳に入ってきた情報があった。それは、ジョージと一緒に研究していたはずの「白石レイコの分身」が各地で発見されていること。


 元スパイという仕事柄、ある程度の情報網が残っていて、少しオカルト寄りの情報組織から仕入れた情報だ。はっきり「白石レイコの分身」だとか何だとか言っていたわけじゃないけれど、同じ顔をした女についての目撃情報が主に東海地方を中心に多数寄せられていたのだ。


 あたしは真実を探ろうと、あたしの後に続くようにして盛命城の外に出た研究者たちを見つけては、その彼らの出入りする場所に潜入し、情報を集めていった。


 ――後悔?


 当然それが一番動機に近い。


 ジョージの暴走をあたしは止めたがっていた。


 盛命城に辿り着く前に、父のスパイ企業で姉と共に働いていたからその時の経験と人脈が役に立った。


 いくつ目の研究所だっただろうか、あたしが潜入し、ジョージの行方が書かれたものがないかと資料を漁っているときに、多くの悲鳴が聴こえた。


 そして、当時は名前がなかったけど、今の名で言うと……セバスチャンに出会った。


 ある真夏の日のこと。

 正確な日付は忘れた。時間の経過に興味は薄かった。


 邪悪な「命の研究」は続いていた。


 あたしが侵入した研究施設(施設というにはお粗末だったが)には数人の研究者と白石レイコの〈分身〉がいた。


 彼女らのことは捨て置いて、ジョージの行方だけを探した。

 その時だ。


「何者だ! うわああ!」

「ぐぁああ!」


 尋常でない悲鳴をあたしの耳は聞き取った。


 何事かとその場へ向かい、影から部屋の中、先ほどまでレイコの分身と研究者たちのいたところの様子を窺うと、全員、斬られていた。


 一面、血だらけ。


 真っ赤な世界。


 あたしはお父ちゃんの使っていた真っ白な銃を取り出し身構える。


 部屋の中の一つの影が高速で移動したので、あたしはそれを目で追った。


 目で追うのが精一杯だった。


 あたしが影を見失わないように振り返ると、目の前には燦々と煌めく銀色の光があった。

 一瞬神々しくも見えたが、すぐにそれが禍々しいものであると認識する。


 死ぬんだと思った。


「ま、まって!」

 咄嗟に命乞い。


 あたしは、ジョージを止めるまでは死ねないんだ。


 いや、それは後付の理由。本当は、命を失うのがこわいんだ。


「あ、あたしは、梅田みさ……美咲……良……。美咲良。研究者じゃない。あなたは一体何者?」


「私は、〈器を追う者〉だ」


 彼が当時のセバスチャン。


 このときは名前なんて無くて、自分を〈追う者〉と称していた。


「〈器〉? 〈分身〉のことね……その……」


「詳しいな。やはりここの者ではないのか?」


「ちがうわ。あたしも、追ってるのよ、その、〈器〉を」


 正確には〈分身〉を生み出し続けているであろう悪魔(ジョージ)を……。


「信用できないな」


「そう……。あたしが追っている男の名はジョージ」


 信用してもらうために少しでも情報は明かした方が賢明だと思った。それだけじゃない。この男も分身を追っているのなら、ジョージの情報を何か掴んでいるかもしれないと思ったというのもある。


「ジョージ? 知らんな。森岡や岩城ではないのか?」


「よく、知ってるわね」


 まさかその二人の名前が出てくるとは思わなかった。


「ああ」男は頷いた。「目的はその二人を生け捕りにすることだからな」


「その割には随分あっさりと彼らを殺してしまったけど……」


「末端に用はない。多くの情報を握っている者は、基本的には〈器〉の近くにはいない。だが一人だけ、何か知ってそうな人間を見つけた」


「え? だって、全員……」


 彼の目が真っ直ぐあたしを見据えていた。


「あたし?」


「お前以外に誰がいる? しかし若いな。どういう役割だ?」


 どうしよう、下手なことを言ったら、斬られる。

 なんだか彼からは達人のオーラが感じられる。


「ま、待って、知っていることは全部話すわ、情報交換、情報交換しましょう?」


「……本当に何も知らないのか?」


「知っていることはあるわ。でもそれはあなたが百パーセント望むものじゃないかもしれないけどでも、話すから……こんな場所は離れたい……」


 血の臭いが嫌だった。


「いいだろう、しかし情報が嘘だった場合は……」


「わ、わかったわ……」


「では付いて来い」


「ええ」


 彼の後ろをゆっくりと歩く。


 親の後ろを歩く万引き少女の帰り道みたいで、その空気が辛かった。


 隙を見て逃げ出そうと思った。


 隙なんてなかった。


 奪い取られなかった父の銃で彼を撃つことだってできた。


 でもそんなことをしたら絶対に殺されると思った。


 死にたくない。


 絶対に死にたくなんてなかった。


「ここだ」


 重苦しい無音を彼の低い声が押しのけた。


 気付けば煩(うるさ)いくらいの蝉の声。


 私がビビりすぎていただけで、世界は無音ではなかったようだ。


 眼前にあるのは巨大な門だった。


 表札には「佐藤」という二字。


「貴方は、佐藤という名前なの?」


「偽名だ」


 即答。


 木製の戸は開いて閉じられた。


「立派なお屋敷ね」


 敷地を取り囲む高い塀、手入れの行き届いた広大な庭、その中に、明治や大正期に建てられたような洋館があった。


 シンメトリーのハイカラ造り。


 昔、こんな家に住んでみたいと思ってた頃もあった。


「ひとりでここに住んでるの?」


「いや、ここには、ほとんど来ない。多忙な身なのでな」


 それにしては綺麗すぎた。

 どんな魔法がかかっているんだろうとか考えた後に、自分の思考の幼稚さに苦笑する。


 魔法って……あたし年いくつよ……?


 単純に、この家は、定期的に手入れされていて、とても大事にされているというだけの話だ。ほとんど来ないにもかかわらず、だ。


 ドアが開いて閉じた。


 建物の中は、真夏だというのに空気が冷たくて、不思議だった。


 入ってすぐに階段があった。習慣で靴を脱ぎかけてしまったけど、その必要がなかったことに気付き、彼に気付かれないように履き直す。


 赤いカーペットが敷かれた床。

 あたしはつくづく赤に縁があるらしい。


 彼が階段を上りだしたので、それに続く。


 ある一室に入り、ソファに座れと彼が言ったので、その通りにする。


 彼が向かい合うように座った。


 どうしよう、緊張する。


「梅田……美咲良だよな?」


「はい」


「……鏡で自分の姿を見たことがあるか?」


 どういうこと?


 あたしが醜いとでも言うつもりなのかな。

 これでも人並み程度の容姿はしてると思うんだけどな……。


「当たり前でしょう」


 あたしの言葉を受けて、彼はソファから立ち上がると、次の瞬間には鏡を抱えていた。一瞬で鏡を回収して戻ってきたといったところだろう。


 最初それは絵だと思った。


 でも、あたしと同じ表情で、あたしと同じ動きをする。


「うそ……なにこれ……」


 その姿は梅田美咲のそれでなく、梅田桜良のそれでもなく、黒髪でも、黒い瞳でもなかった。


 ――まるで人でないように輝く肌、ライム色の髪と瞳。


 それが鏡に映し出されたあたしだった。

 あぁ、あたしはもう、美咲でも桜良でもないんだな。


 そう思った。


「不思議なことも、あるものだな」


 彼は簡単にあたしの体質を受け入れてくれた。


 あたし自身には、急には受け入れられない現実だった。


 自分の姿がこわかった。


 確かに、以前より体の調子がいいなとは思っていた。


 まさかこんなことになっているなんて、思ってもみなかった。


 時々あたしが歩いているだけで道行く人々から向けられる奇異なものを見るような目はこの緑髪(みどりがみ)と緑眼(みどりめ)のせいだったのだとようやく理解した。もう一度、鏡を見ると、いつの間にか元の梅田美咲の姿に戻っていた。



「さぁ、それじゃあ、お前の持つ情報を聞かせてもらおうか」


「えっと……」


「どうした?」


「何から話せばいいのやら……」


 そしてあたしは、彼に自分の人生を語った。


 全てではないけれど、彼の欲しているであろう情報も多く含まれる。


 つまり〈器を生む者〉の拠点、盛命城、その場所、そのセキュリティ、優しい二人、森岡さんや岩城さんの話。


 そして、ジョージについて……。


 あたしは、「やめさせたい」と言った。


 いつの間にか泣いていて、声も震えていた。


 ややあって、セバスチャンは立ち上がると、壁の前に立ち、ゆっくりとスイッチのようなものを押した。


 ギィィィィガコン、そんな重たそうな音がした。


 壁面が幕が上がるように静かに開いて、そこには、大量の人殺しの道具があった。


 刀、長刀、薙刀、弓、小太刀、盾、脇差、銃、サーベル、青龍刀、トンファー、その他いろいろエトセトラ。各国各地の武器たちだ。


 とにかく大量。


 武器博物館と言っても良いかもしれなかった。


 使用方法が一つしか思い浮かばない拷問器具や、人殺しの道具ではないと思われる鏡などもあった。


 恐怖で震えた、あたしはやっぱり殺されるんだろうか、と。


 でも、彼の発した言葉はそう殺伐としたものではなかった。


 あたしを退けない戦いに巻き込むという意味では十分に殺伐だったけど……。


「これは、今は亡き私の母が世界中で集めてきた名器とか、神器と呼ばれるものたちだ。梅田美咲良、一つだけ、君にあげよう」


「え? そんな……」


「受け取らないのなら殺す」


「えぇ……?」


「困惑するような話じゃない、情報提供の礼だと思ってくれれば良い。そして、私のほうでも、そのジョージとやらを探すのに、できるだけの協力はしよう」


「あ、ありがとう」

 戸惑いのなか、私は感謝の言葉を放った。


 そうしたら、彼は、唐突に、何かを思いついた顔で、言うのだ。


「ついでに、私の話も聞いていってくれないか?」


「え? どうして……」


「何故だろうな、話したくなった。聞かなければ殺す」


 あまりに殺す殺すって言うもんだから、何だかあたしは笑えてきてしまった。結果、ふふふと笑いながら、


「……殺すなんて言わなくたって聞くわよ、あたし、あなたに興味があるもの」


「そんなことを言ってもらうのは何年ぶりかな」

 彼も肩から力を抜いたようだった。


「すぐ『殺す』って言うのやめなさいよ、弱く見えるわ」


 そんなコトバを発した後に、つい軽々しく偉そうなことを言ってしまったと思って両手で口を塞いだ。しかし、彼は気にする様子も無く、


「……ああ、私は弱いんだよ……」

 と言った。そして、語り出す。


「もう何年前になるだろうか……私には恋人がいたんだ。でも、彼女は死んだ」


「そう、なんだ……」


「自殺だ」


「え……」


「病気の名は、覚えられないような、そして思い出したくもないような不可解なもので、所謂奇病だったよ。誰もが投げたサジを私が拾い続け、いくつもの病院を駆け回った。しかし、治る見込みは、奇跡を待つ他なかった。弱っていく彼女の傍にいながら、いつの間にか、私の目は彼女の衰弱した瞳に向けられなくなってしまっていた。それがきっと、彼女に辛い思いをさせてしまったんだろう。彼女は、屋上から飛び降りたらしい……」


「らしい?」


「あぁ、私の背中に『ありがとう』と言って別れたその夕方に、帰らぬ人になった……。脚力の絶望的低下で、一人で歩くことなどできないはずだと……あるとしたらそれは奇跡だと、医者はそう言った。死ぬために奇跡を起こした彼女なのか、それとも誰かに殺されてしまったんだろうか、私は信じたい方を信じることにした。彼女は誰かに恨まれるような人柄であるはずもなかったから、本当に、一時だけの奇跡で彼女は自分の足で歩き、自分の意志で空を飛んだのだと」


 あたしは、家族四人が死んだとき、誰かのせいにしたかった。

 誰かに謝って欲しかった。


 そんな風に思ってしまうあたしは、弱いのかな。


 彼は、話を続ける。


「彼女は、自分という存在が私を縛り付けてしまっていると思ったんだろうが……生きてさえいてくれたら、どんなに縛られていたほうが良かったか!


……それからの私は、強くなろうとした。誰かを守るために強くなろうとした。自分の体を、まるで罪を償うように鍛え続けた。元々武術の心得はあったから、すぐに自分でもわかるほど力が身に付いた。そして、ある場所で、いわゆる忍術というものと出会い、数年かけて極めた。


その後、私と同じように愛する者を喪(うしな)っていた松島という男に出会ってから、私はもう、取り返しようもない罪を重ねていった。あぁ、そうだな、暴走と言ってしまっても良い。もう戻れない。私はもう、陽の当たる世界には戻れない。


一つの名前を捨てて、多くの名前を捨てさせた。名前どころか、数え切れないほどの人の命を殺めた。死後世界というものがあるのならば、私は地獄以外に行き先はないだろうな」


 沈黙。

 長い長い沈黙。


 彼は、あたしの感想を待っているようだった。


 もしかしたら、叱ったり責めたりしてほしかったのかもしれない。だけど、あたしは、彼の罪についてどうこういう舌を持っていない。


 だって、あたしにだって、許されざる罪があったから。


「あたしも……あたしも、もしジョージを止められなかったら、彼を殺すわ。その前に……もう……ね、あたしね、子供を、自分の子供を道端に捨ててしまったの。きっと、死んだわ」


「一緒に堕ちるか?」

 と彼は言う。


「それも、いいかもね……」

 あたしは笑いながら、そう返した。


「そうと決まれば、さあ、好きな武器を持って行け。一つじゃなくても構わんぞ、好きなだけ持って行ってくれて良い」


 先刻まで「一つだけ」と言っていたのに、「好きなだけ」持って行けと彼は言った。気まぐれなのだろうか。


「そうね……これ……かな……」


 あたしは一際(ひときわ)目を引いた一丁の銃を手に取った。鮮やか過ぎるほど真っ赤な銃身。手に取ったあたしを、これまでになく、優しい瞳で彼は見つめていた。


「……銃か、理由を聞かせてもらえるかな」


「意地悪なのね……」


「どうしてだ?」


「わかっているでしょう? あたしが銃を選んだ理由は……、だって、一番『殺してる』を実感しなくて済むから」


「命を傷つける以外に使い道はないのにか?」


「刀は、だって、手に感触があるでしょう? 殴る力を増幅させる武器もそう。手ごたえって言うの? でも、銃は撃ってしまえはそれっきりだから……あたしは、弱いわね」


「そんなことはないさ、普通だよ」


「普通って?」


 彼は押し黙った。普通とは何かという問いに対する答えを、持っていないようだった。


 私は、ふともう一つ、目についた武器に視線を落とす。


「ねえ、その刀に名前はあるの?」


 あたしは、彼がテーブルに置いた、反り返った小太刀に視線を落として言った。


 彼は答える。


「リグレット」


「……英語ね、意味は……後悔?」


「さあな、名前の理由なんて名付け親しか知らないさ」


「でも、それを想像することはできるわ」


「想像ねぇ……」


「あと、新しく名付けることもね」


 彼は、小さく頷くと、しばしの沈黙の後、こう言った。


「その銃は『ブラッディブルーム』、母が最も愛したものだ」


「え、そんなものをもらうわけには……」


「――生まれた意味を考えたことがあるか?」


「え? 何よ、急に……」


 そりゃ誰だって一度は考えることだと思う。


 自分という存在が、何のためにこの世に生まれてきたのかと。


「刀は斬るために生まれた。銃は弾丸を発するために生まれた。……誰かに引き金を引いてもらわなければ、銃は生きられない。どうか、彼女を生かしてやって欲しいんだ。梅田美咲良、君の手で」


「……わかったわ」


「後悔……、か」


 彼は呟いて、もう一度テーブルに置かれたリグレットを見た。手には取らなかった。


  ★


「何かあったら、いつでもここを使ってくれて構わない。捜査の拠点にしてくれ。用事があればメモでも残しておいてくれ。情報交換の契約は継続だ」


「ええ、色々と有難う」


「また、いつか」


「ええ、また、いつか」


 あたしがそう言うと、彼は小さく微笑んだ。


 彼の罪の告白と、あたしの罪の告白と、それできっと、あたし達は身軽になった。


 背負った重さは増していくけれど、二人で分け合えたら、たぶんきっと、それは、実際は重くなってても、軽く感じることができるんだ。


「ブラッディブルーム、どういう意味だろう」


 後で調べてみよう。


 そう思いながら、彼の屋敷を後にした。


 それからは、彼とたまに会い、情報交換をしていった。


 きっと、あたしは彼にとって教会の神父さんのようなものだったかもしれない。


 ほとんどが情報交換という名前の、彼の懺悔(ざんげ)だったように思う。


 あたしの罪は、懺悔したってどうにもならないから誰にも言わずに忘れることにした。


 事実、いくつかの記憶は黒い絵の具で塗りつぶしたかのように忘れてしまっていた。


 それは、最悪に罪深い最低の忘却。


 やっぱりあたしは、人間じゃないかもしれない。


 あたしは、彼から度々「組織に来ないか」と誘いを受けたけれど、それを断り続けた。


 理由は……えっと、なんだっけ?


 何度か彼の屋敷に行き、彼に戦闘や移動方法を教えてもらい、更に体は軽くなった。


 あたしは、ジョージによって改造されたせいで身体能力という面では常人を遥かに上回っていたが、戦いに関しては素人だったので、彼、つまりセバスチャンとの出会いはあたしをきっと先に進ませただろうと思う。


 とはいえ、長く同じ場所に留まることに何の意味もなかったし、髪と瞳が不定期に変色することで怪しまれるだろうという理由で、組織に入ることはしなかった。


 瞳のほうはサングラスでも掛ければ平気だったが、髪の毛は染めても緑色の輝きが洩れてしまうようだった。


 輝く肌も目立ってしまった。


 それは生理現象ようなもので、風邪の時に発熱したり、咳やくしゃみが意思とは関係なく出てしまう感じと同じだった。


 あたしはこの変身体質を不治の病だと思った。


 ――でも待って、髪とか瞳とか、そんなことは組織に入らない理由にならない。


 そうだ、きっとジョージを捜し歩いているという姿勢が欲しかったんだろう。


 彼の組織に入ってしまえば変身体質を不審に思われることも、きっと無いのだから。


 彼に対する不信感があるわけでもない。


 これっていうのは、要するに……たとえ見つからないままジョージがこの世の者でなくなってしまったとしても、「捜した」という事実が欲しい。


 ……そんな、虚しい話だ。


 そして、先日。ついにあたしは、ジョージへの手がかりを、偶然掴んだ。


 ――偶然?


 また運命と言ってしまって良いんじゃないだろうか。


 本音を言うと、見つからない方が良かった。

 …………もうあたし、どうしようもないな。

 どうしようもなく、ダメだ。


 さて、半永久の人生を与えられたあたしの一番の楽しみは、散歩だった。

 我ながらシブイ。


 ある春の日。晴れていた。

 その日もあたしは、分身やジョージの情報を探しながら歩いていた。


 馬鹿と煙は高いところが好きなものだ。私も高いところが大好きだ。いつの間にかの山登り。


 深い霧に包まれた山には、深い霧がかかっていた。


 日々を繰り返すうちにあたしは変身をコントロールできるようになっていたけれど、しかし、日を追うごとに感情にかかるモヤはどんどん深くなってしまった。まるでそう、この霧のように。


 霧を見ているのが嫌だったので、霧をぼんやり眺めながら霧のない方向へ歩いた。ぽつんとある瓦屋根の家屋の前を通り過ぎる時、不意に、声が聴こえた。周囲を見渡してもあたしだけだったので、それはきっとあたしに向けられた声だろう。


「ミサキちゃーん!」


 老婆の声。ミサキちゃん。そう呼んでいた。


「……えっ?……」

 あたしは久しぶりに声を出した。


 美咲……。


 それは、お姉の名前だった。

 だからお姉の個人的な知り合いかもしれないと思った。


 手招きをして微笑んでいたのは、白髪のおばあちゃんだった。


 少し腰の曲がった姿、小豆色に近い色のエプロンで手を拭きながら歩み寄ってきた。その仕草がどことなく気品があるように感じられた。


「ミサキちゃん、また来たのかい? 珍しいねぇ、一日に二回来るなんて」


「え? え?」


 また来た? 二回?


 つまり、お姉の知り合いじゃない?


 じゃあ誰?


 あたしがミサキと名乗っていたのはジョージと盛命城にいた時だけ。


 ずっと地下。


 その後はずっと美咲良。 だとすると……どういうこと?


 あたしと見間違えたということは……ミサキという人があたしと同じ姿ということ?


 じゃあ、お姉が生きていたってこと――!


 いや……違う……。


 お姉の屍(しかばね)はあたしも見たではないか……。


 それに、もうあれから何年も過ぎている。


 あたしの姿はジョージの改造で若いまま変わらないけど、お姉がもしも生きていたとしたら、けっこう見た目年齢に開きがあるはずだ。こんなに近くで話してその違いに気付かない筈はない。


 ――でも待って?


 おばあちゃんの目が悪いんだとしたら?


 だから違う。


 お姉が生きてるなんて有り得ないし、生き返るわけない……となれば〈分身〉?


 あたしの〈分身〉にジョージがミサキと名付け育てている?


 世の中には似ている人が数人存在すると言うけれど、名前まで同じなんて考えられない。


 でもおばあちゃんの目が悪くて誰かと見間違えているんだとしたら――。


「どうしたんだい? 入っておいでよ」


「あたし?」


「そうだよ。……何かあったのかい? 元気なさそうな顔して」


「え……いえ……」


 ギィと鉄門を押し開き、言われるまま敷地内に入った。

 石の通路を歩くおばあちゃんに付いて行く。


 足取りはしっかりしていたからきっと目も悪くないだろう。


 このおばあちゃんの言う「ミサキ」の正体を聞き出したかった。


 その時既にあたしの中で確信に近い推測が一つ浮かんでいた。


 それはさっきも言ったように、「ジョージがこの近くにいて、あたしに似せて造った〈分身〉を使役して外の世界を定期的に探らせている」という推測。


 厳密には少し違うとしても「ミサキ」という名のあたしの分身がいるという確信が生まれた。


 おばあちゃんが縁側に腰掛けたのであたしも同じように座った。


「さっきのお菓子もう一回食べるかい?」


「さっきのお菓子って何です?」


「え? さっき食べたじゃない、もみじ饅頭。美味しそうに食べとったよ? ちょっと待ってね、よっこらしょ」


 おばあちゃんは、履物を脱いで障子を開き奥へと消え、すぐお盆にお茶と、お皿に楓の葉を象(かたど)ったお饅頭を載せて持ってきた。


「今日の用事は終わったのかい?」


 ――用事?


 ミサキはそう言って立ち去ったのだろうか?


「ねぇ、おばあさん?」


「ん~、なんだい?」


「あたしは結構ここに来てるの?」


 おばあちゃんは、あたしの顔を覗き込んだ。


「…………大丈夫かい? ボケちまったのかい? まだ早いよ? 毎日来てくれているじゃないか。ミサキちゃんはたまにそういうことを言うよねぇ、私をからかってるのかい?」


「そ、そう、冗談。あはは」


 毎日来ている?


 どうしてだろう?


 理由がわからない。


 このおばあちゃんが重要な秘密を握ってる?


 とてもそうは思えない。


 じゃあ何で?


 ジョージの得になるような事柄があるのだろうか。


 とてもそうは思えない。


「深刻そうな顔してたからどうしたんだろうと思ったけど、いつも以上に元気じゃないか。笑ったところなんて初めて見たよ」


「この辺に未開の地とかあります?」


 あたしは、そう思い切って訊いてみた。ド直球だ。


 どういう反応を示すだろうか。


「ミカイノチ? 何だいそれ」


「あ、えっと、フロンティア……じゃなくって、えっと、地元の人間でも近づかない危険な場所とか……」


「うーん……そうだねぇ。ここから山が見えるだろう? 山と言っても丘みたいなものだけどねぇ。あの山の道を少し外れると霧が一気に深くなってねぇ、山を知り尽くしているはずの年寄りが迷って気を失っていつの間にか道端に倒れてたって話を聞いたねぇ。それで最近は皆気味悪がって近づかないよ。昔は山菜採りなんかに皆よく行ってて、その頃は霧なんて無かったはずなんだけど、温暖化の影響かねぇ? それとも山の神様を怒らせちゃったのかねぇ」


 何かを知っている風ではなかったものの、大きな情報を得た。


 つまり……ジョージはこの霧の中にいる。


 それは、十中八九。


 そうでないにしても、霧の中に手がかりがあるはずだ。


 おばあちゃんの言う「ミサキ」を尾行すればジョージの城に近づけるかもしれない。


「そう、ありがとう、おばあちゃん」


「何だい! ミサキちゃん、ちっとも食べていないじゃないか。お饅頭、好きだろ?」


「あ、ええ、じゃあ、いただきます…………おいしい」


「そうでしょ? 孫がわざわざ送ってきてくれたんだよ、おいしかったって言ってやらないとねぇ」


「綺麗な景色ね」


 少し顔を上げると、萌黄(もえぎ)色の木々が風に揺れていた。


「そうかい? 毎日見てるじゃないか」


「そう……だけど、毎日そう思っていたわ」


 誤魔化すようにそう言うと、おばあちゃんは「そうかい……」と言って、特に気にすることなくお茶をすすった。


 あたしもお茶の存在を思い出し、同じようにすすった。

 甘いお饅頭によく合った。


 静かだった。


 とても静かで穏やかな時間が流れていた。


 いつもミサキがどんなタイミングでこの場を去って行ったかわからないので、しばらく無言のまま木々や流れる雲を眺めていた。


 数分か数十分かただ座っていた。陽射しがやわらかくて、眠くなってしまったので、このままじゃまずいと思った。


「あたし、そろそろ行かなきゃ」

 そう言って、立ち上がった。


「そうかい、明日も来るかい?」


「ええ、ご馳走様」


 毎日来ているなら明日もきっと来るのだろう。


 嘘だけど、きっと嘘にはならないわよね。


「何か用意して待ってるよー」


「うん、いつもありがとう! おばあちゃん」


 あたしは走り去った。


 寝床にしている廃駅の駅舎まで高速で移動する。


 長年のトレーニングで高速移動くらいでは変身しなくなっていた。


 昔はちょっとしたことで髪も瞳もライム色になってしまったけど、今では感情が昂ぶった時と、身体に傷を負った時くらいしか変わらない。


 艶やかとは言えない内側に巻くクセのある黒髪で、何の変哲も無い黒い瞳。


 それがお父ちゃんとお母ちゃんから受け継いだあたしの、桜良(さくら)という個体の特長だ。


 それはきっと、「ミサキ」の特徴でもあるんだろうな。


 考え事をしながら走っているうちに、とある廃屋に着いた。


 田舎の村の廃駅舎。


 外はカエルの鳴き声以外にない。


 最近はこの場所を拠点にしている。


 誰も使っていないようで勿体ないので使わせてもらっている。


 本当の持ち主が帰ってきたら逃げようと思っているが、あまりにボロボロで、人目に付く場所にあるわけでもないので、きっと存在すら忘れ去られた場所なのだろう。


 今回もまだ誰も来訪していないようだ。


 あたしの身体は疲れないらしいけれど、精神や神経は疲れると感じるので睡眠は重要だ。

 ようやく見つけたジョージへの手がかりの余韻はほとんど無く、あたしは機械的に眠りに落ちた。


  ★


 日々を過ごすうちに、自分の体が老いの無い、また成長もない体だということを知った。


 自分がどんな存在なのかという真剣な疑問が時々やってきて、その度「あたしは梅田美咲良……梅田美咲良……」と本名でない名前を何度か呟く。本名は梅田桜良。次に美咲と名乗り、今は混ざって美咲良なのだ。


 ただ、その時に思い出すのは梅田美咲良としての記憶だけだった。


 桜良でいた時代の記憶は奥底に沈められ、霧の中。


 時々見え隠れするくらい。


 あのとき、登った小高い丘のような山から見た麓の景色のように、深い深い霧に包まれているのだ。


 朝、鳥の声に目覚める。


 覚醒直後のぼんやりした意識。


 まず考えたことは「あたしは誰だっけ?」ということだった。


「梅田、美咲良……そうだ。美咲良……みさくら……」


 それで自我が戻ってくる。


 習慣化した一種の儀式のようなもの。


 眠って起きたら昨日のあたしはもういないんじゃないかって何回か思ったことがある。

 でも記憶があるんだから、あたしはいたんだろう。


 買い置きしてあった五百ミリリットルのペットボトル容器に入ったスポーツドリンクを飲み干す。


 ぬるかった。


  ★


 昼、おばあちゃんの家で、誰にも見つからないように「ミサキ」が来るのを待った。


 すると「ミサキ」らしき人がやってきて、あたしがそうしたように縁側に座った。


「お姉……」


 艶やかとは言えない内側に巻くクセのある黒髪で、何の変哲も無い黒い瞳の女の子がいた。


 それは、あたし自身というよりも、ずっと昔に一緒に過ごしたお姉の容姿そのままに見えた。


 ミサキが、おばあちゃんが振舞ったラーメンを食べ、そのスープをぐびぐび豪快に飲み干す。


「ご馳走様」


「どうだい? 美味しかった?」


「ええ、とても」


 不思議な光景だったけど、過去に見慣れた光景でもあって、それが懐かしかった。


 ふと、懐かしいことを思い出した。


 あたしじゃないあたしがいて、それはお姉がいた頃の記憶で。


 そうだ、桜良だった子供の頃、お父ちゃんの作ったラーメンをお姉ちゃんがミサキと同じようにスープまで飲み干して。それで美咲お姉ちゃんは、お父ちゃんに優しく諭すように怒られるんだ。「塩分が多くて体に良くないからスープを飲み干すな」って。


 あたしはそう言われるのが分かっているから、スープを残す。そうするとお母ちゃんがやってきて、「食べ物を粗末にするなんて最低のこと」と責め立てられる。そしてお姉ちゃんが残さず食べていて褒められるんだ。


 わけがわからなかった。


 どっちが正しい意見なんだろうと考えた。


 わからなかった。


 あたしたちはどうすれば両親に二人揃って褒められるのか真剣に悩んで、あたしたちと同じ年齢の愛犬、小さな犬のエイプリルにスープの残りをあげようとした。


 そうしたら、お父ちゃんもお母ちゃんも鬼のように怒って、あたしと美咲お姉ちゃんの頭を叩いた。


 二人揃って怒られた。二人して泣いた。

 どうして叩かれたのかわからなかったから、謝らなかった。

 無知だった。


 あたしやお姉ちゃんにとって、エイプリルはただの犬ではなかった。


 三人姉妹のようなものだった。


 だから、お姉ちゃんはどう思っていたか知らないけど、あたしは、彼女を「かわいそう」と思っていた。


 あたしたちが、食べる豪華で美味しいものを、与えられない。


 与えるとしても残り物。


 それを、狂ったように欲しがって、いつも空腹みたいで、かわいそう、と。


 犬の幸せ、というものを考えたとき、それはどういうものなんだろうかと、ぐるぐると考えをめぐらせたけど、結論は出なかった。


 ともかく、その時、ラーメンのスープを犬用の皿に移して与えようとした時、お母ちゃんが飛んできてそれを取り上げた。


 そして、鬼の形相で怒った。

 お父ちゃんも飛んできて、いつもはやさしいお父ちゃんに頭を叩かれた。


 痛かった。


 悲しいことに、でも当然のように、犬と人間という種では、構造が違うんだ。


 たぶん特に、エイプリルは小さな犬だったから、ラーメンのスープというものの中に過剰摂取してはいけないものが溢れていたに違いないんだ。


 また、絶対に摂取してはいけないものも……。


 後になって、それで怒ったんだと、お父ちゃんに説明されてやっと、あたし達は泣きながら謝った。何よりも、エイプリルに謝った。その謝罪をエイプリルが理解していたかどうかはわからない。


 でも、彼女はあたしたちの頬を舐めてそれに応えたのだった。


 あぁ、思い出を掘り起こしているうちに、ミサキが立ち上がり、おばあちゃんに挨拶した。


 耳を澄ませる。


「また明日来ます」


「うん、待ってるよ」


 手を振るおばあちゃん。


 歩くミサキ。あたしはミサキを尾行する。


 あぁ、これも懐かしい。


 いつかお姉と一緒に仕事で尾行したっけ。


 あたしのせいで何度も標的にバレて逃げられたけど……。


 ミサキは車の通らない車道を延々と歩く。


 そして振り返った。あたしは咄嗟に隠れる。


 見通しが良くて、見つかったかなと思った。


 元々尾行はあたしの苦手分野なので、お姉のようにちゃんとできているはずもない。


 偶然ぽつんとあった電柱に隠れて、何とかやりすごした。


 セーフ……かな?


 そして、前に向き直ったミサキは、今ままで歩いていた進路を右に変え、森の中へと消えた。


「あ」


 あたしもミサキに続いて森の中に入る。


 ところが、ミサキの姿はもう見えなかった。


 やっぱり、あたしはダメだな。


 こんなんじゃ、ジョージのところに辿り着けないんじゃないかな。


 急に勇気や自信がなくなってきた。


 あぁダメだ。


 百歩くらい森を進んだ。


 霧が深くなってきた。


 もうこれで良いことにしようか。


 いや、もういっそミサキという〈分身〉がいたということを見なかったことにしようか。


 あぁ、ダメだ。

 こんなにも、ダメだ。


 今ならまだ戻れる。


 だけど、このまま進んで良いのだろうか。

 もしかしたら、あの樹海で見つけた盛命城のように、また地下世界に囚われてしまうんじゃないか。


 こわいな。


 進みたくないな。


 でも進まなきゃ。


 振り返る。


 森の出口が見える。


 誘惑。


 先に進んで、帰り道があるんだろうか。


 こんな霧の中へ入っていって。


 道に迷ってしまわないだろうか。


 はっきり言って、迷うと思う。


 というか、そう考えているそばからもう迷ってしまっている。


 振り返ればまだ森の出口は見えている。


 さっきから一歩だって踏み出せていない。


 既に心が迷っている。


「ジョージ……」


 逡巡(しゅんじゅん)する。

 ぐるぐる。ぐるぐる。


 決まらない心。


 誰か、こんなあたしを叱ってくれないかなぁ……。

 誰か……誰か……。


  ★


 それから、どのくらい経っただろうか。

 あるいは、時間はほとんど過ぎていなかったのかな。

 時間の経過に興味は薄かった。


 とにかく、放心していて、我に返ると、あたしは、あれから一歩も動けずに森の中にいた。

 どうしてここにいるんだっけ?


 あぁ、そうか。ミサキの後を追って来たんだっけ。


 ミサキ……か。


 あたしは誰?


「あたしは……美咲良……梅田美咲良」


 何、この不自然な名前……。


 でも、あたしは、もう桜良じゃないし、美咲でもないんだ。


 そうだ。


 美咲良。先に進むんだ。


 そのために名前を捨ててきた。


 行くんだ。美咲良になった目的は何だ。ジョージを捜し出して暴走を止めるためだ。


 きっとあの男は、まだ「人類に有益な命の研究」と銘打って最悪の研究を続けているに違いないんだ。


 だから、あたし以外に止められる人はいないんだ。だってジョージはあたしを愛しているんだから。


 足を、踏み出す。

 一歩、二歩。三歩、四歩。


 そして……五歩。


 踏み出した。歩き出せた。あとは、走った。


 ミサキの通った跡を探したけど、痕跡が見つからなかった。


 霧の深いほうへと進んだ。


 霧の壁で何も見えない。


 雲の中にいるみたい。雲が美味しそうだと思ったことがあったけど、ちっとも美味しくなかったあぁ、でも違うのか、これは雲ではなく霧だもんね。


 ジョージに改造されて、見えにくいものが見えるようになったけど、元々見えるものが見えなくなることはほぼ、無いと言って良い。


 だから、霧が深過ぎると何も見えなかった。


 何も見えないから、ジョージに改造されてから霧は大嫌いになった。

 元々好きでもなかったけど……。


 どのくらい歩いただろうか。


 あたしのお粗末な知識だと、目印が少ない森の中では、こういう場合同じ場所をぐるぐると回ってしまうらしい。


 人間の構造的にそうなってしまうらしい。


 でもきっとあたしは人間じゃないから、大丈夫に違いない。


 そんなことを考えて、自嘲する。


 何も見えなくても霧の濃淡はわかるので、それを目印にして、より深い方へ歩いた。そうすることで、ジョージの居る場所に辿り着けると思った。


 いつの間にか服も体もビショビショに濡れて、すごい不快。


 やっぱりあたしも、この霧の中で遭難してしまっているのだろうか。


 息が苦しい。


 この霧は過酷だ。


 きっとジョージの改造を受けていない頃のあたしだったら、すでに音を上げて、諦めて、座り込んでしまっているに違いない。


 じゃあ、ジョージに感謝……なのかなぁ……。


 あたしはジョージに会って確かめなくちゃならないことがある。


 一つは、今、何をしているのか。

 根拠不明の確信を持って言うけど、絶対に怪しい研究をしているに違いない。


 もう一つは、ジョージがテーブルに置いていた薬の正体。

 調べても不明だったその正体を聞き出さなくてはならない。


 急に、霧が晴れた。


 視界には……。


「お城?」


 視界には、城があった。かなり大規模な城だ。

 その風景を見たとき、思ったのは、


 ――まるで、霧の都(みやこ)だな。


 そんな言葉。


「誰?」


 不意に聴こえた声の方へ振り向く。

 霧の中からの声だった。

 あたしは、両の手に銃を握った。


 左手に真っ白な銃。

 右手には真っ赤な銃を。


 白い銃は重いけど引き金が軽いので左手、赤い銃は軽いけど引き金が重いので利き手じゃないと上手に撃てないから右手に持っていた。


 左手の銃を、霧の中の影に向ける。


 引き金を引く気はない。

 カタチだけの威嚇。


 霧の中から現れたのは、ミサキだった。


「あたしは……ミサキ……じゃないわ……美咲良……」


「美咲ではないのね?」


「ええ、ミサキじゃないわ」


「じゃあ、ジョージに会わせるわけにはいかない」


「え……ジョージがいるの?」


「…………帰って。彼に会って良いのは、美咲だけ」


「……このまま帰るわけにはいかな――」

 暗転。


  ★


 目を覚ますと、知らない場所だった。霧もなかった。


 周囲を見渡す。とにかく走った。知っている風景に出会うまで走った。すぐに、あのおばあちゃんの家を見つけた。


 それを確認すると、またあたしは走った。


 今度は名もなき「彼」のところへ――。


 星明かりだけの、真っ暗な道を、方位磁針だけを頼りに進む。「彼」の家は、白いほう。あたし自身を頼りに進む。


 赤くない道だったらいいなと思うけど、期待はしないほうがいいのかな。




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