Chapter4 不思議の城
視点:蔵野まち→山田ヒロアキ
きっとまちは先にいる。進んだ先で、その場所で、「遅いわよ」と言ってくれ。
「――鍛錬不足よ」
と言ってくれ。
★
最後の戦い、と意気込んで来た俺だったが、またしても鍛錬不足によって、死の淵に立った。
我ながら情けない。
俺はまちに吹っ飛ばされて、死を覚悟した。
結果から言えば死ななかったのだが、それでも俺の心から意気とか覇気とかを奪うには十分過ぎる恐怖が与えられた。
途轍もないスピードで飛び続ける俺の体を止めたのは、田山明孔の体だった。
打ちつけられた地面が土だったのはラッキーだったと言える。
もし石やコンクリートだったら明孔といえども大怪我だったろう。
「いいってえぇぇ…………」と明孔。
「明孔、大丈夫か?」と俺。
「何とかな……いや、俺も助かった。ちょうど死ぬところでお前が吹っ飛んで来たからな」
「死ぬとこ?」
「ああ、ちょっとミサイルってやつが目の前にあってな、生まれた頃からの記憶がフラッシュバックしたよ」
「走馬灯ってやつか」
「あぁ、あれがそうなのかな」
「まちに感謝だな」
「ああ、借りができた」
俺のほうが先に立ち上がり、明孔の手を引いて立たせると、
「そんじゃ、まちを待たすと怖いからな、急ごう」
と、言ったはいいものの、周囲をぐるりと見渡してみると一面、霧だった。
濃霧。
ただただ白く、十メートル先が見えないでいた。
「とは言ってはみたものの、明孔、ここどこだ? さっき一瞬、城みたいなのが見えたけど今何も見えないと言うか……」
「おそらく城の右側だろうな」と田山明孔。
「それにしても、すごい霧だな、何も見えない。人工の霧かな?」
「どうかな、知らん」
明孔は体中の砂埃を払い、
「行くぞ、付いて来い」
ゆっくりと歩き出した。
俺はそのすぐ後ろに続く。
「明孔、どっちに行けばいいかわかるのか?」
「まぁな。こういうのは得てして霧の深いほうへ行くと目的地に辿り着けると相場が決まっているんだよ」
「そういうもんか?」
「はっは。まぁ何とかなるさ」
なんだ、勘か。
歩いているうちに霧がどんどん深くなっていき、二メートル先も見えなくなり、やがて明孔の姿すら見えなくなった。
声と気配だけを頼りに付いて行く。
数分、歩き続けた。
「だいぶ霧が晴れてきたな」
「ああ」
それだけではなかった。
土だった足元が石畳に変わる。
異様だったのは、その一つ一つの石が全て巨石で、どうやって敷き詰めたのか不思議で、神秘的だった。
もしも巨人族というものがいたならばきっとこのような石畳も造ったのではないだろうか。 ……ということは、つまり巨人がここには居るということだろうか。
ははは、まさかそんな非現実的な……。
「ヒロアキ、あの橋見えるか?」
ふと顔を上げると、霧の中を切り裂くように横一文字に伸びる建築物があった。
左側から右側に視界を送ると、その先には、城が見えた。
「ああ、いい景色だな」
観光地にしたら大人気間違いなしだ。
「あの橋から入る他にルートが見当たらないから、とりあえず橋から入るぞ」
「ああ、わかった」
そして駆け出す。
巨大な石を蹴り、橋の下に近づいたところで、前方で、ガコン、とかいう音がした。
「うぁ」
不意に明孔が視界から消滅した。俺はそれに反応して、後ろに飛び退いた。
着地。
しかし、今度は俺の足元が、ガコンってなった。
「うぉあ!」
俺は宙に浮いた。
ああ、これは落とし穴か、どこまで落ちるんだ。
ここで死ぬのか俺は。
などと考えている間に地面が見えた。
どさり、と固い土の上に尻もちをつく。
「いってぇ……」
俺が声を出したとき、既に下にいたヒロアキが気の毒そうに俺を見下ろしていた。
というのも、俺の落ち方があまりにも情けなくて滑稽だったからに違いない。着地としては最悪の部類に入る、尻餅であった。
「ヒロアキ……ひどい落ち方だな」
「あ、明孔だって落ちただろうが」
「ああ、まぁな……」
薄暗い世界。幅三メートルほどの通路。
見上げると、三十メートルほど頭上に俺と明孔の落ちた穴、二つの天窓があり、そこから霧がかった青空と白い雲が見えた。
「参ったな……」
俺の跳躍力では垂直跳びだと十五メートルジャンプするのが精一杯で、明孔も恐らくそれ位か、もうちょい高いくらいだろう。
しかし垂直に跳んで届かなくとも……、
「なんとか壁を蹴って昇れないかな」
俺は提案する。穴が開いているということは、そこから出られる可能性が
「やってみるか」
明孔はそう言うと、飛び上がり、石を積み重ねた後にコンクリートのようなもので固められた壁を何回か蹴って天窓に近付いた。
ガコンと音がして、窓が閉じた。どういう仕組みになってるんだろうか。
明孔は咄嗟に背中の長刀を抜き、その閉じてしまった扉を斬りつけたが、弾かれ、また壁を何度か蹴るようにして降りてきた。
ストンと静かに着地する。
「うん、無理だ。あれは絶対に斬れない」
「明孔の力でも斬れないって、あの扉何で出来てるんだ?」
「さあな……」
「どうしよう」
「地下迷宮とは、実に趣味が良いな」
「悪趣味だよ」
俺は苦笑する。
「だが必ず出口はある」
「何で言い切れるんだ? 明孔」
「こんな城を造る奴は、出口のない迷宮は造らないはずだ」
「それ、願望じゃないか?」
「かもな」
そう言って先へ進む明孔。少し頼もしく見えた。年上だからだろうか。
俺はいつ何が起きても反応できるようにイノセンスを鞘から取り出して、いつものように右手に持った。
本来真っ暗なはずの迷宮だったが、所々の壁が緑がかった光で淡く光っていたので、数十メートル先までは楽に見通せた。
★
更に数分が経った。
「明孔、迷って……」
「いいか? ヒロアキ、迷路っていうのはな、通り抜けるためにあるんじゃない! 迷うためにあるんだよ!」
何を言い出すんだこの男は。
「今そんなこと言ってる場合か」
「まぁ、蔵野を待たせたくない気持ちはよくわかる。だが! 焦ってどうなるものでもないだろう? とにかく、迷っても行くしかない」
「たしかに」
それはその通りだと思った。
動かなければどうにもならない。
そして数歩、無言で歩き、明孔が何かに気付いた様子で立ち止まった。
「ヒロアキ止まれ」
「どうした?」
「何かいるぞ。気配がある」
「何かって……」
「わからん、とにかく慎重に進むぞ、俺は右側を見るからヒロアキは左側を確認してくれ」
「あ、ああ」
T字路の角まで進み、左側を確認した。
何もいない。幅約三メートルの通路。
「お……おい……何だありゃあ!」
明孔のその声に振り返ると、走り出した明孔と、その奥には――。
……なに、あれ。
巨大な、怪物。
明孔は俺が何もいないと確認した通路を駆け逃げた。
俺もそれに置いて行かれないように走り、時々振り返りながら、無言で追いかけて来るおそろしい巨大生物の正体を見極めようとした。
「あ、明孔! な、なんだあれ!」
「知らん! とにかく逃げろ!」
全力で走っているのに引き離せない。
あの巨体であのスピード。
化物だ。
小学生が大人の熊に遭遇する時ってこんな感じなのかなと思った。
走りながら得た情報をまとめてみる。
赤茶けた上半身に。牛の頭、角もあった。体躯は三メートルもあり、逆三角形の上半身を支える下肢はヒトのそれであって細く、体型的にアンバランスだった。
というか半牛半人の化物って一体何なんだ。
西洋の神話でそんな化物がいたというのをどこかで聞いた。
ミノタウロスとかいったっけ。
でもここは現在の東洋で、神話の世界では決してないはずだ!
なのに、なんであんなのが。
あり得ない!
走って走って逃げ続けて、俺と明孔は袋小路に追い詰められた。
振り返った時、視界には巨大な右腕が見えた。
破壊音と、ガララッと破壊された岩の欠片が転がる音がした。
目の前を通過したその五十センチはあろうかという巨大な手の平が俺達から見て右側の壁を抉り取り、石の塊が落ち砂塵が舞った。
「ァア……アアア……」
化物は呟くように声を発し、そして、
無言で殴りかかってきた!
「ちくしょ!」
避ける。
今度は上から下へ叩きつける攻撃。
硬いはずの地面は、さもそれが当然のように爆ぜる。恐怖しかない。
俺はイノセンスを構え、明孔は長刀を構えると、その牛の化物は動きを止めた。
砂埃が地面に吸い込まれる。
化物も構えた。
隙がない構えだった。
この感じは、知能がある。
力が化物らしく凄まじいのはもちろん、見かけによらず頭も良いらしい。
参った。
もう降参したい。
「迷宮にミノタウロスとは、忠実だなあ」
明孔は呟いた。
まったくだ。
「なあヒロアキ、一瞬隙作ってくれ、何とか」
「一瞬でいいのか?」
「ああ、何とかしよう」
「初めての共闘だな、明孔」
「こんな時に何言ってやがる」
苦笑する明孔。
「…………」
「いくぞ!」
俺はそう言うと、化物の左半身の横を通り抜けて背後に回った。
牛の化物は回転扉のように俺の移動に合わせて振り返り、また右腕を振り下ろした。どうやら右利きらしい。
俺はそれをかわして、化物の喉に両手に握ったイノセンスで打撃を加える。
感触が硬い。石を殴ったみたいで逆に俺の手が痺れてしまった。
殴った勢いで飛び退いた次の瞬間には、化物の背後から明孔が振りかぶった長刀を振り下ろしていた。
刃が肉にめり込む。
血飛沫。
しかし、化物の右腕は健在だった。
長刀は上腕の半分まで切り込んだところで止まってしまったらしかった。明孔は刀を抜こうとしていたが今度はそれが抜けない。
そして、血走った獣の瞳は俺の姿を捉えたようだった!
目が合った!
――殺される。と思った。
悪寒。
俺は地を蹴り走り出す。
時々振り返りながら距離を取ろうとする。
全力でダッシュ。
しかし、引き離せない。
こわい。
明孔は化物の右肩に取り付いたまま自分の長刀と格闘していた。
「何で俺を追ってくるんだよォ! 腕斬ったのは明孔だよ!」
情けない言葉が出た。
自分の理解できないモノに対する恐怖に包まれた。
それは、鬼とか、悪霊とか、祟る神様とか、怨霊とか、お化けとか、幽霊とか、そういった類の現象に対する畏怖なのだろうか。
とにかく、こわい。
こわい。こわかった。
「ヒロアキ……ヒロアキ!」
明孔の声。
どうすればいい?
焼き付いて離れない牛の化物の姿。
切り落とせない腕。
ということは上半身を切り落とすのは不可能と思って良い。
……そうだ。化物とはいえ、移動手段は走るだけ。
その足さえ奪ってしまえば良い。昔の人の言葉にこんなようなのがあった。
『将を射んと欲すれば先ず馬から射よ』
機動力を奪ってしまえばそこで戦いの半分以上は終わると言って良い。
そして、見たところ脚部は筋肉があるとは言え、人間のそれと同じに見える。
まぁ見た目そう見えるだけで中身がそうである確証は無いのだが、何もしないで逃げ続けるのは体力を消耗するだけだ。
まして相手のホームグラウンド。別の化物が駆けつけないとも限らない。
曲がり角、俺は右足で石壁を蹴ると、低い姿勢で今度は牛の化物の左手側を駆け抜けた。通り抜ける時イノセンスで脚部を切り裂いた。鎌で刈り取るように。
膝つきの脚が二本、舞うのが見えた。
きれいな切断面。
切れてからしばらくは、血が出なかった。
化け物は走る勢いのまま化物はうつ伏せに倒れ、走るスピードのまま壁に激突した。
偶然硬い壁だったのか、壁は崩れず、化物の角のほうが折れ、化け物は頭部に裂傷。
明孔と長刀は化物の右腕を離れ、壁に叩きつけられようとしたが、そこはさすが明孔、その壁を蹴って舞い上がった。
化け物の肉体から血飛沫。切断された脚から血飛沫。
「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
大音量の叫び声に思わず耳を塞いだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!」
反響も手伝って、耳を塞いでいても耳を刺すようだ。
迷宮中がビリビリと音を立てて振動するような大声。
これで味方が駆けつけたりしないだろうか。
「アアアアアアアアアアア!」
「――――――――」
落下しながら明孔が何か言ったが、全く聞こえない。
「アアアアッ…………」
ドン、と少し、空気が揺れた。
「ァァァァァァァァ…………」
砂塵が舞い、声が止んだ。
エコーも止んだ。
立っていたのは、明孔だった。
化物の頭を明孔の長刀が縦に斬り割ったようだ。
静寂。
そして、念のため、だろうか、明孔は牛の化物の胸に力いっぱい長刀を突き刺し、そして抜いた。赤い血液がドロっと出た。
「終わったの……か……」
「ああ……」
「耳、大丈夫か? 鼓膜とか破れてないか?」
明孔は耳を片方ずつ塞いでみて無事を確認する。
「ああ、大丈夫みたいだ」
「よかった……」
「にしても、何なんだこの城は……迷宮だのミノタウロスだの、現実離れしすぎてるぞ……」
「ああ……」
「知ってるか、ヒロアキ。西洋の神話で、どっかの迷宮にミノタウロスって化物がいて、どっかの英雄がそれを倒したって話」
「おぼろげに」
「はっは、俺もおぼろげだ」
俺は化物の完全な停止を確認すると、懐からハンカチを取り出し、イノセンスに付いた血を拭き取る。
明孔は血に染まった上着を脱ぎ、そしてそれを転がったミノタウロスの頭部の上に掛けた。
俺の上着は大して汚れていなかったので、着たまま進むことにする。
ミノタウロスが倒れた曲がり角の先に、光が差している場所があって、そこに階段のようなものが見えた。
「お? あれ出口じゃないか?」
どうやらそうらしかった。
「よし、行こう」
「ああ」
明孔が歩き、そのすぐ後ろを歩く。
不意に、ガコンと響く音。
俺は思わず「うわ!」と声を上げる。明孔も「うぉあ!」と叫んだ。
ここにきてまた落とし穴だった!
「はっは……参ったな、油断した」と、下の方から明孔の声がする。
油断したのは俺もだった。
咄嗟に伸ばした右の腕にあったイノセンスの切っ先が地面に突き刺さり、俺を助け、そして咄嗟に俺の左腕を掴んだ明孔。二人ぶんの重みが、イノセンスの刃に掛かり続けているという状況。
奇跡に近かった。
今度の穴は底が全く見えず、深淵の闇があるだけだった。
こんな穴にわざわざ飛び込む勇気がある人間はきっといないだろう。
恐怖だった。
「ヒロアキ、そういえば、そのイノセンスの持ち方は弱い奴の持ち方らしいぞ。蔵野が言っていた」
「状況によるだろ! ていうかこう使わなきゃ落ちて死んじまうだろ……」
「はっは、ジョークだよ」
「今、余裕無いんだからボケるなよ。良いツッコミできないだろ……」
「さて……どうしたものかね……」
どうしたもこうしたもない。
「明孔」
「何だ?」
「痩せろ、重い」
「……すぐには無理だ」
「明孔のツッコミもなかなかにナマクラだよな」
「こんな状況だ、無理言うな」
「ていうか、明孔がそれ以上痩せたら骨と皮みたいになるよな」
「しかし、このままいたら骨だけになるか骨も残らないだろ?」
「ははは……笑えないな」
「笑ってるじゃないか……」
沈黙。
「……体力が奪われるばかりだぞ」
わかってるよ、そんなこと。
「じゃあ、イチニノサン! で勢いつけて上がるぞ」
俺はそう言ったとき、明孔は「了解だ」と言ってのだが、俺はこんな時に遊び心を発揮し、
「せーのっ!」
そう言って引き上げた。
「ぇ? っおい!」
慌てた声を出す明孔を引き上げた。ドサリと音がした。成功した。
「……ヒロアキお前な、どこがイチニノサンだ。命に関わるボケをするな! こわかったじゃねえか!」
「さて! 気を取り直して先に進むぞ!」
どうしてか、テンションがあがってきた。
出口が見えたというのが嬉しかったのだろうか。
「ああ……だが待て、ヒロアキ。俺のほうが年上なんだから俺に主導権を……」
「だって明孔、俺に負けたじゃん」
「実力主義でも俺が前を」
「じゃあ、前も後ろも無くせばいい」
「は?」
「どっちが先にまちたちに合流できるか競争だー!」
そう言って、俺は、ダダダダダッと駆け出す。
「ちょっ、待て、ヒロアキ!」
ガコン!
また落とし穴!
「うぉあ!」
またかっ!
ガキッ。引っ掛けた。再びイノセンスが俺の命を救った。
ああ、出口にこんな落とし穴いくつも仕掛けるとは、この迷宮造った奴、性格悪いな……。
「ヒロアキ……お前らしくないな」
「お前に俺の何がわかるってんだ」
「もう一度言おう、そのイノセンスの持ち方は弱い奴の持ち方らしいぞ?」
「ああ、まちがそう言ってたな」
「ほら、手、貸してやるから」
「サンキュ」
トンと地に立った。
少し前までは土の通路だったが、いつの間にか石畳に変わっていた。
明孔はコホンと小さく咳払いすると、
「じゃ、あらためて、行くぞ!」
と言った。
「おう!」
応えて走り出す。
★
慎重に階段を登った。
外に出た。
久々の外の世界は相変わらず霧が漂っていたが、視界は良好と言って良かった。
左側から右に城に向かって伸びる橋。
城の奥には尖塔がうっすらと見える。
俺たちの現在地が城の右側ってことがわかった。
目の前には、白いエンタシスの柱によって支えられた、パルテノン神殿のような建物があり、そこから城に繋がっていたようだった。
ゴシック様式の城と神殿(もう神殿と言ってしまおう)が繋がっているのが何となく不自然だったが、この場所には自然な光景がほとんど無いのでもう気にしないことにする。
あとはただ巨石の石畳が白い霧を背景に広がっているだけだった。
霧もあいまって、現実離れした雰囲気がすごい。『ここに神が住んでる』と言われれば信じてしまいそうな場所だなと思う俺だった。
明孔は言う、
「あらためてみると、すごい場所だな。〈器を生む者〉は、目立たぬ質素な場所を根城にすることが多かったのだが、ここに暮らすジョージってやつは相当な派手好きらしい」
「ああ、明孔と気が合うかもな」
「何を言う。さすがに悪趣味すぎるだろう」
俺と明孔は、もう落とし穴に引っかからないように慎重に歩く。
神殿の中に入った。
「ヒロアキ……」
入ってすぐに明孔が俺を呼んだ。
「何だよ」
「またしても地下への入り口を見つけたんだが、どうする?」
明孔の視線の先に目をやると、確かに地下への階段があって、その先はまた闇のようだった。
今度こそ地獄への入り口かもしれない。
とにかく、その先に進んだ時のことを考えても、全くいい予感がしなかった。
「どうするって……」
「行くか、行かないか」
「俺が決めるの?」
「……個人的な意見としては、行きたくない!」
投げ捨てるように明孔は言った。
俺もそうだ。
「だが、個人的な立場としては、ジジイ……じゃなかった、セバスチャンや蔵野や梅田美咲良はすでに城の内部に侵入しているわけだよな。後になってこの場所があったことがわかったとき、そしてここを素通りしたことがバレたとき、罰もこわい」
「いざとなれば逃げればいいんだ……行こう」
俺は呟くように弱々しくそう言って、階段を下りた。
白い階段を下った先は、空洞だった。
とても広い空洞。
旧石器時代の人間が住んでいそうな場所。
黄土色の地面と土。
肌寒かった。
いくつもの蛍光灯が灯っていて、思ったよりずっと明るかった。
そこにいくつかの牢があった。
そして、動物園で感じるような獣独特のニオイを更に強めたような臭いが鼻についた。
「……どうする、ヒロアキ? 先に進むか? 戻るか。正直……さっきのミノタウロスのこともあって、俺の身体はこの先に進みたがってないぞ?」
明孔はそう言って肩をすくませた。
「ここまで来たからには、何があるかくらいは確かめよう……」
俺はまたしても弱々しくそのように言い、先に進んだ。
獣のひどい臭いはどんどん濃くなっていく。
腐臭混じりの臭い。吐きそうになる。
ずっとこの場所にいたら、ひどい頭痛にでも襲われそうだった。
幾つも通り過ぎた牢には、人もいなければ、動物がいるわけでもなかった。
歩いて歩いて、奥の奥に辿り着くと……目の前には、立ち尽くす一人の人影と、檻の中に二体の動物の影、その手前には、女性の死体らしきものがあった。
そして、多くの犬の鳴き声が聴こえてきた。
「お前は……」
明孔が呟くと、立ち尽くしていた女性は振り返り、驚いたような顔をした。
しかし、より驚いたのはこっちの方だっただろう。
「梅田……美咲良……?」
明孔の戸惑いの声。
一緒に乗り込んだはずの彼女と同じ顔をしていた。
どの角度から見てもそうだった。服や雰囲気が違ったが、顔や体型が同じ。
そういえば、梅田美咲良は作戦開始前に、「自分と同じ姿をした器がいる」って言ってたっけ。
梅田美咲良……まちが「さくら」と呼んでいるので、俺もこれ以後は「さくら」と言うことにする。
そのさくらと同じ姿かたちをした女性は駆け出し、壁にあったレバーのようなものを、勢いよく下ろした。
ずごん、と目の前の檻が下から上に勢いよく開かれ、そこから、またしても化物と呼んで差し支えないような生き物が飛び出してきた!
とんでもない罠だ。
視界がスローモーションになる。
死に瀕した時の集中世界だろうか。
二体の化物はまっすぐ俺たちの方に向かってくる。
飛び出す際に足元の女性の死体が獣に蹴飛ばされて転がった。
その顔も、さくらの顔だった。
きっと、死んでいるほうのさくら顔の女は、化け物の世話係で、危険な獣に襲われて命を落としたのだろう。
戦慄した。
さくらによく似た女は、右奥に消えると、また、ガコンとレバーを下げたような音がして、すぐに、ガシャンと金属が何かにぶつかるような音。
何せその姿が見えず、右奥で何が起きているのか正確な状況がわからない。
推測するに、さくらに似た女性がレバーを下ろし、自分の方にあの二体の化物が来ないようにシャッターか何かを下ろしたのだろう。
と、そこまで考えて、この折角のスローモーションの時間にそんなことを考えた無意味さに気付き、後悔した。
もう化物の顔が目の前に迫っていた。
二体とも俺の方に飛び掛ってきた。
何故!
明孔よりも弱そうに見えたんだろうか。
まぁ確かに経験も実力も田山明孔の方が上位だ。
――ええい、そんな思考よりも、どうしなければならないのか考えなくては。
「オオオオオオ!」
化物の咆哮が耳に届いた。
目の前の怪物は、ライオン等のいわゆるワイルドキャットの体躯をしていたが、テレビや動物園で見たそれらよりも一回り大きく、飾りのような小さな翼があった。
また、体は山吹色だったが顔面だけは、黒く、熊のようだった。
とりあえず『熊ライオン』と呼ぶことにする。
その奥に見えるもう一体の化物は……ああ、これは俺も知ってる。
これは『ケルベロス』だ。
冥界の門の番犬。
とすると、ここは地獄の入り口か。
犬にしては大きく、まるでサイのような大きさ。規格外。ケルベロスの象徴たる三つの頭部。しかし蛇の尾を持つとか聞いたが、普通の犬の尻尾に見えた。
もしも咄嗟に後ろに退いた場合…………喰われる!
そう思った。
思い切って前に抜けて避けた。
またしても袋小路に追い詰められた格好。
「ヒロアキ!」
先刻のミノタウロスは脚が人のそれだったから何とかなった。
この二体はどうだろう?
刃が通れば良いのだが、もし斬れないとなると、逃げるしかない。
明孔が、熊ライオンに斬りかかる。
しかしその刃は爪で止められてしまった。
「明孔! 逃げろ!」
俺がそう叫ぶと、二体の獣はまた俺に向かってきた。
俺は壁に向かって駆け逃げ、ミノタウロスを撃退した時の様に壁を蹴った。
先刻と違うのは、何の攻撃もしなかったこと。
超高速で駆けていた熊ライオンは壁に頭を打ち付けたが、無傷ですぐに向き直り、俺に向けてまた超高速で駆け出した。
ケルベロスの方はどちらかというと緩慢な動きだったので、壁に激突することもなく、瞬時に体の向きを変え、こちらもまた俺に向かって駆け出した。
――そんなに美味そうか、俺……。
「キャンキャン!」
なにぃ!
見かけによらず可愛い泣き声じゃねえか、ケルベロスちゃん……。
鳴き声だけなら、完全な小型犬だぞ。
ケルベロスと熊ライオンとの間で争いとか起こらないかなとか淡い期待を抱きながら、明孔の手招きする方へ走る。
二体の化物に追われるとあってはチーターかなんかに目をつけられたインパラよりも過酷だ。
――追いつかれる!
と思った俺は向きを変えて、斜めに走った。
巨体が二つ、凄まじいスピードで襲ってくる。
恐怖。
これは神とか鬼やら悪霊やらに対する畏怖とは違う。
肉体的死への直感的恐怖とでも言ったら良いんだろうか。
ああ、痛いのはこわいな!
死にたくないな!
向きを変えるたびに特に熊ライオンが地面を大きく滑り砂塵が舞う。
そんな光景をスローで見ながら、その度しっかりと方向転換する熊ライオンの姿に落胆する。
俺が足滑らせたら終わる。
ああ、以前にもこんな状況があった。
あの時は俺自身の死じゃなく、ひろみの命が懸かっていたんだっけ。
そんなこと思い出してる状況じゃないんだが……。
「ヒロアキ! 目つぶれ!」
「えぇ!?」
馬鹿野郎、目つぶってどうしろって言うんだよ。
目つぶったら足元も見えなくなって転んで死……そうか、強い光で怯ませるのか。
明孔が何かを俺の足元に投げつけたのを見て、瞬間、イノセンスを持った右腕で目を押さえ、その上で目をギュッと閉じた。
瞬時の賭けだった。
――もしも明孔のミスで投げたのが閃光を放つ道具じゃなかったら。
――もしも閃光が効かなかったら。
そんな可能性もあったが、賭けるしかなかった。
そうしなければ、階段を駆け上がって逃げる時にでも追いつかれるだろう。
目を開くと、未だスロー再生の世界だった。僅かに残った閃光に薄目を開けながら、怯むケルベロスと、砂塵を巻き上げてスケートした後に転倒した熊ライオン。
「ヒロアキ! 早く!」
階段の中腹から明孔の声。
階段を駆け上がろうと足を伸ばした。
その瞬間、悪寒。
横に飛び退くと、ヒュンという風切る音。
半身になった視界には、熊ライオンの爪があった。
ケルベロスは先ほどの場所でぐるぐる回っていたが、熊ライオンは正確に俺の位置を把握しているようだった。
化物かよ?
ああ化物だよな。
――そうだ。化物だ。
あるいは、熊ライオンのほうは、視覚よりも嗅覚や聴覚が優れているタイプだったのかもしれない。
ともかく、俺はイノセンスで地面を力いっぱい叩きつける。
地面が爆ぜた。
石つぶてが熊ライオンに向かっていき、びしびしとぶつかる。
しかし敵は怯まない。
怯むことを計算に入れながらも熊ライオンの動きを確かめながら階段の五段目に降り立った俺に、正確に下からの左前足。
避けられなかった。
ガキイン、と金属音がした。
熊ライオンの鋭い爪が目の前にあった。
イノセンスを振り下ろして何とか相殺しようとしたが力負けして、俺の身体ごと飛んだ。階段を抜けて神殿の天井にまで飛ばされた。
「っはぁ!」
気を吐き、叩きつけられる前に何とか白い天井に着地した。
運が良かった。
少し飛ばされた角度が急だったら、神殿の天井まで飛ばされず、その手前の階段を覆う黒い天井に叩きつけられていただろう。
こんなに集中したのはどれくらいぶりだろう。
まちと出会う前の俺だったらあっという間に殺されていたに違いない。
まっちーにマジ感謝。
俺はトンっと天井を蹴って神殿の外に逃れた。
太陽の光が心地良い。
ようやく、時間が普通に流れ出して、それもまた心地よかった。
明孔もすぐに白い建物の外に出た。
「はぁはぁ……」
二人とも肩で息しながら合流。
あの二体の化物が太陽の光で溶けてしまったら良いなとか思ったがそんなことはないんだろうな。
そして階段から這い出してきた二体の化物は、俺と明孔を発見したようで、俺たちの方へ少し走ったのだが、柱があることに気付き、退いた。
もしかしたら神殿というよりも、あの二体の化物が外に出ないようにするための牢みたいな役割だったんだろうか。
……それにしても疲れた。
「いやぁ、地獄だったな」
「ああ、本当にな。っていうか主に俺が襲われてただけで明孔何もしてないだろ……」
「いや、俺の光玉がなかったら――」
ドゴォン、と不意に神殿の方から音。
振り返ると、また、二体の化物が走ってきた!
何と神殿の柱が蹴破られ、二体の化物が向かって来ていた!
「おい! 冗談だろ!」俺は悲痛に叫ぶ。
「はっは、冗談だったらいいな!」
さっきと同じようにジグザグに逃げる!
石畳を走る。
落とし穴を気にしている余裕はない。かえって奴らから逃げ切れるなら喜んで落ちたいくらいだが、こういう時に限って落とし穴がない。
疲れていつの間にか棒のようになってしまった足はなかなか言うことを聞いてくれず、集中も安心によって途切れ、精彩を欠く。
転んだ。ぶざまに。
振り返ると、化物の嬉々とした表情。
完全にエサ扱いしている目だ。
――喰われる。
目を閉じてしまった。
死んだ、と思った。
何回死んだと思えば良いんだろうな、俺は。
先日もこの俺の横にいる田山明孔の振り下ろす今俺の手の中にあるイノセンスが目の前にあって、殺される映像が浮かんだが、今度は、鉛色の爪に裂かれる映像か。
そういえば新渡戸の親父のパン屋ビルの地下への階段でまちにナイフ裂かれた時も死んだと思ったな。
この感覚に慣れちまった時が死ぬときなのかなとか、思う。
目を閉じて暗い世界に、不意に、音。
尋常じゃない轟音と振動。少し熱も感じられた。
それが二回続いた。
ズドォン、ドォンという轟音二つ。
閉じてしまった目を開く。
俺はいつも、死んだと思うと、こわがって目を閉じる。
それはきっと仕方の無いことだろうと思う。
しかしまぁ……とにかく、俺は生きていた。
何が起きたのかはわからなかった。
「あはは、大丈夫? ヒロアキ君」
――え? 誰?
見たことの無い輝く女性がそこにいて、俺に手を差し伸べていた。地面は大きく削り取られ、神殿が倒壊し、その脇に二体の化物が転がっていた。
見たことの無い女性とはいったものの、どこかで見たことがある顔の形や体型をしている。
ただ、全身がこんなに輝いたり、緑の瞳だったり緑の髪だったりはしていなかったはずだ。
こんな、美しい、緑色。
ヒロアキ君……俺をそう呼ぶ女性を一人だけ知っていた。
「さくら……さん?」
「ん? どうしたの?」
「いや、綺麗な緑色で……」
すると彼女は、はっとした顔のあと、自分の緑髪をもしゃもしゃ触り、
「あ、変わっちゃった? ひさしびりだな……噛んだ……ひさしぶりだな」
言い直していた。
変わっちゃった?
何のことだ?
「いっやぁ、実はあたし、戦ったりするときだけ変身する特異体質なのよね。ジョージにそう改造されちゃって……。でも、急に姿が変わったら皆こわがっちゃうから、なるべく姿が変わらないようにしてたんだけど……どうも感情が昂ると制御できないみたい……」
俺は言葉を失っていた。
「どう? こわい?」
目の辺りに掛かる鮮やかに輝く緑髪をスっと耳に引っ掛ける仕草が素敵だった。
「いえ、とても、綺麗……です」
目を奪われていた。
「あ、でもヒロアキ君にはまちちゃんがいるからね! あたしに惚れたらダメだぞ」
「あ、いや、緑って色が好きなんで」
「どういう意味……?」
「いえ、深い意味は全く無いです」
「ヒロアキ、大丈夫か?」
遠くに逃げていた明孔が駆け寄ってきた。
シュンと微かな音を立てて、元の姿に戻ったさくらは「あれ見て」と言って城の三階を指差した。だいぶ離れた場所だ。
まちとセバスチャンが、俺たちを見て呆れているように見えた。
俺は手を振ったが、まちは無言で俯いていた。手を振り返して欲しかったんだが、残念。
「皆心配してたんだよ。合流できてよかった」
「ああ……うん」
「ヒロアキ、大丈夫か?」
「大丈夫、でも、少しだけ、休ませて」
もう疲れた……。
でもまだまだ先は長そうだった。
けれど……やっと、合流できた……。
ここは謎満載の城だった。不思議なものばかりだった。異世界に迷い込んだようだった。
脳も体もついていけない。
まっちー、たすけてー。
ははは……。




