Chapter24 襲幕
視点:高島さき→蔵野まち
罪を重ねたこの剣。罪を断つのもこの剣。償おうとするのもこの剣。
「――あなたの名前はなんだっけ?」
謝りたくて名前を問う。
さまざまな人に向けられた剣。
命をめぐる最後の戦い。
★
大粒の雪がアスファルトに積もり始めた夜。
一月終盤にして、この冬初めての雪が降っている夜。
多くの殺意に私は目覚め、コタツから這い出た。
「来たわ」
「まち?」
ヒロアキが不思議そうな顔をして私を見た。
気付かないのだろうか。敵が来たことに。
「鍛錬不足よ」
それだけ言って外した眼鏡を彼の手に置く。
それで彼はようやく気付いたようだ。
ボーッとしながらコタツで紅茶を飲んでいるひろみを敵は狙ってくる。私達はそれに気付かない振りをして、攻撃してきた奴らの動きを奪う。ひろみへの攻撃を叩き落すのはヒロアキ。敵を叩き潰すのは私。そう決めてあった。
赤い服を着た私。
白に近い桃色の寝巻きを着たひろみ。
ヒロアキは青色の寝巻きに身を包み、武器を携帯していない。
平和ボケして気を抜きすぎよ。
私は、近くの壁の中に隠していた大きく反り返った太刀を取り出し、コタツに戻る。
メガネケースのように開閉する鞘から音を立てずに素早く取り出した。それを敵から見えるはずもないコタツの中の手に持つ。鞘もコタツに隠した。
一瞬で、だ。
敵から見たら、私が、身じろぎしたくらいにしか見えないはずだ。
「五秒あげるわ、準備して」
「無茶言うなよ……あと俺もうアレ置いてきちまったぜ」
アレ……おそらくヒロアキが愛用するナイフのことだろう。〈器を生む者〉の施設の中に、愛用のナイフを置き去りにしたと以前言っていた。
私が一本、持っているけど、これは……彼に使わせたくない。
でも、しょうがないか……。
元々ヒロアキのものなのだから返さないといけないわね。
「果物用みたいなやつと、あの時の忘れ物ならあるけど、どうやって渡そうかしら」
「……足……いや、危ないな……あれの時に渡せよ」
敵が襲う瞬間に渡せと言うのか……。
「わかったわ」
静寂。
カチカチと、アナログ時計の音がうるさいくらいに響く。
「…………」
ガシャン、と二つの割れる音。
ソーサーが割れる音と同時に窓ガラスも崩れ落ちた。
窓からの侵入者。
同時に玄関の扉が静かに且つ高速で開く音。
コタツは宙に浮き、ひろみは白いティーカップを持ったまま驚いたような顔。
六――いや、七人。
敵は七。
私は赤い服の中で人肌に温まった二振りの刃物、それをヒロアキに投げ渡す。一つはヒロアキのナイフ。もう一本は私の反り返った小太刀だ。
「ひろみ!」
敵の銃弾がひろみを掠めた。
ひろみの茶色い髪の毛が数本、宙に舞う。私が抱き込んで避けなければ間違いなく今ので終わってしまっていただろう。
二つ、床に直径三センチくらいの大きな穴が開いた。スナイパーまで動員している。二発ということは二人以上かもしれない。
ティーポットが床に落ちて、ヒビが入った。
ひろみのお気に入りが……。
「まっ――」
ひろみの手から放たれて紅茶を零しながら回転して落ちていくひろみの白いティーカップを、私の小刀を持つヒロアキの手が救った。
――そんなことしている場合?
ヒロアキは既に三人に取り囲まれていた。
銃弾第二弾は既に私の目の前にあって、その高速の軌道を変える。その弾丸はヒロアキを囲む一人の腰の辺りに当たり、貫き、血が飛び散る。
――これで一人目。
「うっ……」
スナイパーを数に入れなければ、この部屋に闖入してきた者は七人。
残り六名……いや、たった今ヒロアキが怯んだ二人を倒したからあと四人。
たった四人だ。
銃弾が、二発同時に私を襲う。
寸分も狂わず全くの同時。
――私が避ければひろみに当たる。
私はまた目を凝らし、咄嗟に握ったスプーンで次々に二発の軌道を変えて、それで一人に当たってまた部屋が汚れた。
残りは三人。
もう一発の銃弾は天井に刺さった。
「ヒロアキ! ひろみを!」
攻守交代。
眼鏡を装着したヒロアキはティーカップを乱暴に床に置いて、私の小太刀を投げ渡してから床を蹴り、ひろみを抱きかかえると、天井に向かって跳んだ。私に一瞬時間をくれた。
そう、私にはそれで充分。跳んで着地するその一瞬あればいい。
正面から隙だらけの体に拳を叩き込む。潜り込んで顎を打つ。
あと二人。ヒロアキとひろみの真下をくぐり抜ける。
間抜けにも頭上のひろみ達を見上げている巨漢。
久しぶりに繰り出した全力回し蹴りは巨漢を壁に叩き込んだ。 カカトがみぞおちに入る瞬間を確認したから、きっともう立てない。
家が揺れた。壁が崩れてその塵が落ちる前に最後の一人を、生け捕った。
腰の抜けた男に、ヒロアキから投げ渡された白刃を向ける。
そして……トン、と二人分の重みが着地する音。
沈黙。
「……ぅぅ……」呻き声。
部屋のあちこちに、敵の肉体が累々としていた。
攻略不可能と悟ったのか、それから銃弾は飛んで来ず、また時計のカチカチという音が響き出した。
「……ひろみの命を狙ってきたということは、貴方にも死ぬ覚悟くらいあるんでしょうね?」
「ひぃ……」
「まち! 駄目だ!」ヒロアキが必死に叫んだ。
わかってるわよ。
殺したりしない……脅して聞き出そうとしているんだから邪魔しないで。
私は目配せして、その意を伝えようとしたが、伝わらなかったようで、青い顔をしていた。
これは話を始めてしまった方が良いと判断して私は口を開く。
それでヒロアキもわかってくれるはず。
「九人ね?」
「……ぅう……」
頷く。
七人が入って来て、狙撃してきたのは二人ということ。
「ひろみを殺しに来たのよね?」
「壊しに来たんだ」
「どうして? もう〈器を生む者〉はいないのに」
「……それでも……〈器〉は壊さなければ……っ」
怯えながら震えた声でその男は言った。
そうね、任務だものね……。
「私達を倒そうと動いてる者達の数は!?」
「っ……」
刃を突き出す。
「あと、十八人」
十八……多すぎる……。
すぐに数が出てきたということは、いくつかのチームで動いているのではないかと思う。六人の三チームか。あるいは九人の二チームか。
そんな数を動員してまで壊したい〈器〉なのかしら?
それともこれが組織を裏切った者への罰というわけ?
「十八って……そんな数……」
「ヒロアキ! 二時間逃げ延びて! 死んだら殺すわよ!」
私はそう言って、蹴って男を気絶させ、割れた窓から飛び出す。
「まち!? 二時間って……ちょっと、まっ――」
すぐに声が聞こえなくなった。
「は?」男の声。
情けない声ね。
「え?」女の声。
私は、その情けない声を発した二人を簡単に倒した。しばらくは目覚めないだろう。
私は百メートルほど離れた場所、隣合うビルに居た例のスナイパー二人を、発射角度等から割り出して位置を特定し、ついでの寄り道みたいにして蹴り伏せてから、深々と降る雪の夜の中を全速力で駆け出した。
視界が吹雪く。
私には以前から考えていることがあった。
たとえ刺客を撃退したとして、逃げおおせたとして、それで何が解決するのだろう、と。
組織の奴らは諦めたりしない。
解決方法は単純にして超明快で、指示を出している黒幕に直接会って話をつけること。
――場合によっては。
きっとヒロアキも、そうするしかないと言えばその行為を許してくれる。
往々にして何かを攻める時、守りが薄くなる。
今の状況ではきっと敵の親玉を守る壁は薄い。
そこを突く。
それを読んでどこかへ雲隠れしていたとしても、絶対見つけ出してやる!
ヒロアキが私が話をつけるまでひろみを守りきれるかどうか心配だけれど……。
私でさえ十八人を相手に誰も殺さずに逃げ回る自信はさすがにない。
手こずれば、増援が来てしまうだろうし、一歩間違えればひろみが殺される。
――それは、嫌だ。
絶対に嫌だ!
気をつけてヒロアキ、守り切ってヒロアキ。
霧野みやこを守っていた時よりも情勢は悪い。
……もしかしたらヒロアキさえ殺されるかも知れない。それは……それは、私の終わりみたいなものだ。だからこれは、賭けだ。
私次第で決まる、大博打。
イカサマしてでも掴み取る覚悟だ。
その結果、約束を破ってしまっても……。
「赦してね……」
雪降る街を蹴り進む。
ただ一振りの反り返った太刀を左手に。
★
背中にヒロアキ分の重みがない分普段の数分の一の時間でそこにたどり着いた。
私やヒロアキが育成された組織の白い建物。
仮に黒幕が既に違う場所に身を隠してしまっていたとする。
それでも痕跡は残るはずだ。
一応組織の人間は残っているようだった。
警備が二人。
周囲を警戒している。
大丈夫。
私が本気で走れば、彼らの目になど映らない。
風が通り過ぎたように感じて終わる。
息を吐いて、一瞬!
通り過ぎた。
気付かれなかった。
中に入ってしまえばもう堂々と歩いていても平気だろう。
私はゆっくりと歩き出す。
いつも指示を受けていた場所は、組織のトップの部屋だと聞いていた。
それは、もしかしたら嘘かも知れないが、そうだとしても手がかりは掴めるはずだからその場所に向かう。
廊下は静かだった。
誰の足音も聞こえない。寝静まっているわけではなく誰もいないのだろう。
目的の扉を開けてそして閉めた。
「何の用だ?」
いきなり、そんな声が聞こえた。
細長い机に備えられた椅子には誰も座っていない。
奥の部屋とも思ったが声が鮮明すぎるのでそれはないだろう。
こういう時は、上?
私は天井を見た。誰も居ない。
再び前を向き、後ろを向き、敵の姿を探す。
「実戦だったら、君は傷を負っていたな」
頭上から、声が聴こえた。
上を見れば、白い布を手から垂れ下げた男が、逆さになって天井に立っているのが見えた。
壁の白に、シーツのような布で擬態していたようだ。
その男には見覚えがあった。
「貴方が、この組織のトップで良いの?」
「……現状は、そうだ」
その男は着地音なしに床に降り立つ。
私の二倍以上は生きているであろう姿のその男に白刃を向けた。
「本当に?」
「少なくとも私の命令で〈追う者〉は動いている」
「名前は?」
「……名前など無い。もちろんこの組織にも名前など無い」
「私は、蔵野まち」
「……蔵野まち……か。覚えているかな、君を此処に連れてきたのは私なんだ」
「ええ、この太刀をくれたのも貴方ね」
「ああ、私のかつての相棒、リグレット」
「リグレット? 太刀の名前?」
「そうだよ」
「洋風なのね。これを作った人の名は?」
「名など無かったさ」
「全てを語ってもらうわよ」
「……いいだろう、蔵野まち。だがその前に一つ、言わせてくれ」
「何?」
「すまなかった! 私は、君の人生を狂わせて」
「やめて、そんな時間は無いの」
「……安心してくれ、既に撤退の指示は出した。山田ヒロアキ、山田ひろみ、蔵野まちについての処遇は永続的に凍結だ」
「……どうして?」
「〈器を生む者〉を壊滅させたのは君達だろう?」
「ええ……」
「だから、もう、いいんだ……ここに君たちの誰かが来たら、撤退の指示を出し、全てを話そうと思っていた。私の知っていることは、全て」
「……きっとこの組織は無くならないんでしょうね」
「君は、頭が良い。察しの通り、使いようはいくらでもあるんだ。事実、〈器〉を壊す意外での活動もしていた」
「やはりそうなの」
「ああ。もともとは〈器〉を壊すためだけに存在している我々だったが、それだけでは行き詰ってしまった。だから……多額の金を代価に人殺しをして存続させた……私が勝手にそうさせたんだ」
「だとするなら、貴方以外に『器を壊し始めた人間』がいるということかしら?」
「ああ、いる。少し、付いてきてくれ」
言って男は歩き出す。
私が入ってきた扉と反対側の扉を引いて、大理石が敷き詰められた廊下に出て、歩く。
下へと続く階段を下る。
下っていく程に階段や壁の造りが粗雑になり、周囲は暗く鈍い色をした石に覆われた。
「もしかしたら、君が、平穏な未来を過ごしていたかも知れないと考えると、その度、申し訳ない気持ちに覆われる」
「もう良いと言っている」
私は怒りを表明して言った。何度も言われたところで、過去はかわらないのだ。どれだけ謝られたところで、もやもやが積み重なってゆくばかりで、どうしようもない。
「あぁ、今のは、自分のための謝罪なんだ。自分が楽になるための」
「そう」
「私は、罪を重ねたんだよ。そして後に引けなくなって……上の人間からこの地位を奪った。力があったから」
「……上の人間というのが、〈器〉を追い壊し始めた人ね」
「ああ。まぁ、その前に、これだ」
扉を開けると、地下の牢獄だった。
「我々のことを嗅ぎ回っていたので捕らえたのだが、蔵野まちの名前を連呼するので生かしておいた」
「相馬先生?」
私たちの学校の、先生だった。
「蔵野まち! やはり……」
「だから言ったじゃない。死ぬわよって……」
「この男、どこまで知っている?」
「さぁ、ほとんど知らないはずよ……先生……約束して。全部忘れるって……」
「すまなかった……蔵野の助言を無視して迷惑かけて……」
「目的地はここじゃないんだ」
男は言った。
「彼はどうするの?」
「後で解放する」
「ええ……お願い……」
相馬教諭を置き去りにして地下牢の扉は閉められた。
来た道を少し戻って、大理石の廊下を更に進むと、所どころ錆び付き、薄汚れた鉄扉があった。
「……ここから先は、〈器〉を壊し始めた男と、私しか知らない場所だ」
私が無言を返すと、名前のない彼は、私にきいた。
「開けていいか?」
そんなに衝撃的なものがあるというのだろうか。私は身構え、頷いた。
「ええ」
男は鉄扉を開く。
かつて、組織にいたころ、その扉を開けてはならないといわれていた。
聖なる場所とされていて立ち入ったら殺されるといわれている場所だった。
――息を呑んだ。
一面、墓だった。
「何だかわかるか?」
「お墓ね」
「そう……君が壊した〈器〉もいくつかここに眠っている」
きっと丁寧に弔われていたのだろう。
野球のグラウンド三面分くらいの広さの場所、土の上に、ぎっしりと並べ立てられた四角柱の石柱たち。
一つ一つの柱の多くには、名前が刻まれている。
私は男に続いてその畑のような墓地を歩く。
何だか、綺麗だ、と思ってしまった。
これは冒涜? 不謹慎? わからない。
よくわからないという感情が、私を覆った。
「墓を作ったからと言って、罪が消えるわけでも何でもなく、あの男の、自己満足のようなものから始まったんだよ」
墓たちの中を歩き、やがて真新しい一つの墓の前に立った。
「……ここだ」
「霧野……みやこ……」
その名前が刻まれた石があった。
「ああ……隣も」
「新渡戸……夕実」
「新渡戸夕実、彼女の亡骸はここにはない。だがせめて墓だけでもと、建てた。この場所に」
気付けば、鳥肌が立っていた。
いくつも並んだ墓に恐怖したわけではない。
その景色に目を奪われたのかもしれない。
とにかく、この場所には、確かに人の想いとか、悲しみとか、色々な感情、カレーのスパイスのように多くの念が渦巻いて、ああ、私が語彙に乏しいがためにうまく表現できないけれど、とにかく、何かがある場所だった。
私たちは、さらに歩き、ひときわ古い墓たちの前で止まった。
「この一角はね、特別な場所なんだ」
「特別?」
「まだ私が組織にもいなかった頃、この組織が生まれた場所、そして初めて殺した器が埋められた場所」
「白石レイコって……」
レイコ………。
つまり、〈器を生む者〉の本拠地で出会った、森岡レイコのもとになった人のことだろう。
そのレイコの〈器〉が、こんなにたくさん作られ、殺されたのか。
白石レイコと彫ってある石柱が、十本…いいえ、もっと多い…三十本くらいあった。
「最初の〈器〉だよ」
数えると三十五本だった。
「……彼には悪いことをした」
男は、遠い目をして言った。
彼、とはヒロアキのことだろう。
「新渡戸夕実という人間を殺させてしまい、そのミスを彼の責任にしてしまった。そのせいで霧野みやこを壊すのを躊躇い、苦悩した末に君を送り込み……それすら悲しい結果になってしまったようだね。気付かなければ悲しくなかったかと言えば、そういうことでもないのだろうが」
私は、その男の言葉を受け入れ、そのうえでこう返す。
「今にして思えば、器を殺すなんて考えられないことよ。そういう気持ちに気付かせてくれたのよ。この、霧野さんと新渡戸夕実は……」
ひろみと森岡レイコもそうね……。
「そうか……」
「…………」
男は嘆くように言う。
「私は、自分の手を汚さずに、自分の名を汚さずに、子供達の手を使って研究を止めようとした」
「……最低ね」
「ああ……最低なんだ」
「……あの男……とやらの居場所を教えてもらえないかしら?」
「いいだろう。君達は私達の組織の手を離れるが、決して秘密は漏らさないと約束してくれるな?」
「ええ、だからもう私達のことは放っておいて欲しい……」
「わかった。約束しよう」
「破ったら潰すわ」
私は、男に刃、リグレットを向けながら言った。
「こっちもだ」
「この刀……リグレットはもらってしまってもいいの?」
「もう、君のものだよ……」
「…………」
「リグレットを持って、ここに行けば、組織の創始者に会えるよう、手配しておく」
そう言って、一枚の紙切れを渡してきた。
「地図?」
「ああ。地図だ」
地図の裏に街の名前が書かれていた。
「……じゃあ、行くわね……急いで帰らないといけないの」
「ああ。お別れだ」
「さよなら」
墓畑を去る。
私は地下の空洞に空高く舞い上がる
広い組織の白い建物に囲われたその場所を最後に一瞥して私は風のように走りだす。
ヒロアキが心配。ひろみも心配。早く我が家に帰らなくっちゃ。
もうここには戻らない。
ここは私の居場所じゃない。
家に帰る。私の街に帰る。きっと二人の笑顔がある。
跳ねていく。




