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リロード  作者: 黒十二色
第二部:RE LOAD
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Chapter21 墓石

視点:山田ヒロアキ→加賀遊規

 ふわふわした雲。

 僕の好きな女の子はきっとまた「おいしそう」とか言うんだろうな。

 青い青い空の下で、綺麗だったあの人を想う。通り過ぎていく寒風が、皆の髪を撫でても、もう――あの黒髪を揺らすことは……ないんだな。


  ★


 僕はあまりにも幸せすぎて、無知で、それが許せない。


 僕の近くのあらゆる人が、僕と同じくらいかそれ以上の悲しみを背負っているのに、僕ばっかりが不幸だと思い込んで、そのくせ僕ばかりが幸せに一番近い場所にいて、こんなの、何か狂ってるって思った。


 だからといって僕が自ら不幸になろうとしたら、皆から手荒な叱咤が飛んで来て、憎しみに似た感情をも抱かせてしまう気がして、そういうジレンマの中にいる。


「お前の幸せが、皆の幸せだ」


 いつか新渡戸がそんなこと言ってくれた。


 僕はそんな言葉の受け取り方を知らない。


 喜べばいいのだろう?

 悲しめばいいのだろう?


 知らない。


 新渡戸の部屋を捜索する。


 他の部屋は蔵野まちに調べてもらって、家族写真が家の何処にもないことがわかった。


 この写真が、支えになって欲しいなと思って手元にあるそれを見た。新渡戸一家が揃って写っている写真だ。


 僕には家族がいる。母がいて、父がいて、姉がいて、離れているけれど、確かにいて、いつでも会いに行ける。


 でも新渡戸は、きっとどうしようもなく孤独だ……。


 ふと、机の一つの引き出しに、異常を見つけた。


「なんで……こんなところに?」


 引き出しの中には、刺身包丁と果物ナイフがごろりと置かれていて、その横に、『第十四巻』と表紙に書かれたノートがあった。


 なんだか恐ろしかった。


 躊躇いつつもそのノートを手にとって、開く。


 白紙だった。


 引き出しで見つけた刃物に多大な違和感と危機感を覚えつつ、この新渡戸の自室にもこの家に住んでいた者の過去が無いことを確認した。


 他人の部屋をコソコソと調べ尽くすなんて、最低なことをしていると思う。


 と、そんな罪深い現場に、彼女があらわれた。


「加賀君加賀君! 何してるのー?」


「あぁ、さきちゃん。調査してるんだぜ!」


「……いいの? 勝手に……。あ、そうだ! 新渡戸君と山田君って中学一緒なのよね?」


「そう。一緒」


「卒業アルバムに興味……」


「はいこれ」


 僕はさきちゃんが言い終わる前に彼女の小さな手の上にアルバムを載せた。


 つーかーの仲というやつだ。

 阿吽の呼吸とも言う。


「おぉ……これが……」


 宝物でも扱うようにキラキラした瞳で僕らのぼやけた過去を掲げていた。


「ねぇ、皆で一緒に見ようよ!」


「ん、あぁ、先に下に行って見ててよ。すぐ行くから」


「何探してるの?」


「秘密」


「新渡戸くんの秘密を探してるってこと? 弱味でも握るの? あ、違うか、何を探しているのかが秘密ってことね」


 僕は答えなかった。


「むー……まぁいいや、いいもんね、加賀君の恥ずかしい話いっぱい聞いちゃうもん」


 怒ったようにして部屋を出て行ったのを確認して、僕は新渡戸の部屋の窓を開ける。


「さむ……」


 寒い。すっかり青くなった空が広がっていた。


 窓から見下ろす街は、妙に静かで、霧野みやこが僕の手の中で倒れたあの公園には、凧揚げをする子供たちと、キャッチボールをする青年たちがいた。


「僕達は、悲しい……か」


 呟いて、窓を閉める。


 皆の所へ行こう。


 階段に足を掛ける。


 そして僕は、新渡戸に家族の写真を手渡したのだった。


 僕が渡した家族写真は新渡戸を少しだけ幸せな気分にさせて、少し悲しい気分にさせたと思う。


 でもそれ以上に、ヒロアキの突きつけた事実の悲しみが大きすぎて、喜びの後にそれより大きな悲しみがぶつけられて、きっと、耐えきれないくらいにショックだっただろう。


 僕はヒロアキが許せなかった。


 どうして僕が新渡戸を元気付けようとしたその直後にあんな、父親の死という現実を突きつけるのか。もう少し後でもいいじゃないか。そんな風に思った。


 新渡戸は僕が渡した写真を、写真立てに入れて、机の上に無造作に置いた。


 少し遠い目をしていた。


  ★


 散らかった僕一人の家に帰って、机に座る。


 久しぶりに世界史のノートを開いてシャープペン(HB)を手に持ち、それを走らせる。


『霧野みやこ、新渡戸健四朗、新渡戸夕実

後ろの二人は新渡戸の家のお墓がある。

霧野みやこにはそれがない。僕らで作りたい。』


 書いて、その文章を丸く二周ほど雑に囲う。


 僕は他人の死に触れたことが少ない。


 葬式に行ったことは何回かあるけれど、まだ幼かったり、親についていくばかりでボーッとしていたりしていたから、よく覚えていない。


 わからない。

 弔い方を知らない。


 あまりに無知で、あまりに罪だ。


 僕は葬式というものを死んだ者だけのために行うのだと思っていた。


 でも近い人がいなくなってしまって、その時に、何の行動もできない自分が悲しくて、気持ちの整理が付かなくて……ちゃんと別れるための儀式というものであるのなら、残された者のための儀式でもあるのなら、通らなくてはならない道だと思った。


 朽ちた体は何処にも無くても、情報だけ伝えられるよりも……そういう風に別れる儀式をしなくちゃ先に進めない気がした。


 墓……。


 何処にどういう風に作ればいいんだろう。


 何の加護を求めれば良いのだろう?


 たった六人分の祈りで、何処まで天に近づけるだろう?


 僕一人で考えてもきっと答えなんか出ない。


 皆で考えよう。六人で…………。


  ★


 それから数日、冬の日々は何事もなく過ぎていく。


 マンネリズムに彩られた、少し退屈で、でも幸せな毎日。


 僕自身がその中に石を投げ込むのはたぶん初めてで、でも、もしかしたら、みんな、僕がそうするのを待っていたかもしれない。


 ――灰色だった生を、白と黒に分ける儀式をしよう、と僕は言う。


 いつもと同じようにヒロアキの家に皆がいるときに言った。僕と新渡戸以外がコタツに入っていた時に、彼らに向かって僕は言う。


「ねぇ皆、一つ、やりたいことがあるんだけど」


 とても緊張した。皆の顔が僕を向いていたから。


「僕は、霧野みやこの葬式がしたい」


 沈黙の後、新渡戸が言った。


「そうだな……やっぱりそれやらないとな」


「ああ、やろう」とヒロアキ。


 僕は心から安堵し、次の言葉を慎重に探す。


「それで……さ、僕は、そのやり方とか、よくわからないから、皆と一緒にどんな風にみやことお別れすればいいかを考えたいんだ」


「そうだな、じゃあ、考えようか……」


 新渡戸がそう言って、皆の方を向いた。そして、準備していたかのように、すぐに言う。


「霧野みやこの墓を作ろう!」


 ああそうだ。

 それが終わってようやく歩き出せるのかも知れない。


 僕とさきちゃんも、新渡戸自身も。


 歩き出すために、僕らは全力で、霧野みやこの墓を作る。

 死んだ証明じゃない。


 確かに生きたという証を。


  ★


 まちがどこからか三十五センチくらいの高さの直方体の石を綺麗に切って持ってきた。

 ものすごく重たかっただろうに……。


 さきちゃんは花を自宅の庭から摘んできてくれた。


 一番問題なのは場所だった。


 さきちゃんの家は広い庭があるけれど、家の人たちもいるし、知らない人の墓が自分の家の庭に建つなんて不気味だろうと思うから迷惑はかけられない。


 僕の実家にも庭があるけれど、さきちゃんの家と同じような理由で心配はかけられない。


 ヒロアキと僕はマンション暮らしだし……。


 新渡戸の家。道路に面していない三方向がフェンスに囲われていて、隣家や道路からは庭が見えないようになっている新渡戸の家。そこしか選択肢は無かった。


 隣家は空き地と化していたり、庭がそれぞれ広かったりと、都合がいいことずくめだった。


 幅五メートルの道路の向こう、はす向かいの家は工事中で、少々の騒音はその工事の所為(せい)にできるのも都合がよかった。


 コンクリート製の塀と新渡戸の家の間は二メートルほどの幅があって、少し陽の当たりは悪いけれど、家の西側。新渡戸の家以外からの死角になっているその場所に作ることにした。


 ヒロアキが砂利を持ってきて敷き詰める。


 僕はまちの持ってきた石に、彼女の名前を彫る。


 カンカンと耳に障る音を立てながら、槌で彫刻刀を叩く。


 石はなかなか削れなくて、字は歪になって曲がったりしてしまった。


 全身にびっしょり汗をかきながら、霧野みやこのことを考えて、霧野みやこが死んでしまったという事実を噛み締めて、汗にまぎれて涙を流しながら何度も何度も彫刻刀を打ち付ける。手の痛みにも耐えて『霧野みやこ』と彫り上げた。霧の字が画数多くて、ごちゃごちゃしてて、ものすごく難儀した。


 その五文字は格好悪くて、読みにくくて、でも皆は大丈夫だと言ってくれて……。


 完成した。


 一日中彫り続けて、完成するまでに三日も掛かってしまった。完成した三日後に、空が晴れたから、僕らは彼女の墓の前に立つ。


 ちょうど太陽が昇っていて、少しだけ光差す午後一時だった。


 狭い空だった。


 でも、わたあめのような雲が浮かび、その後ろには果てないような青い空があった。


 僕は墓に手を置いた。


 ここに霧野みやこの亡骸は無いけれど、もしかしたら魂があるかも知れないとか、そんなことを考えた。手を離す。


「皆、ありがとう」


「何言ってんだよ、お前のためじゃねえって」新渡戸。


「そうそう、これは俺達六人。一人一人のためみたいなものだろ?」とヒロアキ。


「七人でしょ? 山田君」さきちゃん。


「あ、あぁ。そうだった」


「みやこちゃんも仲間なんだから。忘れるなんて最低っ」


 さきちゃんは、きっと僕のために怒ってくれた。


「まっちー、みやこちゃんって誰?」ひろみちゃん。


「私の、恩人よ、そして…………私が――」


 まちが何かを言おうとしていたが、その先は言わなくていい。

 僕は、彼女の言葉をさえぎるように、


「ひろみちゃん」


「なにー? 加賀君?」


「霧野みやこっていう人は、ひろみちゃんの前の魔女の役だったんだよ。だから、ひろみちゃんの先輩だ」


「せんぱい?」


「そう。ひろみちゃんがいつか越えていかなくちゃならない人」


「…………」


 その時、一条の風が吹き抜けた。

 それが皆の髪を撫でて、新渡戸の家を囲う塀にぶつかった。


 強くて、でも優しい風だった。


「霧野みやこ……せんぱい」


 ひろみちゃんは、きょろきょろしながら呟いた。


 僕は、石の前にしゃがんで語りかける。


「みやこ、僕は、みやこのおかげで、ここにいる皆と出会えたよ。それは少し殺伐とした出会いもあったけれど、みやこが僕達を繋いでくれているんだって思う。それは、悲しいこととも思ったけど、幸せなことだとも思う。僕は嘘つきで、すぐ皆に迷惑をかけてしまうけれど、ここにいる皆と、そしてさきちゃんと一緒に先に進むから、さきちゃんが……もしも、それでもいいと言ってくれるのなら、先に――」


「いいよ」


「さきちゃん……」


「みやこちゃんのことも大好きだもん。みやこちゃんへの思いも、一緒に……もらうよ? みやこちゃん……いいよね」


 いつの間にか繋がれた手。高島さきが隣にしゃがんでいた。


「さきちゃん。ごめん……おまたせ……」


「……うん!」


 高島さきはいつもとは違う笑顔でそう言った。


「さよなら……みやこ」


 別れを告げたその時に、いつの間にか新渡戸たちは居なくなっていて、また一つ、風が通り過ぎる。


 さよなら、霧野みやこ……。


 僕はきっと絶対、みやこのこと好きだった。


 ……みやこは僕達を繋いでいく。


 見上げた空には飛行機雲。


 おいしそうねとさきちゃんは言うかな。


「ねぇ加賀君、これからはあたし、正直に生きるわ」


「え? 今まで正直じゃなかったの?」


「たぶんね!」


 繋いだ手を、もう片方の手で掴んで、僕を引っ張る温かい手。


「皆のところ、行くよ」


「あ、ああ」


 振り返らないで歩いていく。


 さきちゃんの横に並ぶと、彼女の左手は解かれた。

 二人、前を見て、並んで、歩いて行く。先に進もう。並んでこのまま歩いていこう。止まった時間の中でなく、流れていく時間の中を。


 沈みそうな手は引き上げて、走り去っていく背中は見送って、優しく、みやこのように微笑みながら……。


 窓から新渡戸の家の中に入ると、皆がいて、


「ただいま」

 二人してそう言った。


「おかえり」

 四人同時にそう言った。


  ★


 それから数日後のこと。僕は皆を実家に連れてきた。

 いつか言っていた、「おふくろの味探求ツアー」というものである。


「あら、新渡戸くん、久しぶりねぇ」


 これが僕の母親。

 家庭料理は人並みに。あとはただグータラしている印象しかない。


「お久しぶりです」

 実は幼馴染の新渡戸以外は初対面だったりする。


「遊ちゃんったら全然帰って来ないからお母さんつまんなくて」


「あー、だってほら、学校の勉強忙しいし?」

 僕は嘘ついた。


「ちゃんとご飯食べてる? お掃除してる?」


「食べてる食べてる、掃除もしてる」

 掃除なんかしてない。笑っちゃうくらい汚い。


「ならいいわ。あ、それでこちらの皆さんは?」


「友達。うちにわざわざ味噌汁を食べに来たらしい」


「お味噌汁……」


 母は僕以外の五人をぐるりと二周ほど見渡すと、


「どちらが遊規の彼女?」

 いきなりそんなことを言い出した!


「はい!」

 大きく手を伸ばしたさきちゃん。


「高島さきです! 料理は苦手です!」


「苦手なの?」


「スペクタクルです!」


「スペ……?」

 考え込むように首をかしげてしまった。


「とてつもなく苦手って意味だよ母さん」


「あ、あら、そうなの? 私はまた必殺技か何かだとばかり……」


「そんなわけないから!」


 なんだよ必殺技って。僕はものすごく恥ずかしい気分になって叫んだ。


 母は、さきちゃんに向かって言う。


「高島さきちゃん。よろしくね」


「はい!」


「それで、こいつが山田ヒロアキで、この子が山田ひろみ」

 僕は、山田コンビを紹介した。


「兄妹さん?」


「いや、えーと従兄妹です」

 ヒロアキが設定を説明した。


「最後に、この人が、蔵野まち」


「蔵野まちです。加賀君にはいつもお世話になっておりまして」


「あらあら丁寧な方ねぇ……遊ちゃんの方がお世話されてるに決まってるわよね」


「そんなこと言う必要ないんじゃないかな、母さん……」


 しかし、言われてみれば確かにそうかもしれない。

 毎日の昼休みには蔵野まちの弁当食べてるもんな……。


「うふっ、私もこんなに大勢のお客さんなんて久しぶりだから舞い上がっちゃってるのよ!」


「いいから早く味噌汁を作りなよ!」


「はいはい」


 言って、台所に引っ込んだ。


 そんなタイミングで、さきちゃんが呟く。


「加賀君のお母さんって……」


「変だろう?」


「いや、加賀君に似てるなって……」


「うそだろ、暴言だ……」


「そんな風に言うこと無いじゃない。あたしは好きだよ」


「いやぁ……なんか恥ずかしくて」


 そう言ってすぐに、母さんが出てきた。


「はーいおまたせー」


「はやっ!」


 まだ一分も経ってないのに、お盆に六人分の味噌汁をのっけて持って来ていた。


「実は既に用意して待っていたのよ! でも遊ちゃん、本当にお味噌汁だけでいいの? 何かこう、手の込んだ料理を披露したりしたかったんだけど」


「いいの、六人分も作るの大変だろ?」


「気遣ってくれたのね! やさしい子」


 身もだえていた。これ以上、この母を皆に目にさらすわけにはいかない。

 部屋に引っ込ませないと。


「いいから母さんはあっち行っててよ!」


「はーい」


 残念そうな声に返事しながら、母は去った。


 フローリングの居間。その六人掛けのテーブルに六人が残された。

 妙に静かになった。


 しばらくの沈黙を破ったのは、部長の新渡戸。


「さて……それじゃあ第七帰宅部、おふくろの味探求ツアーを始める」


 僕らは「おー」と返事した。


 テーブルには人数分の味噌汁の入ったお椀だけ。そして六人が同時に味噌汁を飲む。奇妙な光景だろうなと思う。


 味噌汁の具は油揚げと小松菜だった。

 久しぶりに食べるその味は、とても、ほっとする味だった。


「美味しい」と蔵野まち。

「ああ、普通にうまいぞ」ヒロアキ。

「おいしー」ひろみ。

「これがおふくろの味なわけだ」新渡戸。

「『僕の』おふくろの味、だけどね」と僕が言う。

「じゃああたしのおふくろの味でもあるわけだね」さきちゃん。


「さきちゃん……何か違う気がするけど……まぁいいや」


「皆、ちょっとこれを見て」


「え?」


 まちの箸は味噌の塊を掴んでいた。


「それは我が家では当たりと呼んでいる」


 僕が言って、親指を立てると、まちは怪しむような目つきで、


「このしょっぱい塊が当たり…………奥が深い……」


 ものすごいテキトーなだけである。


「よし、これでおふくろの味探求は第一弾を終了した」


 素早く味噌汁を平らげて箸を置いた新渡戸が言った。


「第二弾があるのか?」とヒロアキ。


「まぁとりあえずは未定だがな」


「ねぇ加賀君加賀君」


「なんだいさきちゃんさきちゃん」


「加賀君の昔の写真とか、見たいなー……なんて」


「え、そんなの……」


 僕はなんとなく恥ずかしいというか、心の準備ができていないため断ろうと思ったのだが、


「高島さきちゃん……」


「母さん……何してるの……」


 顔半分だけ出して様子を窺っていた母親に心底呆れたような声を出す。


「遊ちゃんの恥ずかしい過去を知りたいのならこっち」


 怪しく手招きする母。


「はーい」


 さきちゃんが尻尾を振って駆け寄る。


「じゃあ遊ちゃん、さきちゃんを借りるわね」


「ちょっと……」


 たぶん二人は僕が昔住んでいた部屋に向かったのだろう。


 ああ、何か恥ずかしいな、やっぱり。


「加賀、何か遊ぶもの無いのか?」と新渡戸。


「無いよ。ダイエットグッズだけは無駄にいっぱいあるけど」


「お母さん以前太ってたりしたの?」とまち。


「いいや、全然」


「じゃあ何で? 加賀の母さん痩せる必要ないじゃん」とヒロアキ。


「ああ、でも何だろうな、安心が欲しいのかもな」


「そういうもんか……」


 ヒロアキが興味深そうに呟いたところで、僕は立ち上がった。


「ひろみちゃん、紅茶飲む?」


「のむー」


「加賀ー俺にもねー」


 台所に向かう僕の耳に、新渡戸の声きこえてきた。


「言われなくても皆の分出すって」


 僕はそう言って台所に入った。


 ヤカンに水を張り、ガス台に置いて火をつける。


 中火。


「手伝おうか?」


 まちが来た。


 彼女としばし、会話する。


「まち……もしかして紅茶淹れたいの?」


「ち、違うわよ。加賀君が淹れ方わかるのかなって思って手助けしに来たのよ」


「……まぁ、まちほど美味しくは淹れられないとは思うけどそれなりには」


「まぁ、食器を出すくらいするわ」


「素直に私が淹れるって言えばいいのに」


「……じゃあ絶対淹れない」


「可愛くないな……」


「よく言われるわ」


「……まち」


「何?」


「ヒロアキと新渡戸どっちが好き?」


「な、何でそんなこと?」


「やっぱりヒロアキかな」


「違うわよ!」


「え? 新渡戸なの!?」


「絶対に違うわよ!」


「じゃあやっぱりヒロアキだ」


「……そうね、どっちかって言ったらヒロアキの方がいいわ」


「まちって素直じゃないよね」


「素直よ……ただ……好きっていう感情がどういうものなのか……確信がなくって……」


「確信、ね。疑惑の時点でかなり好きだったりするんだけどね」


「どこ行くのよ?」


「椅子に座って待ってるよ。あとはまちに任せる」


「え」


 戸惑う彼女を置いて、僕はリビングに戻った。


「…………素直よ……」


 微かに聴こえたまちの声。


 僕は皆がいるテーブルに座った。


「あれ? 何で戻って来たの?」と新渡戸。


「まちが『紅茶は私が淹れる』って言って無理矢理ね」


「そうか、災難だったな」


「ああ」


「がっくんの紅茶じゃないんだ……」


 ひろみが、呼ばれたことのない名前で、僕のことを呼んだ。


「がっくん?」とヒロアキが驚きの表情。


「これはまた異常なあだ名もらったな」と新渡戸。


「うん、加賀君だから、がっくん」


「なんか呼ばれる度に落ちて行きそうな感じだな」


 新渡戸がヤキモチをやいているのか、そんなことを言ったので、あからさまに無視をして、僕はひろみに話しかける。


「僕が淹れた方が良かった?」


「ううん。まっちーのほうが絶対美味しい」


「ひろみちゃんは素直だな」


 素直すぎて社会的にはどうかと思うけど……。


「えへへー」


「まちは素直じゃないからな」


 とヒロアキは言って、一人、うんうんと頷く。


「ヒロアキ、それまちが聞いたら怒るぞ? きっと」


 と新渡戸が呆れたように言った。


「そうだな……蹴られるな」


「いつも蹴られてるの?」


 と僕は言って、椅子に腰掛けた。


「ああ、痛いんだ。加減はしてくれるけどな。あいつの手加減は俺の本気と同等かそれ以上なのさ」


「ヒロアキは、まちのこと、どう思ってるの?」


 僕は直球できいてみる。そしたらヒロアキは平然と答えた。


「どうって……可愛いとは思うよ?」


 僕は、根掘り葉掘り、ヒロアキの気持ちを確かめようと思った。けども、次の言葉を発しようとしたとき、新渡戸の邪魔が入ったのだった。


「ところで加賀よ、高島は放っておいていいのか?」


「うーん、放っておいても大丈夫だよ、母さんいるし、かえって邪魔しちゃうかもしれない」


「邪魔……ねぇ……」


 それよりも今はヒロアキが、まちのことをどう思っているのか確かめて、確かめさせたいと思った。けれど、こんどはさきちゃんがドタドタと走ってきた。


「加賀君加賀くーん!」


「さきちゃん? どうしたの?」


 僕を呼びながらさきちゃんが戻ってきた。


「今日、うちの両親と出かける約束してるの忘れてた! きっと待ってるからあたし先に…………」


「あぁ、送っていくよ」


「うん! ありがとう」


 立ち上がって、歩き出す。


「じゃあ、皆また後で」


「ああ、行ってらっしゃい」


「ばいばーい」


 さきちゃんは手を振って、玄関と反対方向に歩き出した。


「さきちゃん」


 手を掴む。


「こっちこっち」


 手を引く。するりと解けて手を繋ぐ。


「あはは、間違った」

 彼女は、とても無邪気に笑う。


 靴を履いて家を出た。


 コートを着ていなくて、とても寒かったけど、繋いだ手を離したくなくて、僕はそのまま歩き出した。


 気がつけば、同じリズムで歩いていて、それが何だかうれしかった。


「さきちゃんさきちゃん」


「何?」


「母さんと何話したの?」


「聞きたい?」


「うん」


「秘密」


「それは、僕の秘密を聞いてたってこと? それとも聞いたことを秘密にするって意味?」


 彼女は言葉を返さなかった。きっと、わざとだ。


 しばらく静かに歩いて、先に口を開いたのは、さきちゃんだった。


「大丈夫、加賀君が過去に何をしていても嫌いになったりしないから!」


「うん……ありがとう……でも、そんな大したことしてないよ?」


 また静寂がきて、でも、それは嫌じゃない無言だった。

 やがて、またしても、さきちゃんが沈黙を破る。


「ねぇ、あたしがもしもこの星の人間じゃなくても、加賀君はあたしのこと好きでいてくれる?」


 なんか変なこと言い出した!


「僕がさきちゃんのこと好きなのは、さきちゃんが地球人だからって理由じゃないからずっと好きでいるよ」


「じゃあ何であたしのこと好きなの?」


「えーと…………」


 わかんないな。


「わかんないや」


「ふぅん……加賀君って綺麗よね」


 彼女の感覚が、時々よくわからない。


「ところで加賀君……寒くないの? その格好」


「寒くないよ」


「……どうでもいい嘘ばっかつくよね」


 完全に見透かされているのが嬉しいんだか悲しいんだか。


「右手が暖かいからいいの」


「……時間が止まっちゃえばいいのになぁ」


「本当に止まったら困るでしょ?」


「……うん」


 すぐに駅に着いてしまった。


 それを心底残念がる僕の右手。


「じゃあね!」


 踊るようにくるくると、何度も振り返りながら改札に駆けて行く。


 手を大きく振ってそれに応えた。

 少しずつ、進んで行こうと思った。右手に残る僅かな熱を、冷まさないようにポケットに入れる。


「寒い」


 誰にも聞こえないように本音を呟いて、僕は来た道と違う道を一人歩く。

 競歩のような早歩きで。




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