Chapter17 手を伸ばしても届かない
文明を感じさせる巨きく螺旋を描く階段を、手を繋いで駆け下りる。
人の影も気配も近くにはない。
時計回りに螺旋を下る。
不意に現れた水色の扉。
「開けるわよ」
「ああ」
まちの左手がドアノブを回し、鉄扉は開かれる。
中に入ると、誰もいなかった。
「誰もいないな」「誰もいないわね」
ほぼ同時にそう言って、それが何だか可笑しくて、二人してクスリと笑う。
何も無かった部屋を出て、また螺旋階段を下りていく。
また扉があった。
「開けるわよ」
「ああ」
まちの手で鉄扉が開かれる。
妙なテンションだった。
生まれてから、こんなに高揚したことはないと言えるくらいのハイテンション。
罠がある可能性だってあるのに、次々に思い切りよく開けていく。
そして扉を開けること数回。俺たちは怪しい部屋に到着した。
その先には、大きめのコンピュータルームがあった。
新渡戸家のパン屋の地下の研究施設にあったそれよりも少し小さいもの。
人間は見当たらず気配も無い。
横たわる人間もいなかった。
「ヒロアキ」
まちが、弾んだ声を上げた。
「何かあったか?」
「これ、借りていきましょうか」
まちの手には、白衣が二着、まるで俺達がここに来ることがわかっていたかのように、二着ほど椅子に掛けてあった。
俺達は、やっと手を解き、その白い服に袖を通した。
まちは、白衣に付いていた名札のようなものに、『蔵野まち』と置いてあった油性ペンで自分の名前を書き込んだ。機嫌よさそうだ。
少なくともこの潜入というミッションを楽しんでいるようだった。
俺達が白衣を着ていたところで、すぐにここの人間ではないことはバレるだろうが、そんなことは大した問題じゃない。目的はバレないことではなく研究の阻止なのだから。
ああ、何だろう。
今、俺に、怖いものはないように思えた。
「行くわよ!」
「まち、ここからは慎重に行こう」
「……ええ、わかったわ」
「まち」
「何?」
「このコンピュータの配線を辿ってみないか?」
よく見れば、螺旋階段の外壁に沿って幾筋ものケーブルが走っている。
それはずっと地下へと続いているようだった。
「……そうね……一つずつの扉を探していくよりは効率が良さそう。一番多くの線が集まる所に、すべてを制御する機械があると考えるのが自然だわ」
「ああ」
俺は頷く。
「行きましょう」
階段を下りていく。
いくつもの扉を通り過ぎた。
たまに扉を開け、その度無人を確認する。
だんだんと壁を走るケーブルの数が増えていく。
走るまちの揺れる白衣からは薬のにおい。
ところで……確かこの近くの山って活火山だったよな……。
こんなでっかい穴掘って、噴火したりしたらどうするんだろ………?
あるいは、活火山だから、こんな空洞ができたって話かもしれないが。
★
やがて……俺たちは遂に、敵の心臓部へと侵入したようだった。
どのくらい下りただろうか。
見上げれば、頭上にぐるぐると回転していく階段。
下にもまだ少し階段はあったが、下りて来た距離の数十分の一程度でしかない。
目の前には灰色の鉄扉。全てのケーブルが、この部屋に収束しているようだった。
「開けるわよ」
まちが言った。
「ああ」
と俺が返す。
重そうな鉄扉が開かれて……俺達は勢いよく内部に侵入した。
一、二、三、四、五、六、七!
広い部屋。
確認できたのは七人。
全員男。そのうち銃で武装しているのが四人。
扉を開いた瞬間にこちらに向き直り、激しい銃声がエコーを従えて鼓膜を打つ。
銃を持った者二人の間に身を置いて、味方を撃ってしまうのを恐れて怯んだところでまず一人目の銃を叩き落して、右腕で腹部を強打。
すぐさま反転し、地を蹴る。
もう一人の銃を乱射する男の懐に忍び込み、下から、横に回る独楽のようにして回転の力でもって顎を殴りつけた。
これで二人停止。
人が何かにぶつけられる音が二つ響き、銃声が完全に止んだ。
俺は最初に倒した男が落とした銃を手にする。
「ヒロアキ! 後ろ!」
まちの声。
背後には――うおぁ!
危ない。
刃渡りどのくらいだろう……とにかく超長い刀が俺の頭上の空気を切り裂いた。
俺は銃を頭上に投げ素早く二本のナイフを取り出した。二刀流。そして、仕上げとばかりに、ゆっくりとポケットから赤いフレームの眼鏡を取り出す。
投げた銃が地面に落ちて、ガッシャンと重そうな音を出した。
まちから借りた眼鏡をかけてみる……許容できる範囲ではあるが、少し小さい……そしてやっぱり伊達眼鏡だった。
完全にフィットしないため、逆に集中力が削がれている気がする。
しかしもう外している暇はない。とにかく今は、眼鏡を取り出している間に攻撃して来ないでくれた律儀な長刀使いとの戦いに集中しなくては。
敵の太刀は俺の右側から俺の隙を窺っている。そう感じる。
俺は近接戦闘においての小難しい戦術とか作戦とか駆け引きとか、よくわからないから、とにかく手数を重視だ。攻め続けるしかない。
先攻して先攻して先攻して先攻する。
それがスタイル。
地を蹴る。
瞬間、右斜め上から振り下ろされた刃が、コンクリートの床を破砕し、敵はその勢いで棒高跳びのように舞い上がる。
着地と同時にもう一度振り下ろされる刃。
二本のナイフを頭上でクロスさせ、その交差点で刀を受け止めた。
一拍。
刀を支点にして頭が床を掠めるように右回りに角度にして二百度ほど急転、視界が逆さまになる。
次の瞬間には体軸を床に対して四十五度の角度にして、回転の勢いを込めた右かかとを相手の右わき向けて繰り出す。
入った。
敵のあばら骨が折れる感触がした。
「ぅぐぁ――!」
悲鳴。
俺の左足は止まらず、男の左足を払い、その左足を支点にして回転させ地に打ちつけた。
仰向けに倒れる男。
俺はちょうど三百六十度回りきって、最後の仕上げとばかりに急所に肘を入れる。
「……っ」
声にならない声を漏らした後、男は沈黙。
随分久しぶりに、勝った時の高揚感を味わった。いつも、まちに負け続けてだからな。
さて、肩で息をするくらいに疲労していたが、視界に、顔を上げると既にまちが白衣の男に小太刀を向けているのを発見したので、俺はそこに向かって歩く。
会話がきこえるくらいまで近づいたときに、白衣の男は低い声で言った。
「お前達は……何だ?」
俺たちは答える。
「私は蔵野まち」
「俺は山田ヒロアキ」
ナイフを一本懐に仕舞って、片手のみに握る形にして、まちの隣に立った。
「第七帰宅部」
まちは反り返った小太刀をもっていないほうの手を胸に当てて、はっきりとした声で、そう言った。
「何だそれは、聞いた事もない」
諸手を上げて、首を振りながら、しかし怯えていない白衣の男。
五十か、六十歳くらいだろうか?
頭髪はほとんどが白髪、しわも多い。
何列も並んだ白っぽいコンピュータを背景に、白衣の男が静かに立っていた。
「お前の名前は?」とまちが訊ねる。
「……私は、岩城だ。このマシンたちの管理をしている」
「岩城」
彼の名を呼んで、まちは突きつけていた刀を静かに下ろした。
「ねえ岩城、私達に教えてくれない? 幾つか、質問に答えてもらいたい」
「……わかった。私の知ることなら全て話せるが……その前に、私は君達が何者であるか興味がある」
そこで俺は歩み出て、格好つけて喋ってみる。
「別に隠すようなものじゃないぜ? 普段は高校生だが過去に〈器〉を壊していた」
「〈器〉を壊す者……か……ということは、君たちも我々を追うあの組織の者か」
「元、だけどな。裏切ったから」
俺が自嘲気味に言ってやると、まちは不快感を煮締めたような声で、
「ヒロアキは黙ってなさい。余計なことは言わなくていい」
怒られた。意気消沈せざるをえない。
まちは、仕切り直すように、覚悟を決めるように溜息を一つ吐くと、力強い声で訊ねた。
「まず一つ目。〈器〉なんてものを造った理由」
そうしたら男は、多少の沈黙の後、雄弁に語り始めた。
まるで、誰かに聞かせる話を用意していたかのように……。
そうだな、霧野みやこが死んでしまったことを高島に話すために俺の頭の中で台本用意したことが思い出された。
「昔、一人の男がいたんだ。その男には、ただ一人、命を懸けて愛した女がいた。それが……ちょうど君達くらいの年の頃に、動かなくなってしまったんだ。その男には二人の親友がいた。あわせて三人の男が、その女のことが好きでなぁ、そのうちの一人が、彼女をもう一度動くようにしようと言い出して、大喧嘩したんだよ。彼女が動かなくなってしまったことが、私達三人を引き裂いてしまった。一人は私達の許を離れてどこかへ消えた。残った私と、一人の男、二人は、彼女の記憶を電磁記録として変換し保存することに成功した。……成功してしまった」
「……愛のためだということ?」
信じられないような話なのに、まちは平然と、その話の根幹に「愛」を見てとった。
しかし、岩城は、それが愛の産物だと認めることに抵抗を感じていたようだ。
「どうなんだろうな……。問いただそうにも、あいつも、もう随分前に動かなくなってしまったから分からない。私個人としては、もちろん彼女にはもう一度動くようになって欲しい。だから、そう、考えてみると、『愛』というよりは……『永遠』を、欲しがったんだと思う」
「永遠?」まちは予想外の答えに戸惑う。
「ずっと死なずに記憶が続けば……それは『永遠』だと、思っていた。不老不死の研究、好奇心、愛する誰かをもう一度動かすための、神への挑戦。あるいは過去の者を生き返らせることで、過去にタイムスリップしようと思ったのかもしれない。私の中にはその全てを望んだ記憶がある。もう一度戻れたら……と」
「ただ一人の女性のために、人の命を弄んだと?」
「いや、人類のためだと思ってやってきたさ……。それを邪魔する連中がいなければとっくに……彼女は生き返っていたに違いないんだ」
「……二つ目、良いかしら?」
「ああ」
二つ目の質問。
「じゃあ、どうすればこの研究が無くなるか、教えてもらえるかしら?」
「簡単なことだ。このマシンを破壊すればいい」
「根拠は?」
「これは世界でただ一つしかない、君達の言葉で言う、〈器〉のためのマシンだ」
「待って、ただ一つしかなくても、設計図と材料さえあればまた作り直せてしまうでしょう?」
「それは不可能だ。少し長くなるけど……いいかな?」
「ええ、お願い。納得がいく説明を」
「……このマシンの設計をしたのは私だ。私がもう一度このマシンを組もうとするには、数十億……いや、今となっては数百億の費用が必要だろう。私の手元には、もうそのような額は残ってはいない。
それにもう一度これを組み上げるのにどれだけの労力と時間が掛かるのか、少なく見積もっても三年……。期間の問題ではないか、もう意味が無いんだ。彼女の身体は朽ち果て、あいつの身体も動かなくなった。
記憶だけがこの、マシンの中に残っている。バックアップは取っていない。そんな簡単に取れないんだ。情報量が膨大過ぎて。
最初に〈分身〉を作った時、記憶を一気に流し込んだら、〈分身〉は発狂してしまった。そこで、薬剤にして投与するという奇天烈な発想が提案された。それまでにいくつもの〈分身〉を造り出し、時には自殺しようと迷い込んで来た者をも実験に使った。
罪深いことだな。
薬の投与、という方法は駄目で元々と考えて実行されていたが、これが思ったよりも成果を上げて、彼女の細胞から再生した彼女の分身に数年間に分けて投与したところ。彼女が戻って来たように歩き出し、彼女はあいつの名前を呼んだ……。
でもそれは、彼女ではなかった。
笑わない泣かない怒らない。ただ反応を返すだけの人形のようだった。
それにひどく失望したあいつは、それきり彼女と会わず、誰も彼女と会わなくなった、一人きりになった彼女は、三ヶ月くらい経った頃かな……また、動かなくなった。
ある名もなき研究者の一人が言ったことだが、彼女が人形のようだったのは、普通の人の日常というものを体験していないからだ、という仮説があった。
研究が見つかるリスクは増えるけれど、彼女をまた動くようにするためにはそれしかないと決断した。けれども、彼女と同じ名前で社会に割り込ませた〈分身〉は、すぐにどこかへ消えてしまった。彼女の容姿で造り出した器もすぐにどこかへ消えてしまった。名前を変え、容姿を変えて造り出した分身も、完成する前にことごとく消え去り、ある時仲間の誰かが捕らえた曲者が口を割り、『〈器〉を壊せと言われただけだ』と言ったことから、私達の研究を潰そうとする組織があることを知った。
そしてその組織が今日、このクリスマス・イブには活動しないことも知り、その時を狙って私達は集会を開くようになった。外で活動する〈分身〉についての大報告会、それから新しい技術を導入したマシンの説明等が主になる。
時が経ち、やがて彼女は忘れられ、研究の目的が変わってしまった。『完全な生前の記憶と若い肉体を持った〈分身〉を作り上げること』だけが私達の目的に……あぁ、そうだ君達の言う〈器〉のことを私達は〈分身〉と呼んでいる。すまない、言い忘れていた」
「いいわ、続けて」
「……このマシンは記憶データを薬剤データに変換するためのマシンだ。このマシンでないとできない。だからこのマシンの死は研究の終焉を意味する。薬のデータは、あの霊峰たる山自体をアンテナとして各端末、つまりこのマシンを簡易にしたものに送信、あるいはその逆に受信され、多くの仲間達と情報を交換することができる。
今ここより地下の大きな部屋で全員揃って会議してるが、あれはもはや、彼女をもう一度動かすという目的のためではないんだ。私やあいつの意志から外れてしまった研究なんだよ。
だから私はもうどうでもいいと思ってこのマシンの前に立った。此処には彼女もあいつもいるからな……」
「待って、これを壊したら、薬が作れないというのは解ったわ。でも、一つの細胞から人間を組み立ててしまうという技術は残るわよね」
「そうだな……少し、付いてきてくれないか……?」
そう言って老人は歩き出す。鉄扉が開かれ、三人は部屋の外に出る。
重たい扉の閉まる音。
コツコツ、と静寂の中、硬い靴音が響く。
俺と岩城の二人分の靴音が響いている。
階段を一段ずつ上り、螺旋の回転で言う二回転ほど上った鉄扉の前に立ち、その扉を開いた。
「そういえば……えぇと……蔵野まち君……といったか」
「何? 岩城」
「君は、彼女に少し似ているな」
「彼女?」
「私やあいつ、そしてもう一人の馬鹿が好きだった、たった一人の女性だよ」
「……そう」
鉄扉が閉じて、暗闇が迎えてくれた……。
「これ……は?」
まちが……まちの声が震えていた。
パチと音がして、電気が点いた。同じ顔の女が、二人いた。
「これは、彼女の分身……器なんだよ……」
同じ顔をしていた。
まちと、その、「分身」「器」と呼ばれた人間が。
とすれば、さっきから岩城が言っている「彼女」というのは、まちのこと?
いや、そんなはずはない。
「え……」
力なく漏れた声。上ずった声。蔵野まちらしからぬ、思考停止の声。
「まち、違う。まちは、まちだろ?」
俺は彼女を現実に引き戻そうとする。
「ええ。私は、そう。蔵野まち」
胸をおさえて、自分に言い聞かすように、そう言った。
岩城は、〈器〉らしき少女の背中に優しく手を触れ、
「ほら、レイコ、挨拶しなさい」
そう言った。
「……私は、森岡レイコ」
表情のない声で言って、〈器〉の少女は、頭を下げた。
声も、蔵野まちと、よく似ている。でも違う。
「森岡……というのはあいつの姓なんだ。私達は悲しいだろう? あいつが動かなくなった後、ここでこうして……」
奥には白髪の混じった男が横たわっているのが見えた。
誰かの死体だ。
「あの奥の男性が……」
あれが、岩城が言っている「あいつ」といったことか。
「そうだよ。この研究を始めてしまった大馬鹿野郎」
そして、すぐに岩城は踵を返して鉄扉を開けた。
開けたまま、俺たちに背中を向けて、言う。
「一つ、真実を伝えるとすれば……少なくとも大規模な施設と大勢の研究員がいなければ、一つの細胞から人間を形作ることなどできない……。さて、戻ろうか……全てを終わらせるために……」
鉄扉をさらに開け、扉の向こうへ消えた。
「……まち! 行こう!」
「あ、え、ええ……」
俺はまちの腕を引いて、閉まりかけた鉄扉を押し込み、部屋を出た。
森岡レイコは置き去りに。
すぐそばで、重たい重たい鉄扉が、閉まる音。
遠くで鉄扉の閉まる音が小さく聴こえた。
岩城が先に巨大コンピュータのある部屋に戻ったようだ。
「まち? どうしたの?」
「ええ、そうよ、大丈夫」
ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように。
全然、大丈夫ではなさそうだった。
まちとレイコ……同じ顔の二人。
器、分身……もしかして……?
いや、それは半分確信に近い。
でもまちはその事に気付いてしまっていて、その気付いていることを、俺に気付かれたくないはず……なんて、そんなことは後になって考えればいい。
今はとにかく、この最低の研究を終わらせるんだ。
「まち!」
大きな声でそう呼んだ。
俺が名付けたその名前。
「え? あぁヒロアキ、何?」呆けていた。
「らしくないぞ、お前はまだ俺の手を引っ張るんだよ!」
俺はそう言って放心しかけていた彼女の背中を押して、鉄扉の前に立たせた。
「……あたしは……蔵野まち」
呟いた後、大きく息を吸って勢いよく扉を開けた。
広いその空間に入ると、コンピュータの放つ排気の音が耳についた。
最初に入った時には気付かなかったのだが、大きく鳴いていた。
あるいは、最初に踏み込んだ時には動いていなかったのかもしれない。
ちなみに、先ほど気絶させた六人は、未だ目覚めそうもなかった。
「こっちだよ、蔵野まち」
岩城はそう言って、遠くで手招き。
俺達はそれに付いていく。
老人の白い背中は薄闇に浮かんで、まるで、幽霊のように見えた。
歩く道には図書館や倉庫のように機械という名の棚のような形状の箱が置かれていた。それぞれの箱は本来は白かったと思われるが、黄ばみ、薄汚れていた。
「ここだ」
岩城は高さ二メートルほどの金属製の箱を指差して、言った。
その箱だけは汚れは少なく、おそらく頻繁に整備しているのだろう。
「これを壊せばここのコンピュータは全てのデータを失い、機能も停止する。この耳につくゴォゴォという風の音すらしなくなる」
「まち」
「ええ……それじゃあ、岩城。壊すわね」
「ああ、この瞬間のために私は生き延びたんだ。お願いするよ。こんな馬鹿げた研究、もうおしまいだ」
「っは!」
掛け声と共に、箱は縦に真っ二つに裂かれた。
まちの小太刀の白刃は、淀みなく、あの俺のナイフを切断した時のようにその箱を開けた。
開けたと言うのに、一向に様子が変わらない。
排気音は相変わらず轟轟鳴っているし、時折鳴るピーとかパーとかいう機械音もそのままだ。
「岩城、機械が止まっていないじゃない? どういうこと?」
そして、岩城は、こう言った。
「……今、切れたのは、自爆装置のスイッチだよ。起爆したんだ」
「え……!?」まち。
「じ……ばく?」俺も信じられなくて呟く。
「そう、ここに仕掛けられた六十の爆弾の起爆装置」
「下に人がいるんでしょう? 大勢が、集まっていて……」
「ああ、大勢いるな。研究者を名乗る馬鹿どもが」
「爆発までは!?」
「十二分だ」
「まち! 少しでも助けないと!」
まちは、わかってるわよ、という目で俺を睨みつけた。
「逃げる時間は十分……いや、十二分にあるだろ?」
岩城は自嘲した笑いを漏らしながら、そんなことを言った。
「そんなダジャレ嫌いよ」
「ははは」
岩城は自嘲気味に笑っていた。
「急がないと!」
俺達は走りだす。来た道を全速力で戻りだす。もう何も死なせないと誓った。爆弾が本当だろうと嘘だろうと、どうにかしないと。逃がさないと。走らないと。
機械部屋の入口あたりまで来た。
倒れている六人は、死んでいるわけじゃない。気を失っているだけだ。
彼らのことも、助けなくては。
「まちは、そいつらと上を頼む! 俺は下に行って報せて一人でも多く逃がすよう叫んでくる!」
「ええ!」
決意に満ちた、蔵野まちの力強い返事がきこえて、少しだけ安心した。
階段を下りる。全速力で降下する。
一番地下にあった扉を勢いよく開ける。
その先には大量の人間。
大きな音で扉を開けた俺に多くの目が向いている。
「おい! 急いで逃げろ! 爆発するぞ!」
舞台のようなところがあった。
劇場や公会堂やコンサートホールや大きな映画館のようなそんな座席があって、あぁ、そんな状況描写なんてどうだっていい!
いっぱい人がいた!
それだけ!
「早く逃げろよ! あと十分もない! 早く! はやく!」
俺は必死で叫んだ。でも、誰も反応しない。そして大勢の中の一人が言った。
「――たしか去年もこんなことあったよな」
それに同調するように、また一人、
「あぁ、岩城さんだろ? 急に爆発するとかって騒いで」
また一人、
「何だ、二番煎じかよ、面白くねぇな」
何だそれ、死ぬ……、ここにいる全員が……、何人……、五百……、一千……、もっとだ……二階席もありやがる……。
このままじゃ、いっぱい。いっぱい死ぬ。
視界が揺らぐ。グニャってした。
「君、山田君か?」
あ……。
「眼鏡しているから誰かと思ったが…」
「新渡戸の……」
新渡戸の父親だ。
「君も、この研究の?」
「ふっざけんな! あんた何してんだよ! 息子放って何してんだよ! 爆発するんだよ! 帰るぞ! 帰るんだよ! あんたの家に! あんたのパンを新渡戸はまた食いたいんだよ! あんたにまた会いたいんだよ! こんなところで死ぬなよ! 家族だろ! 家族って何だよ! 家族……。何でこんなところに! 何やってんだよぉ!!」
っ……俺が爆発してどうする。
「…………」
「爆発なんて冗談なんだろ?」
二階席の奴が言った。
「お、うはは、上段の奴が冗談とか言ったぜ」
一階席の誰かがそう言うと、全く面白くないにもかかわらず、
――会場大爆笑。
お前ら……
「お前ら皆死んじまえ! もう誰も助けなんか来ないからな!」
ちくしょう、あのジジィ、岩城とかいう奴……最低だ……!
「親父さん、来てください」
俺は手を差し伸べる。
新渡戸の父親は、俺の手を掴まない。
「早く!」
俺は新渡戸の親父の手を掴んで走リ出した。
会場の外に出て、螺旋階段を逆時計回りに回る。
ぐるぐるぐるぐる走って走って駆け上がる。
新渡戸の親父の手を引いて走る。走る走る。
「山田君! 離してくれ!」
「誰が! 離すかよ!」
「離せ!」
力強く手を振り解こうと振り下ろした新渡戸の親父の手が、いつの間にか手にあった汗の所為で滑って、解かれて……しまった。
「私は夕実を作るんだ……夕実を作るために学ばなくてはならない。だから」
「だから何だよ!」
「だから、あんな家には帰れない」
「あんなって……あんな家って……」
新渡戸は待ってるのに。
生きてるあんたを待ってるのに。
誰かが戻ってこないかずっと待っているのに。
何でこいつずっとそんな……夕実なんて……幻に……っ!
「もしかしたら君は、私を連れ戻しに来たのかも知れんが、私は帰る気はない。金は置いてきたじゃないか。夕貴は何がそんなに不満なんだろうな」
「このクソジジィ!!」
殴っていた。
もう知らない。
こんな父親いても新渡戸は……っでも、でも!
これでも新渡戸の……家族。
俺は気を失ったその男を背に乗せると、螺旋の階段を手すりから手すりへと跳躍して昇った。
あと何分残っているだろう?
俺は結果的に多くを見捨ててしまった。
――でも!
仕方なかった……。
もしかしたら爆弾なんていうのが狂言なのかも知れない。
そんな願望が大いにある。
手すりを踏み台にするのは恐怖だった。
一歩間違えば底が真っ暗で見えないような距離を落下する。
それが死を意味することは言うまでも無い。
俺やまちは何とかなるかも知れないが、他の者たちは……。
さっきまでは、まちと二人で何でもできると思った。
なのに、その根拠のない自信はもう、影もなかった。
俺はただ情けなく頼りになるまちを探して、最低限を救って逃げようと決めた。
そして、視界に、彼女の姿。
「まち!」
まちは二人を背負って走っていた。今から階段を走って登ったのでは間に合わない。大きく跳躍してショートカットしないと。
どれだけの距離を下りてきたか考えて計算すれば、もう走っていては途中で爆発に巻き込まれることは明白だ。
「まち! 二人は無理だ!」
「大丈夫よ、ヒロアキ。あたしを誰だと思っているの?」
「俺を背負ってここまで来て、その上、こんな階段ばっかり移動して、疲れてないわけないだろ? もう階段走ってたんじゃ間に合わないんだよ!」
「あら……じゃ……あ跳ぶわよ」
すこし苦しげな声にきこえた。
「レイコ、しっかり捕まってなさいね」
「…………」
背中の二人は答えない。
老人の死体と森岡レイコと呼ばれる器を背に乗せて、まちは跳んだ。
手すりを踏み台にして飛んで行く。
「まち……」
思わず呟いて、俺も置いて行かれないようにジャンプして続く。
飛んでいく。
まちは二人背負いながらも俺よりも速いペースで進んでいった。
不意に、新渡戸の親父が空中で覚醒した。
「離せ! 夕実を! つく……ぅうわあぁぁぁぁぁあぁぁ」
呆気なかった……。
俺は何の言葉を発することもできないまま……。
手を振り解かれ……。
急に身体が軽くなってしまって……。
また……。
新渡戸にどう言えばいいんだよこんなの!!
闇に落ちていく声だけが届いて、また……俺が……殺してしまった……。
そんなことを考えている俺も落ちていた。
我に返った俺は空中を泳いで何とか途中の手すりにしがみついて、その手すりを飛び越えて手すりと階段の間に身を置いた。
束の間の休息。
しかしすぐに立ち上がった。
このままじゃ俺も爆発に巻き込まれて死んでしまう。
涙を白衣の袖で拭って思い立つ。
――軽くなろう。
俺は白衣を脱ぎ、ナイフの入った上着も脱ぎ捨てた。
それだけで随分違う。
ここはどこだろうか。
底と地上の中間辺りだとすれば、かなり頑張らないとすぐにタイムリミットだ。
俺は靴とソックスを脱ぎ捨てて裸足の足を手すりに掛けた。
フゥと大きく息を吐いて、跳ぶ。
まちほどのスピードは出ない。
それでも、全力で、何度も傾いた手すりを蹴る! 蹴る! 蹴る!
あと何分何秒?
時計を見ている暇はない。
まちの背中が見えた。頂上も見えた。俺達が入って来た扉。鉄製の扉。螺旋の最後のカーブ。
そこに足をつく。
まちはもうあと一跳びで出口まで行ける。
「まち!」
追いついた。追い抜いた。今、俺の手が扉を開け――
不意に、大きな爆発音。
最初の爆発。
階段全体が揺れた。
もう時間がない!
まちが跳んだその刹那!
轟音。
俺の背後で爆発が起きた。
螺旋の階段が形を失って歪曲する。
――まち!
頭の中で叫んだ。
祈りにも似た叫び。どうか無事であってほしいと。
爆風で闇の方へ戻されたまちの手は、手すりを掴めなかった。
「っく……」
辛うじて俺の右手がまちの手を捕らえた。
「ヒロアキ!」
くそ!
駄目だ……重い……。
「まち……ごめん……お願いが……」
「何よ! こんな時に! はやく引き上げて!」
自分の……力の無さ……鍛錬不足を、呪う。恥じる。
くそっ、何でこんな!
今にも崩れそうな赤い螺旋の階段。
三人分の重さに耐えられない俺の右腕。
……この間までヒビが入っていたから、なんて言い訳でしかない!
時間が無い……。
言うしかない……正直に……。
「まち……一人……捨ててくれ……」
「っ! 馬鹿! ふざけんじゃないわよ! 変身ヒーローなんでしょ! その眼鏡何よ! 外せば本気出るんじゃないの?」
ドォンドォンと遠くでいくつもの爆音が響き渡る。
ほんの小さく悲鳴も聴こえた。
いつ、この近くで爆発が起きるかわからない。
これ以上階段が傾いたりしたら俺は滑り落ちてしまうだろう。
そうならないように、左手で数秒のうちにネクタイを外し、手すりを支える金属に巻きつけて、それを吊革のようにして握り締めた。
拙く頼りない命綱。
別名、気休め。
「まち、ごめん……鍛錬不足だ……」
「……レイコ……ヒロアキの手に捕まって……」
俺はネクタイから手を外して左腕を伸ばしてレイコという女性の…………そのまちに良く似た女の子の手を掴んだ。
右手には蔵野まち。
左手は森岡レイコ。
同じ顔、同じような声。
でも違う二人を。
「いいわね、掴んだわね!?」
「ああ!」
「じゃあ…」
まちは背負った男を闇へと……落として……だがその瞬間に、俺は突然強い力で左腕を弾かれた!
不意を突かれて俺の手は彼女の手を…………離してしまった。
爆発音が、響いた。




