Chapter16 赤と緑が仲良くする日
視点:加賀遊規→山田ヒロアキ
聖なるその日に星二つ。繋いだ右の手左の手。
赤い靴下。緑のネクタイ。赤と緑が仲良くする日。
★
常緑樹がキラキラと装飾され、色とりどりのランプがピカピカ光る。街行く人も、服を多く着込むようになった。
駅ビルの商店街は暖房に満たされ、来るクリスマスというイベントに向けて道行く二人組みの男女なんかも増え始めていた。
ねたましい限りだ。
駅ビルの商店街。
「私はひろみとブラジャーを見に行くわ!」
買い物をする人々の憩いの広場のような場所で、まちが大声でそんなことを言っていた。
逆セクハラ。
「あ、あぁ……わかった……」
周囲の視線。怪しいものを見るような目……。
もうまちとひろみと俺で買い物に来たくない。完全にトラウマになった。
「あんたはそこにいなさいね」
「無理言うな!」
わざとやってんのかと、時々思ってしまう。
しかし戻ってきた時にここに居ないと後が怖いので、結局ここで待つことにした。
買い込んだ荷物を足元に置いて、木製のベンチに腰掛ける。
気付けば、自分を取り巻く環境が大きく変わったことを、しみじみと思い出している自分がいた。
新渡戸夕実を殺してしまって、その人殺しとしての正体を隠していた。
霧野みやこを守ることで罪を償おうとして、それが叶わなかった。
でも守ろうとしたことで、級長が組織を裏切り、何故か俺の家に住み着いた。
蔵野まちという名前を手にして……。
まちとひろみとは、もう数週間一緒に暮らしている。
まるで、テレビドラマやテレビアニメで見た……家族のように。
新渡戸や加賀と三人きりだった頃と比べて、格段に楽しくなっていた。
でもそれが霧野みやこという一人の人間の犠牲によって成り立ってしまっていることを思い出すと、楽しんでいいのだろうか、と不安になる。
未だ組織の魔手は伸びてこない。
しかし時間の問題。組織の奴らにとってひろみは壊すべき器で、俺とまちは裏切り者なのだから。
高島がいて、加賀がいて、新渡戸がいて、ひろみがいて、まちがいて。
俺は今度こそ守ることができるのだろうか。
十二月も三分の一が過ぎ去って、街がどんどん慌しくなっていくように感じる。
高校卒業したら、どうするんだろうなぁ、俺。
そんな現実味溢れたことを思ってしまう程、俺は世界が好きになっていた。
「ヒロアキ」
まちが戻ってきた。
「はい、これ、ヒロアキの分」
そう言って、ソフトクリームを手渡してきた。
「この寒いのによくソフトクリームなんて」
「好きなのよ」
言って俺の隣に座った。
……ん?
「なぁ、訊いていいか?」
「何よ」
ルンルンとした様子でソフトクリームを食べているまち。
「ひろみ、どこだ?」
「はぐれたわ」
「お前! 攫われてたらどうするんだよ!」
思わず叫んでしまった。周囲の完全に怪しい人を見る目。
俺としたことが…失敗。
「大丈夫よ。私達を追跡している者は今のところいないわ」
「……そうか……」
「食べないと、溶けるわよ?」
「あ、あぁ」
俺はソフトクリームに口を付ける。
「食べてから考えましょう」
そのとき、ふと店内アナウンスが響き渡った。
「お客様のお呼び出しを申し上げます。○○区からお越しの、えぇと…まっちー様とアッキー様…山田ひろみ様がお待ちです。至急七階迷子センターまでお越しください……」
「迷子かよ!」
頭を抱えた。
その拍子に、ソフトクリームが髪にべったり……。
やっちまった……。
★
家に戻ると、何故か新渡戸と加賀と高島がいて、コタツが占拠されていた。
ひろみが空席に座る。
「おかえり」
と新渡戸。
「ただいま」
俺はそう言うと風呂に向かう。頭に付いたソフトクリームを落とすためだ。
軽くシャワーを浴びて、出ると、ちょうど紅茶が用意されていた。嬉しい限り。
「なぁ、級長」
新渡戸はいまだに、まちを級長と呼ぶ。
「級長と呼ぶな」
まちはそれが気に入らないので、攻撃的な目で新渡戸を睨む。
どうも新渡戸は、その蔵野まちの反応を楽しんでいるみたいだった。
「なあ級長。実に今さらな質問なんだが…たとえば高島がピンクのカップ。ヒロアキならグリーン。級長がレッドで加賀がブルー。ひろみは専用ティーカップがあるだろ?」
「ええ、そうね」
「何で俺だけ紙コップなんだろうかって不思議に思うんだが」
「ペンで色を塗ればいいじゃない? 新渡戸っぽい色を」
「そういう問題じゃなくてだな…」
「文句言うんだったら自分の家から持ってくればいいじゃない」
「あぁ…その通りだな、それは…」
「わかればいいのよ」
「ごめんなさい」
謝らされていた。
★
恒例の会議。コタツに座って行われるいつもの雑談である。
「さて、全員揃ったし、今日も張り切っていこうか」
「おー」
「今回の議題は、迫るクリスマスについて、だけど何か意見は」
「はい!」
勢いよく挙手したのは、高島だった。
「はい高島さき」
「クリスマスパーティ!」
「普通だな」
「え、そんな特異なことする必要があるの?」
「はーい、クリスマスパーティでいいと思いまーす」
「加賀……お前、高島がそう言ったからって、二人で話を進めるな」
クリスマス……?
何かが引っかかる。何だ?
「級長、何か意見は?」
「級長と呼ぶな……。そうね……クリスマスは休んで、パーっと祝うもの……」
そうだ!
繋がった!
「まち!」
「……なんだよ、ヒロアキ……急に……」
「新渡戸、クリスマスに、地下の研究所はどうなってた?」
「ん、あー……そういえば無人だったな。毎年」
「ひろみは? クリスマスに白衣の人たちに会ったか?」
ひろみは首を振る。
「なるほど……その可能性はあるわね……」
「おい、二人で話を進めるな。何のことだかわからん」
「加賀! ノートとペン貸してくれ」
「え? あ、あぁ……」
俺は加賀からノートとペンを受け取ると、そこに思い付いたことをまとめながら説明していく。
「俺が毎年クリスマスに新渡戸の誘い断ってたよな?」
「ああ、彼女でもいるのかーって加賀と話してたな。毎年。で、それがどうしたんだ?」
「実はその時、俺は組織の施設に行っていたんだよ」
「組織の施設って……その、ヒロアキやまちが訓練したってところ?」
「そう。何故なら組織の奴らはクリスマス・イブは必ず施設に戻って仕事を休まなくてはならなかった」
「何で?」
「そう、決められていたから。俺が組織を抜けた後、霧野みやこをずっと守っていたときに、クリスマスの間だけは警戒を解いても平気だった。彼女を壊そうとするものたちは休まなくてはいけないから。俺はその時に組織の様子を探りに何食わぬ顔で侵入していた」
「そうだったの?」
「正面から入れたよ」
「確かに毎年クリスマスと呼ばれる時だけは拠点に戻らなくてはならなかったわ。戻らないと厳罰。お祭りは自由参加だったけど」俺。
「つまり、その時は器を壊される心配が限りなく少ない!」まち。
「その時を狙って〈器〉を生む研究者達が一同に会している可能性が高い」
俺はついに立ち上がった。
「クリスマス直前に移動する彼らの動きを掴めれば」
「彼らの本拠地を掴めるかも知れない!」まちも立ち上がる。
「まち、動き掴んでる研究者どれくらいいる?」
「しばらく目を離していたから二つ程度残っていれば良いほうかしら」
「――あの……ヒロアキ、まち」
「何だ? 加賀」
「話が見えません」
「だから、〈器を生む者〉たちを壊滅させられるかも知れないんだよ」
「えーと、つまり、クリスマスには」
「パーティは無理だ」
「ええ、戦いに行くわ」
「えー……」
「あ、じゃあこういうのはどうだ? さっさと片付けて、戻って来てパーティ」
と、新渡戸が提案。
「いいわねそれ。乗ったわ」
まちは、こういう時でも新渡戸の挑発に喜んで乗る女である。
「ねぇ加賀君、話がさっぱり……」
「いやぁそれは僕も……」
「加賀、高島。二人は、俺とまちの帰りを待っててくれればいいんだよ」
俺は格好つけて言ってみた。謎解きをして正しそうな推論を出せたので、気分が高揚していた。しかし、それに水を差すように、蔵野まちは言うのだ。
「そうと決まれば、行ってくるわね」
「え……俺は……?」
「貴方は留守番」
「何で」
「二人で出払ってしまったらひろみが殺されたらどうするの」
「あ、本当だ」
失念していた。そうだ、ひろみが殺されても俺達は終わってしまうんだ……。
「しばらく私はここに戻らないと思うけど…」
「そうだ、まち」
「何よ」
「これ、持って行けよ」
そう言って、携帯電話機を投げ渡した。それを、パシっと受け取って、鉄扉を開いて出て行った。
鉄扉が閉じたと同時に思ったことは……使い方、わかるんだろうか。ということ。
少し不安だと感じた。
「……ヒロアキ、どういうことだよ」
「どうもこうも、今言った通り。クリスマスパーティはする。〈器〉を生む研究者達の本拠地に乗り込んで頭を潰す。その二つだよ」
俺は加賀のノートにそのようなことを書いた。
★
それから数日……まちは俺の家には戻らず、それを少し寂しいと感じた自分の感情を全力で否定しながら、連絡を待った。便りが無いのは良いしらせであるとか聞いたことがあるけど、何の音沙汰も無いので、不安な気持ちは更に強くなった。
まちのことだから再起不能になっているなんてことはないだろうし、追跡不能になっていたなら一度ここに戻ってくるはずだろう。
結局テスト期間中もまちが戻ってくることはなく……ここはまちのせいだと言い張ろう、テストの成績が非常に……悪かった。
まちのせいだ、まちのせいなんだ。
俺は俺で、ひろみとずっと一緒にいて常に警戒していたが特に目立った問題も無く、テスト休みという名の冬休みに突入していた。
新渡戸は相変わらず俺の部屋に入り浸り、加賀と高島も付き合い始めたからといって何が変わることもなく俺の部屋に入り浸り、五人で遊ぶ日々が続いた。高島が言うには、
「新渡戸君と山田君とひろみちゃんの三人きりにするべきじゃないわ!」
ということらしい。
だからって、わざわざ加賀とイチャつくさまを見せに来なくてもいいじゃないか。あぁ、そうだなぁ、嫉妬とかしないと言えば嘘になる。どんな形であれ、望んだ形であれ、失恋には違いはないのだ。ああそうさ、俺は高島さきが好きだったさ。
いいなぁ……加賀……。
★
「あ、ほら、ひろみちゃんの番だよー」
「1」
ひろみの番。カードを場に出す。
「2」
新渡戸の番。カードを場に出す。
「3」
加賀。カードを場に出す。
「それダウト」
と高島。
「何故わかった……」
すごすごとカードの山を手札に加える加賀。
「4!」
再びカードを出す。
「それもダウト」
「くっ……」
出したカードを引っ込める。
「5!」
「ダーウト。なんで違うカードばっか出すの?」
「……さきちゃん強すぎる……」
また見破られていた。
「6!」
「じゃあ、あたし、これ7で、あがりー」
高島がカードを二枚重ねで場に出した。
このままでは、高島が一位抜けになってしまう。このダウトという遊びは、三人でやってもなかなか終わらないため、一位が抜けた時点で最も手札の枚数が多いプレイヤーが負け、というルールを採用した。
「ダウト!」
加賀がそう言いながら捲るも、しっかりと7が二枚あった。高島の勝ちである。
そして、どう見ても、加賀の手札が一番多かった。
「はい、加賀の負け。コタツから出ろ」
「くそー…」
ゲームに負けるとコタツから出される。もちろんひろみは例外。コタツの外に出るとゲームにすら参加できないという仕打ちが待っているわけだ。そしてひろみが負けると復帰できないという悪夢。今俺がコタツ外だったので、加賀と入れ替わりでコタツにイン!
ちなみに、同じトランプのゲームで、大富豪だと大貧民がコタツ外というポジションとしてリアルさを楽しんでいる。
「加賀ー、お茶ー」
「加賀君あたしもー」
そして敗者はお茶を淹れたりもしなければならない。
なんという見事なシステムだろう。
やはりコタツというものの万能性を認めざる得ないな。
……ところで、彼氏と彼女になっても加賀君って呼ぶんだな…。
まだ俺にもチャンスが……?
なんてな。無いだろうな。
「次何やるの?」
「何かやりたいのある? ひろみ」
「とらんぷ」
「よし、いつも通り大富豪やろー」
「お、僕も参加していいんだよね」
「ああ」
このように何をするかはひろみが決める。
最近では言葉をどんどん覚えてきて、すっかり立派な第七帰宅部の一員となった。
大富豪だけは特別で、何度もコタツを出入りしながら誰かが飽きるまで遊ぶ。
大体その時が帰る時となるわけだ。
「なぁ加賀」
と新渡戸。
「何だよ」
「高島とどこまでいったんだ?」
「ちょっと!」
カードを配っていた高島がカードをこぼす。
「何で新渡戸君にそんなこと言わなきゃいけないのよ!」
「だって気になるじゃん。いいから配れよ」
「むー……」
むくれながらもカードを配る作業に戻る。
「加賀は意気地がないからな。どうせ何もしてないんだろ」
「うるさいわね! 加賀君の悪口言わないでよね! あと意気地がないっていうかあれよ、新渡戸君と違って紳士なの!」
またカードを配る手を止めた。全然集中できないようだった。
「やっぱ何もしてないんだな」
「あぅ……」
「新渡戸くん……さきちゃんいじめてる。さいてー」
「う……あ、あぁ……ごめん……」
本気の謝罪。
ひろみが一番強かった。
高島がカードを拾いなおし、気を取りなおして配り出す。
「まぁ、今は、ほら、ヒロアキとまちのこともあるし……」
加賀が言ったが、
「いいわけだよな」
新渡戸が返す。
「悪いかよ」
「喧嘩するなよ?」
「しないよ」と新渡戸は両手の手のひらを見せつけて降参のポーズ。
「いいの、僕らには僕らの付き合い方があるもんね。さきちゃん」
加賀がいうと、すかさず高島が同調し、さっきのお返しとばかりにこう言った。
「……そうよ! 新渡戸君もきっと彼女がいないからそんな風に歪むのよ」
「酷いこと言うなぁ……」
ほんとにね。ここまで言われたら新渡戸が可哀想にもなってくる。
「いいもんな、俺達に彼女なんていらないもんな」
だけど、そんな風に肩に手を回してこられても、同意できやしない。
俺は険しい顔をして払いのけてやる。
本気でやめてほしいと思う。俺はちゃんと彼女が欲しいと思ってる。
「……ねぇ、加賀君、この二人、実はアレなんてことないわよね……」
「ゲイじゃないよ?」
「バイでもない?」
「二人とも女の子大好きなはず」
「そうよね! あはは、変なこと言っちゃった」
「さきちゃんたらー」
仲良しだった。
★
夜は深くなってゆく。
明日に迫ったクリスマス・イブ。
さすがの俺も焦ってしまう。
もしもまちがこのまま戻らなかったら……どうするべきだろう?
結局はまちが戻ってくるまで何も動くことができないという結論に至るのだが、何回も考えてしまう。心配だった。
バタン!
鉄扉の閉まる音に反応して、蔵野まちのようにコタツに浸かって眠っていた俺は目を覚ます。カチカチと鳴く時計に目をやると、午前四時。
いつの間にか寝ていたようだ。
玄関には制服姿のままの彼女が立っていた。
「ただいま……」
とても小さく、聞き取れないような声で呟いたまち。
「おかえり」
言って、体を起こした。
「……っ」
驚いた顔をして俺を見る目が、懐かしくて、愛しく思えてしまった。愛しい?
そんな感情、即座に否定する。
「起きていたの?」
「あれだけ大きな音で扉閉めたら、どんなに深い睡眠でも起きそうだな」
「そう、ごめんなさい」
「いや、いいよ」
「……ぷっ」
突然、蔵野まちが吹き出すように笑った。
辺りをキョロキョロと見回すが、何も笑うような物は置いていない。
カーテンを必死になって緑に取り替えたわけでもないし、家中の服に包まった加賀や新渡戸の姿もそこには無い。
俺の方を見てクックッという笑い。
まるで、人間みたいに笑いを堪えて……。
今まででこんな苦しそうにする彼女を見たことがなかった。
「な、何で笑ってるの?」
「そ、そんな頭で……っく……真面目な顔で……話すから……っぁはは!」
遂に声に出して笑った。
今までこんな嬉しそうな楽しそうな顔をする彼女を見たことはなかった。
別人との入れ替わりを疑いたくなるくらいの笑いっぷりだ。
「頭ぁ?」
自分の頭に触れてみる。
漫画ヒーローのように絶壁を造る頭髪たちがそこにいた。
「あはははあはははっはあはあははははははは!」
まるで今まで生きてきた全ての楽しいこととか、面白いことに対して、笑うかのように。
俺はそんな、笑う蔵野まちという人間の様子に面食らってしまって、ただ呆然と彼女の表情を見つめているしかなく、早朝なんだから近所迷惑だろとかいう言葉も出て来ずに、わけのわからない胸の痒みを抱えている自分に気付いた。
「はぁ……」
溜息を吐いて笑いを終わらせると、まちは、
「私がいなくて、寂しかった?」
とか訊いてきた。
「全然寂しくなかったよ」
嘘。大嘘だ。
「私も全然寂しくなかったわ」
まちはそう言うと、俺と向き合うようにしてコタツに入った。
「……ぷっ」
また、笑っていた。
俺は何度も笑うまちに耐えかねてシャワーを浴びに行った。
「あんなに笑ったかなぁ……」
幻でも見た気分になり、コタツに戻ると、グリーンのカップに緑茶が用意されていた。
そんな一つ一つの出来事の中にまちがいることに感動している自分……に気付かない振りをしつつ、
「サンキュ」
小声で言ってコタツ布団の中に裸足の足を沈めた。
「何が?」
「いいや、何でも」
ともあれ、無事に戻ってきてくれてよかった。本当によかった。
何よりもまず、そのことにありがとうと言いたかった。なんて、こんなこと本人に伝える気はないけどな。
「そういえば、まち、携帯電話どうした?」
「壊れたわ」
「何で!?」
「しらない」
「気がついたら画面が真っ暗になってて、何も動かないのよ」
「あぁ、それたぶんただの電池切れ」
「壊れたんじゃないの?」
「壊れてないよ」
「そうなんだ……」
しばらく無言。
普通の人間なら、この流れとなれば携帯電話を取り出して見せてくるはずだ。
それなのに、ポケットに手を滑らせることすらしない。
ここは、俺の方から催促するか。
「で、返してよ」
「捨てたわ」
「は?」
「捨てた」
「何で?」
「壊れたから」
「え?……えーと……捨てた?」
道理で新渡戸の携帯電話機から掛けても電源が入ってないか電波が無いかって言われるわけだ。電源が電池切れで落ちて捨てられていたらそりゃあ……。
「私は悪くないわよ?」
悪いよ……。
まぁ、俺自身も、そこまで携帯電話機を活用していたわけではないから痛手とは言えないな。たいていの連絡は、学校で直接会ってできるし、まちやひろみといった大事な人たちとは、家でいつでも会えるから。
それにさ、近いうちに新しいのにしようと思っていたし、知っている番号は全て暗記しているし、強いて不便なことと言えば新渡戸たちとの連絡が取れなくなることくらいだ。
だがそれも、いつの間にか持っていた合鍵を用いて侵入してくる以上、こちらからの一方的な連絡だけは可能。
書置きでも残しておけば誰にも心配されずに外に出られる。
さて……
「それで、まち。器を生む者の拠点は見つかった?」
「ええ、案外近かったわ」
「どこ?」
「森の中」
「どこの?」
「あの何ていったかしら、日本一大きな山の麓の」
んん?
近くはねえぞ……。
「確実か?」
「二組が中に消えたから間違いないわ」
「……高島すげぇな……」
見事に言い当てていた。
高島のカンはかなり頼りになるかもしれない。
「さきがどうかした?」
「いや、何でもない」
「……明日、クリスマス・イブよね」
「そうだな」
「ベッド借りるわ」
「ひろみがいるぞ?」
「気にしないわ」
いやぁ、気にしろよ……。
「ヒロアキ」
「何だよ」
「私は午前十一時まで眠るわ。起き次第敵の拠点に向かう。いいわね?」
「オーケーだ」
言って、まちは俺の部屋の戸を無駄に超人的な動きで開けて閉め、ベッドにダイブする音が微かに聞こえた。
「うぅ??」
とひろみが漏らした声も。
直後、また戸が開いて、入れ替わるように薄い桃色のパジャマを着たひろみが出てきて、コタツの特等席に座る。
「おはよう」
俺がそう言うと、
「アッキー……おはよ……ふぁ……」
欠伸混じりの気が抜けそうな挨拶。
「まっちーが……冷たかった」
「そうか」
「まっちーに、おかえりって言うの忘れた」
「後で言えばいいさ」
「そういうもの?」
「今は寝かせてあげよう」
ひろみは少し思案したような表情をしてからこくんと大きく頷いて、その勢いのまま未だ消えない眠気を抑えきれずに……顔面からコタツテーブルに突っ込んで…
ゴン!
「ぅぅあ?」
動物的悲鳴を上げた。
「ひろみ……何してんだ?」
「いたい……」
「どこだ? ここか?」
俺がぶつけた額を撫でてやると、子供がはしゃぐみたいに笑っていた。
それが妙にいとおしくて。
知らぬ間に笑っていて。
家族っていうのがどういう者たちのことを指すのかなんてことをぐるりと考えた後は、やっぱり守りたいなと思う俺がいた。
★
朝十一時。
まちを起こそうと思って俺の部屋の戸を開ける。
「あ……」
ま、まぁあれだよな。同じ屋根の下で暮らしていればこういうハプニングも数ヶ月に一度くらい起こり得るよな。うん。そして俺は自分の部屋に入ろうとしただけだ。
決してやましい気持ちなどなかった。うん。無かった。
「こういう時って、怒り狂って、出てけぇ! とか言って蹴り飛ばすものよね」
蔵野まちが、俺に背を向けて限りなく裸に近い格好で立っていた。
いつもの胸の晒し布は無く、どうやらこれから巻くところのようだ。
下半身は赤い下着に赤いソックス。まっすぐなエロスが……。
「そうだなぁ……蹴り飛ばすなぁ」
「で、いつまで見ているつもり?」
「あ、いや、起こしに来たんだよ? 決してそんな……」
「ところでヒロアキ……右腕完治した?」
「え、ああ」
「そう…」
「何でそんなこと訊くんだ?」
「右腕でガードされてまた折れたりしないように、ねっ!」
言うが早いかまちの久しぶりの高速回し蹴りが俺の体をフローリングの床へと吹っ飛ばしたらしい。こんな日くらい許してくれてもいいのに……。
「いってぇ……」
「アッキー?」
ひろみが、驚いた顔で紅茶を飲んでいた。
どんなに驚いても飲んでるんだな……あれか、リラクゼーション効果というやつか……?
いや何か違うか……。
「さ、行くわよ」
制服を着て、眼鏡を外した蔵野まちが俺に立てと手を差し出していた。
「待て、その格好で行くのか?」
「問題ある?」
「学校に迷惑かからないか?」
「知ったことではないわ」
「そうだな、靴下赤いしな……」
「そういう問題?」
一応自覚はしているようだった。
「さぁなぁ……数分待ってくれ。俺も着替える」
「わかったわ。玄関で待ってる」
「ああ、厳寒の玄関で待っててくれ」
「……ダジャレって、自分で言うのはいいけど、言われるとむかつくわよね」
どうしろっていうんだ、理不尽さんめ。
★
俺は買い直した紺色の安い背広に着替える。
緩めに緑っぽい色のネクタイを締めて、懐にはナイフを二本。
かつて五本あったナイフは、一本はまちに折られ、もう二本は霧野みやこを貫いた後行方が知れない。
そう言えばあの時の拳銃はどうしただろう?
ちゃんとまちが回収してくれているとは思うが……。
そんなことを思いながら着替えを終えた。
俺は『イブのうちには戻る。パーティの準備は任せた!』というメモをコタツの上に残して厳寒の玄関に向かう。その途中で思い立った。
「まち」
「何?」
「眼鏡持ってるか? いつもの赤フレームのやつ」
「何のつもり?」
「いや、変身ヒーローみたいでいいだろ、かけるとパワーアップするんだ。眼鏡。貸してくれ」
「言ってる意味がわからないけど……貴方の部屋の机の上にあるわよ。三つあるから、好きなのどうぞ」
「何で三つ?」
「無くしたと思って買っちゃったの」
まちのそういうところ、少し可愛いと思ってしまった。
あれか、高島への恋が破れたからもう誰でも良いとか思ってんのかな……俺。
「……取ってくる」
部屋に入り、眼鏡を手に取ると、それを上着の胸ポケットに入れた。今度の眼鏡は、役に立つといい。
「それじゃひろみ、ちょっと行ってくる! 必ずパーティには戻ってくるから」
「いってらっしゃい……」
小さく振られた小さな手。
必ず戻る。そう約束。
玄関の鉄扉が閉じた音を合図に、歩き出す。
「さぁ、行くわよ」
「まち」
「何よ」
「視力いくつ?」
「2.0以上はあるわ。それ以上は測った事ないから知らない」
「そうか……」
やっぱ伊達かよ……。
眼鏡に全く度が入ってないから、まさかとは思ったけども。俺が作ったのも伊達メガネだから、まちも俺と同じことしてたんだな。
俺の家があるマンションを出た途端、蔵野まちが走りだした……というよりも……飛び始めた、という表現が近いかもしれない……。
屋根から屋根へ、屋上から電柱へ、信号機から看板へ、地面から街灯へ。軽々と飛んでいく。俺は付いていくのが精一杯。というか既に足が痛い。
このままでは敵本拠地に着く前に俺の足は棒以下になってしまう!
「まち!」
トン、と誰もいない屋上に着地したまちは、怪しむような顔をして俺を見た。
「何よ?」
「そ、その、もしかして……徒歩?」
「当り前でしょう?」
そんな馬鹿な……何十キロあると思ってるんだ……。
「疲れたの?」
「はい。疲れました」
正直言ってもうこれ以上無理。
「鍛錬不足よ。反省なさい」
「はい……」
返す言葉もないが……。
「とりあえず……乗りなさい」
「は……?」
まちはそう言って俺に背中を向けてしゃがんだ。
「どうしたの? 乗りなさいよ」
「え、えっとその」
「乗れ!」
「はい!」
俺はまちの背中にしがみついた。
「しっかり捕まりなさいね」
「あ、あぁ……」
まちの足が屋上の白いコンクリートを蹴った。
「うぉ!」
思わず声が出てしまう。
凄まじいスピードで視界が流れていく。
どのくらい速いかと言うと、振り返ったときの過去が過ぎ去るスピード並みに速いね。
冷たい強風が顔を打ち付ける。
まちの髪や体からは、女の子の香りがして、ちょっぴり変な気持ちになってしまった俺。
こんなにやわらかい体なのにどうしてこんな高速移動できるんだろうか。
いやしかしまぁ、それにしても、この女の子におぶられているという姿勢は、男としてなんというか……。
「そんな様で、よく霧野みやこやひろみを守ろうなんて思えたものね」
まったくだ。
返す言葉もない……。
「なぁ、まち……」
「何よ?」
「この格好……男としてすごく情けないんだけど……」
「じゃあ鍛錬なさい。私と、並べるくらいに」
「お前の体、思ったよりやらかいんだな」
「……振り落とすわよ?」
「……ごめん!」
全力で謝った。
ほんの数分で、周囲の風景は枯れ木や土の地面が多くなる。
前方に目的の山がはっきりと視認できる。
まちの話ではあの上部を雪に覆われた高い山の麓の深い森の中に敵の拠点があるらしい。
その場所は一大自殺スポットとしても有名であり、こんなことを言うのは憚られるが確かにそれなら新鮮な死体の入手も容易だ。
あるいはそういった自殺志願者を生かしたまま実験等に利用するということも考えられる。
まぁ〈器を生む者〉たちが一体どのようにして活動しているのかとか、そんな実態を知ることよりも、まず活動を止めることを考えよう。
それが平穏に繋がると思うから…。
★
森の前に立ったところで、まちは足を止めた。
「この中よ」
「ああ……」
「いつまで引っ付いてるのよ」
「寒いんだもん」
「降りろ」
「わかったよ……」
「何で名残惜しそうに言うのよ」
「だって寒いじゃん」
「鍛錬不足よ」
「そればっかだな」
俺は、どうやら、本格的にまちの背中が気に入ったようで、しばらく降りずにいた。
「何故降りない?」
「何となく」
「…………」
「…………」
ドン!
まちの肘が……俺の腹を打った……。
「……っぐ」
俺の腕は解かれ、身体はまちの背中から滑り落ちた。
こうなってくるともう、俺は足手まといなんじゃないだろうか。
不安になってきた。
「付いて来なさい。置いて行くわよ」
「りょ、了解」
左に高い山。 右には道幅の狭い道路があって、それは森に沿って続いているらしかった。
前方にある森。
いくつもの自殺を止めようとする看板があった。
上を見ると、正午の空はどうしようもなく青かった。
「こっちよ」
まちにしてはゆっくりと歩を進める。
いくつもの葉の落ちた木の上をモモンガの如く飛び移る。
俺は不格好に人間らしく木の間を飛んで後を追う。
同じような景色が続いて、ふと思ったのは、ここでまちがスピードを上げてしまったら、俺はこの方向感覚の利かないと言われる森の中に一人きりで取り残され、食糧も無くただ死を待つ身になってしまうんじゃないか……と。限りなくこわいなそれ。
まちの足が止まる。
前方に見えたのは、不自然にある二メートルくらいの高さの穴だった。
トンネルのような、穴。
中は暗闇で、奥がどうなっているのかわからないが、どうやらそこが入口らしい。
「この穴から二組とも入っていたわ」
「中には?」
「入っていない」
「何で?」
きいたが、まちは黙り込んだ。
何故黙る?
「貴方と、約束したから」
あ……。
二人で、生む者を潰すという約束。
「そ、そうか」
「行きましょう」
そう言って、まちが先導する。
薄暗い洞窟に、一歩、足を踏み入れる。
壁は石のようで、凹凸が激しく、文明を感じさせないトンネルとでも言ってしまおうか。
まちは黙々と歩く。
やがて何も見えなくなった。
まちはそれでも黙々と歩いているようで、俺はその気配だけを頼りに凸凹した地面を歩く。
「まち」
俺の発した声が響く。
「何よ」
「もしかしてと思うんだが、前見えるの?」
「何言ってるのよ? 見えなくてどうして進むの」
「お、俺見えないから!」
「え?……鍛錬不足よ」
これはもう、鍛錬の問題なのだろうか……?
「手……貸してくれ」
「情けないわね」
「……ごめん」
「いいわよ、別に」
まちの冷たい手が、俺の左手を掴む。
あぁぁ…どうしよう、すごい安心する……。
吊り橋効果というやつで恋に落ちてしまいそうだ。
「止まって」
エコーが掛かったまちの声。
「どうした?」
「ここ、扉があるわ」
「開けたらドカン! とか、無いよな…」
「開けてみるわね」
あっさり言うなぁ……。
ノブをまわし、引っ張る。開いた扉の先から、光が漏れた。
そのまま一気に扉を開く。
その先には誰もいなかった。
ただ巨大な空洞が広がっている。
まちの右手と俺の左手が繋がれたまま中に入って、扉を閉めた。
扉が閉じる音が反響した後は、ただ静かだった。
光源が少なく薄暗い空洞に、階段が、螺旋を描いて下へと続いていた。
直径三十メートルほどの円柱状の大穴が、底の見えないほどに続いていて、階段にはくすんだ赤の布が敷かれている。
ちょうど下腹の辺りの高さに鉄のような素材でできた手すりがあって落ちないようになってはいるものの崩れたら、という恐怖で一瞬視界が揺れた。繋いだ手を見て、震えずにすむ。
「ここは……」
「なんだかすごいわね」
「ああ……」
「……あ……あれ? ……ここ……」
「ん? まち? どうした?」
実感が持てないが、ここが器を生む者たちの本拠地。
人の気配がしないのが不気味だが、どこかに集まって話しているに違いない。
推測が、正しければだが。
この先に……霧野みやこや俺達に関する重大な秘密があって、それら全てに片をつけてクリスマスパーティに参加する。
そう、約束した。
「ヒロアキ」
「何だよ」
「行くわよ」
「ああ」
まちが俺の手を引いて、螺旋階段を駆け下りる。
俺とまちの、まちと皆との、約束を果たすために…………。




