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リロード  作者: 黒十二色
第二部:RE LOAD
29/125

Chapter10 名前の無い女

視点:新渡戸夕貴→山田ヒロアキ

 俺の住処は、間取り1LDKの少し古いマンション、四○二号室。

 立地もそれ程良くはないが、駅からの遠さなんて俺には大した関係もない。

 いくらでもショートカットできる。


 〈器〉を壊して受け取った金で借りている。やはり都心なので少し高いが、まぁ気にしないことにしている。〈器〉を壊すと普通の人が見ることもできない大金を手にすることができた。


 どこから出た金か知れないが、今考えればそれ相応の精神的負担はあったに違いはない。


 まったく俺としたことが、新渡戸の妹を……殺してしまうまで、何の考えも、疑問も持たずに生きていたことが、恥ずかしいなと思った。


 というわけで、時刻はもう夕方。

 沖縄での精神修養みたいな修学旅行が終わって、新渡戸の家に行った後、家の前まで戻ってきた。


「ふー」


 軽く溜息を吐いた後、鍵をさしこみ、開錠。しかしおかしい。ノブを回して引っ張ってもガチャガチャ鳴るだけで開かない。


 うっかり一度あけてから、また施錠してしまったのか?

 もう一度開錠を試みてみる。


 今度はちゃんと開いた。

 玄関を開けると、そこは――


 ……家、間違えたかな……。


 黒い服で、赤いフレームのメガネを掛けた、知っている女が立っていた。


 綺麗に伸びた背筋、その体躯に見覚えがあった。


 俺は扉を閉めた。そして確認する。


 表札には、山田と俺の下手な字で書いたプレートがあった。


 再び玄関を開けると、知っている女と知らない女が立っていた。二人の女がそこにいた。

 片方は凛々しい女で、もう片方はぼーっとしている感じの娘だ。


 凛々しい方の女は俺の名前をよんだ。


「山田ヒロアキ」


「きゅ……級長?」


「もう級長ではないわ」


 な、何しに来たんだ。


 あぁ、そうだ、この女は、俺のことを裏切り者と言っていた。裏切り者と知っていた。だからそうか、俺を殺しに来たのか。組織の機密を守るためとか何とか言って。そうだ。そうに違いない。


 俺は死ねない。


 俺が死んだら加賀が怒る。また約束破るのかって怒るに決まってる。俺は生きなきゃならない。今まで殺してきた者たちのためにも。


「俺を、殺しに来たのか?」


 そう言って懐に携帯したナイフを構えた。


 未だ骨にヒビが入った右腕に持ったナイフ。


 お得意のハッタリ。


 しかし級長は首を振った。


「その娘は何だ? 仲間か?」

 きくと、また首を振った。


「……この娘は、山田ひろみ」


 紹介された娘は、ぼんやりとした目をしていた。何も考えていないような、そう、まるで、薬を飲んでいた頃の、霧野みやこのようだった。


「……〈器〉か?」


「よく、わかったわね」


「いっぱい殺したからな」

 自虐気味に言う。


「………そうね」

 級長も合わせてきた。


 なんだ。なにか変だ。


「早く用件を言えよ!」


 俺は心底こわがっていた。

 微弱に震えているのが自分でもわかってしまった。


「そうね……話すから、まず、部屋に上がって」


 いや、その招き入れる感じは、違和感sかない。だって、ここは俺の家のはずなんだから。


 俺は警戒を解かぬまま無言で部屋に上がると、無防備に背中を向ける級長の進んだ後について部屋に入った。


 引っぱり出した憶えの全くないコタツに座った山田ひろみという名の〈器〉。

 それに続いて級長も座って足を入れる。


「貴方も座ったら?」

 と級長が言った。


「あ、あぁ……」

 またしても重大な違和感を感じながらナイフを制服の内ポケットに戻して、コタツに足を入れる。


 暖かかった。


 級長と向かい合うように座る。

 左側に、山田ひろみという器がいる。


「緑茶でいい?」


「ああ、ありがとう」

 急須から俺愛用のグリーンのマグカップに注がれる緑色の液体。


 その音を聞きながら部屋を見渡すと、そこはかつての俺の部屋じゃなかった。


 九州沖縄へ修学旅行している六日間に、部屋が女の子の部屋になっている!


 もしここに新渡戸や加賀が遊びに来たらと考えたら、血の気がサァっと引くわ。

 俺の素朴なイメージが崩れ、一転少女趣味の変な男というレッテルを貼られかねない!


「部屋、勝手に使わせてもらっていたわ」


「何で?」


「……私は、私も、裏切ったわ」


「何を?」


「組織」


「何で?」


「殺したくないから」


「何を?」


「〈器〉」


「…………それでこの娘を連れて逃げてきたってことか?」


「……そういうことに、なるんでしょうね」


「霧野みやこは殺したのにな」


「……そうね」


「…………後悔?」


「してない」


「してる風な声だったな」

 俺が追い詰めるように言うと、級長は、


「わからない」

 級長は小さく首を振った。


「それで、俺にどうしろって?」


「今さら、こんなこと言える権利なんて無いんだろうけど」


「協力して欲しいって?」

 彼女の言いたいことを先回りで言い当てる。


 目の前の女が、何を言っているのか、どうして〈器〉なんかを連れてきて、俺に協力を求めているのか、そんなことは俺にとっては理解しやすいことだ。だってこれは、俺もかつて通った道だからな。


「条件は?」


「約束するわ。もう二度と、人を殺さないって。〈器〉を……殺さないって。殺させないって……」


「約束、ねぇ……」


「私も、気付いてしまったのよ、貴方と同じように。〈器〉も人も、変わらないと」


 俺は無言を返した。

 どうすべきか、まだ判断がつかない。

 級長の真意を確かめたい気持ちがあった。それがわからない限り、申し出に答えることはできない。


 俺が、どうやって確かめようかと考えていたとき、級長が声を発した。


「組織を抜け出た者がどうなるか、知ってる?」


「俺やお前のことだよな……俺の身に、今まで何も起こらなかったから、たぶん何も――」


「私は」

 級長は俺を制するように声を出した。


 何だか怒られているような気分になり、萎縮しそうになる自分を心の中で必死に励ます。その心の動き自体情けないなと思った。


「……私は霧野みやこを殺すよう指示を受けたときに、こう言われたの。『我らの組織を裏切った者が護衛についている可能性があるが、裏切り者と言っても彼は特別なので殺してはならない。なるべく接触は避け、速やかに器を破壊せよ』と。考えれば、これは通常の裏切り者だったら殺される可能性が高いということ」


「俺が特別? どういうことだ?」


「知らないわ。でもそう言われた。そして私は特別じゃない。きっと私を殺しに刺客が来る」


「だったら、何で俺のところに?」


「わからない……でも、貴方のところしか思いつかなかった。この街には、新渡戸夕貴もいる。〈器〉について私達の知らないことも何かわかるかも知れない。そう思ったの」


「俺を巻き込むのか?」


「負けたくせに」

 俯き、ぼそりと呟く級長。


 敗残兵は言うことを聞けと言うのか。横暴だ!


「ていうか級長ってそんなキャラだったっけ?」


「私はもう級長じゃない。そう呼ばないで」


 湯飲みに入ったお茶を綺麗な動きで飲みながら級長は続ける。


「契約しましょう」


「何を!?」


「安心して、婚姻届とかではないから」


「当り前だろう……」


 そして、条件を突き付けてくる。


「……私達が、互いを守ること、共に、〈器〉を生む組織を追うことを」


「そんなの――」


「力づくって、好きじゃないの」


「……わかったよ」


 正直、怖い。

 級長の攻撃痛すぎる。


「ねぇ……山田ヒロアキ」


「なんだい、級長」


「級長と呼ぶのはやめて。その……私との契約の証に、私に、その……」


「何だよ」


 言い出しにくそうに身体を細かく震わせていた。

 俺は彼女がどんなことを言うのか、集中して聞こうと努めた。


 そして、すこし震えた声で、彼女は言った。


「名前を、付けて欲しい」


「……………は?」


 意外だった。契約の証というからには書面に何らかの形を求めるのかと思ったし、また少々の血を流させられる覚悟も欠片ではあるがあった。それなのに、名前という不確かなものを証にしたいと彼女は言ったのだ。


「名前。ネーム」


 英語で言い直さなくても通じてるよ。


「俺の親友の幸せを奪っておいて? 俺の親友の……妹…を殺しておいて? 俺の好きな女の友達を殺しておいて? 名前が欲しい?」


 ……だが待て、これは彼女が本心から誰も殺さないことを誓うということなんじゃないのか?


 俺がもう二度と人を殺さない。


 器を殺さないし殺させないと誓った時、俺もその時初めて名前を持った。

 ならばそれを否定することが俺にできるだろうか?


 というか、逆らったら力づくで名前つけさせられかねないし、正直彼女に勝てる気は全くしない。


 そして名づけるという行為で、彼女と対等の立場に近づけるのなら、それも悪くはないなと、欠片ほどではあるが思った。


「そう。どんな名前だっていい。貴方が私に名前を付ける。それで私は貴方に縛り付けられる」  ――だから……俺が彼女に名前を与えよう。


「……わかったよ。付けてやる。それじゃあお前は……」


「私は……?」


 いや、えっと、ど、どうしよう……他人に名前を付けるとか、重いぞ。

 よくよく考えれば重過ぎだった。


 山田という苗字を付けるのはまずありえないとして、だとすると……霧野みやこという名前と関連連想させる戒め的名称……難しいな……。霧、五里霧中。ゴリ=ムッチューとか名付けたら「誰がゴリなのよ」とか言われて絶対色んな骨折られて再起不能にされちまう気がするからダメだな。


 とすると、みやこという名の方から何か連想できないだろうか。みやこ……都市。村、郡……町。まち。そうだ、まちなんて良いんじゃないか。あとは、適当な苗字をくっつければ……。そうだ、たしか何とかの町って言い方で妙に耳に残っている名称があったはずだ。日本各地に残っているような、町の異名で……。


「蔵野まち」


「くらの……まち……?」


「どうだ、いい名前だろう?」


 いや、悪くないぞ。蔵が立ち並ぶ城下町らしい町並みの中で凶器持って飛ぶように走り回る級長が目に浮かぶようだ。いい名前だ。我ながら素晴らしいな。それに、キリノとクラノで微妙に響きが似ている点も、絶妙のように思う。


「ありがとう」

 信じられないくらい素直だった。


 安堵するような呼吸をするのを見て、何だか俺も安堵した。


「霧野みやこのこと、忘れるなよ。絶対。これはその戒めみたいな名前だ」


「蔵野まち……蔵野まち……」

 何度も、ガムを噛むみたいにその名前を口にしていた。


「ところでお前、ここに住む気か?」


「少しの間だけね。隣が空き部屋でしょう? そこに住むわ。蔵野まちとして」


「隣……何で隣……」


「だって私達はもう協力関係。それに、この娘に変なことしないように見張ってなきゃいけないしね。蔵野まちとして」


「はぁ?」


「この娘は貴方を頼ってきた従兄妹の山田ひろみ。そうでしょう?」


「俺に面倒見させる気か」


「文句あるの?」


「いえ! 決して!」

 当の山田ひろみは、器用に小さな蜜柑の皮を剥いて、それを口に運んでいた。

 置かれている状況がわかっているのだろうか。


 それはともかく……いかん……力関係が早くも確定しつつある……。


「はじめまして。私、蔵野まち。よろしく」


「はぁ、山田ヒロアキです。よろしく」


 コタツを挟んで向かい合って自己紹介。

 赤を基調とした部屋の雰囲気が少し気に入らないが、それも少しの間だ。

 我慢しよう……。


 級長には――違った。

 もう蔵野まち、だ。

 彼女には勝てない。


「……右手、まだ治ってないのね」


 蔵野まち……蔵野まち……。


 そう言い聞かせないと、級長と呼んでしまいそうになる。

 呼ぶ度に骨を折られたのでは身が持たない。


 変な汗が出ていたことに気づいて、心の中で苦笑した。


「お前は、もう治ったんだな」


「そうね、骨とか神経とか傷ついてなかったみたいだし、普段から鍛えてるからね」


「そうか」


「ええ、そうよ」


 鍛えてるだけで銃で撃たれたりした傷が二週間で完治するものなのだろうか?


 この女……化け物かっ!





「それで、これから具体的にどうするんだか、聞かせてもらおうか」

 冷たくなったお茶を一気に飲み干すと、蔵野まちは再び急須からお茶をカップに注いでくれた。


 嫌がらせレベルの恐ろしく濃い緑色の液体が、カップに吸い込まれていった。


 ほんの少しだけ立ち上る湯気。


「あ、ありがとう」


「いいえ」


「………」


「………」


 何だ、このわびさび的空間。


 勝手に部屋に上がりこんだ組織を裏切った女と、逃げる立場の〈器〉の女、巻き込まれた俺の三人がコタツ囲んでまったりしている。


 というか、まだ十一月でコタツは早いんじゃないのか!

 少なくとも俺は十二月後半まで我慢するぞ!


 それは個人の自由だとしても……ここは俺の部屋だぞ!

 完全に自分の部屋みたいにくつろいでることについて、ほんの少しだけ文句を言いたい。


「具体的にどうするか、だったわよね」蔵野まちは言った。


「ああ、聞かせてくれ」

 ようやくまともな話になりそうだった。


  ★


 さて、蔵野まちの言ったことをまとめようか。


 ここはひとつ、加賀がしたような整理法を使わせて頂こう。


 あの世界史のノートの文章はメチャクチャだったが、一つ一つ目的のための思考をするには目的をある程度決めてまとめるためにテーマごとに区切るのは必然かもしれない。


  ①〈器を生む者〉たちについて

  ②私達を追う者たちについて

  ③蔵野まちという人間のこれからについて

  ④山田ひろみをどうするのか


 ①。

 まず〈器を生む者〉たちについて、だが、いきなり理想をぶっ放し始めた蔵野まち。


「敵の本拠地を潰せばいいじゃない」


 と言っていた。まずその本拠地をどうやって見つけ出すんだ?

 見つけられたとして、どうやって潰すんだ?


 いわく、

「頭を潰せばいいじゃない」


 それが潰れないから奴らが居なくならないんだろう。


 とにかく、見つける方法がわからない以上、情報を集めていくということしか決定しなかった。

 どこか無計画で楽天的なのが、不安になる。



 ②。

 俺達を追う者について、だが、蔵野まちは、「撃退する」とだけ言った。


 俺はあれか、毎日刺客に怯えながら暮らすわけだな。


 まったく……。


 不安な顔をしていたら、「あなたのことは、私が守る。この蔵野まちが」とか言っていた。

 なんか俺この女にすっげぇ振り回されてる……。



 ③。

 蔵野まちという人間が、これからどうするかについてだったが、また俺たちのクラスに転校してくるらしい。


 お前……加賀や新渡戸にどの面下げて会うつもりだよ……。

 高島も経緯を知っているのに。


 雨が降ってぬかるんでる地面が固まりかけてるところに(本当に固まりかけてるかどうかはわからんが)超超巨大な雨雲持ち込むのかよ……。


「心配ない。私は平気」


 この女もしかしてあまり頭よくないんじゃないか?

 そんな疑惑が俺の中で浮上した。



 ④。

 山田ひろみは、〈器〉である。

 〈器〉である以上、その性質等をよくわからない俺たちの知識と経験では限界がある。

 だから新渡戸に話して協力してもらわなくてはならない。


 そのためにはどうしても蔵野まちと新渡戸たちの再会が必須ときたか。


 荒れそうではあるが、蔵野まちが改心したと言い張る以上、

 組織を裏切って行くアテも無いと言い張る以上、そうするしかないだろう。


 〈器〉という種類の生きた人間が、ここにいる。

 山田ひろみは生きるべき人間だと思った。


 生まれた以上は、生きられるだけ。


  ★


 こんなところだっただろうか。


 あぁ、修学旅行で疲れてるっていうのに俺に思考させるとは罪な女だな、級長さん。

 と、何回級長さんと呼んでしまうんだろうか俺は。


 蔵野まち、蔵野まち。


 馴染むのに時間がかかりそうだ。


「山田君」


「なんだい……蔵野まちさん」


 わざとらしく名前を呼ぶ。少しうれしそうな表情をしたのは気のせいだろうか?


「約束よ」


「何を」


「今言った二つの事。器を生む者の本拠地を潰すことと、私が貴方を守ること」


「……一つ、条件がある」


「何?」


「誰も、殺すなよ」


「――ええ。殺さない」


「約束だ」


「ありがとう」


  ★


 俺は、食器等を片付けたり、修学旅行で撮った写真の整理、そして洗濯物を洗濯機に投入した。

 それにしても、何だか信じられないな。

 あの級長が、こんな風に変わって戻ってくるとは。


 そんなに霧野みやこを殺したことが悔やまれたのか、俺と同じように学園生活が楽しかったのか。

 あるいはその両方か……。


 蔵野まちの気持ちなんてわからないけれど、俺と同じ気持ちを、器を殺したくない、殺させたくないという気持ちを抱いたのであれば、信じるに値するんじゃないかな、と……俺が偉そうにそんなこと言えるような男でもないか。


 仕方ない。

 この蔵野まちと一緒に、贖罪の塔を建設しますか。


 罪で繋がれた絆なんて、この上なく悲しいけれど、絆が無いよりはいい。


 蔵野まちは眠っていた。コタツに肩まで漬かって。


 これは推測ではあるが、何日も追っ手を警戒して気を緩めることなくこの部屋に潜んでいたのかも知れない。


 まったく、俺がいてもそんなにセキュリティ上意味はないぜ?

 色んな意味で信用されているようで嬉しいんだか悲しいんだか……。


 寝顔は案外可愛かった。ていうか、眼鏡したまんまで寝るのかよ…。


 山田ひろみは習慣化しているのか何故か既に俺の部屋のベッドで眠っていて、そしてこの家にはもう布団が残っていないという事実。


 暖房が効いているわけもない。


 寒い。


 さてどうしようか!


 例えば、山田ひろみのいるベッドに潜り込む。いや……仮にも女の子だろ。少女だろ……。そんな場所に飛び込んだら、何をしでかすか自分でもわからねぇ!


 例えば、蔵野まちのいるコタツで二の字を描いて寝る。顔が近い事態になったら、案外きれいな寝顔に何をするか……そして後が怖いので無理だ……。


 例えば、蔵野まちの顔に足を向けて眠る。これなら問題なことも起こり得ない……いや待て、俺が足フェチであると責められたらどうしよう。その前に蔵野まちに足を向けて寝るなどと恐れ多すぎる!


 例えば、蔵野まちのいるコタツで十字を描いて眠る。今から蔵野まちの体の下にどうやって体を潜り込ませるんだ。無理があるだろう。起こしてしまう。折角眠ってらっしゃるところを起こすわけにはいかない。まして、俺の体重をあずけるなどもっての外!


 だけど寒いぞ……どうするべきか…。


 例えば……風呂に入るとか。一晩中湯に浸かっていろと言うのか。何の料理の出汁だそれ……?


 あぁ! 思いついた!


 布団はなくとも、服ならあるじゃないか!


 着込んで凌げばいいんだ。


 日常生活の布団で寝るという染み付いた固定観念が目を曇らせていた。

 というわけで、俺は噂で聞いた十二単(じゅうにひとえ)のように何枚も服を重ねて、甚だしく動きにくい夜を体験した。


  ★


「山田ヒロアキ」


「ん……?」


 朝は強い方だった。蔵野まちの声。すぐに頭の中はクリアになり、体を起こ……す?


「あれ?」


「……何してるの?」


「いや、服を着込みすぎて重い」


 起き上がれなかった。だるまさんみたいになってる。


「ちょっと、掴まりなさい」

 そう言って差し出された蔵野まちの手を掴んで俺はようやく立ち上がった。


「すまん、ありがとう」


「どうして布団で寝なかったの?」


 明らかに「馬鹿ねこいつ」という視線を向けられている。


「それはお前もそうだろう?」


「コタツ布団って言うくらいだもの、コタツだって布団だと思うわ」


「羽毛布団って言うくらいだから羽毛の入った服だって布団と言えなくもない」


「ちがうでしょ?」


 そう。服は服だ。

 そして羽毛なんて入っていないしな。


「……で、朝からどうした?」


「朝は起きるものでしょう?」


「それはそうだな」


「一番寝坊よ」


 ふとコタツ方面を見やると、山田ひろみがモーニングティーなどをかましていた。


「この香りは……オレンジペコ!」俺が乏しい知識で香りを当てに行くと、


「ダージリンよ」外れだった。


「惜しい!」


「惜しくないから」


「紅茶であることは当たった」

 そんな朝の会話。新鮮だった。


「……さて、私は出かけてくるわ。色々と学校の手続きと、か調べたいこととかもあるしね」


「ちょ、この娘はどうするんだよ」


「二人で留守番、頼んだわよ」


「え? ど、どうすれば……」


「いってきまーす」


 バタンと鉄扉が閉じる音。


「……はぁ……」


 溜息が出た。





 特別やることもなく、蔵野まちのことを信用していなかったこともあって、自分の部屋を探索することにした。


 二秒で異変に気付いた。


 なんと……エロ本が、日光を浴びていた。


 あっれれー、何だろうこれ……ああもう、どうして元の場所に仕舞って見なかったことにしてくれないのかな……。


 さて、気を取り直して探索を続ける。


 俺が日常生活というものを勉強するために録画したテレビドラマやテレビアニメが深く仕舞ったはずなのに表に出ていた。


 これがここに出ているということはこの家の隅から隅まで把握されているだろう。

 ひどいプライバシーの侵害である。


「ふぅ」


 溜息が出た。


 俺はコタツに戻って、山田ひろみの正面に座る。


 山田ひろみの表情が、少しだけ変わった気がした。気のせいだろうか。


「紅茶好きか?」

 延々と紅茶を飲み続ける山田ひろみの目を見て話す。


「……すき」


「名前は?」

 刑事ドラマで見た取り調べみたいで、何か嫌だな。


「山田ひろみ」


「俺は山田ヒロアキ。名前似てるよな」


「ヒロ……アキ」


「ああ、それで合ってるよ。カタカナでヒロアキ、ね」


「あたしは、ひらがな……」

 表情を変えないまま、ひろみはそう言った。


 少なくともこの段階で、自我のようなものがあることが見て取れる。


 おそらくその表現方法を知らないだけなのだ。


 きっと器が笑わないのも、生まれついてのものではなく、笑う人間が近くにいないからなんだろう。


 たぶん、きっと。


 だから俺は全力で笑って言ってやる。ついでに親指もグッと立てて。


「よろしく、ひろみ」


「……よろしく……」

 呟くようにそう言って、紅茶を一口飲み込んだ。


 ひろみも美しかった。霧野みやこに似ているというわけではなかったし、美しいと言うよりは可愛いという印象の方が強い。しかしその、ぬいぐるみ的愛らしさの中に、やはり人形的美しさをどこかに持っていて、それが少し悲しくもあった。


 年齢的には15歳くらいだろうか。しかし俺の外見からの年齢判断は全くアテにならないからなぁ。身長は高島と同じくらいか、150センチ前後と小柄。外に跳ねたクセのある髪は栗色で、校則に引っかかりそうだと思った。


 うむ、外はね栗色の髪は嫌いじゃないな。なお、余談だがとても巨乳だった。虚乳ではない。新渡戸が見たら躍り上がって喜びそうである。


「ひろみ、……死にたく、ないよな?」

 ひろみは数秒の沈黙の後、こくん、と頷いた。深く。


 死なせない、と、また、誓う。


 そして、器を生む忌まわしい者の頭を、潰す。そうすれば器を追う者も、その存在する必要を失って、俺達はようやく自由になれる。もう、誰も、死ななくていい。俺は自分の部屋のベッドに横になり、深い眠りに落ちていた。


 ベッドは、なんだか良い匂いがした。



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