幕間_その6_新渡戸と刃物たち
視点:山田ヒロアキ→新渡戸夕貴
二階の窓から見える街。俺が生まれて育ったこの街。川沿いの公園、フェンスのある広場。俺の希望が消えた場所。
修学旅行には行かなかった。
★
家に、人間の気配が無い。俺は、また置き去りにされたようだ。親父の部屋で、積まれた大金を見つけた。一生暮らせるほどの金が入った通帳と共に。親父は、金になってしまったらしい。
ああ、俺は何から生まれたんだろうね。
俺は、色々なことを考えた。
親父を追うとか、親父を忘れて暮らすとかな。母に会いに行くとかも妄想したね。
窓から見下ろす公園には、誰の姿も見えない。
きっと橋の下にも人はいない。
本棚に並べられた加賀から借りたままの漫画は、返せなくなるかもしれないな。
ヒロアキからもらった誕生日プレゼントも、汚れてしまうかもしれないな。
皆で作り上げたボロボロになった演劇の台本も、汚れてしまうかもしれないな。
カッターナイフ、果物ナイフ、ハサミ、刺身包丁、集めて目の前、ベッドの上に置いた。
加賀に知られた嘘。
もうこれからは、どんな風に嘘をついて生きていくか考えなくていいんだ。
ヒロアキに知られた嘘と、ヒロアキの嘘を知ったこと。
ヒロアキは俺に、幸せになってほしいと言った。なれるはずがない。
こんな、救えない、人間もどき。
人間をソーセージとするのなら、俺は竹輪だ。
ははっ、意味わかんねー。
そうだ、後で書き溜めたノートに、最後の言葉を書き残そう。
その前に、最善の方法を考えよう。
――左手と右手、どっちを切るんだっけ?
どっちも切っちゃえばいいか。
――ビルだと、何階くらいから飛べば、楽にいけるんだっけ?
屋上から飛べば問題ないか。
――車内で練炭自殺とか、どうかな。
あぁ、親父が車持って行っちまったから無理か。
樹海……。
面倒だ。
トラックの前に飛び出すとかドラマチックじゃねえかな。
でもそれで玉突き事故とかになったら嫌だな。
電車に飛び込む。
論外だ。
ダイヤが乱れる。
緑溢れる赤い橋から飛び降りるとかどうかな。
視覚的に素晴らしい体験ができそうだ。
だけど、その場所を探すのが億劫だ。
切腹とか格好いいな。
白い服と介錯してくれる人探さなきゃ。
……介錯なしでいいか。
★
……あったあった。
白い服。
まだ一回も着てないなこれ。
背中に紙がピロピロしてる。
ハサミでこれを――
斬る!
切る!
そして着る!
最後にハサミを投っげーる!
おぉ、壁に刺さったぞ。まじうける。
そしてこの勢いで、右手にカッター……いや、刺身包丁だなここは。
右手に持った刺身包丁それを逆手に持ち替えて、
左手は静かに添え――
インターホン。
来客を告げた。
刃が止まってしまった。
嫌なタイミングだった。
まぁ対応した後でもできることだしな。
ついでに言うと最後の言葉も書き残すの忘れてたからちょうど良かった。
俺はわずかに畳の匂いのする自分の部屋を後にして、板張りの廊下を進み、階段を下る。
下った先はすぐに玄関。
扉を開けると、加賀とヒロアキと高島がいた。
「おっす」「おっす」
男二人のいつもの挨拶。
「おっす」
女一人の初めての挨拶。
「おっす」
俺の最後の、挨拶。
★
高島に知られていた。
やっぱり夕実はもういないことがわかった。
最後の挨拶のつもりだった。
でも――
「またな」
そう口から出た。
親父を追う、そう言った。
そう言った以上もう死ねない。
四人で遊ぼうと言われた。
遊んだ。
楽しかった。
もう死ねない。
死ねないという意思が、焼きゴテくらったフリースの衣服みたいに黒く張り付いた。
もう一回死ぬことを考えてみた。
怖くて仕方なかった。
たっぷり水を吸った薪みたいに、もえない。
きっともう、死ねない。
高校入学した頃から書き溜めたノート、13冊目のノート。
13の横に書いた「終」という文字を塗りつぶす。
最後のページの上段に書いた「遺書」という字も塗りつぶす。
これは冗談でした、とか言うように。
代わりに「あとがき」と記して一番下の段に「14冊目に続く」と記した。
それまで書き溜めたノートと、同じように。
あとがきは、死んだあとで書こう。
ノートを閉じて、壁に刺さったハサミを抜いた。
溜息を二つ。
生きていこうと思った。




