13.プシマフという男 前編
プシマフという男は、アディーグとパールサ帝国の間にある山岳地帯に住むバクル族という少数民族の出身だった。
彼らは古くから広範囲に小グループで点在しており、どこの国にも属さぬ流浪の民として知られていた。
多くの民が今でも多神教に属しており、錬金術師や魔法使いも多いとされているが、その全容を知る者は、バクル族内にもほとんどいなかった。
そんな中、プシマフはある錬金術師の家系に生まれた。彼はまだ年若い時に魔神と取引をして智を得ようとしたが、失敗に終わり、額に大きな傷跡のみを得た。
その後、魔神を憎み、多神教を捨て、アディーグ王国と同じ一神教に改宗した。
改宗後、彼はまずパールサ帝国に行った。しかし、パールサの錬金術師達はエリート意識が高く、山奥から出て来た何も実績もないプシマフを受け入れようとはしなかった。
そうして放浪する中、アディーグ王国の魔塔の噂を聞きつけ、その門戸を叩いた。
幸いにも、アディーグの魔塔は寛大に彼を受け入れた。そうして、しばらく彼は平和に錬金術の研究を進めることができた。同じく錬金術に取り組んでいたティムールとも友人となり、彼と共同で色々な精錬に取り組む充実の日が続いた。
しかし、彼がある魔法使いに恋をしてしまった時、彼の歯車が狂い始めた。
「貴方が、新しく入った錬金術師?」
その人物はブラウンヘアにハシバミ色の目をした美しい女性だった。挑むような、自信に満ちたその眼差しにプシマフは目が釘付けになった。
「ああ、あんたは?」
「王宮魔導士のスヴェトラ」
そう言って差し出された手をプシマフはやや躊躇いながら握った。
「……プシマフだ」
「魔塔にようこそ!私は魔塔育ちなの。普段は城のほうにいるけど、お見知りおきを」
その言葉を残し、スヴェトラは現れた時と同じように、軽やかに去って行った。
「輝き……」
「美人だろ。僕の幼馴染なんだ。名前の通り輝かしい」
やはり見惚れたようにスヴェトラの背中を見つめるティムールの自慢げな口調に、プシマフは少しムッとした。
プシマフはアディーグ王国に来て日が浅い。まだまだ知り合いは多くなく、人間関係にも明るくない。しかし、この友人が先ほどの美女に惚れているだろうことだけはすぐに理解できた。
「なんだ。お前の恋人なのか?」
そんな訳がないだろうと気持ちを込めて、揶揄うようにそう言うと、ティムールは顔を赤くして口ごもった。
「……恋人になりたいとは思ってるけど、切っ掛けが掴めないんだ」
予想通りの言葉に、プシマフは複雑な気分になった。ティムールはプシマフにとって数少ない頼れる人の一人だ。しかし、ティムールの恋を応援して、あの美女を持っていかれるのは癪に障った。
「……あれは、相当難しいだろう」
――だから諦めろ。
という気持ちを込めて呟き、目を逸らし、誤魔化すようにフラスコに錬金素材を入れた。
スヴェトラは王宮付きの魔導士ということで、滅多に魔塔には現れなかった。魔法は誰よりも得意だが、錬金術に全く興味のないスヴェトラは王国中を飛び回って、厄介ごとを解決したり、結界の調整を行ったりしていて忙しかった。
国民にも人気が高く、騎士団と共に行動することがほとんどのようで、どこに行っても歓声が上がるほど注目される存在だった。
そんな中、スヴェトラが一体誰の求婚を受け入れるかという話が、町ではたびたび話題に上がった。
プシマフのライバルはティムールだけではなく、騎士団員や五大家の跡取り、王族、果ては他国の重鎮など多岐に渡った。
「スヴェトラ様が、騎士団長と楽しそうに飯を食べに来てたけど、やっぱりあの二人がお似合いさね」
「いやいや、こないだ、ハクツアイ家の若様が、外国の宝物をスヴェトラ様に捧げたって話だよ」
「あれは商隊がスヴェトラ様に救われたお礼だって聞いたぜ。それよりも王弟殿下だろ。そもそもスヴェトラ様が王宮付きなのも、殿下が望んだせいだそうじゃねーか」
「俺はスヴェトラ様は北の帝国の将軍に一目惚れされたって聞いたぜ」
「そんなの、こないだはどこぞかの王族の姫さんを助けて、『女でも良いから結婚してほしい』って迫られてたって噂もあったぞ」
食堂で繰り広げられる、笑い交じりのそんな会話をたまたまその店で食事を取っていたプシマフとティムールは嫌悪交じりに聞いていた。
「……スヴェトラはいったい何をやってるんだ?」
プシマフの憮然とした呟きに、やはりいじいじとつまらなさそうにスプーンを皿の中で動かしながらティムールが応えた。
「……仕方がないよ。スヴェトラはやることなすこと、本当に派手なんだ。どこに行っても目立ってしまうし、誰もが目を奪われる。君は彼女が魔法を使うところを見たことがあるかい?」
プシマフは首を振った。魔法なら自分も使えるが、派手という意味があまりよく分からなかった。
プシマフにとってそれは多少の物理現象を自由に操れるというだけだ。
「じゃあ、一度目にできるように祈ってるよ!本当にすごいんだ。彼女が魔法を放つとキラキラと光るんだ。僕が思うに、彼女はきっと古の女神の生まれ変わりなんだ。それかまさに天使が人間の姿を借りて地上に降りて来たかのどちらかだ」
熱っぽく語るティムールに、辟易しながらプシマフはパンを齧った。
そして、確かにスヴェトラの魔法なら、光輝いていてもおかしくないだろうと、心の中で想像した。
その姿はバクル族の中で最も尊ばれる暁の女神の姿に重なった。
自分と同じく、スヴェトラに近づく手段を持たないと思っていたティムールが、実は誰よりもスヴェトラに近い存在だったのだと気付いたのはそれからしばらく後のことだった。
それは興奮した様子で、ティムールが研究部屋に入って来たことが合図だった。
「……何かあったのか?」
「聞いてくれ!彼女が、彼女が、ついに受け取ってくれたんだ!」
「彼女、ってスヴェトラか?」
プシマフはとても嫌な予感がした。スヴェトラは何を受け取ったのだろう。
不安な気持ちが溢れそうになり、ティムールを上目遣いで睨むが、ティムールは全く気にしない様子で応えた。
「もちろん、金の指輪だよ!」
「まさか!あり得ないだろう!」
「そのまさかさ!ファティマも立ち会って、正式に申し込んだんだ!」
「はあ?なんで、なんでそんな急に!」
「だって今日はあの子の誕生日なんだ。昔から約束してたんだ。彼女が二十歳になったら結婚するって」
結局、スヴェトラとティムールはただの幼馴染ではなかった。
魔塔の中では二人が幼馴染の婚約者であると、認識されており、スヴェトラが誰にも靡かなかったのもティムールの存在があったからだったということをプシマフは徐々に知ることになった。
その日以来、プシマフにとってティムールは憎たらしい、叩き潰したい存在になった。
しかし、ティムールもただの気弱な錬金術師というわけではなく、プシマフの態度に怒ることはあっても、気落ちする様な事はなかった。
何よりも、スヴェトラと夫婦になり、子どもにも恵まれた幸せ絶頂のティムールには負け犬でしかないプシマフなんて眼中になかった。
スヴェトラは妊娠をきっかけに、王宮付きを辞めて魔塔に戻った。後進を育てるため指導にあたるようになった。
しかし、ザリーナが生まれてしばらく後に、スヴェトラは急な病に倒れ伏し、あっという間に亡くなってしまった。原因は小さな感染症だったが、どんな薬も効かないタイプのもので、妊娠で身体が弱っていたスヴェトラは成すすべもなく逝ってしまったのだった。
プシマフはスヴェトラを失い、この世の中で愛というものが存在することを完全に忘れてしまったようになった。信じられるものはお金。欲しいものは名声だった。アディーグ王国にいる意味もあまり感じられず、何か大きな成果を上げて、パールサ帝国の錬金術師たちに今度こそ認められたいと感じた。
そのためには他人の研究成果を盗むこともいとわず、いつも虎視眈々とその機会を窺うようになった。




