13.プシマフという男 後編
そんな中、ティムールが塩銀の精製に熱中しだした。
魔導書の中でも錬金術師の教科書と呼ばれている「パイモンの書」というものがあり、その中に塩から錬金術で「燃える銀」を取り出す方法の記載があった。
「塩を熱で溶かし、雷を通せば、銀色の物体が生まれる」とあり、多くの錬金術師が挑戦してきた。しかし、どうしても雷をうまく扱うことができず、誰も成功した者はいなかったのだ。
「ああ、また割れた!」
ティムールは自然の雷ではなく、魔力で作った小さな雷を使い、塩銀を精製しようとした。しかし、どうしても容器が割れてしまうので、銀色の物質が生まれることはなかった。
プシマフはティムールの様子を見ていつも馬鹿にしていた。
「塩銀なんて、無駄なことに夢中になるよりも、ザリーナの面倒をちゃんと見たらどうだ」
プシマフは研究室の片隅でザリーナをあやしながら言った。
ザリーナは魔塔の誰からも愛される子どもだった。しかし、遊び相手になるような同年代は近くにいなかったので、魔法使いたちが手遊びの代わりに錬金術や魔法を我先にと教えており、まったく子どもらしくない様子だった。
プシマフはそんなザリーナを不憫に思い、菓子や可愛らしい人形など、少しでも普通の女の子が喜びそうなものを与えていた。それはプシマフがスヴェトラに渡したかった物でもあった。
ザリーナもプシマフの与える物を喜んだ。だから「プシマフおじさん」と言って、もう一人の父親のように懐いていた。
「おじさん、大丈夫よ。パパは錬金術が大好きだから、ザリーナもパパが楽しかったら嬉しいの」
「ザリーナ!僕の宝物!パパは錬金術よりもザリーナの方が大好きだよ!」
焦るティムールにザリーナはそんなことは知っていると言うように笑った。
その笑顔がスヴェトラに似ていて、プシマフの口の中は苦くなった。
プシマフは錬金術師ブラントが「賢者の石」を発見したというニュースに感化されて、蒸留と冷却にこそ、錬金術の神髄があると思い、そちらの研究ばかりしていた。だから、色々なものを蒸留し、冷却し、と日々実験していたが、なかなかうまく行かなかった。
それでもティムールのように容器を割るだけの非効率な実験よりもマシだと思っていた。
そして、そんなある日、ティムールは、いつものガラス瓶ではなく、大きな素焼きの壺の中に大量の塩を入れ、焚火にかけた。そして、壺の中にコイルを入れ、蓋の隙間からコイルの先を大きめのガラス瓶の中に入れた。
ガラス瓶の中には、魔法で作った渦を巻く小さな雲があり、雷が発生しているようで、パチパチと光っていた。
「よしできた!」
長い時間見守っていたティムールが突然叫び、魔法で蓋を開け、そのままコイルを引き出した。
するとコイルの周りに銀色の物質がこびりついているのが見えた。
「やったー!銀だ!塩銀だ!」
いつものように、ティムールの実験を見守っていたプシマフは驚愕した。
まさか、馬鹿にしていたティムールが、伝説の塩銀精製に成功するなんて信じられなかった。
「うわ!燃えた!」
コイルの塩銀が突然発火し、ティムールが慌てて、素焼きの壺にコイルを戻した。
「……燃えた?まさか、本当に伝説の塩銀なのか?」
「もちろんさ!君も見ただろう。ああ、良かった。まだ少し残っている」
ティムールは慌ててそぎ落とした塩銀をいくつかのガラスの小瓶に移し替え、厳重にそれらの封をした。
そして、満足げにそれを見つめなら、ファティマに通信石で連絡した。
「ファティマ!すぐ見に来てよ。塩銀ができたんだ!」
その興奮する様子を見て、プシマフは思った。
――ああ、待ち望んでいた『成果』がついに来た。
そして、プシマフはティムールが作り出した塩銀を持ち去ることに決めた。
ファティマや他の魔法使いたちとティムールが興奮した様子で塩銀について語り合っている間に、プシマフは塩銀の瓶をいくつか持ち去り、部屋に急いだ。
荷造りをして、他にもパールサで喜ばれそうな研究論文や書籍を持ち、魔塔を抜け出そうと準備したところで、怒ったティムールがやって来た。
「プシマフ!なんで勝手に持ってっちゃうんだ!」
「ティムール!」
プシマフはしまったと思った。すぐに転移をしようとしたが、ティムールに先に部屋に結界を掛けられ、出られなくなった。
ティムールはプシマフの荷物を見て悟った。
「……君、魔塔から出るつもりなのか?僕の塩銀を持って?」
「俺が魔塔から出ようが出まいが、お前に許可を取る必要があるのか?」
「だからって、僕の物を勝手に持っていくなんて許さない!それがどれだけ貴重な物か分かってるだろ!」
「お前は俺の友達だろ?ちょっとぐらい分けてくれてもいいじゃないか。そうだ。塩銀を大量に作って、売りにだそうぜ。火薬代わりの兵器にちょうどいいだろ」
そう言ったところで、プシマフの頬をティムールが思いっきり殴った。プシマフは血の味を感じ、それを吐き出した。
「……殴ったな」
「ああ殴ったさ!そんなこと許さない。お前が今やってることは泥棒だ!泥棒は罰しなきゃいけない!」
「お前、……前から気に食わなかったんだ!」
今度はプシマフがティムールを殴り、二人はいつしか取っ組み合うように喧嘩を始めた。
結局、ファティマが仲裁に入り、プシマフとティムールはそれぞれ引き離された。プシマフは塩銀を取り上げられ、厳重注意となった。
「ザリーナ!プシマフにもう近づいたら駄目だからな!行こう」
手当を受ける二人を心配そうに見ていたザリーナをティムールはしっかり抱き上げて去っていき、その後ろ姿にプシマフはスヴェトラをティムールに奪われた日を思い出した。
「……ティムール、お前なんか大嫌いだ……」
プシマフは悔しそうにそう吐き捨て、自身の部屋に戻った。
そんな二人が再び顔を合わすことになったのは思いのほか早かった。その夜、大雨のせいで、国境付近で土砂崩れが起こり、魔法使い達が駆り出されることになったのだ。
プシマフとティムールを仲直りさせようと、ファティマがわざと二人を組ませた。プシマフはティムールの顔なんて見たくなかったが、現地に着いた時、ティムールが言った。
「……プシマフ。殴って悪かったな。でも君も悪いんだ。欲しいと言ってくれたら君になら喜んで分けてあげるよ」
そう言って小瓶をプシマフに手渡したティムールを、信じられないものを見たような気持ちでプシマフは凝視した。
「……お前、何言ってるんだ?」
「君が、成果を上げてパールサに行きたがってることは知ってる。ずっと憧れてるんだろ。行ってこいよ。君ならきっと向こうですごく活躍できる」
ティムールは友人を想って、心を込めてそう言ったが、逆にプシマフは自分がとても馬鹿にされたような気がした。そうしてどす黒いものが心の中に渦巻いた。
「……馬鹿にしているのか」
プシマフは唸るように言った。
「お前は、スヴェトラに愛され、伝説の錬金術に成功し、ザリーナという愛らしい娘を持ち、それに対して、まったく、俺は何一つ手に入れらない。……まったく、一つもだ!」
「プシマフ?僕はそんなつもりじゃない」
ティムールはプシマフのただならぬ様子に慄いた。
小雨だった雨がまた強く振り出し、二人は既にずぶ濡れになっていた。
プシマフの顔を濡らすものが涙なのか雨なのか誰にも分からないほどに。
プシマフは自分の半生を思い返した。
魔塔に辿り着くまでのみじめな日々、そして魔塔に辿り着いてからの平和な、しかし刺激のない日々。
人生の喜びも成功もまだ何も経験したことはない。
こんな自分がティムールと比べて惨めで仕方がなく感じた。
プシマフが結界を超えて、今すぐ国を出ようと転移を始めた時、突然山が大きく崩れて、二人は土砂に襲われた。
間一髪でプシマフは転移に成功した。土砂崩れのせいで国境も結界の抵抗なく超えられており、既にその身は見知ったパールサの町にあった。
パールサでは塩銀を渡し、錬金術師として大いに歓迎された。しかし、結局また何も成果といえるようなものを上げることはできなかった。そんな中、アディーグの魔塔をたびたび思い返した。
あそこには世界各国の魔法使い達が集まっており、自由に日々研究を楽しんでいた。
薬剤などの研究も進んでおり、あの塔の中はまさに宝の山と言えた。
――魔塔に行けば、また名声を得られる何かがあるはずだ。
プシマフは何とか秘密裏にアディーグを再び訪れる方法を考え、一つの計画を思いついた。




