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9.幻覚と現実と願望の違い 後編

 ルスランの元にザリーナが国に現れたという情報が入ったのは翌朝のことだった。

「グーゴンスーさん、世話になった。私はすぐに出発する」

「ルスラン様。奥様と一日も早く再会できることを祈ってます。ところで、どちらに向かわれるご予定ですか?」

「西大陸、アトラメンタムの『蛇の巣』だ」

「アトラメンタムですか!ここからなら、やはり北海を通っていくと迷わず行けますよ。島続きですから」

「ああ。地球儀で確認してきたんだ。これは謝礼だが、もし彼女を取り戻すことができたら改めて礼にうかがう」

 ルスランはそう言って、砂金の入った袋を一つ差し出し、飛竜に飛び乗って行った。

 その姿を手を振って見送るグーゴンスーは心配そうに眉を寄せた。

「旦那様、アトラメンタムの蛇の巣なんて危険な所に行かれるなんて、ルスラン様は大丈夫でしょうか?」

「うむ。ルーシェン導師のお仲間だ。あの珍しい鳥にしても、身のこなしにしても、ルスラン様も只者ではないのは一目瞭然だ。きっと大丈夫だろう。ただ、またお元気な姿で奥様とお越しになることをお祈りしよう」

 使用人の心配そうな言葉にグーゴンスーはそう言ったが、それは自分自身にも言い聞かせているようだった。



 アトラメンタムの蛇の巣とは現地の言葉でクンカン(蛇の巣の意味)と呼ばれてる港町のことだ。

 元々、アトラメンタムの国民にとって蛇が神として祀られていることに由来しているのだが、最近では海賊が跋扈しており、大変危険な町という意味で、国外でも「蛇の巣」として恐怖を以て呼ばれている。

 そんな町になぜ、ザリーナが行ったのかといえば、偏にガッドから聞いた中で、一番確実に烏羽玉を手に入れられる店があるからだった。烏羽玉自体は西の大陸で広範囲に自生しているサボテンだが、種類が多すぎて、自然に生えている烏羽玉を見つけるのは手間がかかる。

 ザリーナは自由気ままに国外で過ごしているように見られているが、国での責任を放棄したつもりはなかった。欲しいものが手に入ったら、さっさと国に戻ってまた仕事に専念するつもりだったのだ。


「ここが悪名高い『蛇の巣』ね」

 ガッドからその危険性を口酸っぱく聞いていたザリーナは華春の市場でしたように、予め自身を結界で包んでいた。町にいるのは世界中の商人やアトラメンタムの役人、一般住民がほとんどなのだが、海賊とみられる柄の悪そうな男たちも我が物顔で闊歩していた。

 目を付けられればトラブル必至で、ザリーナが負けるはずはなくても、なるべく面倒ごとは避けたかった。

 それでもかなり賑やかな町の様子に物珍しそうにキョロキョロと目が泳いだ。

 日に焼けた商売人たちが、屋台で櫛焼肉を売り、何人かの男たちがその隣のテーブルで酒を飲みながら騒いでいる。他にもパンを売る店や、魚を売る店など、多くの屋台があり、それぞれいい匂いを漂わせていた。

 ザリーナはその匂いにゴクリと唾をのみ込んだが、ガッドから注意されていたので他の店に寄るつもりはなかった。女と判れば、必ずその場で連れ去ろうとする奴が現れるというのだ。下手をすれば店主に薬を盛られ、売り払われるとも言う。

 華春で油断して、売り払われてしまっただけに、もうそんな失態を繰り返すことはできないと、ザリーナは後ろ髪を引かれながらも屋台町を後にした。


 町の中を歩くと、ところどころ石壁に穴があった。のぞき込むと銃弾が当たってできたもののようで、ザリーナはゾッとした。アディーグ国ではないが、拳銃は世界で広く使われている。魔塔でも研究対象としていくつかの種類の銃が保管されており、ザリーナ自身も試し撃ちをしたことがあった。あまりの轟音に二度と触らないと決めていた。

 ガッドがいうには海賊たちは剣に加えて拳銃を使いこなすらしい。船同士なら大砲まであるともいうので、魔法使いには脅威ではなくても生身の人間にはとてつもなく危険なものだろう。


――本当に、危ない町ね。必要な物を手に入れたらさっさと行かないと。

 そう思ったザリーナだったが、ふとルスランの顔が浮かんだ。



 ルスランが蛇の巣に着いたのはその二日後だった。

 比較的身体が大きく、マントで隠していても、大剣を背に持っていることが見て取れるルスランを、町の男たちは遠巻きに様子を窺っていた。

 そんな視線を気にすることなく、ルスランは真っ直ぐ、ガッドの書き出してくれた一番目の店に向かった。その店は港から奥まった、少し入り組んだ路地の中にあり、人の出入りもほとんどないような薄暗さだった。


「店主はいるか。少し訪ねたいのだが」

 店の中に入ると誰もいなかったのでルスランは奥に向かって声を掛けた。

 店の中は香が焚かれているのか、すこし煙っており、焦げたような匂いと甘い香りが充満していた。

「旦那。何の御用でしょう」

「人を探しているんだが、この数日烏羽玉を購入した者はいなかったか」

「……はて、どうでしょう。奥で帳簿を見てまいります。そこにお掛けになって、お茶を飲んでお待ちください」

 そう言って、店主はルスランに椅子をすすめて、手早くお茶を入れた。

 ルスランは素直に座ったが、お茶に手を出すことはしなかった。ガッドから店で何か勧められても口にするなと言われていたからだ。

 店主が奥に入った後、ますます甘い香りが強くなり、ルスランは目がかすむのを感じた。

――しまった!この香に何か仕込まれているのか!

 ルスランは足を叩き、何とか意識を保とうとした。すると店主がしびれを切らしたように奥から出て来た。

「何て奴だ。これだけの香の量でも意識が保てるなんて!まあいい。もう動けない頃合いだろうさ。お前ら、こいつに袋をかぶせて縛りあげろ」

「へい、親分!」

 店主の後ろから二人の男がついて出てきて、ルスランに袋をかぶせようとしたが、ルスランは剣を出して抵抗しようとした。もみあいの末、一人の男を剣で薙ぎ払うことができたルスランだったが、店主が拳銃を取り出し発砲したその轟音に動きを止めた。

「動くな!撃ち殺すぞ!」

「できるものならやってみなさい!」

 もうほとんど意識を失いかけていたルスランの耳に、懐かしい声が聞こえた。

「……ザリーナ?」

 ルスランはその姿を確認する前に暗闇に意識を落とした。



 ルスランはそれが夢の中だと分かっていた。

暗い何もない空間で長い髪で顔を隠した女が絡みつくように手を伸ばし、その手を掴むと地竜に姿が変わって食われそうになって逃げたり、ザリーナのような後ろ姿の女を追いかけたら、今度はその姿が骸骨に変わったりという悪夢から抜け出せずに、苦しんでいた。

 ただ、「これは夢だ」という意識だけは強く持っており、「早く起きないと」という焦燥が募るばかりだった。

 そんな中、ついに目の前にザリーナが現れた。ルスランは「ザリーナ!」と声を上げて、手を伸ばしたが、ザリーナの姿は触れる前に後ろに下がった。

『ルスラン、貴方はもういらないの』

そう冷たく言い放ったザリーナが、花嫁姿になって、誰か別の男の腕を取った。

ルスランはまた絶望して、「ザリーナ!」と叫んだところで、目が覚めて自分が見知らぬ部屋のベッドに寝かされていたことに気付いた。


「……ここはどこだ?」

 見回してみると、部屋は質素ながら清潔感があり、白い壁が明るく、窓からは爽やかなそよ風が流れ込んできてカーテンを揺らしていた。

 頭が少し重く感じ、喉が渇いた。コップと水差しが扉近くのテーブルに置いてあることに気付き、身体を起こそうとしたが、力が上手く入らなかった。なんとなく手足が痺れているような感覚がした。


―― 一体私に何が起こった?

 ルスランはあの部屋の香に何か仕込まれていたことは分かっていたが自分の身体に何が起こっているのか分からず不安になった。そして、最後に聞こえたザリーナの声が現実だったのか、幻覚だったのか分からなかったが、ザリーナであってほしいと願った。

 

「あの状況で自分を誰かが助けてくれたのであれば、それはザリーナに違いないだろう。今すぐ探しにいかないと、また行ってしまう!」

 ルスランは気力を奮い起こし、何とかベッドから這い出た。ドシンという音が響き、建物が揺れたが、気にせずヨロヨロと立ち上がった。

 すると、パタパタと誰かが駆け寄ってくる音が部屋の外から聞こえ、ルスランは開き始めた扉を凝視した。

「ルスラン!無事⁉︎」

「ザリーナ!」

 ルスランがよろけながら手を伸ばすと、ザリーナが急いで手を差し伸べて、彼の大きな身体を支えようとした。

 ルスランはザリーナの懐かしい薔薇の香りに、これが現実であると確信して、ザリーナの細い体を逃がさないと言うように強く抱きしめた。


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