8.苦しい時の神頼み 前編
「ザリーナなら今朝春京に帰ったところや。まだいるかどうかは分からんが、市場の薬屋にまた寄ると言っていた。苦杏仁を買いに」
「市場の薬屋ですか!」
サリ村にルスランを連れて来たグーゴンスーはジルの元を一番に訪れた。ルーシェンと最も付き合いのあるのがジルだと知っていたからだ。案の定、ジルはザリーナの名前を聞いた途端破顔した。
そして残酷にもザリーナとルスランがすれ違ってしまったことを告げられた。
グーゴンスーは迷いながらもルスランにザリーナの行方を告げた。
「ルスランさん、ザリーナさんは今朝この村を出て、あの薬店に行ったそうです」
「そんな!……まさか、あのままあの店に居たら……」
――ザリーナに会えのたのか?
ルスランはグーゴンスーの申し訳なさそうな顔を見て、その言葉を既の所で飲み込んだ。
「グーゴンスーさん、すみません。お世話になりました!私は今すぐあの店に行ってきます」
ルスランが唇に指をあてピーッと口笛を吹くと、飛竜が現れた。
「なんだあれは!」
「あんな大きな鳥見たことない!」
と、その場の面々が恐怖に慄く中、ルスランはサッと飛び上がり、竜の背に乗って春京に向かった。
残された面々は呆気にとられた。
「ザリーナも企画外やったが、あの御仁もたいがいやな……」
「はあ、流石、ルーシェン導師のお仲間だ。ルスラン様も実は導師なのか?」
ジルとグーゴンスーが独り言のようにつぶやく声が響くだけで、しばらくの間、その場から誰も動くことはできなかった。
ルスランが春京に文字通り舞い戻ったのはまだ明るい時間だった。飛竜の落とす陰にたびたび人が顔を上げたが、その速さのため、なかなか竜の姿を瞳に捉える者はいなかった。
ルスランは比較的高い塔の上に音もたてずに降り立つと、人間離れしたスピードで屋根を駆け、真っ直ぐ、市場の薬店を目指した。
薬店の前に立った時、ルスランは勢いよく扉を開けようとして、思いとどまった。
愛しいザリーナの顔を想い浮かべ、自分の乱れた髪を整え、服の埃を払い、姿勢を正した。
そして胸のポケットに手を当て、結婚式で彼女に渡すつもりだったプレゼントがそこにあることを確かめた。
――ザリーナ、私の最愛。
ルスランは深呼吸をして、店の中に入った。中には今朝会った老人がおり、棚の整理をしていた。
「いらっしゃい……、ああ、あんた今朝の御人か。ちと遅かったな。あの娘さんはさっき出て行ったところだよ」
ルスランは店主が何を言っているか全く分からなかったが、その残念そうな顔と外を指さす様子を見て、ザリーナが行ってしまったことを理解した。
「どこに!どこに行ったか分かりませんか!?何を言ってましたか?」
あきらめきれずにルスランは店主を問いただしたが、相手もルスランの言葉が理解できず首を振るばかりだった。
その様子にルスランは悔しそうに顔を歪ませ、店を後にすることしかできなかった。
「ルスラン様!良かったまだここにいらしたんですね!」
グーゴンスーがルスランに駆け寄り、急いで声を掛けた。
行くあてのないルスランは、しばらく市場の端で蹲っていた。結局、日が沈む直前にグーゴンスーが戻ってきて、ルスランを店に連れて帰るまでずっとそうしていたのだが、その間、ルスランはザリーナと初めて会った頃から、結婚に至るまでのあれこれを思い出し、余計に絶望を深くしていた。
ルスランがザリーナと初めて深く関わったのは半年ほど前のことだった。
ルスランは騎士団長で、ザリーナは魔塔のトップ魔術師と、お互い国の重要人物であるため、顔と名前は認識し合っていたが、特にそれまでは切っ掛けがなかった。
そんな二人が関わり合うようになったのは、アディーグ王国に大事件が起こったせいだった。
アディーグ王国は高原にある緑豊かな平和な国で、魔塔の結界に守られていることもあって、ほとんど外敵に脅かされることもないのだが、たまに災害級のモンスターが紛れ込むことがあった。
これもそれも、すぐ東側にあるクロウカシス山脈に生息する太古の生物がほとんどなのだが、たまに地下を通って山脈の更に東の砂漠からもモンスターがやってくることこともあった。
そして、昨年、まさに砂漠にしかいないはずの地竜が地の裂け目を通って大量にアディーグ王国に現れたのだ。地竜は巨大ミミズとも呼ばれることもあるが、ミミズと違い、毒があり、目はないが、口には歯が生えており、家畜を喰らう。赤黒く、ヌメヌメとしたその肌は毒を纏っており、素手で触ることはできない上に、攻撃されれば毒液を口から吐き出す厄介な相手だった。
またその太さは丸太のようで、長さも大人の身長を超える。獲物を見つけた地竜はその身体を跳ね上げるように相手を威嚇したあと、素早く、飛びかかって毒液を吹きかけるのだ。その致死性の毒液は蒸気状で黄色く、触れるのはもちろんだが、吸い込んだだけでも、命の危険がある。
最初は羊飼いが「羊を化け物に食われた!」と慌てて兵士の詰め所に駆け込んできたことから始まった。
二名の騎士が飛竜を駆り、現場に到着すると、谷合に巨大な地竜が数匹うごめき、羊を飲み込んでいる様子が見えた。
「なんだあれは……」
「化け物だ!すぐに魔塔に報告だ!」
通信石で騎士団にその信じられない状況が告げられた時、ルスランはちょうど王女のお茶に付き合っている所だった。
「緊急事態が起きましたので失礼いたします」
「ルスラン!待ちなさい!」
王女がわめく声を全く聞こえないかのように、ルスランは国王の元に急ぎ、騎士からの報告を伝えた。
「なんと!伝説の地竜が現れたというのか……」」
地竜がアディーグ王国に現れることは歴史上たびたび起こっており、国王もそれなりに知識を持っていた。しかし、自身が生まれてからは一度もなかったことなので、信じたくない気持ちで顔色をを青くした。
「陛下、直ちに魔塔に協力を要請願います」
一刻を争う事態に、ルスランは言葉を強くしたが、国王もすぐに頷き、通信石に触れた。
「ファティマ、地竜が谷合に現れ、家畜を襲っている。直ちに魔法使いの協力をお願いしたい」
『分かりました陛下。ザリーナが行ってくれます』
「ザリーナか!よろしく頼む」
ザリーナが出ると聞き、その場の面々は安堵の息を漏らした。しかし、ルスランはザリーナひとりに全て任せる気は全くなかった。
「陛下、では私も現場に参ります」
「うむ。くれぐれも毒に気を付けてくれ」
ルスランは敬礼をすると、急ぎ足でその場を立ち去り、竜舎に向かった。
ルスランが飛竜で現場に駆け付けた時、そこには複数の大きな氷の塊があった。良く見ると巨大な地竜がそれぞれ凍らされていた。
――これが魔塔の最強魔法使いの実力か!
ルスランは息を呑んだ。信じがたい光景に衝撃を受けていたが、それでも、状況を素早く観察することを忘れなかった。
羊の残骸と血の跡、ぐちゃぐちゃに荒らされた草花、なぎ倒された木。そのどれもが地竜がどれだけ暴れまわったかを想像させた。
そしてところどころ穴が掘られたような形跡が見て取れた。
――過去の記録でもこの谷に現れたとあったな。砂漠からここまで地中を掘って来たのか?とんでもない化け物が足元に隠れているなんて脅威でしかないな。
ルスランは一つの氷の塊の横に、金色の髪の人物が立っているのを見つけた。遠目にもわかるその美しいたたずまいに、思わずごくりと喉を動かした。
この世界の地竜とはモンゴリアン・デス・ワームのこと。
本日も3回更新予定です!




