7.サリ村 後編
「ラド!」
「ザリーナ!目が覚めたん?」
数匹の羊と戯れていたラドが振り返り、大きく手を振った。羊だけでなく、ヤギもおり、それぞれが気ままに草を食んでいた。
「おはよう。羊の世話してるの、偉いわね」
「皆可愛ええやろ。大事な家族やねん」
サリ村では遊牧の頃ほどの頭数はいないが、羊やヤギは大事な財産で、それぞれの家で数頭ずつ管理している。良く見ると、少し離れたところに同じように羊の世話をしている女の子たちが何人かいた。
「羊の世話は女の子の仕事なのね」
ザリーナがそう聞くと、ラドは大きく頷いた。
「うん。男の人は皆畑仕事か狩りに行くねん。だから羊の世話はうちらの仕事やで」
ラドが羊の背中を撫でながらそう言った。すると、先ほどの女の子たちがぞろぞろと集まって来た。
「ラド!その人は?」
「アミラ!この人はうちの恩人のザリーナ!」
「はじめまして」
ザリーナが微笑み挨拶をすると、女の子たちは少し顔を赤らめ、恥ずかしそうに頷いた。
「ザリーナ、この子たちは友達のアミラとアイルとジャナ」
そう言って、ラドが女の子たちを一人ひとりザリーナに紹介した。アミラは少し年上のようで、背が一番高かった。アイルは小柄で大人しそうで、ラドと同じくらいの背丈だが少しふっくらしていた。ジャナは一番幼いようで、まだ赤ちゃんのようにあどけない頬をしていた。
皆、ラドと同じように髪を後ろで三つ編みにしており、刺繍の施されたチュニックのような服を着ていた。
「魔法使いなんて素敵やね!」
三人はザリーナに興味津々になり、質問責めにした。
「ねえねえ、じゃあ、魔塔には惚れ薬とかあるの?」
「惚れ薬?あら、アミラは誰か好きな人でもいるの?」
アミラの質問にザリーナは面白そうに質問し返した。アミラは少し顔を赤らめ、小さく「ちょっと、気になる人が……」と答えた。
ザリーナはアミラのその様子を見て、恋する少女に真剣に応えようと、真面目に話をし出した。
「惚れ薬ね。実はあると言えばあるし、ないと言えばないの。物語のように一目で恋に落ちるようなものはないの。媚薬として体がおかしくなる様な薬はあるけれど、一時的で心は掴めないわ。もし、相手の心を掴みたいなら、香りを利用するといいわよ」
「香り?」
アミラだけでなく、少女たち皆が興味を持ったように前に乗り出した。
「ええ。有名なものはジャスミンね。これは惚れ薬として古くから知られているわ。私の国では薔薇が有名で、華春国では桃と金木犀が男性に好まれる香りとして知られているそうね」
「桃と金木犀?金木犀ならそこら辺の山に結構咲いてるわ」
「香りの一番いい頃に摘んで乾燥させて匂い袋に入れて持ち歩いたり、好きな人に金木犀のお茶を出したりするのも良いわよ。香りが持つ印象ってとても重要なの。華春国には桃娘の伝説もあるでしょう。桃の香りは人間を引き付けるのね」
アディーグ王国では薔薇の香りが好まれ、ザリーナはわざわざ婚礼に向けて、自らローズオイルを抽出したことを思い出した。結局何の役にも立たなかったと、苦々しく思ったが、ワクワクとした顔で香りについて話す少女たちにはそんな胸の内を悟られないよう様に努めた。
「はい!うちはザリーナみたいに綺麗になりたい。どうすればなれるん?」
アイルが手を上げてそう言ったので、ザリーナはクスリと笑って答えた。
「そうね。よく寝て、よく運動して、綺麗な水を取って、あと好き嫌いなくちゃんと食事を取る事ね。私は貴女たちの綺麗な黒髪が羨ましいわ。くせがなくて絹糸みたいよね」
ザリーナの言葉にアイルは自分の髪の先を撫でた。
「うちは痩せて綺麗になりたいわ。ザリーナの白い肌も羨ましい。何か痩せれる薬はないの?」
口をとがらせそう言うアイルに、ザリーナの頭の中に一つの植物が思い出された。
「そうね。葛ってあるでしょ。華春国では料理によく使われると思うけど、あれって、女性が綺麗になる成分があると言われているの。特に南方の国に凄く効果があるものがあるらしいのね。飲めば男の人の胸も大きくなると言われてるぐらい」
「えー!そんなんあるの?飲みたい!」
「でも、いい話ばかりじゃなくて、それ自体も効果がありすぎて体がおかしくなるという話も聞くし、もっと恐ろしいのは、とても毒性のある葛とそっくりで見分けがつかなくて、その国では飲み間違いで酷い目にあう人が沢山いるらしいわ」
今にも葛を探しに行きかねなかったアイルたちだったが、ザリーナの不穏な言葉に顔色を悪くした。
「えっ?酷い目?」
「ええ。吐き気がしたり、頭痛がしたり、蕁麻疹が出たり、酷い時は死に至ることもあるそうよ。だから、『綺麗になれる薬』を誰かが売りにきても安易に手を出さない方が良いわ」
少女たちはコクコクと頷いた。それを見てザリーナは満足そうに微笑み言った。
「大丈夫よ。女の子はね、年頃になって恋をしたらほっといても綺麗になれるわ。その時のためにも、ちゃんと健康でいてね」
「ザリーナも恋をしてるん?」
ラドがふと思いついたように顔を輝かせてそう言ったが、ザリーナはそれには答えず、笑って誤魔化した。
その後、ザリーナはラドと一緒に羊シダを取りに山に入った。
「ほらこれやで」
ほどなくしてラドが藪の中のあったシダを指さした。良く見るとその根茎が茶色い毛で覆われているように見えた。ザリーナは慎重に土を含めて丸ごと抜き、マジックバッグに収めた。同じようにラドが見つけるたびに採取していき、魔塔での栽培用をいくつか確保した後、ジル医師に使い方を教わるために、さらに数株確保した。
「羊シダか。根茎だけやなくて、葉も使えるんやで」
ジル医師は羊シダの葉をすりつぶした物と葉や茎を煎じた物のそれぞれの使い方の違いをザリーナに教えた。
そして、毛で覆われた根茎部分についても詳しく説明をしてくれた。
その根茎は太く、輪切りにすると、赤い縞があった。
「表面の毛の部分は湿布や止血に使われる。さっきすりつぶした葉と一緒に使ったりもする。中の茎の部分は生薬にして煎じて飲むんやが、腰痛や関節痛に効くんや」
その他にザリーナはジルに華春国でよく使われる苦杏仁の使い方なども習うために、サリ村で数日間を過ごした。そうして、ラドの祖父母や、親戚も含め、顔を知らない者はいないぐらい村に馴染んだところで、またの来訪を約束しながら村を後にした。
最後の朝は、実はラドの祖父がルスランに道を尋ねられた後だったのが、ザリーナには知る由もなかった。
ザリーナは春京に戻り、再び薬店を訪れた。ジルに教わった苦杏仁と甘杏仁を手に入れるためだった。甘杏仁はデザートに使われるとのことで、買って帰って、皆に御馳走しようと思ったのだ。
「こんにちは。これありますか?」
ジルにもらった紙を差し出すと、店主は「あるよ」と答えて、それぞれを袋に入れてザリーナに渡した。
「そういえば、今朝お前さんを探してる男が来たよ。背の高い黒髪の良い男だった」
「くろかみのおとこ?」
全部は聞き取れなかったけれど、とっさにザリーナの頭にルスランの顔が浮かんだ。
――探しに来てくれたのかしら。
ザリーナはそう思い、少し顔を赤くした。
まだ許す気にはならないが、数日が過ぎたことで気分は随分と落ち着いていた。
しかし、だからといってまだルスランに会いたいとも思えなかった。
「わかった。ありがとう」
ザリーナはそう言うとお金を払って店を出た。その足は少し急いでいるように速足だった。




