7.サリ村 中編
「何かあったのかしら?」
「行こう!」
ラドが駆ける後をついてザリーナが一軒の家の前に辿り着くと、ツンとした胃酸の匂いが漂い、中に入ろうとするラドを慌てて引き留めた。
「駄目よ!きっと食中毒か病気だわ。下手したらラドにもうつるわ」
「病気⁉︎そんな!どうしたらええの?」
ザリーナはそれには答えず、フードを目深にかぶり、鼻と口も覆った。そして、ラドにも同じようにスカーフを巻き付けた。
二人がじっと中の様子を窺っていると、首を振りながら男が出てきた。
「ジル先生!一体どうしたん?」
「おお、ラドか。チェチェが食中毒を起こしたんや。しかし、薬の在庫が切れてるからどうしようもない。白湯を飲ませて様子を見るしかない」
「食中毒?」
「ああ、人にうつったりはせんが、チェチェはまだ子供やから体力が持つかどうか……」
「食中毒の薬、私持ってます!」
「え、あんた誰や?」
「ジル先生、この人はザリーナ。うちの恩人や。導師様よりもすごい魔法使いなんやで!」
「魔法使い?まさかルーシェンさんが言うてた魔塔の人か?」
「ルーシェンを知ってるのですか?」
「ああ、たまに来はるからなあ。それはともかく!薬!持ってるんやったら分けてくれんか?」
「もちろんです!ラドは先に家に帰ってて!」
「ええ!ちょっと!」
とまどうラドを置いて、ザリーナはジルと一緒にその家の中に入って行った。
家の造りはラドのものと似たようなもので、大きな絨毯が敷かれており、そこにいくつかのフェルトの敷物が置かれていた。絨毯の一部には砂がかけられており、吐しゃ物を処理したものだと分かった。
ザリーナはそれを慎重に避け、ジルについて患者のいる部屋のほうに行った。
中には布団の上に五歳ぐらいの子どもが横たわっており、青白くぐったりとしていた。その横で両親が心配そうに除き込んでいる。
「腐った肉を口にしたみたいで、家族皆当たったそうや。でも大人は大したことなかったが、一番ちっこいチェチェが重症や。悪いが薬を頼む」
「ええ、これよ」
そう言ってザリーナは袋を差し出した。中には乾燥した小さな黄色い根っこが大量に入っていた。
「黄金花か!ありがたい!」
黄金花の根は解熱、解毒、整腸作用、吐き気止めなど、食中毒の特効薬とされている。ザリーナは万能薬とも言えるこの薬草を何袋も普段から持ち歩いていた。他人に使う場合もあるが、自分自身が必要とする場合に備えてだった。
「全部使って良いわ」
「黄金が黄金花を運んできたなんて!あんたはこの子の救世主やで!」
ジルはその場ですり鉢を使って黄金花の根っこを擦り始めた。そして手早く白湯に混ぜて薬を作る。
「あっ良かったらこれも使って」
ザリーナが小さな小瓶を差し出すとジルはサッと手に取って鼻に近づけて匂いを確認した。
「蜂蜜か。これは貴重過ぎて受け取れんて!」
「黄金花は苦いから、小さな子には可哀そうでしょう」
「……すまんな」
ジルは一瞬ためらったが、意を決したように蜂蜜を薬に混ぜた。
チュチュに何とか薬を飲ませると、青白かった顔色も徐々に血色を取り戻し、穏やかな寝息を立てるようになった。ほっとしたジルとザリーナは、チュチュの家族の感謝を受けながら家を出た。
「ほんま、あんたがいて、助かったわ。ありがとう」
ジルはそう言ってザリーナに黄金花の袋を返そうとしたが、ザリーナは両手を突き出し防いだ。
「私、何袋も持ってるから、それは取っておいて。また誰か病気になったら使ってちょうだい」
「そうか。ほな、遠慮せずにもらっとくわ。またうちの村でなんかできることがあったら遠慮なく言ってくれ」
「いいえ。もうラドの家族に良くしてもらってるから大丈夫よ。『一飯千金』ってやつね」
ザリーナは華春国の諺を誇らしげに使った。
「あんたアディーグ人やろ。華春語なんてよう知っとるな」
「ルーシェンに色々習ってきたの」
「そうか。ルーシェンさんにもよう世話になっとる。こっちも薬草売ったりしてるが、ここらで手に入らんもんを分けてもらうことも多い」
ザリーナはもう暗くなった辺りを見回した。確かにあまり土地が豊かとは言えない不便な山の中では手に入らないものも多そうだと感じた。
「普段はどういう生活なの?」
「絹が売れるから、それほど貧しくはないが、やはり手に入りにくいもんが多いからな。特にこれから冬に向かって肉類が手に入りにくいし、魚は元々絶望的や」
「豆は育ててないの?たとえばこれ、ひつじ豆」
そう言ってザリーナはコロンとした黄色い豆を差し出した。ひつじ豆は大陸の広い地域で育てられており、比較的生育条件が緩く育てやすいと知られていた。
「これは始めて見るな」
「栄養価が高いの。あまり湿気が高いと育たないらしいんだけど、ここら辺は海から遠くて乾燥してるからちょうどいいんじゃないかしら。一度試してみて。食べる時は煮豆にすると良いわ」
ザリーナが押し付けるようにひつじ豆がたくさん入った袋をジルに渡した。
「色々もらいすぎやで」
「良いのよ。それ、私の非常食の一つなんだけど、まだまだいっぱいあるから」
「ほんま、あんたには頭が下がりっぱなしやな」
「じゃあ、次にアディーグ人が来ることがあったら良くしてあげてね」
「もちろんや。ほんまにありがとう!」
ジルはザリーナの手を両手で握り、ぶんぶんと振りながら何度も感謝を述べた。
翌日、ザリーナは遅くに目を覚ました。
チュチュの家から帰った後、ラドの家で食事と酒をたらふく頂いたせいだ。アディーグ人は宗教的にも酒を飲む習慣がないので、ザリーナにとって初めての経験だったが、いつもルーシェンとガッドがどの国の酒が旨いかという話をしていたのでどんな味がするものかと気になっていた。
この村の酒は桑の実から作られており、まるでジュースのように甘みがあり飲みやすかった。そのせいで、ついつい何杯も飲んでしまい、翌朝、二日酔いに苦しむことになったのだった。
「う~ん。頭が痛い……」
ザリーナは布団から這い出し、水を求めに台所に行った。
「あら起きはったね」
スーが朗らかに笑い、ザリーナに水と粥を差しだした。
それを有難くいただきながら、ザリーナは申し訳なさそうに言った。
「……ごめんなさい。昨夜は飲みすぎたみたい……」
「気にせんでください。昨日はラドじゃなくてチュチュまで救ってくださったし、ザリーナさんはうちだけやなくてこの村の恩人です」
「そういえばラドは?」
「ああ、今は牧場の方にいます。羊の世話はあの子の仕事の一つなんです」
「じゃあ、私も行ってきます」
「牧場は家の裏手から少し上がった所にあります。木々が開けてるほうに行ってもらえば、羊が何匹かいる思いますわ」
ザリーナは頷くと、裏口にすぐ向かった。
ラドたちの村の家々は小さな薄い石を重ねて泥で固めた壁で作られているが、牧場を囲む壁も同じ作りだった。膝丈ほどのそれは、幅が広く、羊が飛び越えにくい造りになっている。
ザリーナはそれを軽くジャンプして飛び越え、牧場の中に入った。




