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惑星ボルタの記録 ――異星人少女と僕は絶望の中で戦い続けた――  作者: 霧島 高


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第1章 異星人の少女

 僕はごくりと息を飲んだ。

「早くして」

 そう急かされて、仕方なく。どうしても仕方なく。震える手をなんとか伸ばす。綺麗で透き通るような、傷一つない薄い肌にそっと触れる。それは予想通りにひんやりとしたけれど、予想以上に柔らかかった。

「……」

 そうしたところで声一つ上げず、少女はされるがまま。神々しささえ感じさせるほどに白く美しく一糸纏わぬ姿が、僕の目に焼き付いていく。うっすらとした双丘であれ恥部であれ、そのすべてから目を背けることができない。

 それでもなんとか心を押し殺す。やるべきことに集中しなければならない。僕は彼女の腹部に置いていた手をほんの少し下へずらし、彼女の(へそ)に人差し指を当てた。

「始めます」

「ん」

 僕は指にぎゅっと力を込めた。


 ※


 丸く青い球体が暗闇のなかに浮かぶ姿を僕は眺めていた。茶色と緑のまだら模様、そしてその合間に浮かぶ白い(もや)を見れば故郷を思い出し、それと同時に故郷とは全く違うものを見ているのだなと僕に寂寥感を抱かせた。

 だんだんと小さくなっていく。僕はずっとその様子を見つめていた。豆粒みたいになるまで。故郷を旅立つときにみんなと並んでそうしたように。

「静かだなあ」

 近くの椅子に腰かけて、あたりを見回し、そこに誰もいないことを再確認する。昨日まで、この宇宙船はもっと賑やかだった。気のいい仲間たち。苦しみと喜びを1年かけて分かち合った友人たち。

 太陽系を出発して以降、様々な星系に立ち寄るたび、ときに緩やかに、ときに(あわただ)しく減っていった。数人が降りて行ったと思えば、10人以上の集団が同時に降りて行ったこともある。

 そしてこの星系を過ぎれば、もはや最後の目的地へと向かうのみ。そこへ配属される兵はたったひとり。

 僕のこと。

「なんで僕だけ……」

 宇宙船のロビーに独り言が虚しく響く。乗務員を除いて定員100人を超える大型宇宙船に僕は取り残された。話し相手は誰もいない。乗務員との会話も禁止されている。割り当てられた船室に篭っているのもなんだか気持ちが暗くなりそうで、けれどこのロビーにひとりでいれば、余計に寂しさを感じてしまう。

 やることもなく、さりとてこのまま何もしないというのもなんだかもったいない。けれどこの後のことを考えれば今ここを離れるわけにもいかない。だから大型ディスプレイに流れ始めた地球上の大自然――大河、滝、雪山、動物の群れ――をぼうっと眺めていれば、ロビー内に聞きたくないアナウンスが流れてくる。

『これより跳躍を開始する。乗員は衝撃に備えるように』

 ディスプレイの表示が消え、同じ文言が黒字に赤で大きく無骨に表示された。僕は対ショック体勢、すなわち今座っている椅子のひじ掛けをぎゅっと握りしめた。当たり前のことだが、この椅子は床にしっかりと固定されている。すべての調度品と同様に。

 直後、ふわりとした浮遊感がやってきた。

「うっ」

 なんど体験しても気持ち悪い。胃から何かがせり上がってくるような感覚。

「ぐうっ」

 だがその感覚は一瞬だ。本当の恐怖はここから始まる。全身を押しつぶす負荷が急激に襲い掛かってくる。耐える。痛い。なんで僕だけこんな目に。平気だったみんなが羨ましい。

「……はあ」

 痛覚への刺激が収まり、思わずため息を漏らす。どうして母星から最果ての星系へ配属となったのか。恨めしい。あと何回跳躍が必要なんだろう。おそらく数回で済むはず、と思いたい。これまで同じ苦しみを味わうこと30回以上。耐えきるしかないのはわかっている。これで死ぬことはないけれど、できれば苦しいのは勘弁してほしい。

 そんなことを繰り返し、そうして僕は辿り着いた。

「惑星ボルタ。人類の最前線」

 配属先は、長らくそう呼ばれていた。


 エアロックに一人立つ。「ドアが開きます」と自動音声が流れ、目の前が開けたので僕は進み出た。長い旅路が終わり、到達点である宇宙ステーションに降り立つと、背後のドアが僕を追い立てるように勝手に閉まる。もう後戻りはできない。もともと戻るつもりなんかないけど。これは自分で選んだ道なのだから。

 周囲を一通り見渡せば大型宇宙船が停泊していてもまだまだ余裕のある大きな空間で、足元を見ればフェンスで区切られた通路の金属床に矢印が書かれていた。それに沿って歩けということだ。格納庫の中では人間とロボットが作業をしていて、もし僕が道を外れれば彼らの邪魔をしてしまう。さっきまで乗っていた宇宙船のメンテナンスはすでに始まっていて、燃料補給に各種点検、その他諸々の作業に忙しくしているのが見て取れた。

 通路を進めば、やがてその先に一人の男性が待ち構えているのが見えた。僕は足早にその人の元に近づいていき、きりっとしたつもりでぴたりと止まった。

「クサカ・マサキ一等兵、ただいま着任いたしましたっ!」

 右肘を斜め前に突き出し手を開いて指を揃え額の前に。訓練で散々やらされた敬礼だ。

「サイトウ伍長だ。お前さんの分隊長さ。遠いところよく来た。歓迎する。……ま、そう肩肘張らなくてもいいぜ」

 同じように敬礼しているのにずっと様になっているサイトウ隊長が相好を崩した。(いわお)のようないかにもな軍人なのだが、どうにも第一印象というのはあてにならず、ちょっとした茶目っ気を見せてくれた。僕はずっと緊張しっぱなしだったというのに。

「それにな、もう戦争は終わったんだ。これ以上、ドンパチやらなくたって済むんだからな。いいことさ」

 サイトウ隊長は自らの脚をとんとんと叩いた。かちかちっと音がする。僕はもちろんそれには気づいていた。隊長の両脚は太ももから先が失われていて、機械のそれに置き換わっていた。

 この惑星では、人類の最前線の名前に相応しくほんの少し前まで戦争が行われていた。X-778星系第三惑星、通称ボルタ。そして僕がいるここは、その周回軌道上にある惑星降下のための中継地点となる軍事基地。隊長もまた惑星に降り立ち、敵と戦い負傷し、そして体の一部を失くしたのだろう。

 同じ宇宙船に乗っていた同期たちも、本来ならば全員ここに送られるはずだった。しかし厳しい訓練をこなしている間に戦争は終わってしまい、行き場を失くした僕たちはそのほとんどが別の赴任先を()てがわれた。

 僕を除いて。

「さて、早速だがこのまま指令室に直行だ。司令官がお呼びだとさ」

「……え?」

 なんと間抜けな声を出してしまったのだろう。けれど仕方ないじゃないか。僕は配属されたばかりの新兵であって、つまりは基地司令官とは対極の存在であるわけで、軍における常識として直接対面することなんてありえない。もしあるとすれば、僕が何かとんでもないことをやらかした時ぐらいだろう。考えたくもない話で、まだ到着間もない僕に心当たりはもちろんない。

(ほう)けてないで、ほらいくぞ」

「は、はい。でも、どうして、なんでしょうか」

「俺も知らん。といいたいところなんだがな。なんとなく予想はつくぞ。ま、それが正しいなら、そう悪いことではなかろうさ。そう心配そうな顔をするな」

「……了解、しました」

 どのみち僕には拒否権なんてない。軍人になったということはそういうことで、そうなったのは僕自身の選択だ。

 歩き出したサイトウ隊長に続いたその時、僕はほんの一瞬背中に冷たいをものを感じて、ぶるりと震えた。よくないな。これから司令官、つまりとても偉い人に会うってことは、とても緊張を強いられるということだろう。

 そして僕は、到着してから格納庫を去っていくまでの一部始終を、紅い双眸にじっと見つめられていたことに最後まで気付くことはなかったのだ。


 格納庫を出た僕はサイトウ隊長と共に、指令室を目指してただ道なりに進む。真正面の奥に無機質な床が続いて見える。まっすぐに見えて実際には緩やかな上り坂を進んでいるわけだけど、緩やか過ぎてそうは感じられない。どこを見ても代わり映えのない金属床と壁の間を、少しばかり隊長と冗談交じりに話をする。隊長が僕の緊張をほぐそうとしてくれているのだ。そんな僕たちをステーションの外側から透視して眺められるとしたら、大きなドーナツの内側に沿って歩いているということになる。

 ドーナツの正式名はX-778星系第三惑星周回軌道軍事ステーション、通称は惑星名を元にボルタステーションという。数ある宇宙ステーションの中でもかなり大規模だ。というよりも最大だ。それはもちろん、このステーションの眼下で戦争をしていたからで、多くの兵士とそれに伴う機材を収容し、惑星ボルタに送り込んでいたからだ。

 太陽系から旅立つ前に、僕は記録映像でその外観を既に知っていたけれど、宇宙船で実際に近づく映像をみてその迫力に思わず感嘆した。

 標準サイズのリングだけを見るならば他のステーションとさほど変わらない。中央に配置されたエネルギーコア部も、リングの120度毎に配置された3つの大きな(はこ)、これは指令室と離発着場を兼ねた2つの格納庫でもっともよくある形。しかし兵員区画を兼ねたリング自体が他のステーションとは大きく異なっていた。

 5層リング式。

 同じ大きさのリングが5つも重なったそれは、通常は2層のところその2.5倍に拡幅されている。そう、拡幅なのだ。僕の見た解説によれば当初は標準通りに計画していたところに勃発した戦争が、それを最終的に今の形まで膨らませることになった。

 隊長と僕は、惑星から見てもっとも近いリングに沿って歩いているわけで、だからここは1番リング通路と呼ばれている。その時ちょうどリングとリングを結ぶ連環れんかん通路の脇を通り過ぎようとしたので、そこを横目に覗き込むことができた。その奥に突き当たりの壁が見える。つまり連環通路はジグザグに配置されていていて、1番リングから5番リングまでまっすぐに行けるわけではないということだ。理由はおそらくきっとあるはず。軍事上の都合かもしくは構造上の都合だろうか。

 そうしてあたりを見回しながら進むこと20分余り、ついに指令室までやってきた。大型宇宙船用の格納庫から出てただひたすら1番リングを反時計回り――惑星側から見て――に進み、到ったわけだ。

「サイトウ伍長ならびにクサカ一等兵、招集に応じ参上しました」

『入室を許可する』

 扉の前に立ちサイトウ隊長が声を上げると短く応答があった。すぐさま空気の抜ける音が聞こえたと思えば、扉が両側に開いていく。指令室は大きな空間で、最初に目を惹くのは、何と言っても正面に大きく掲げられた巨大なディスプレイ。惑星ボルタの遠景を映し出しつつ、いろいろな数値がそこに重ねて表示されていた。

 あたりには、数十人ほどの人間が働いているのが見て取れた。巨大ディスプレイを正面にして机を半円状に並べ、各自のコンソールにて作業をしているが、それだけの人数が収まっても充分にあまりある空間が広がっていた。

 そんな大きな部屋の中央部、明らかにそこだけがぽっかりと隙間を空けて特等席になっていた。そこにただ一人、こちらを背を向けて座っている人物こそが司令官に違いない。サイトウ隊長に続き、そこまで目視でおよそ20歩の距離を歩く。とても遠く感じた。隊長の歩みがぴたりと止まり少し遅れて僕もそれに従い、隊長の敬礼に合わせて僕もそれを真似る。

 そのままの姿勢で待っていれば、回転椅子に座る制服を着た人物がくるりと周りこちらに向く。そして立ち上がり、完璧な敬礼を僕たちに見せた。

「伍長。それに一等兵は初めまして、だな。司令官のブラウン少佐だ。……ふむ、プロフィールはすでに見たが、こうして実際に見てみると、やはり少し小さいな」

「申し訳、ありません」

 ブラウン司令官が敬礼を解きながら言ったことは、実に正しく否定する材料が何もない。僕は軍人として恵まれた体格をしている、とはとても言い難く。身長は170センチメートル……うう、本当は169センチメートルなわけで。たとえ女性兵であってもその半数以上が僕よりも長身だろう。それも希望的に考えて。

 目の前の司令官であっても、僕よりずっといい体格をしている。サイトウ隊長には及ばないとしても、それは最前線で戦うわけではない士官なのだから当然だ。けれど、さすがに筋力や体力はそれなりの訓練をしてきた僕の方が上だと、思いたい。

「なに、そう悲観することもないさ。今回ばかりは釣り合いがとれるだろう」

「え?」

 どういうことだろうか。

「さて本題に入ろうか。ああ、二人とも楽にしたまえ」

 司令官は椅子に座る。僕たちは敬礼を解き、少し脚を開き手を後ろで組む。楽にしろというのは、つまりこういうポーズをしろということだ。司令官と僕たちただの兵士とでは明確に立場が異なる。

「伍長は既に知っていることだが、この基地はちょっとばかり厄介ごとを抱えている。まあこればっかりはどうしようもないことだから受け入れざるを得なかったわけだけどね」

「……」

「そこでだね、君の出番だ、一等兵。君にはこの厄介ごとを引き受けてもらわねばならない。そしてこれは君にしか成し得ないことだ、光栄なことだと思え」

「……はっ」

 命令には従うのみ。軍人ならばこれを是とすること。それにしたってただの一兵卒でしかない僕にいったいどんな重大ごとを任せようというのか。

「ふむ、ちょうど来たようだな」

 僕を見ていた司令官の視線が外れ、僕の背後へと注がれる。ドアが開く空気音と共に、コツコツと金属床を鳴らす規則正しい音が聞こえて来た。どうしよう、振り向いてもいいものか。僕はちらりとサイトウ隊長の顔色を伺った。隊長はそのままの姿勢を崩しておらず、僕もそれに倣った。

 そして僕の背後にて、その足音は止まる。

「紹介しよう」

 司令官の言葉に合わせ、隊長が体の向きをくるりと反転させた。僕もそれに合わせ、新たな訪問者の姿を確認した。

「クラカロイドからの派遣武官、コルティナ少尉だ」

 そして僕は固まった。そこにいた可愛らしくも美しい可憐な少女を前にして、僕はその姿に見惚れてしまい、きっととても間抜けな顔を晒していたに違いない。

「よろしく」

 綺麗なテラノイド語が、薄いピンク色をした小さな唇から滑り落ちた。


 僕たち人類(テラノイド)が恒星間航行技術を得て(のち)、それを繰り返した先で到達した惑星ボルタにて、その戦争は始まった。敵対異星人の名を取ってクラカロイド戦争と呼ばれることになったそれは、惑星ボルタの重要資源をめぐる争いだった。僕は戦争末期――もちろんその時が末期だとは知らず――に志願兵となり、本来ならその戦争に送り込まれるはずだった。

 けれど戦争勃発から数えて20年で和平が成立する。なぜ突然講和することになったかなんて詳しいことはわからない。そもそも僕がそう思っていただけで突然ではなかったのかも。何にせよテラノイドとクラカロイドとの間には協定が結ばれ、戦争は過去のものになった。

「知っているとは思うが、我々テラノイドはクラカロイドと、共存とそして共栄する道を選んだ。そうなれば当然、実務としての交流が必要になってくる。そこでクラカロイドは彼女をこの基地に派遣してきた、というわけだ」

 僕の前に立つ美少女は、ショートボブスタイルの煌めく銀髪に、色白の肌は綺麗な曲線を描くフェイスラインになっていて、まるで御伽噺に聞く妖精のようだ。何より際立つのはルビーのような深紅の瞳で、その双眸が僕のことをじっと見上げてくる。そう、彼女は僕よりもずっと低身長で、だからこそ少女なのだ。

「名前」

 彼女の薄いピンク色からまた言葉が紡がれた。その意味が僕の頭に浸透するまで、少しだけ時間がかかってしまった。

「……クサカ・マサキ一等兵です、少尉殿」

 そして僕は、どうしようもないほどにぎこちなく、及第点を下回りそうな拙い敬礼を、初めて対面したクラカロイドの少尉に向けてしまった。

「ん。よろしく、マサキ」

 そして名前で呼ばれた僕は、はっとした。司令官は厄介ごとと言ったはずだ。

「ではな、一等兵。君には特別任務を引き受けてもらう。つまり君は今日からコルティナ少尉の従卒だ。頼んだぞ」

「はっ、了解であります……え?」

「それと伍長、一等兵は君の部下だ。そしてコルティナ少尉は君の分隊にこれから同行する。本来なら小隊長から伝えるべきだが、事の性質上どうしても私から伝えることになった。話は通してある」

「はっ」

「それでは、解散してよろしい」

「……え? えっ?」

 そして僕の受難は、ここから始まる。

「ついてきて」

「は、はい」

 疑問はいくらでも浮かぶけれど、すたすたと前を歩く彼女に従うしか、選択の余地はなかった。


 通路の壁には大きく「№1・0:指令室」という文字が描かれている。その意味は単純、1番リングの角度ゼロ地点、指令室ということだ。それを横目に、ほんのわずかに揺れて煌めく銀色を僕は追いかけた。指令室を出た僕は、今日初めて出会った少女に従いただ歩いている。

 それはただの少女ではない。美少女だ。いやそうじゃない。ブラウン司令に紹介されたとおり、彼女は僕たちテラノイドとは異なる存在で、それはクラカロイドと呼ばれる惑星クラカを母星とする異星人だ。

 そしてついこの前まで、僕たちが戦っていた相手でもあり、僕が戦う予定だったはずの存在だ。

 クラカロイドとは恐ろしい存在だと、倒すべき敵だとずっと教えられてきた。その姿をこれまで記録映像でしか見たことはなかったけれど、だからこそ余計に恐怖を抱いていたと言っていい。

 けれど。だというのに。

 目の前を歩くこの美少女は、いったいなんだろう。僕の見た記録映像に、こんなクラカロイドはいなかった。どこからどうみてもテラノイドにしか見えない。もしかして僕は司令や隊長に(たばか)られているのだろうか。そんなことはまったくありえないのだけれど。

「こっち」

 その背中は「№1・330:1ー2連環」と壁に大きく描かれた場所で方向を変える。どうやら行き先は1番リングとは異なる別のリングらしい。

 少女の横顔がちらりと見える。改めてその印象的な姿に僕は一瞬反応が遅れ、そのため少し小走りになってからそれに続く。

「あの、少尉殿。どちらへ?」

 僕はついてこいと言われて付き従っているのだけれど、どこに向かっているのかそういえば聞いていないなと、恥ずかしながらやっと気付いた。

「わたしの部屋」

「……具体的にはどのあたりでしょうか」

 よく考えなくても、僕はこのコルティナ少尉の従卒となったのだから、そりゃまあ彼女の部屋に向かっているのは当然だった。それにしたって、どうしてテラノイドの僕が彼女の従卒なんてやる羽目になったんだろうか。

「5番の180」

 つまり指令室からもっとも離れた位置ということだ。また随分と離れた位置に――ああ、要するに遠ざけたいということなんだろうなあ。ついこの前まで戦争していた相手なんだし、人によっては思うところもあるわけだ。

 なるほど、きっとそういうことだ。僕は戦争を経験していない。わだかまりが全くないかというと嘘だけど、そういう意味ではこの基地にいる他の誰よりも適任で、だから選ばれてしまったということなんだろう。

「割と遠いところにあるんですね」

「そう」

 およそリングを半周しなければならない。このペースで歩いていれば半時間の距離だ。半径1kmのリング内をひたすら歩き続けて。中央コア部は当然関係者以外立ち入り禁止となっているのだから通り抜けできないし、通れたとしても無重力ゾーンを装備なしでというのはあまりよろしくない。

「ところで少尉、僕の部屋はどこになるのでしょうか」

 これは念のための確認だ。

「隣」

 従卒なのだから当たり前ではある。

「なるほど、了解しました」

 ほどなく会話が途切れるが、彼女の可愛らしい口から滑り落ちた短くも綺麗なテラノイド語に、僕は錯覚させられていた。

 やはり僕の知っているクラカロイドとは似ても似つかない。どう見てもテラノイドとしか思えないのだ。いやテラノイドにしたって滅多にお目にかかれないほど整った容姿をしている。とはいえ今は背中しか見えない。それでも僕の脳裏には彼女と出会った時の衝撃が残ったままだ。

 そうだ、彼女はクラカロイドなんだ。意識しなければ忘れてしまいそうになる。

 クラカロイド。

 テラノイド史上における最悪の存在で禁忌の存在、それに似た異星人、クラカロイドだ。

 でも、とてもそうは思えない。彼女に関しては。だから気になってしょうがない。だけどそれを僕の立場で尋ねていいものか。

「質問があるなら受ける」

 連環通路を抜け2番リングのT字路に出て右に曲がったところで、少女がそう言った。横目に僕の表情を読み取ったのかもしれない。

「その……少尉のようなクラカロイドもいるんですね」

 何か言わなければと思い咄嗟(とっさ)に出た言葉だった。言ってしまってからなんて抽象的な質問をしたのだろうと後悔した。

「どういう意味?」

 案の定、疑問が返ってくる。

「すみません、少尉。ええと、その。つまり、僕の知っているクラカロイドはもっと機械的だったというか」

 クラカの異星人をテラノイド語でクラカロイドと呼ぶのは、まさしくこれが理由なのだ。その語源はアンドロイド。テラノイドにとっての最大の禁忌であるそれに由来する。

 そのとき、ぴたりとコルティナ少尉は脚を止めた。もちろん僕も止まる。何か気に障るようなことを僕は言っただろうか。もしかして機械的、と言ったのが不味かったのだろうか。彼女は振り向いた。そして僕を見上げる。自然と上目遣いになる。けれどその紅い視線は鋭く、もちろん甘い雰囲気はない。しかし僕の心臓はどきりと跳ね上がり、それは恐怖の感情とは違った気がした。

 深紅の瞳。そう瞳。テラノイドと同じようだが、なお美しい。

 僕の知っていたクラカロイドの瞳は、もっと無機質なレンズだったはずだ。

「クラカロイドには、テラノイドのような階級制度はない」

「え?」

 けれど彼女の答えは僕の予想とはまったく違った。

「でも、司令は確かに少尉と」

「テラノイドが勝手にわたしをそういう立場にしたから。わたしは生まれて間もない存在。つまりあなたと同じ」

 わけがわからない。どういうことだろう。なぜ急にこんな話を。

「あなたはテラノイドの新兵。戦争を経験してない。わたしも同じ」

「……」

「だから少尉と呼ばれるのはイヤ」

「そう言われましても」

 軍隊という組織にとって、もちろんテラノイドにとっての軍隊だけれど、階級というのは絶対だ。これを揺るがすわけにはいかない。

「名前で呼んで」

 これは命令、ということだろうか。僕は少し息を飲んだ。

「しかし、それは」

「お願い」

 命令、じゃない。クラカロイドには階級は存在しないから、これは命令じゃないのかもしれない。しかしテラノイド的にはそれは命令に等しい。

「……コルティナ殿」

「ティナと呼んで。コルはわたしのシリーズ名」

「ではティナ殿」

「ティナ」

「しかし、それでは示しが」

「……テラノイドはよくわからない」

 それはこっちもだよ、と僕は思ったけれど言い返せるわけもなく。

 再び前を向いたコルティナ少尉は、規則正しく歩き出した。僕はやっぱりそれについていくしかない。

「さっきの答え」

「え?」

「わたしは対テラノイド用に開発された特殊個体。投入される前に戦争が終わった。だからテラノイドはわたしを知らない」

 それは、確かに僕と同じなのかもしれない。


「1時間後、わたしの部屋に来て」

 確かに彼女はそう僕に伝えたはずで、だからきっかり1時間後に、彼女の部屋に向かい入室の許可を求めた。

「し……ティナ殿、入ってよろしいでしょうか」

 少尉と言いかけて僕は訂正した。少尉と呼ばれるのを好まない、というのならばそれに従うほかない。その、やはり、友好的な関係を維持することをきっと僕は求められているだろうから。

『どうぞ』

「入ります」

 インターコム越しの応答に再度返答し、僕は自室と彼女の部屋を隔てている扉を手で押し開けた。自動式ではない簡易な手動式で鍵も掛からない。士官待遇であるクラカロイドの少女が割り当てられたのは、当然士官用の部屋だ。そして僕は彼女の従卒で、いついかなる時であっても――非番であるときを除いて――彼女の呼びかけに応じなければならない。そう確かに、僕の部屋は隣だと彼女は言っていた。そこに嘘はない。まさか続き部屋になっているとは思わなかったけれど。

(……あれ?)

 部屋に入りあたりを見回すも、彼女の姿はどこにもない。

 僕が与えられた部屋と比べ、そこはとても広かった。しかも居室ではなく応接室の装い。正面に見える執務机と、それに向かい合って来客用の椅子が並ぶ。待遇差というのはこういうものであってそれが当然だし、士官というものは誰かの訪問を受ける立場であるということでもある。ちょうど僕がここに入ったかのように。

「ティナ殿、どちらに」

 いや、わかってはいるのだ。この部屋にいないならばどこにいるかなんて。でも念のため、一応聞いておかなければいけない。義務として。

「奥の部屋」

「……」

「どうしたの? 入ってきて」

 そこはプライベートルームであり、おいそれと他人を入れてはいけない場所だ。だから僕は躊躇う。だけどクラカロイドである彼女にはこの感覚がわからないのかもしれない。

 僕は仕方なく、執務机の横を通り過ぎていき、少しだけ開いている扉に手を掛けた。

「失礼します。……えっ?」

 その直後、僕の目に飛び込んできたのは、とびきり美しい小さな彫像だった。片手を腰に当てながら屹立している。すべてを曝け出して。そう服を着ていない。僕は呆けてしまい、それから数秒後慌てて目を逸らした。

「しょ、少尉、申し訳ありません!」

 僕はこの時、彼女がクラカロイドであることを一瞬忘れてしまった。不可抗力とはいえ、女性の裸を直接見てしまうということ自体、恥じるべきことだというのは常識だ。思わず視線を向けてしまっていた綺麗な双丘が目に焼き付いてしまった。

「どうして謝る?」

「いや、だって、その……服を、服を着てください!」

「ダメ。することがある。さっさとこっちに来て」

 困る、そう言われても非常に困る。そう思って僕はその場を動けないでいた。けれど彼女は待ってくれなかった。僕は腕を掴まれ引っ張られ、強制的に歩かされる。だからせめてもの抵抗として目を閉じていた。

「見て」

 いったい何を。

「でも」

 僕が渋っていると、彼女は僕の背中を押した。いつの間にか背後に移動したらしい。僕の視界に入らないようそうしてくれたと思いたいが、たぶん違うだろう。

「早くして」

 僕は仕方なくうっすらと目を開けた。正面の視界に入ってきたのは、右手にベッド、そして左手にテーブル。その上には小さな四角い箱のようなものが置かれていて、それとは別にケーブルが数本這うように渦巻いていた。

「機体検査の時間。あなたの仕事」

 僕はその言葉でようやっと彼女が何者であったか思い出した。

「あの、少尉」

「ティナ」

「……ティナ殿、僕は、いったい何をすればいいんでしょうか」

「テラノイド語のマニュアルがある。読みながらやって」

 彼女はそう言うと、背後から離れた。慌てて僕は机のほうに向き直る。彼女が僕のすぐ側を通り過ぎたからで、僕はそれを見ないようにしなければならなかった。背後で何かが擦れる音が聞こえた。たぶんベッドに彼女が寝転んだのだろう。

「待ってる」

 冷静になれ。彼女が服を脱いだのは、おそらく必要があってのことだ。機体検査、メンテナンス、クラカロイドであり機械の身体を持つ彼女にはそれが欠かせない。そしてそれには僕の手を借りなければならないということなのだろう。

 背後の艶めかしい存在のことは無理やりにでも忘れることにして、僕は彼女が先ほど言ったマニュアルとやらを探した。この手の平より少し小さいサイズの四角い箱がそうだ。テラノイドで一般的に使われている空間投影装置で、ボタンを押せば文章が空中に浮かび上がる。

 僕はそれを読む。その結果、顔を両手で覆うことになった。

(嘘だろ)

 そのとんでもない内容に、途方に暮れた。

「まだ? 早くして」

 けれど急かされた僕はそれをやるしかなかった。

 

 結論から言うならば、彼女のメンテナンスは検査だけで済んだ。何かを交換することも、修復することも必要なかった。今回は、だけど。

 けれど僕がやったことは、とても、その、恥ずべき行いではないか。そう自問自答を繰り返すべきかもしれない。

 僕は彼女と繋がったのだ。

 文字通りの意味で。

 僕は取り外したばかりのケーブルを眺めた。これがさっきまで僕と彼女を繋いでいたのだ。1対5で。つまり僕が右手首に装着しているリストバンドから伸びた1本のケーブルが途中の変換装置を介して5本に分かれ、彼女の各所を繋いだのだ。それだけならよかった。

 問題はそれを繋いだ場所だ。

 最初の1本は、彼女の(へそ)を押せば剥き出しになる端子。これはまだいい。だけどその他の端子は、まず両腋の下に1つずつ。つまりその、うっすらとした膨らみの真横だ。さらには太ももの内側にまた1つずつ。それも腰にものすごく近いところ。どうしてそんな際どい場所ばかりにあるんだ。彼女が服を、肌に張り付くような特殊繊維でできたクラカロイドの標準戦闘用ボディスーツを脱ぎ去る必要があったのはこのためだったのだ。

 作業が終わり、彼女は服を既に着直していた。ボディスーツは肌に密着し、体型がとてもよくわかってしまう。そのせいで、僕はそれを直視できなかった。

「あの、ティナ殿、他に服はないんですか?」

 僕はあまり期待せずに尋ねた。

「これしかない」

「……貰ってきます」

「ダメ。これがわたしたちの服」

「その、テラノイドの服なら、裸になる必要がないので!」

 一部の肌が見てしまうのはどうしようもないとしても、上下に分かれた服であったならば、彼女の本来見せてはいけない部分――クラカロイドにとってはそうでないのだろうけど――、つまり双丘を含め恥ずかしい部分を目にすることなく作業が可能なはずだ。下着があればなおよい。そうであっても服をたくし上げたりすることには抵抗はあるけれど、ずいぶんましになる、はずだ。

「別にいい」

 けれど彼女の反応は芳しくない。

「よくないです!」

 主に僕が。

「……じゃあ交換条件」

 待った。それにはとても嫌な予感がする。

「ティナって呼んで。丁寧な言い方もなし」

「いや、それは」

「じゃあ、着ない」

「しかし、軍の規律が」

 どちらを取るべきか。

「他に誰もいない時だけでもいい」

 それなら、いいか。いいのか? 「二人だけのときは名前で呼んで」なんて、これだけ聞けばなんだかとてもむず痒い気がする。僕は何を考えているんだ。彼女はクラカロイドなんだ。

「……わかりました」

「違う」

「え? あ、その、申し訳……ごめん、ティナ」

「ん、それでいい」

「その、それじゃあ、服、貰ってくる!」

 僕は逃げるように部屋から飛び出した。一刻も早く彼女に別の服を着てもらいたかった。もう限界だった。


 結局、すぐに別の服を用意することは叶わなかった。

 理由は単純で、残念ながらここは軍事基地であって、そこに子供用の服なんてあるわけなかったからだ。

 それでも翌日には彼女用に衣服が用意された。女性兵士向けの軍用迷彩服をできる限り袖丈詰めしてあった。

「動きづらい」

 それでも彼女はそれを着てくれて、僕の心はようやく落ち着いたのだ。

 だけどその姿は、輪をかけて可愛らしくなってしまったのだけれど。

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