第2章 テラノイドの兵士
「ティナ!」
目の前で彼女が吹き飛ばされて、僕は叫んだ。けれど少女は銀髪を揺らしながら見事な体捌きで軽業師みたいに空中で1回転、そして体勢を乱すことなく両脚で素晴らしい着地を披露する。
「問題ない」
「一等兵、ぼさっとするな!」
隊長からの怒号に僕は我に返った。小銃を構えなおし、敵性生物にその銃口を向ける。
(なんなんだよ、こいつは)
その巨体はなおも彼女に敵意を向けたままだ。僕たちの中でもっとも危険な相手が誰か、その本能をもってしてよくわかっているのだ。僕は心の中で悪態をつきながら、それでも横合いから攻撃を加え続ける。僕の体格で持てる限界の武装では、あまり効果はないかもしれないけれど、少しでも相手の気を逸らすのだ。時間を稼げ――。
(え?)
油断した。なんてことだ。余計なことを考えたせいだ。巨体が前を向いているからと言って、こっちが見えないなんてことはない。なにせ奴は頭が2つもある。
目前でしなやかな尻尾が鞭のように奮われ、避ける間もなく僕は吹き飛ばされた。彼女とは違って、それはもう物凄く無様に。
「ぐえ」
小さな生き物が踏みつぶされたような、そんな音が漏れる。他でもない僕の口から。錆を口に含んだような味がしたから、吐血もしているだろう。背中から響いた痛みがあまりに激しく、息をするのも忘れるほどだった。何にぶつかったなんてわからないし、わかったところでなんだというのか。
朦朧としていく意識の中、僕はぼんやりと眼前の様子を眺めていた。まるで他人事のように。
その視界の中心、小さな女の子が巨体に向けて、その身体に見合わない大きさの銃を構え、そして劈くような音が途切れなく聞こえてくる。
――そこから先のことは、覚えていない。
※
「目標は資源採掘基地、その予定地周辺の先行偵察だ。場所は森林地帯の中央部。衛星画像によればでかい岩場に河川もある。つまり危険な野生動物なり何なりを確認しろってことだ。期限は最大7日間。よし、細かいことはシャトル内で説明する。出発は1時間後、各自、準備を怠るな!」
「はっ!」
サイトウ隊長の掛け声とそれに応じる隊員たちの声。その中には僕の声も混じっている。残念ながら隣にいる少女にはそういう習慣はなく、そして義務もないのでただ黙っていた。
僕と隊長を含め計5名の分隊員が銘々に散らばっていく。格納庫内にはその種別ごとに分けられた物資保管庫があり、今回のミッションで使用可能な支給品が配られる。標準として必須となっているものもあれば、そこからさらに各自必要なものを追加で自ら選ぶこともできる。ただし許可されている範囲で、そして体力の許される範囲でだけど。
そして僕が持っていくものはほぼ決まっていた。
ただし。
「何を持っていけばいい?」
問題は彼女のことだ。
銀髪の美少女が、その紅い眼で僕を見つめてくる。彼女の従卒となって日々を共に過ごすうちに、そうやってまっすぐに相手の目を除き込むのが、どうにも彼女の癖なのだと気付いた。癖、といっていいのかわからないけれど。
少女は僕たちテラノイドとは違う。クラカロイドという異星人であり、僕たちとは異なる無機質な生命体である彼女に、癖なんて有機的な生命体らしき部分はあるのだろうか。あるいはそれこそが生命体、なのだろうか。
「マサキ?」
「あ、ああ、ごめん。ええと、そうだね、実際に見ながら考えようか」
僕たちはまずは需品、つまりは現地でおよそ1週間近くを耐えるために必要な物資を確認することにした。
広い格納庫内を需品保管庫目指して二人並んで歩き出す。
ちょうどその時、視線の先で1機、エンジンを空ぶかししているシャトルを見つけた。おそらくあれが僕たちを惑星ボルタへ運んでくれる機体だろう。B格納庫と呼ばれるここは小型機専用、つまり星系間航法システムを搭載していない宇宙船のためのものだ。
ずらりと並ぶテラノイド標準の軍用小型機を端から端までなんとなしに確認してみた。同じような、そして最新鋭の機体ばかり。ここが人類の最前線だったのだから当然だ。
そしてそれを見つけたのは、その時だった。
(あれは、もしかして)
すべての無駄を削ぎ落としたかのような正三角形が、吸い込まれるような漆黒に塗られている。見ていると何か不安というか不気味さを感じるようなそんな異様な設計。テラノイドの軍用宇宙艇とはまるで違うデザイン。つまり、あれが。
「わたしの」
僕の視線の先を読み取り、隣を歩く小さな少尉が教えてくれた。クラカロイドの戦闘機と思しき宇宙艇は、格納庫の隅で静かに眠りながら牙を研いでいるように見えた。いくつかクラカロイドの宇宙船や宇宙艇を知っているけれど、あんなモデルは見たことがない。
「あれはなんていう名前なの」
「名前はない。コル型専用だから」
「そうなんだ」
ティナの言葉を解釈すればこういうことだ。あの黒い宇宙艇はコル型、つまりティナと同一モデルのクラカロイド専用の機体で、他のクラカロイドが使用することはない。だから「コル型の宇宙艇」で通じる、と。
そしてコル型は僕と同様にクラカロイド戦争には間に合わず、だからあの機体についてテラノイド側の資料には記載がない、というわけ。
僕はこの2週間ほどで、何かといろいろ省略しがちな彼女との円滑なコミュニケーション能力を獲得していた。
「マサキ、準備は?」
「あ、はい、少尉」
需品カウンターに辿り着いた僕は、支給品バックパックを背中から降ろしてその口を開く。僕個人として必要なものは事前に入れてきた。要するに軍用服の着替えなどの日用品その他諸々だ。
カウンターに並べられているものの中から、僕は軍用レーション一式と飲料品、それと簡易な調理器具を手に取った。有機生命体テラノイドはこれがなければ飢えて死ぬ。惑星ボルタには水源があるので携帯浄水器もバックパックに詰める。
だけどこれらはクラカロイドである少女には必要のないものだ。ティナも僕と同様にバックパックを降ろしているが、それはクラカロイド式の彼女専用のもので、その中にはエネルギー源となる水素充填剤がすでに入っている。以前僕が懇願して手に入れた彼女専用のテラノイド式軍用服は、残念ながらあるいは当然のごとくそこには入れてもらえず、着替えは予備のボディスーツのみ。
「ロープとショベルは必需品ですが、少尉はどうしますか」
カウンターには壮年の男性が座っていて、僕たちが支給品を鞄に詰め込んでいるのを眺めていた。人前では、さすがに彼女の従卒として接しなければならない。
「持っていく」
彼女がそう言ったので僕は2つずつそれらを手に取り、そのうち1組を彼女に手渡す。そして彼女は自らの手でそれをバックパックに詰めていく。クラカロイド式バックパックは金属で出来ていて重量感がありかなり丈夫そうであったが、それゆえ伸縮性は皆無であり、それらを詰めれば隙間がほぼなくなった。対して僕たちテラノイドのものは特殊繊維の布であり、耐久性と携行性を両立したものだ。僕たちと彼女たちの考え方、あるいは生命としての構造差がそこに現れていた。
「あとは武器ですね」
別のカウンターへ向かう。需品とは違いカウンターに並べられているのではなく、担当者に伝えてもってきてもらう方式だ。僕は軽量小銃、所謂カービンライフルをリクエストし、文句も言われずに渡してもらえた。これが体格を考えた上で僕のベストで、担当者から見ても妥当ということだろう。
「……そういえば、少尉はこちらに武器を持ち込んでいないのですか?」
「持ってきた。でも武器はテラノイドのほうが優秀」
忘れてはいけない。過去のこととはいえ、僕たちテラノイドと彼女たちクラカロイドは、ずっと戦争状態だった。20年近く明け暮れていたんだ。だからお互いのことは知り尽くしている。こと戦闘というものに関しては特に。あるいはそれに限っては。
「あれがいい」
彼女は保管庫内の奥に向けて指を差した。
「……本当に、ですか?」
「ん」
僕は支給品担当者の男性と顔を見合わせた。彼の表情は「いいのか?」と問いかけていたので、僕は頷くことでそれに答えた。やがて台車に乗ったそれが運ばれてきた。彼女は軽々とそれを右手だけで持ち上げた。
彼女が選んだのは、重機関銃。僕の体重を2で割ったそれよりも重いそれ。僕ならばパワードスーツを着た上で、ようやく持ち運ぶことが精いっぱいな代物。そうだ、彼女はクラカロイドだ。テラノイドの常識は通用しない。
「あとそれも」
彼女は左手で指さしたのは、標準的なアサルトライフル。一旦右手に持つ機関銃を床に置いた彼女は、バックパックを背負い、その上から機関銃と比べれば頼りなく見えるそれを小さな背中に括り付けた。もちろん標準的テラノイド兵士にとっては、標準武器というのは最も信頼できる相棒だ。
「少尉はいったい何と戦うつもりですか」
「テラノイドの良い言葉。『備えあれば患いなし』」
彼女は弾薬箱を受け取りながらそう言った。
翻って僕は自分のとても可愛らしい小銃を眺めた。相棒、僕たちの出番はなさそうだね。
僕の想像は裏切られることになる。残念ながら、このときまだそれを知りようがない。
「さて、目標はここで間違いないわけだが」
サイトウ隊長の声を聞きながら、僕たちを誘うようにぽっかりと口を開けている洞穴を眺めた。
森林地帯の傍に降下し、GPSを頼りに鬱蒼とした木々の合間を行くこと三日、僕たちは目的地に到着した。実に順調なサバイバルであり、野生動物たちは突如現れた異星人に警戒して近寄ってはこなかったようだ。もしかしたら今も遠巻きに見守っているのかもしれない。
ブリーフィングで入手した衛星画像と示し合わせれば、この少しばかり開けたこの場所と旅程の目的地は間違いなく一致している。しかしこれこそ直接歩いて探索をした甲斐があったとでもいうべきだろうか、画像ではわからなかった部分がいま目の前にあるわけで。
「で、隊長、もちろん中を確認しなきゃあだよね?」
意気揚々といまにも飛び込もうとしているのは、この隊唯一の女性兵であるモーリア上等兵で、もちろんその体格は僕なんかよりも遥かに強靭で優れた血気盛んな兵士だ。彼女がアサルトライフルを両手に構えなおすと、金属同士のぶつかり合う甲高い音が鳴った。彼女の両腕は肘から先が機械化されている。
「まあ、まてや。こういう時の先陣は俺様の役目だろうが」
それに待ったをかけたのはウォーリー兵長。片腕をぶんぶんと回しながらいつでも準備万端な構えだ。その巨体は重量級のパワードスーツで覆われ、その隙間からは生身の肉体は見えない。スーツに阻まれているのではなく、彼は胴体と頭部以外はほぼ機械化しているからだ。クラカロイド戦争では何度も負傷しつつも蘇っては活躍し、最終的に両腕両脚すべてを失った。それでもなお現役の兵士だ。
「ふうむ。何かのねぐら、ってわけではなさそうですな」
そして最後の一人はエルンスト上等兵。しゃがみながらあたりを見回している。おそらく動物の足跡なんかを確認しているんだろう。長身の兵士で銃身の長い小銃を背中に担いでいた。顔を上げた拍子にその両目が恒星の光をきらりと反射する。戦場で失ったのではなく、自ら望んでそれを改造したそうだ。
「少尉、中は狭そうですよ」
「ん、ここにおいてく」
がしゃんと音をさせて、ティナが肩に担いでいた大荷物を地面に降ろした。泣き言を一切あげることなくこんな重量物を持ち運べるのは、さすがクラカロイドといったところだ。もっとも強靭なウォーリー兵長なら同じとができるだろう。あるいは同じことは彼ぐらいしかできないと言うべきかもしれない。
「ともかく調査するしかないな。ウォーリー、先導してくれ」
「おうよ」
そして隊長の一声で洞窟内の探索が決まり、僕たちはヘルメットのバイザーを降ろし、暗視装置頼りに暗い中を進んでいく。
けれど意気揚々と進んだものの、洞窟は残念ながらさほど深くはなかった。しかしながらそこで僕たちが見つけたものは意外なものであり、おそらく相当な価値があるものだった。
「これはなかなかどうして、すごいですねえ」
エルンスト上等兵の発した言葉が洞窟内に響く。僕はヘルメットを操作し、暗視装置を止めた上でライトを使ってあたりを照らしてみた。
奥の壁、高さは2メートル、幅は5メートル、その一面に浮かぶ模様は明らかな規則性をもって僕たちを睥睨している。
「おかしい」
同じようにそれをじっと見つめていたティナが、僕の隣でぼそりと呟いた。小さな声はあまり響き渡らなかった。
「ティナ?」
「この惑星に知的生命体はいない」
「つまり大昔にはいた、ってことじゃ?」
そこにあったのは大きな壁画だった。もちろん精細に描かれた絵じゃない。それでも明らかになんらかの存在が自然の塗料を使い、何かしらの意思を描き込んだものだ。
「こっちは狩りをしている絵だねえ。教科書で似たようなもんを見た気がする」
モーリア上等兵が絵に顔を近づけながら、興味深そうに見て回っていた。失礼ながら僕は、血気盛んなこの女性兵に意外な一面があるんだなと思った。
「こりゃあトラに似てんな。こんなやつ見たことねえが、このあたりにいるんかね?」
「ここは戦闘地域からずいぶん離れていたからな。これまで一切調査されていない。だからこそ今回の探索候補になったわけだが」
ウォーリー兵長とサイトウ隊長は、もう少し現実的な話をしていた。
「知性を獲得した有機生命体が、文明を築かずに滅ぶ? ありえない」
「そうかな?」
「そう」
「うーん?」
改めて壁画を眺めてみた。他の隊員が言うように、狩りをしている様子だ。具体的には、かつて存在したと思しきこの星の人類が、シカらしき生物を槍のようなもので追いかけていて、その様子を伺うネコ科の肉食動物らしき生物が描かれている。上部にこの星系の恒星がオレンジ色で燦々と輝いていて、モーリア上等兵が言ったように僕たちの故郷でも同じような壁画がありそうだ。
狩猟生活を描いた絵。焚火を使って戦利品である肉を焼く様子。それらは惑星ボルタにとって、きっと永遠に失われた過去なのだろう。
「さていつまでもここにいるわけにもいかん。大発見かもしれんがそいつは暇な考古学者にでも任せるとして、俺たちは役目を果たすぞ。ここを出て基地に報告だ。それに少しばかりの重労働も待っている。でないと帰れんからな」
重労働、つまりこの場所の周辺を切り開く必要があるということだ。そうでなければシャトルがここに着陸できず、資源採掘基地を今後設営していくことができない。それに隊長の言うとおり、僕たちが帰ることもできない。最悪は元の道を辿り、出発点まで戻ることもできるが、それではミッションを達成したことにならず失敗だ。
バイザーには通信不可との表示が浮かんでいた。浅いとはいえ洞窟の中なのだ。宇宙ステーションとの間は遮蔽されてしまっている。僕はそれを意識したせいか、狭苦しいこの場所に対して急に居心地が悪くなった。
「行こっか」
「ん」
それは虫の知らせ。なんとなくこの場所から早く出るべきじゃないかと、僕はそんな気がした。
「散開!」
隊長の一声に全員が従う。
それは僕たちが洞窟を出るのと同時だった。木々の合間を縫ってそいつが現れたのは、偶然ながらも僕たちが暗闇から顔を出すのと同じタイミングだった。
明確な敵意をびりびりと感じる。なぜこちらをそこまで敵視するのかわからないが、その怒りに燃えた合計4つの目が、隊長の命令のもと方々に分かれた僕たちを追っていた。
僕は近くにあった小さな、それでも僕よりも大きな岩に身を隠して様子を伺う。カービンライフルを持つ手が震えそうになる。はっきり言ってしまえば、僕はきっと役立たずだ。
2つの折り重なった吼え声が聞こえる。先手必勝とばかりに猛獣が駆け出し、それと同時に誰かの放った銃声が響く。直後にがつんと音がして、重量スーツに身を包んだウォーリー兵長がその頭のうち1つだけを機械の両手で抑え込む姿が見えた。
「こん、にゃろう!」
気合と共に地面に向けて奴の頭を抑えつける。もう一方の頭がそれに引きずられるように、がくんと揺れた。
その姿はまさしく怪物。地球上の生物ではありえない双頭の化け物だ。ケルベロス? いやオルトロス? だけどその頭は犬ではなく猫だ。ちょうどあの壁画に描かれているように。それが2つ。
「撃ち続けろ!」
隊長の声がヘルメットのインカムを通して聞こえ、僕は半身を岩陰から出してライフルの引き金を引いた。敵は巨体だ。あの大きなウォーリー兵長よりも。つまり狙いを付けなくたって当たる。当たるけれども。
(効いてる気がしない)
銃弾は確かにその身体にめり込んでいく。だけど踏ん張りながら進もうとする四肢の力はまったく衰える様子を見せず、むしろ抑えつけているウォーリー兵長をずるずると後退させていた。
「これは、たまらんな。……ふんっ!」
ウォーリー兵長は掛け声とともに手を離すと横に飛びのいた。力の入っていた怪物はたたらを踏み体勢を崩したが、驚くべき身体能力で飛び跳ねて振り返った。闘牛士と雄牛の対決を見ているようだ。それも特大の。
そしてその時だった。
ひと際大きな銃声が、間断なくあたりに響き渡る。振り向いたんばかりの怪物の、その顔目掛けて銃弾の嵐が吹き荒れる。
少女が一人、硝煙の中で大型の機関銃を、その小さな身体でまったくぶれることなく支えながら撃ち続けていた。
(やった!)
僕は心の中で喝采を叫んだ。
だけどそれがいけなかったのかもしれない。けたたましい銃声が突如やみ、一瞬の静寂が訪れた。けれど。
「むっ」
「ティナ!」
僕は叫んだ。
やつは耐えきったのだ。それどころか銃弾の嵐の中を彼女に向けて進もうとする。傷だらけのその肉体は、そこら中から赤い血が流れ出ているというのに、それでもまだ動く。
彼女は吹き飛ばされた。いや本当は自ら飛びのいていたのだ。だけど僕からはそうは見えなかった。彼女のことがとても心配でたまらなかった。
「一等兵!」
隊長の声が聞こえて我に返り、僕は怪物に銃を向け、反射的に撃った。
そして目の前に一本の太い線が見え、それがやつの尻尾だと気付いた時にはもう遅く。
僕こそが本当に吹き飛ばされ、そのまま意識を失っていた。
「……う、ん?」
ぼんやりと浮き上がるように、黒い世界に光がともっていく。まず目に飛び込んできたのは赤。血の色だろうか。いや、紅い。
「起きた」
声が聞こえた。短く単調で、それでいてとても馴染み深く安心できるそんな声だ。
「マサキ」
僕を呼ぶのは誰だろう。銀色が煌めている。それはまるで地球から見た月のように。
「ティ、ナ」
「ん」
ああ、そうだった。思い出した。あの怪物との戦いを。気を抜いた僕は吹き飛ばされ、みじめにも本当に役立たずになってしまったんだった。
「どう、なった、の?」
「やっつけた」
どうにもずいぶんとひどい怪我を負ってしまったみたいだ。あたりはすでに暗くなり始めていてあれからずいぶんと時間が経ったのを示していた。簡易マットの上で横になってる僕を、ティナが身を乗り出して覗き込んでいた。僕はぼうっとその様子を眺めていた。
実に綺麗だった。
「……マサキの回復力は驚異的。どうして生きてる?」
(なかなかひどいことを言うなあ)
かつての人類であれば確かに致命傷であってもおかしくない。打ち付けた衝撃で内臓を随分とやられ、骨もたくさん折れてしまっていた。
「それこそ俺たちテラノイドが、クラカロイドとやりあえた理由ですよ、少尉。まあご存じかと思いますがね」
こちらの様子に気付いたサイトウ隊長が傍にやってきて、ティナの疑問に答える。
「データとしては知ってる。でも、ここまでとは、考えていなかった」
「ああ、それはね、一般的には少尉のいうデータとやらが正しいですよ。俺たちテラノイドのだいたいはその通りです」
「どういうこと?」
「この一等兵が特別ってことですよ。一等兵、もう普通に喋れるんだろ? 説明しとけ」
隊長は僕の様子を確認した上でそう命じて、そして離れていった。上半身を起こすと、彼女の可愛いらしい顔がちょうど目の前にあって、僕はどきりとした。
「どうして?」
その上、紅い瞳が僕をぐいっと覗き込む。僕はさらに驚き、身体がびくっと震えた。
「せ、説明するから」
先ほどまで動かなかったはずの腕を持ち上げて、彼女の肩に手を置いて距離を取ろうと押した。もちろんびくともしない。
「ん」
だけど彼女は察してくれたのだろうか、少しだけ身を引いて自ら大人しくなった。
「ティナがどこまで知っているのかわからないけど、僕たちテラノイドは元の地球人類とは大きく変わってしまってるんだ」
「ん。戦争のせい、と理解してる」
「そう、でもクラカロイドとの戦争のせいじゃない。それよりも前の、僕たちが作り出した禁忌の存在、アンドロイドとの戦争が原因でね。アンドロイドとは実に200年もの間戦っていたんだ。結局僕たちテラノイドがなんとか勝ったわけなんだけど、勝つためには、人類の存亡をかけていた以上、手段を選べなかった。このあたりは知ってる?」
ここじゃない遥か遠い惑星、そして僕たちの故郷である地球。歴史の教科書でしか知らない戦争が、誰もがしっかりと伝え聞かされている戦争がかつてあった。クラカロイド戦争なんて取るに足らないほど大きな戦争だ。そんな中で僕たちは――。
「知ってる。自らを改造した」
「そう。生物としての根幹、遺伝子に改造を重ね、生物として最強の戦士を作っていった。それが僕たちテラノイド。かつて寿命が100年もなかったなんて信じられないね。ともかく、人類は大きく変わってしまって、身体能力の向上はもちろん、長く戦い続けるために驚異的な治癒能力を持つことになった。腕や脚を失っても機械のそれを代わりにして同じように動けているのがその証拠」
四肢を切り落とされれば、大抵の生物はそのまま死ぬらしい。迅速な治療が行えたとしても助けられる可能性は非常に低い。普通ならば。それでも僕たちテラノイドは、腕を失い、脚を失ったとしても、それだけで死ぬことはない。そんな重傷であってもすぐに傷口は塞がり、代わりとなる機械が繋がれるのを待つことになる。
「だけどね」
「だけど?」
「たぶん無理な改造を重ねた結果だろうね。テラノイドの中に特異体質の者が生まれ始めたんだ。……その一人が僕なわけだよ」
「ん。知ってる。それがあなたをわたしの元へ呼んでもらった理由」
「ああ、そうだね。特異体質な僕だからこそティナと繋がれるんだもんね。僕はてっきり、巨大な基地のメンテナンスを担当すると思ってたんだよ。まさかクラカロイドの整備をすることになるなんてね。……でもね、この僕の特異体質には、副作用みたいなものがあるんだ」
僕は立ち上がり、すっかり元通りになった身体で、大きく伸びをした。
「僕は自身が生体コンピュータになってるわけ。だから機械と直接つながってなんでもできる。だからティナと繋がれる。だけど、だからこそ、他のテラノイドとは違って頭に電子チップを埋められない。電子チップがなければ、もし身体を機械化してもそれを動かせない。だけど僕はそもそも身体を機械化できない。僕に埋め込まれた機械は、なんであれ壊されてしまうんだ。僕は自身の身体が変質してしまうとすぐに再生が始まる。このリストバンドと僕を繋いている極細ケーブルぐらいじゃないとごまかしがきかない。僕の身体は治癒しているんじゃない。記憶通り元に戻ろうとする。再生する。だからどんな怪我したって元通りさ。まあさすがに身体に関する記憶を破壊されたら無理だけどね。ははっ」
僕は自分の頭を拳でトントンと叩いた。僕の唯一の弱点は、そこだ。他のテラノイドと同じで。
ティナが僕に続いて立ち上がった。やはり彼女は小さいな。見上げる視線が僕をまたじっと覗いていた。なんだかむず痒くなった。彼女が視線を離してくれなくて、僕は問いかける。
「ティナ、どうしたの?」
「有機生命体は……痛みというものがあるはず」
「うん、そう。そうだね」
この身体を羨ましがられることも稀にある。でもね、良いことばかりじゃないんだ。クラカロイドである彼女がそれに気づくとは、まさか思わなかったけれど。
「ところで、ティナ」
「なに?」
「着替えたいんだけど、いいかな?」
さすがに泥や自分の血で汚れた服のままでいるのは気持ち悪い。
「ん」
「……」
「ん?」
「あの、ティナ、さすがに恥ずかしんだけど」
彼女はじっとしたまま僕の傍を離れない。
「ちゃんと治ってるか、見る」
「いや、でも」
「わたしは見られるのも平気。見るのも平気」
彼女は決して折れなかった。
そしてすでに彼女の裸体をすでに見ているという引け目があった僕は、美少女にじっくり隅々まで見つめられながら着替えるという、羞恥的行いをせざるを得なかったのだ。
※
翌日、改めて。
目の前に横たわる大型の野生生物を眺めた。いや怪物と言ったほうが正しいかもしれないけれど、この惑星ではこれが標準なのだろうか。
地球上に存在するゾウという動物ぐらいのサイズ。それは映像でしか見たことはないけれど、かなりの巨体だった。しかしここは地球ではない。だからこれはゾウじゃない。なぜならばこの巨体は獰猛な猫を思わせる頭部を持っている。それも2つ。それに加えて爬虫類を思わせる尻尾がついていた。僕がやられたやつだ。
「こんなのがそこらじゅうを徘徊してるんじゃ、さすがのおれでも厳しいぜ」
「なんだい、ずいぶん弱気だねえ」
ウォーリー上等兵が軽機関銃の銃口で死した生物をこついていると、モーリア上等兵がその言葉を茶化した。
「まるで神話に出てくるキメラのようですな」
その横で腕組みをしながらエルンスト上等兵が呟いた。
「コルティナ少尉、少しお聞きしたいのですが」
サイトウ隊長がやってきて僕の隣にいるティナに対して声を掛ける。
「なに?」
「我々テラノイドにはこのような生物とこれまで遭遇した記録はありません。クラカロイドではいかがでしょうか」
「少なくともわたしのローカルデータにはない。最新情報を問い合わせるべき」
「了解です。……一等兵、記録映像を撮影する、手伝え」
「はっ」
僕はティナの元から離れ、隊長についていく。
「ところで、聞くがな、一等兵」
「はい、隊長」
「ずいぶん少尉と仲良くしているようじゃないか」
隊長にはやはり聞かれていたらしい。隊長はとてもいい笑顔だ。
「申し訳ありません」
「なに、構わんよ。それに、あんな大きな声で叫んだんだ。みんな気付いているさ。なあ?」
「え?」
3人の隊員がにやりとこちらを見た。
「ティナ!」
「ティナ!」
「ティナ!」
「……うぅ」
僕は顔から火が出そうになり、蹲ることになった。
その様子を不思議そうに眺めている紅い眼と、そちらをちらりと覗いた僕の視線が交錯した。




