第9話「新たなる領地(温泉ゲット)」
グレイマン子爵が逃亡し、騎士団が降伏したことで、子爵領の首都は無血で開城された。
領民たちは、俺たち魔王軍を解放者として熱狂的に歓迎した。
街の広場は魔王様万歳の歓声で埋め尽くされ、俺は民衆の前に立たされて感謝の言葉を述べられるという、謎のイベントに付き合わされる羽目になった。
『もう勘弁してくれ……早く温泉に行きたいのに……』
そんな俺の心の声を知ってか知らずか、ベルドリスとリリアナは早速、子爵領の統治に取り掛かっていた。
彼らの仕事ぶりは、実に有能だった。
まず、グレイマン子爵が溜め込んでいた莫大な富を没収し、それを元手に領民たちに食料を配給。
さらに、不当に重かった税金を大幅に引き下げ、公共事業を興して失業者に仕事を与えた。
あっという間に、街には活気が戻り、人々の顔には笑顔が浮かび始めた。
俺がやったことと言えば、玉座に座って、彼らの報告に頷いてみせていただけだ。
もちろん、それらの言葉も良かろう、我が智をもって世界を照らせなどと、超絶偉そうに変換されているのだが。
統治を優秀な部下たちに丸投げした俺は、ついに、今回の遠征の真の目的であった温泉へと向かうことにした。
「少し、領内の視察に行ってくる」
そう告げると、部下たちは魔王様、自ら民の暮らしをご覧になるのかとまた感動していたが、もう訂正する気力もなかった。
俺は数人のゴブリンを案内に立て、山奥にあるという秘湯を目指した。
しばらく山道を進むと、硫黄の香りが漂ってきた。
間違いない、この先だ。
そして、ついに俺は目的の地にたどり着いた。
そこは、岩に囲まれた天然の露天風呂だった。
乳白色の湯が湯気を立て、周囲の木々の緑と見事なコントラストを描いている。
まさに、日本の秘湯を思わせる絶景だった。
『最高だ……。生きててよかった。バグにも感謝したくなるな。』
俺は案内役のゴブリンたちにここで待っていろと命じると、ゴツい鎧を脱ぎ捨て、湯船に足を踏み入れた。
「ふぅぅぅぅぅぅ……」
思わず、心の底から声が漏れた。
熱すぎず、ぬるすぎず、絶妙な湯加減。
肌を滑るようなお湯の感触。
全身の力が抜け、日頃のストレスや胃痛が溶けていくようだ。
魔王になってから、初めて心から安らげた瞬間だったかもしれない。
俺は岩に背を預け、目を閉じて極楽気分を味わっていた。
だが、その至福の時間は、長くは続かなかった。
いつの間にか、温泉の周りに俺の部下たちが集まってきていたのだ。
リリアナ、ヴァルガス、ベルドリスを始めとする魔王軍の兵士たちが、湯船に浸かる俺を、遠巻きに、しかし神々しいものを見るような目で見つめている。
そして、彼らは俺の姿を見て、またしても盛大な勘違いを繰り広げていた。
「おお……! 魔王様が、聖なる泉で身を清めておられる……! 見てみろ、あのお姿を……! 鍛え上げられた鋼の肉体……! あれぞ、覇王の肉体よ!」
『いや、これ、ただの初期アバターの筋肉だから……』
「湯気の中に立つ魔王様、まるで神話の一場面のようだ……きっと、この地の穢れを払い、新たなる統治への誓いを立てておられるに違いない……!」
『違う! ただ日頃の疲れを癒しているだけ! 仕事終わりのサラリーマンと一緒だって!』
俺の心の叫びは、もちろん誰にも届かない。
彼らは俺が湯船から上がるまで、微動だにせず、祈るようにその光景を見守り続けていた。
俺は、まるで動物園のパンダにでもなったような気分だった。
ゆっくり温泉を楽しむ、というささやかな願いすら、この世界では叶わないらしい。
温泉から上がった俺を待っていたのは、ベルドリスからの新たな報告だった。
「魔王様、朗報にございます。我らがグレイマン領を解放し、善政を敷いているという噂が広まり、近隣の領地から使者が訪れております。いずれも、我らが打倒したグレイマン子爵と同様の圧政に苦しむ民を抱える領地の者たちだ。彼らは、こぞって魔王様の傘下に入りたいと申し出ております! どうか、我らを救ってほしい、と!」
地図を見ると、グレイマン子爵領の周辺にあったいくつかの小領地が、すでに魔王軍の色に塗りつぶされようとしていた。
俺が、ただ温泉に入りたかった。
その些細な欲望が発端となり、俺の意図など完全に無視して、魔王軍の領土は雪だるま式に拡大していく。
『もう、俺の人生、どうなっちゃうんだろう……』
綺麗さっぱり洗い流したはずの疲れが、どっとぶり返してくるのを感じながら、俺は新生魔王領の空を、呆然と見上げるしかなかった。




