第6話「圧政からの解放(ただの温泉旅行)」
魔王城での生活にも、少しずつ慣れてきた。
相変わらずログアウトはできないし、部下たちの勘違いは加速する一方だが、それでも三食昼寝付きの生活は、ブラック企業勤めの俺にとっては、ある意味で快適だったかもしれない。
そんなある日、軍師ベルドリスが深刻な顔で報告に来た。
「魔王様、由々しき事態にございます。我が領土と隣接する人間の領地、グレイマン子爵領にて、領民が圧政に苦しんでおります」
ベルドリスが広げた地図には、魔王軍の支配領域のすぐ東に、人間の領地が示されている。
「グレイマン子爵は強欲で知られ、重税を課し、逆らう者は見せしめに処刑するなど、暴虐の限りを尽くしているとのこと。領民の不満は限界に達しており、一部では我が魔王軍に助けを求める声すら上がっていると……」
『うわぁ……胸糞悪い話だな』
圧政に苦しむ民衆。
ファンタジーの悪役領主の典型だ。
かわいそうに。
でも、だからといって俺たちに何ができるだろうか。
戦争。
絶対に嫌だ。
俺のせいで誰かが死ぬなんて考えたくもない。
「ふむ……それで、我らにどうしろと?」
一応、魔王らしく問いかけてみる。
自動変換された言葉はこうだ。
「――ほう。人間の愚かしさは、留まるところを知らぬな。それで、その虫けらどもの戯言、我に聞かせて何の得がある?」
『ひどい言い方! 俺はもっと親身になって聞いたつもりなのに!』
ベルドリスは、俺の冷徹に聞こえる言葉に怯むことなく、続けた。
「その者どもを放置すれば、いずれ我らの脅威となりましょう。ですが、軍を動かせば人間国家との全面戦争は避けられません。魔王様、いかがご決断なさいますか」
『ええ……そんな重い決断、俺に振らないでくれよ……』
全面戦争なんて絶対に嫌だ。
でも、苦しんでいる人たちを見捨てるのも寝覚めが悪い。
俺は頭を抱えながら、ベルドリスが広げた地図をぼんやりと眺めた。
グレイマン子爵領は森と山に囲まれた土地のようだ。
その山の奥に、小さく温泉の湯気のようなマークが描かれているのが目に入った。
『……温泉?』
ゲームの世界には、入るとステータスが一時的に上昇したり、状態異常が回復したりする温泉が存在することがある。
このマークは、まさしくそれを示しているのではないか。
魔王城の風呂はただの石風呂で味気ない。
日本の温泉が恋しいと思っていたところだ。
『あそこ、入りたいなあ……! 日本人の魂が、温泉を呼んでいる!』
圧政に苦しむ領民には申し訳ないが、俺の頭は完全に温泉のことでいっぱいになった。
グレイマン子爵領の問題は、そのついでにどうにかならないだろうか。
俺は、温泉マークを指さした。
「……よし、決めた。我は、この地へ赴く」
その一言が、とんでもない勘違いの引き金になるとも知らずに。
俺の言葉は、もちろん魔王らしく変換された。
「――決した。我、自ら赴かん。愚かなる圧政者の支配する地に、我が鉄槌を下すために」
『鉄槌は下さない! 温泉に入るだけだって!』
ベルドリスの眼窩の光が、驚きと興奮で見開かれた。
「ま、魔王様! 自らご出陣なさるというのですか!? 左様。我が直々に見定めねばならぬものがある」
『そう、極上の温泉がね!』
俺の言葉は、こう解釈された。
「――そうだ。我が統べるに値する土地か、我が民となるに値する者どもか、この目で見極める必要がある」
ベルドリスは感動に打ち震え、その場にひざまずいた。
「おお……! なんという慈悲深さ! 圧政に苦しむ民の声をお聞き届けになり、自ら解放に向かわれるとは! このベルドリス、身命を賭して付き従います!」
話が、どんどん大きくなっていく。
俺はただ温泉旅行に行きたいだけなのに、いつの間にか圧政からの解放を掲げる義勇軍のリーダーみたいになってしまった。
この誤解はすぐに他の四天王たちにも伝わった。
魔王様が自ら。
俺も行くぞとヴァルガスは息巻く。
魔王様のご威光を世界に示す、絶好の機会ねとリリアナは微笑む。
御身の影としてとフェンリルは静かに頷いた。
あっという間に、魔王軍の主力を率いての遠征が決定してしまった。
俺はただ、一人で温泉にと、言いたかっただけなのに。
数時間後、魔王城の前には、完全武装したオーク兵やリザードマン、ゴブリン弓兵などがずらりと整列していた。
その数、およそ三千。
先頭には四天王が控え、その後ろには巨大な軍旗がはためいている。
どう見ても、温泉旅行に行く集団ではない。
完全な戦争準備だ。
『どうしてこうなった……』
漆黒の軍馬、魔王専用のナイトメアという魔獣に乗せられながら、俺は天を仰いだ。
俺のささやかな温泉旅行計画は、こうして、大陸の歴史を揺るがす大遠征へと発展してしまったのだった。




