第5話「新たなる臣下(迷子の保護)」
魔王城がピカピカになり、魔王軍がビシッと統率の取れた組織になってから、数日が過ぎた。
俺の生活は少しだけ快適になったが、心の平穏は一向に訪れない。
むしろ、部下たちの期待が日に日に重くなっていくのを感じていた。
『たまには外の空気が吸いたいな……』
玉座に縛り付けられる生活にも飽き飽きしてきた。
この魔王の巨体にも少し慣れてきたことだし、少し城の周りを散歩してみようと思い立った。
もちろん、誰にも告げずにこっそりと。
四天王たちに散歩してくるなんて言おうものなら、魔王様、ついに世界をご自身の御足で視察なさるおつもりか、などと、また壮大な勘違いをされかねない。
俺は影王フェンリルばりの隠密行動で、なんとか誰にも見つからずに城を抜け出すことに成功した。
巨体なのでかなり苦労したが。
魔王城の周辺は、鬱蒼とした森が広がっている。
ひんやりとした空気が心地いい。
ゴツい鎧のせいで台無しだが、それでも気分転換にはなった。
しばらく森の中を歩いていると、ふと、茂みの奥から何かをすするような音が聞こえてきた。
『誰かいるのか?』
音のする方へ、慎重に近づいてみる。
茂みをかき分けると、そこにいたのは、小さな人間の女の子だった。
歳は7つか8つくらいだろうか。
粗末なワンピースを着て、木の根元に座り込んでしくしくと泣いている。
どうやら森で迷子になったらしい。
近くに人間の村でもあるのだろうか。
『かわいそうに……』
お人好しな俺の心が、またしても疼き始める。
放っておくなんて選択肢は、俺にはなかった。
しかし、問題は俺の今の姿だ。
身長2メートル超えの魔王が突然現れたら、女の子は泣き叫ぶどころか、ショックで気絶してしまうかもしれない。
どうしたものか。
できるだけ、怖がらせないようにしないと。
俺はゆっくりと茂みから姿を現し、しゃがみ込んで目線を合わせようと試みた。
ゴツい鎧がギシギシと音を立てる。
「あ、あの……どうしたんだい? 迷子なのかな?」
できるだけ優しい声で話しかけたつもりだった。
だが、魔王の口から発せられたのは、こんな言葉だった。
「――我が森で涙する子よ。何を嘆く。その涙、我への供物か」
『違う! そんなつもりじゃない! めちゃくちゃ悪役っぽい!』
案の定、女の子はビクッと肩を震わせ、俺の姿を見て目を丸くした。
だが、予想に反して、叫び声を上げたりはしなかった。
ただ、大きな瞳でじっと俺を見つめている。
意外と肝が据わっている子らしい。
女の子は、お腹をさすりながら、か細い声で言った。
「……おなかすいたの。お母さんとはぐれちゃって……」
『やっぱり!』
空腹で泣いていたのか。
それは不憫だ。
何か食べさせてあげないと。
俺はアイテムボックスを開いた。
相変わらずポーションばかりだが、隅の方をよく探すと、いつの間にか新鮮なリンゴが10個ほど追加されている。
いつの間に手に入れたのかは謎だが、バグの産物だろう。
これなら子供にあげても問題ない。
俺はリンゴを一つ取り出し、女の子にそっと差し出した。
「ほら、これを食べなさい」
魔王アバターの巨大な手と、真っ赤なリンゴ。
なんともシュールな光景だ。
そして、言葉はこう変換された。
「――喰らうがよい。我が庭で実った禁断の果実だ。それを口にするは、我と契約を交わすに等しい」
『契約とか言い出すな! ただのリンゴだから!』
女の子は、俺の顔とリンゴを交互に見て、おずおずとそれを受け取った。
そして、小さな口でシャリ、と音を立ててかじりつく。
よほどお腹が空いていたのか、夢中でリンゴを頬張っている。
その姿を見ていると、自然と心が和んだ。
『よかった、よかった』
満足した俺は、そろそろこの子を村に帰してやらないと、と思った。
親御さんも心配しているだろう。
「もう大丈夫そうだな。早くお母さんのところに帰りなさい」
そう言って、女の子の頭をそっと撫でようとした。
しかし、鎧のゴツい手甲では、優しく撫でるなんて芸当は難しい。
ガシリ、と鷲掴みにするような形になってしまった。
「――この出会い、誰にも語るな。我が慈悲を知る者は、まだ早い。行け。そして二度と、我が見ぬところで生きよ」
『何様だよ俺! ものすごく恩着せがましい言い方になってる!』
女の子は、俺の言葉にこくこくと何度もうなずくと、ありがとう、魔王さまと元気よく言って、森の奥へと走り去っていった。
『魔王ってバレてたのか……まあ、この見た目じゃ当然か』
とりあえず、一件落着だ。
俺は満足して城へ戻ることにした。
だが、俺は気づいていなかった。
その一部始終を、木々の影から一人の人物が見ていた。
影王フェンリル。
彼が俺の護衛のために、こっそり後をつけてきていたのだ。
城に戻った俺が玉座で一息ついていると、四天王たちが集まってきた。
何やら皆、神妙な顔つきをしている。
代表してリリアナが口を開いた。
「魔王様……。先ほど、フェンリルより報告がございました。森にて、人間の子供とお会いになられたと……」
『げっ! 見られてたのか!』
まずい、サボりがバレた。
何かお説教でもされるんだろうか。
しかし、リリアナはうっとりとした表情で続けた。
「敵対種族である人間の、それも無力な子供にすら慈悲をおかけになるとは……。しかも、ご自身の果実を与え、契約まで結ばれるとは……!」
『契約はしてない!』
ベルドリスも頷く。
「そして、その出会いを誰にも語るな、と口止めまでされた……。これは、我々魔王軍が無用な混乱に陥るのを避け、また、人間側に我らの真意を悟らせぬための、高度な情報統制……! なんという深謀遠慮!」
ヴァルガスも涙ぐんでいる。
「うおお……! これが、我が君の目指す世界……! 種族を問わず、弱き者を救う……! 真の王の姿でございます!」
『だから、ただの迷子保護だってば!』
俺の善意は、またしても部下たちの見事なまでの勘違いによって、深遠なる計画の一環として処理されてしまった。
そして、この話は瞬く間に魔王軍全体に広まった。
魔王様は、敵の子供にすらお優しい。
しかし、その慈悲は、魔王様の壮大な計画の前では些事。
我々は決してそれに驕ってはならない。
部下たちの俺に対する尊敬の念は、もはや崇拝の域に達していた。
さらに、村に帰った女の子が話したことで、人間たちの間にも新たな噂が流れ始めた。
黒の森の魔王は、迷子の子供を助けてリンゴをくれる、実はいい魔王様らしい。
俺の知らないところで、俺の評判はどんどん上がっていく。
それが、更なる勘違いと、とんでもない事態を引き起こすことになるのを、この時の俺はまだ知らなかった。




