第41話 戴冠式への招待状、あるいは宣戦布告
音が、世界から消えた。
窓の外を舞っていた枯葉が、見えない琥珀に閉じ込められたように中空で止まっている。
庭園の噴水は宝石のような彫刻と化し、逃げ惑う騎士たちの叫び声さえも、冷たい銀の静寂に吸い込まれていった。
「……おいで、エルゼ。私の、完璧な最高傑作」
帝宮の上空、天を裂いて現れた巨大な「三つの目」の紋章から、その声は降り注いだ。
慈悲深く、けれど心の一片も通わぬ、神の宣告。
次の瞬間、離宮の屋根が音もなく結晶化して砕け散り、私たちの頭上に「父」の幻影が降り立った。
純白の法衣に、すべてを透かす銀の瞳。
クロムウェル公王。
彼が指先を僅かに動かしただけで、私の足元の絨毯が銀の霜に覆われ、私の体から熱を奪おうと這い上がってくる。
「……ッ。来ないで……!」
「恥ずかしがることはない。……君は少し汚れすぎた。その穢れた男の魔力で、心臓が不純な鼓動を刻んでいる。……さあ、私が君を『洗浄』してあげよう。永遠に朽ちぬ、純白の神へと戻してあげる」
父が手を伸ばす。
その指先から放たれたのは、万物を停止させ、理想の形で固定する「静止の輝き」。
私の思考が白く塗りつぶされそうになった、その時。
ドォォォォォンッ!!
私の視界を塞ぐように、漆黒の外套が翻った。
ヴィルフリート様が、銀のひび割れが走った手で、父の「光」を真正面から掴み取ったのだ。
「……ぐ、ぅぅ……ッ!」
「陛下! いけません、その光に触れては……!」
陛下の腕から、ピキピキと不穏な音が響く。
彼の「死」の魔力が、父の「静止」と衝突し、凄まじい火花となって周囲を焼き切っていく。
陛下の手首から先が、みるみるうちに銀色の結晶へと変わっていくのが見えた。
「……ほう。死神の器か。……君のその壊れかけの体で、私の『理』を止められると思っているのか? 彼女を離したまえ。それは君には重すぎる神の心臓だ」
「……重すぎる、だと?」
ヴィルフリート様が、喉を鳴らして笑った。
結晶化しつつあるその右手を、彼はあえて自身の力で粉砕するように握りしめ、漆黒の炎を噴き上げさせた。
「……ふん。この程度で重いと言うなら、私が今まで背負ってきた『死』の積み荷が笑う。……グレゴリオ、貴様もこのガキも、勘違いしているようだな」
陛下は結晶を魔圧だけで弾き飛ばすと、一歩、父へと踏み出した。
ひび割れた頬から、真っ黒な魔力が滴り落ちる。
「エルゼは『神』などではない。……私の前で泣き、私の前で乱れ、私という男がいなければ生きていけぬ、ただの私の女だ。……その女を『洗浄』だと? 汚れ一つない彫像にしたいなら、自分の城の柱でも削っていればいい」
「……理解不能だな。君は彼女を愛しているのではなく、共に滅びたいだけか」
「愛などという綺麗な言葉で括るな。……これは執着だ。死んでも逃がさぬという、呪いだ」
陛下が大剣を抜き放ち、上空の紋章を指し示した。
「クロムウェル。……お前に招待状を送ってやる。……三日後だ。この帝都で、エルゼを私の正式な『皇后』として戴冠させる」
父の銀の瞳が、初めて不快そうに細められた。
「戴冠だと? 止まった世界の中で、誰が彼女を祝福すると言うのだ」
「世界など止まっていればいい。……私が、お前の『静止』を死滅させ、お前の目の前で彼女に王冠を被せてやる。……お前の『完璧な娘』が、私の色に染まり、私の子供を産むその瞬間を、その特等席で見ていろ」
なんて、恐ろしい。
なんて、愛おしい暴論。
「……いいだろう。三日待ってあげるよ、死神。……君の体が銀の塵となり、その娘が絶望の中で自ら私に縋り付くのを、愉しみにしておこう」
父の幻影が、嘲笑と共に霧散していく。
同時に、帝都を覆っていた「静止」の重圧が僅かに緩んだ。
けれど、ヴィルフリート様の腕は、先ほどよりも激しく震えていた。
「ヴィルフリート様……!」
「……エルゼ。……見苦しいところを見せたな」
陛下は剣を納めると、結晶化が残る手で、私の頬をそっと撫でた。
その手は驚くほど冷たく、けれど、心臓を灼くほど熱い愛に満ちていた。
「三日後だ。……お前を、この世で最も不浄で、最も幸福な皇后にしてやる。……いいな?」
「……はい。……はい、ヴィルフリート様」
私たちは、崩れ落ちた屋根の下、降り注ぐ月光の中で強く抱き合った。
世界の終わりのような静寂の中で、二人の狂った鼓動だけが、反逆の狼煙のように響いていた。
第41話をお読みいただき、ありがとうございます!
実父クロムウェルの神の如き力に対し、陛下が放ったのは「戴冠式(結婚式)」という名の最大級の喧嘩でした。
「不浄で幸福な皇后にしてやる」……このセリフに、陛下のエルゼ様に対するすべての想いが詰まっていますね。
実父という、かつてない強大な壁。
しかし陛下は、自らの体が銀に蝕まれることさえ「副作用」と笑い飛ばします。
果たして三日後の戴冠式、世界は止まるのか、それとも二人の愛が理を上書きするのか。
次回、第42話「深淵の公王、現る」。
実父の猛攻を前に、エルゼ様が「自分の意思で泥を流す」という、驚愕の逆転策を思いつきます。
「人間」であり続けるための、彼女なりの戦いが始まります!
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皆様の声が、陛下を死の淵から繋ぎ止める鎖となりますわ。




