第40話 リュミエールの告白と血の宿命
「……触れないで、エルゼ。お前の指先が、今はあまりに眩しすぎる」
深夜の離宮。ヴィルフリート様は、私の手を優しく、けれど断固として振り払った。
月の光を浴びた彼の頬には、昨日よりも深く、鮮やかな銀の亀裂が走っている。それは彼が纏う「死」の魔力が、私の中に育つ「星の心臓」の輝きに耐えきれず、内側から弾けようとしている証拠だった。
「嫌です……。私が、貴方を壊しているというなら、この力なんていりません! お母様、教えてください……どうすれば、この人を救えるのですか!」
傍らで静かに私たちを見守っていた母リュミエールが、悲しげに瞳を伏せた。彼女の手には、あの三つ目の獅子のメダルが握られている。
「……エルゼ。貴女がアステリアで流していた『泥』を覚えているわね?」
「はい。……お母様の命を繋ぐための、毒の濾過だったと……」
「ええ。でも、それだけではないの。……あの男、クロムウェル公王が求めているのは、永遠に朽ちず、変化もせず、ただ完璧に世界を照らし続ける『静止した神』なのよ」
母の声は、遠い記憶を辿るように震えていた。
「トリニティの血族に生まれる『星の心臓』は、あまりに純粋すぎて、放っておけば周囲のすべてを銀の結晶に変え、自分自身も心を失った『装置』になってしまう。……だから、私は貴女にわざと『世界の汚れ(泥)』を吸わせた。貴女が完璧な神にならないように。汚れて、濁って、痛みを感じる『不完全な人間』でいられるように」
衝撃で、私は息をすることを忘れた。
私が「不浄」と蔑まれ、泥を流して苦しんでいたあの日々は、すべて母が私を「人間」として生かすための、必死の防壁だったのだ。
「公王は、貴女が汚れたことに激怒し、貴女を『洗浄』するために追った。……エルゼ、貴女が今、銀色に染まり始めているのは、貴女が陛下を愛し、心が満たされたことで、自分を守っていた『泥(汚れ)』が消えてしまったからなのよ」
幸せになればなるほど、私は人間を辞めて神に近づき、隣にいる愛する人を「死」の属性ゆえに拒絶し、壊してしまう。
それが、私の体に流れる血の正体。
「……ふん。下らんな」
沈黙を破ったのは、陛下の冷笑だった。
彼はひび割れた頬を隠そうともせず、よろめく足取りで私の前に立ち、強引に私の顎を掬い上げた。
「……神になるのが宿命だと? 私を壊すのが道理だと? ……そんな安い天秤で、私の執着が揺らぐと思うのか、公妃」
「陛下……でも、このままでは貴方が……!」
「構わん。私の肉体が銀の塵になるのが先か、お前のすべてを私が喰らい尽くすのが先か……。これは私とお前の、命を賭けた愛欲の競争だ」
ヴィルフリート様は、結晶化しかけた私の指先を、わざと自らの亀裂の走った頬に押し当てた。
ジ、と魔力が衝突する鋭い音が響く。
けれど、彼は痛みに顔を歪めるどころか、狂おしいほどの情愛を瞳に宿して私を見つめた。
「エルゼ。……お前が神になろうとするなら、私は地獄の底から這り上がってでも、その羽を毟り取り、泥の中に引きずり戻してやる。……お前は私の隣で、汚れ、乱れ、私という男なしでは息もできない女でいればいい。……分かったか」
「……っ。……はい。はい、ヴィルフリート様……!」
私は彼の胸に飛び込んだ。
たとえこのまま二人で壊れることになっても、この腕の熱だけは手放さない。
その時。
ガラン、と。
部屋の隅に置かれた水時計の音が、不自然に途切れた。
窓の外を見ると、風に舞っていた木の葉が空中で静止し、帝都の明かりがすべて、呼吸を止めたように硬質な銀色に変じている。
「……来たわ。……あの男が。世界を『静止』させるために」
母リュミエールの顔から、血の気が引いていく。
帝宮の上空。
夜空を切り裂くように、巨大な「第三の目」を象った光の紋章が浮かび上がった。
海の向こうからの使者ではない。
エルゼの「本当の父親」――クロムウェル公王が、世界を凍てつかせる圧倒的な神威を伴って、ついに降臨したのだ。
第40話をお読みいただき、ありがとうございます!
エルゼ様の「泥」に隠された、母リュミエールの究極の愛……。
「不浄」だと思っていたものが、実は「人間であるための盾」だったという真実は、彼女のこれまでの苦難をすべて肯定する救いとなったはずです。
しかし、幸せを実感することでその盾が失われ、陛下を壊してしまうという残酷な矛盾。
それを「競争だ」と笑い飛ばす陛下の愛の重さに、私は執筆しながら震えましたわ。
ついに姿を現した実父・クロムウェル。
彼がもたらすのは、すべてを止める「完璧な静寂」。
次回、第41話「戴冠式への招待状、あるいは宣戦布告」。
実父の圧倒的な力に対し、陛下が「皇帝」としての全ての権威を投げ打ち、ただの「エルゼを愛する男」として、世界を賭けた大喧嘩を仕掛けます!
「陛下、頬のひび割れが痛々しいけど格好いい……!」「お母様、よく言った!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや評価、応援の感想をいただけると、完結への魔力が滾りますわ。




