第33話 リュミエールの遺言、真実の光
「……ああ。温かい。……これは、夢かしら」
腕の中で、母リュミエールがゆっくりと、その銀色の睫毛を震わせた。
砕け散った氷の破片が星屑のように舞う中、彼女の瞳に、ようやく私――エルゼの姿が映り込む。
「……お母様。……お母様……!」
私は彼女の冷たい頬に、自分の顔を寄せた。
流れるのは、もはや濁った泥ではない。漆黒の輝きを帯びた、透明な愛の雫。
「大きくなったわね、エルゼ。……ごめんなさい。貴女に、あんなに汚いものを……『泥』を流させ続けて……」
母の掠れた声が、私の胸を締め付ける。
「いいえ。……いいえ、お母様。私は、陛下に出会えました。この泥を、美しいと言ってくださる方に……」
私がそう告げると、背後で大剣を杖代わりに立ち、私たちを囲む「崩壊」を魔圧だけで弾き飛ばしていたヴィルフリート様が、フンと鼻を鳴らした。
血に濡れた彼の外套が、この白銀の地獄で唯一の、確かな生命の熱を感じさせる。
「リュミエールと言ったか。……貴様の謝罪は不要だ。エルゼが流した泥は、この私を救った。……だが、娘をこんな目に遭わせた世界のシステムについては、後で徹底的に精算させてもらう」
不遜。あまりにも不遜な陛下の言葉に、母は弱々しく、けれど慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「……ええ。お強い方。……エルゼ。……あの泥はね、貴女を苦しめるための呪いではなかったの。……私がこの氷の中で、世界の毒に侵されないよう、貴女がその小さな体で毒を濾過して……私に『栄養』として届けてくれていたのよ」
「……え?」
衝撃が走った。
アステリアで私が虐げられ、泣きながら流していたあの忌まわしい泥。
周りから不浄だと石を投げられたあの液体が、実は氷の中に閉じ込められた母の命を繋ぐための、たった一つの絆だったなんて。
「貴女が泣くたびに、私は貴女の愛を感じていた。……貴女の苦しみを知りながら、私は生かされていた。……本当に、残酷な母親でごめんなさい……」
母の告白に、私は声を上げて泣いた。
これまでの孤独も、蔑みも、すべてに意味があった。
私は、お母様を守るために、あの地獄を生き抜いていたのだ。
「……感動の再会はそこまでだ。……主客転倒な『ゴミ』が、掃除を待っている」
陛下の冷徹な声が、聖堂に響き渡る。
瓦礫の山の上で、レオン――いや、世界樹の防衛システムと化した「化身」が、その体を巨大な銀の結晶へと変え、膨張させていた。
『……愛、なんて。……個人の小さな感情で、世界のバランスを壊さないでよ。……お姉様、やっぱり君は『欠陥品』だ。……お母様も、その男も、全部まとめて僕が『均一な銀』に変えてあげる』
レオンの頭上に、巨大な銀の魔法陣が幾重にも重なり合う。
それは、この大陸の全魔力を集束させた、文字通りの「世界再構成」の光。
聖堂が、教皇庁が、北の空が、その圧倒的な白に飲み込まれていく。
「……ヴィルフリート様!」
「案ずるな、エルゼ。……私は、お前のために世界を捨てると決めている。……リュミエール、お前はそこで見ていろ。……貴様が守ろうとした娘が、私の隣で、どれほど傲慢に世界を支配するかを」
陛下が私の腰を抱き寄せ、私の結晶化した右手に、自身の血を纏わせた左手を重ねた。
漆黒の指輪が、狂ったような歓喜の声を上げる。
「……エルゼ。お前の『夜』を貸せ。……私が、あの白すぎる空を、永遠の闇で塗り潰してやる」
「……はい、陛下。……どこまでも、貴方と共に」
私の内側から、母の愛と、陛下の執着が混ざり合った、かつてないほど濃密な「黒」が溢れ出した。
白銀の絶滅が迫る中、私たちは、二人で一つの「世界の終わり」を迎え撃つ。
第33話をお読みいただき、ありがとうございます!
「泥」の正体、それは母を救うための「愛の濾過」でした。
エルゼ様のこれまでの苦しみは、決して無駄ではなかった。この真実こそが、彼女を真の意味で「聖女」へと昇華させる最後のピースでした。
しかし、空気を読まない(読めない)世界のシステム・レオンが、すべてを無に帰そうと牙を剥きます。
陛下とエルゼ様、二人の「愛の重さ」が、ついに世界の理を物理的に書き換える瞬間がやってきます。
次回、第34話「二人の心臓、響き合う鼓動」。
第3章、そして「氷華の教皇庁編」の最終決戦!
陛下の「死」と、エルゼ様の「夜」が一つになったとき、世界はどのような姿に変貌するのか。
そして、母を救った後の二人に待っている、甘すぎる「報い」とは……。
「泥の真実、泣けました……」「陛下、世界ごとボコボコにして!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや星の評価で、二人への祝福をお願いいたします!
皆様の応援が、最終決戦の魔力となりますわ。




