第32話 陛下、氷の迷宮を焼き尽くす
「……はは、傑作だな。世界を救うために、愛する女を氷の中に閉じ込めろだと?」
ヴィルフリート陛下の笑い声は、極寒の聖堂に不吉な熱を帯びて響いた。
教皇グレゴリオが掲げた黄金の杖から、幾千もの氷の刃が降り注ぐ。それは空気を凍らせ、時間を止め、神に逆らう者の「存在」そのものを否定する絶対の法。
だが、陛下は一歩も引かなかった。
彼が背中の大剣を横一文字に薙ぐと、空間を埋め尽くしていた漆黒の霧が、瞬時に「黒い炎」へと変じ、降り注ぐ氷の刃を蒸発させた。
「グレゴリオ。……貴様は神とやらに跪きすぎて、人間の愛し方を忘れたようだな。……エルゼを一人にするというなら、私はその神の座を焼き尽くし、世界を灰にしてでも、彼女を私の隣に繋ぎ止める」
「狂気だな、皇帝。……だが、その狂気がリュミエールを殺す。君が抗えば抗うほど、この城の均衡は崩れ、彼女の命は砕け散るぞ!」
教皇の叫びと共に、母を封じ込めていた氷壁に無数の亀裂が走る。
銀の針がより深く母の肌を刺し、彼女の口から音のない悲鳴が漏れた。
「お母様……っ!」
私は叫び、駆け寄ろうとした。
けれど、私の足元から伸びた銀の氷が、私の自由を奪おうと絡みついてくる。
『……お姉様。もう諦めて。……お母様を助けるには、君が氷になるしかないんだよ』
レオンが私の背後に立ち、氷のように冷たい手で私の目を覆おうとする。
視界が白く染まり、思考が「停止」に魅入られそうになる。
(……ダメ。……私は、諦めない。……お母様も、私も、ヴィルフリート様も……誰も失いたくない!)
私の右手の漆黒の指輪が、指を引き千切らんばかりの熱で脈打った。
陛下の「死」の魔力が、私の「銀」の魔力と衝突し、火花を散らす。
そうだ。陛下が教えてくれた。
痛みは、生きている証拠。
犠牲で救うのが神の理なら、私は――陛下と共に、泥を啜ってでも「人間」としてすべてを奪い取ってやる。
「……私の闇(夜)よ、すべてを吸い込みなさい!」
私が叫ぶと同時に、私の瞳から溢れ出した黒い涙が、足元の氷を、レオンの手を、そして聖堂に満ちていた「白」を猛烈な勢いで侵食し始めた。
それは浄化ではない。
陛下の「死」を燃料に、すべてを塗りつぶす「拒絶」の黒。
「な……ッ!? 聖域の魔力を、逆流させているのか!?」
教皇の驚愕の声を、ヴィルフリート陛下の咆哮が掻き消した。
「――エルゼ、私を見ろ!! 運命など、今ここで私が切り裂いてやる!!」
陛下が大剣を両手で構え、心臓に手を当てた。
皇帝としての加護、代々の呪い、そのすべてを魔力に変換し、一点に集束させる。
漆黒の炎を纏った大剣が、教皇の黄金の杖を、そして母を縛り付けていた絶対結界の氷壁を、真正面から叩き伏せた。
――ドガァァァァァンッ!!!
爆鳴。
数千年の歴史を誇る氷の城が、内側から爆発するように崩落を始める。
教皇の杖は粉々に砕け散り、彼が誇っていた「神の法」は、陛下の圧倒的な暴力の前にただの塵へと変わった。
「馬鹿な……。世界の心臓を破壊すれば、世界樹が枯れるぞ! 君たちは、心中するつもりか!?」
「心中? 笑わせるな。……世界が死ぬなら、エルゼのための『新しい箱庭』を私が創る。……それだけだ」
陛下は煙の中から現れ、砕け散った氷の破片の中でよろめく私を、強引に抱き上げた。
彼の胸の鼓動は激しく、その体温は、銀色の世界で唯一の、燃えるような「生」を感じさせた。
そして。
粉々に砕けた氷壁の中心。
銀の針が消え、数年ぶりに「停止」から解放された母リュミエールの体が、ゆっくりと、私の腕の中へと倒れ込んできた。
「……お母様……。お母様!!」
私が彼女の冷たい頬に手を当て、必死に「夜」の魔力を流し込む。
その時。
ゴゴゴゴ……と、足元の地深くから、これまで聞いたこともないような不気味な鳴動が響き渡った。
氷の城の崩壊ではない。
もっと根源的な……この大陸の「命」そのものが、悲鳴を上げているような音。
『……あは。……やっちゃったね。……心臓を無理やり引き抜いちゃった』
瓦礫の上に座り、レオンが歪な笑みを浮かべていた。
彼の姿は、いつの間にか半分が透き通り、周囲の魔力を吸い取って膨張し始めている。
「……ヴィルフリート様、あれは……!」
「……ふん。ようやく真の主人がお目覚めか。……エルゼ、私から離れるな。……ここからが、本当の『ざまぁ』の時間だ」
陛下の瞳に、かつてないほどの凶悪な愉悦が宿る。
母の救出。
それは同時に、世界を維持していた「欺瞞」の完全な崩壊を意味していた。
第32話をお読みいただき、ありがとうございます!
ヴィルフリート陛下の、まさに「なろう史上最強」レベルの理不尽なまでの破壊。
教皇の「二択」という名の嫌がらせを、大剣一本で更地にするカタルシス……執筆していて、私の魔力も沸き立ちましたわ。
ついに母リュミエールを奪還しましたが、それと引き換えに世界の理が悲鳴を上げ始めました。
レオンの不気味な変貌、そして「真のざまぁ」とは一体。
次回、第33話「リュミエールの遺言、真実の光」。
目を覚ました母が語る、エルゼ様と陛下の「出会いの真実」。
そして、暴走するレオンを、二人の「初めての共同作業(物理)」が迎え撃ちます!
「陛下、かっこよすぎて語彙力が死にました!」「レオン、お前は何者なんだ!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや評価、応援の感想をいただけると嬉しいです!
皆様の応援が、崩壊する世界を繋ぎ止める「愛の鎖」となりますわ。




