第28話 立后の儀、その前に。
ガタゴトと揺れる馬車の車輪の音が、どこか遠くの国の出来事のように聞こえる。
窓の外は、すでに帝国の豊かな緑は消え、灰色の空と吹き荒れる雪が支配する世界へと変わっていた。
「……また、少し広がったな」
ヴィルフリート様の低く、微かに震える声。
彼は私の右手を両手で包み込み、自身の体温を移すように何度も指先をなぞる。
私の右手の薬指までが、今や冷たく硬質な銀の結晶に覆われていた。感覚はない。ただ、月光を反射する鏡のように、美しく、そして残酷に輝いている。
「陛下、そんなに悲しい顔をしないでください。私は、ここにいますわ」
「……黙れ。お前が銀色に染まっていくたびに、私の魂が削られているのが分からないのか」
陛下は私の指先に口づけた。
結晶化した肌は唇を切り裂くほど鋭利なはずなのに、彼は厭うこともせず、自身の唇から滲んだ血で私の銀を赤く汚していく。
「エルゼ。……帝国に戻れば、盛大な立后の儀を行うつもりだった。大陸中の宝石を集め、神殿を花で埋め尽くし、お前を世界で一番幸福な女にするはずだったのだ」
彼の独占欲は、今やエルゼという存在をこの世に繋ぎ止めるための、必死の祈りへと変わっていた。
「……ですが、陛下。私はもう、十分すぎるほど幸せです」
「足りない。……私が満足していない」
陛下は懐から、一装の指輪を取り出した。
それは、帝国の国宝である「深淵の魔石」を削り出した、漆黒のリング。
石の奥底では、陛下の「死」の魔力が渦を巻き、まるで生きているかのように脈打っている。
「……これは?」
「指輪ではない。……お前を、この世界に繋ぎ止めるための『楔』だ」
陛下は私の銀色に染まった薬指に、その漆黒の指輪を静かに滑り込ませた。
瞬間。
――ドォォンッ!
脳を直接揺さぶるような、凄まじい「熱」が指先から全身へと駆け巡った。
漆黒の魔力が銀の侵食に牙を剥き、無理やりその進行を食い止める。
感覚のなかった指先に、焼けるような痛みが戻ってきた。
「……っ、あ……う、熱い……!」
「耐えろ。……その痛みこそが、お前が生きている証だ。お前が銀色の人形になろうとするなら、私はお前の体の中に、永遠に消えない『死』の痛みを刻み続けてやる」
陛下は私の腰を引き寄せ、逃げ場を塞ぐように強く抱きしめた。
彼の「死」の魔力と、私の「銀」の浄化が、体内で激しく衝突し、溶け合う。
それは愛というにはあまりに暴力的で、呪いというにはあまりに甘美な、魂の再契約。
「……これでお前は、私の魔力なしでは生きていけなくなった。……結晶化が進めば、指輪の魔力が逆流して、お前を内側から灼き続ける。……それでも、私を愛していると言えるか?」
「……はい、ヴィルフリート様。……その痛みが、貴方と繋がっている証拠なら、私は喜んで受け入れます」
私が彼の首に腕を回すと、陛下は飢えた獣のように私の唇を奪った。
雪の降る馬車の中、私たちの周囲だけが、異常なほどの熱量に包まれる。
――けれど。
その熱を嘲笑うかのように、馬車の窓ガラスが外側からミシミシと音を立てて凍りついた。
不気味なほどの静寂が訪れる。
馬を操る御者の声も、風の音も消え、ただ一筋の「歌声」が雪の彼方から響いてきた。
『……白銀の夜。……心臓は二つ。……一人は光を、一人は影を……』
「……この歌は、お母様の……?」
私が顔を上げようとした瞬間、馬車が激しい衝撃と共に急停止した。
窓の外、吹雪の向こう側に立っていたのは、白い法衣を纏い、銀の瞳を持つ一人の聖騎士。
彼の掲げる剣からは、エルゼの体と同じ、冷たい銀の魔力が溢れ出していた。
「――お迎えに上がりました、リュミエールの落とし子よ。……その偽りの熱を捨て、真実の冷たさの中へ帰りましょう」
「……ふん。ようやく現れたか、掃除の時間だ」
ヴィルフリート陛下が、漆黒の大剣を引き抜き、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
第28話をお読みいただき、ありがとうございます。
「立后の儀」という幸せな約束を前に、陛下がエルゼ様に施した「死の指輪」による魂の拘束。
ただの指輪交換ではなく、痛みを伴う契約にするあたりに、ヴィルフリート陛下の重すぎる愛の本質が詰まっていますね。
そして、ついに北の教皇庁の聖騎士が姿を現しました。
エルゼ様と同じ「銀」の魔力を持つ彼らの目的とは……?
そして、雪原に響く母の歌声の正体は。
次話、第29話「極北の旅、白銀の洗礼」。
陛下が聖騎士を「塵」にするための、圧倒的な暴力が極寒の地で炸裂します!
さらにエルゼ様の体が、指輪の魔力に反応して「新たな覚醒」を見せることに。
「陛下の独占欲、重すぎて最高!」「聖騎士をボコボコにして!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや星の評価、感想をお待ちしておりますわ。
皆様の声が、二人の旅路を照らす灯火となります。




