第21話 陛下、激昂。――「我が妃に触れる法などない」
馬車が止まった瞬間、肺の奥まで凍りつくような「白」の圧力が流れ込んできた。
カーテンの隙間から見えたのは、天を突くほどに巨大な純白の大理石の門。
聖域セント・ルミナス。
大陸の信仰の頂点であり、アステリア王国が「光」を借り受けていた源泉だ。
「……着きましたわね」
私が呟くと、隣に座る漆黒の騎士――ヴィルフリート様が、自身の指を私の指の隙間に、壊れものを固定するように深く絡めた。
彼の纏うプレートアーマーが、緊張で微かに鳴る。
旅の間、彼は「一介の騎士」として振る舞ってくれたけれど、その内側で膨れ上がっている殺意は、今や結界を内側から焼き切るほどに鋭い。
「エルゼ。……少しでも嫌だと思えば、すぐに言え。一瞬でこの白亜の街を更地にしてやる」
「……ふふ。頼りにしていますわ、私の騎士様」
私が微笑んで見せると、彼は不服そうに私の髪を一房掬い、そこに熱い口づけを落とした。
馬車の扉が開かれる。
そこに立っていたのは、黄金の刺繍が施された法衣を纏った数十人の司祭たちと、銃剣を構えた聖域守護隊だった。
彼らの視線には、アステリアの民が向けていたような単純な蔑みはない。
そこにあるのは、害虫を鑑定するような、冷酷な「選別」の目だ。
「……出迎えにしては、物々しいですな。ザカライアス殿」
ヴィルフリート様が先に馬車を降り、私を抱きかかえるようにして大地へと降ろす。
案内役のザカライアスは、優雅に肩をすくめた。
「ええ。教皇庁の老人共は、あまりに用心深い。……特に、アステリアから届いた『黒い涙』の報告書を読んでからは、夜も眠れぬようです」
司祭の一人が、一歩前へ出た。
手には、虹色に輝くクリスタルで作られた「首輪」が握られている。
「……エルゼ・アイゼン。その不浄なる力を制御するため、この『聖なる戒め』を装着してもらおう。さもなくば、聖域の門をくぐることは許されない」
刹那、私の視界から色彩が消えた。
ヴィルフリート様から放たれた「死の魔力」が、絶対零度の衝撃波となって大広場を駆け抜けたのだ。
「……何と言った?」
ヴィルフリート様の声は、低く、重く、地面から響く地鳴りのようだった。
彼は私を自身の背後に隠し、一歩、司祭に向かって踏み出す。
その一歩だけで、大理石の床に蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
「き、貴様……っ! 帝国の騎士風情が、聖域の掟を汚すつもりか! その娘は異端の疑いがあるのだぞ!」
「掟だと? ……私が法だ。そしてエルゼが私の魂だ」
ヴィルフリート様が、背中の大剣に手をかけることさえせず、ただ左手を軽く振り上げた。
瞬間、司祭の持っていたクリスタルの首輪が、目にも止まらぬ速さで粉砕される。
それだけではない。
首輪を掲げていた司祭の身体が、見えない巨人に踏みつけられたかのように、バキバキと音を立てて床へと叩きつけられた。
「あ、が……っ!? ぐ、あああ……っ!」
「……我が妃に触れる法など、この世界のどこにも存在しない。……次、その汚らわしい指を彼女に向けたなら、その瞬間に教皇庁の喉元を喰らい尽くしてやる」
周囲の騎士たちが一斉に銃剣を構えるが、彼らの指は恐怖でガタガタと震えていた。
ヴィルフリート様から溢れ出す漆黒の魔力は、聖域が誇る「光」を次々と吸い込み、周囲を完全な夜へと塗り替えていく。
「おやめください、ヴィルフリート様」
私が彼の背中にそっと手を添えると、凍りついていた空気が、嘘のように凪いだ。
彼は一度だけ深く溜息をつき、私の手を自身の頬に当てた。
「……エルゼ。君が許すなら、私はこのままこの国を滅ぼせるのだが」
「それは、お披露目会の後の『ご褒美』に取っておきましょう? ……今は、彼らに案内させればよろしいのですわ」
私は、床に這いつくばる司祭を見下ろし、静かに、そして気高く微笑んだ。
その瞳には、一筋の黒い影が差している。
聖域の「白」を吸い込むたびに、私の魔力は逆に、より濃く、より純粋に研ぎ澄まされていくのを感じていた。
「……案内してくださるかしら。お母様――リュミエールが、かつていた場所へ」
ザカライアスが、悦びに満ちた拍手を送る。
「……素晴らしい。さすがは『世界の心臓』だ。……陛下、ご安心を。今日のところは試験など行いません。……ただ、エルゼ殿。貴女にだけ、お見せしたいものがあるのです」
ザカライアスは、大聖堂の地下へと続く、深く昏い階段を指差した。
「……貴女がアステリアで流してきたあの涙。……あれが、この聖域で何を成し遂げるか。……それを知った時、貴女は自分が『聖女』なのか、それとも『死の支配者』なのか、選ばねばならなくなる」
胸元のペンダントが、かつてないほど熱く、私の肌を灼いた。
それは警告か、それとも――故郷へ帰ってきたことへの、狂おしい歓喜か。
ヴィルフリート様の腕に抱かれながら、私は光の届かない地下へと足を踏み入れた。
聖域の傲慢な司祭を、陛下が物理的に黙らせるカタルシス!
「一介の騎士」を演じていたはずが、エルゼ様を侮辱された瞬間に皇帝としての……いえ、彼女だけの守護獣としての本性を現す陛下。
そのあまりの大人げなさと、圧倒的な強さに、胸がすくような思いをしていただければ幸いです。
そして、ザカライアスが示した「聖域の地下」。
母リュミエールが遺した謎と、エルゼ様の涙に隠された「死を操る」可能性……。
物語は、単なる溺愛劇から、世界の根源を揺るがす真実へと足を踏み入れます。
次回、第22話『黒薔薇の奇跡、再び。』。
地下に眠る「世界樹の根」を目の当たりにしたエルゼ様。
そこで彼女が流す涙は、聖域に救いをもたらすのか、それとも……。
そして、離れ離れにされた陛下が、聖域の最深部で暴走を開始します!
「陛下、もっとめちゃくちゃにして!」「エルゼ様、お母様の秘密を暴いて!」と思ってくださった皆様、ぜひブックマークや星の評価で応援いただけると嬉しいです!
皆様の情熱が、エルゼ様の「黒い魔力」をさらに加速させますわ。




