第20話 冷徹なる審問官、ザカライアス
「……やはり、脱がして連れ戻すべきか。エルゼ、今ならまだ間に合うぞ」
帝都を離れるための漆黒の魔導馬車の前で、ヴィルフリート陛下が本日何度目か分からない「逃避の誘い」を口にした。
その姿は、いつもの皇帝としての豪奢な軍装ではない。
漆黒の重厚なプレートアーマーを纏い、背中には巨大な大剣を背負った「一人の騎士」の装い。けれど、隠しきれない王者の覇気と、冷酷に研ぎ澄まされた美貌が、周囲の空気ごと支配している。
「陛下、もう決めたことですわ。それに、そのお姿……とても素敵です」
私がその胸当てにそっと触れると、ヴィルフリート様は不機嫌そうに鼻を鳴らし、けれど私の腰を強く引き寄せた。
「……私の隣でなければ、死ぬ。それを忘れるな。……ザカライアス、出発だ。これ以上私の時間を奪うなら、貴様の聖域ごと地図から消す」
馬車の傍らで待機していたザカライアスが、優雅に肩をすくめて一礼した。
「心得ておりますよ、騎士殿。……さあ、エルゼ殿。聖域への旅を楽しみましょう」
馬車が走り出すと、窓の外の景色は急速に流れていった。
帝都の活気から、次第に険しい山岳地帯へと入っていく。この先に、聖教会の本拠地である聖域セント・ルミナスがある。
「……これを」
馬車の揺れの中、ヴィルフリート様が私の手に小さな紙片を押し込んだ。
見れば、見送りには来られなかったカイルからの隠し手紙だった。
『エルゼ様へ。……解析の結果、ペンダントの魔力紋様が教会の最古の記録と一致しました。君のお母様は、教会では「反逆者」とされていますが、その本当の個人名は「リュミエール」。……皮肉なことに、古語で「光」を意味する名です。聖域に入ったら、決してペンダントを手放さないでください。それは鍵である以上に、君を守る盾になる』
(……お母様の、本当の名前……)
アステリアでは一度も聞いたことのない名。
私がその言葉を反芻していると、突然、馬車が激しい振動と共に急停止した。
「……止まれ! ここからは聖教会の聖別地だ! 帝国の馬車など通すわけにはいかん!」
外から響くのは、教会所属の『白銀聖騎士団』の怒号だった。
国境の検問。本来ならザカライアスの権限で通れるはずだが、彼らは最初からエルゼ――「泥の聖女」を足止めし、辱めるのが目的であるかのような、卑しい笑みを含んでいた。
「ザカライアス様。……その汚らわしい魔女を、一度我々の結界で『検分』させていただきます。教皇庁の命です」
馬車の扉が荒々しく開けられようとした、その刹那。
――ドォォンッ!
爆鳴と共に、扉が開く前に「扉そのもの」が内側から吹き飛んだ。
飛び出したのは、黒い閃光。
「あ、がっ……!?」
声を上げた騎士が、一瞬で地面にめり込んでいた。
ヴィルフリート様が、大剣さえ抜かずに、ただその重圧だけで騎士の鎧を拉げさせたのだ。
「……誰に、何を『検分』すると言った?」
陛下が馬車からゆっくりと降り立つ。
彼が地面を一度踏みしめるたびに、騎士たちが誇る『聖なる結界』がガラスのように粉々に砕け、周囲の草木が漆黒の霜を纏って枯れ果てていく。
「き、貴様、何者だ! 教会の騎士に逆らって……!」
「……騎士だ。エルゼ・アイゼンという、唯一無二の主君に仕える騎士だ」
ヴィルフリート様が冷徹に告げた瞬間、彼の背後に巨大な死神の幻影が立ち上った。
騎士たちは恐怖に腰を抜かし、その場に跪く。
「……通れ。……さもなくば、この検問所ごと死の国へ送る」
騎士たちの返事を待つまでもなく、ヴィルフリート様は私の手を取り、再び馬車へと誘った。
ザカライアスはその光景を眺めながら、恍惚とした表情で呟く。
「……素晴らしい。破壊こそが真の浄化だと、陛下も理解しておられるようだ。……ねえ、エルゼ殿。貴女の騎士は、貴女を守るために世界を滅ぼしかねない。……その『重み』に、いつまで耐えられますかな?」
「……私は、耐えるつもりはありませんわ」
私は、自分の胸元で激しく脈動するペンダントを握りしめ、ザカライアスを見据えた。
「……ヴィルフリート様が私のために世界を滅ぼすなら、私は私の流す『黒』で、その世界をすべて塗り替え、彼のための新しい居場所を創るだけです」
馬車は再び走り出した。
聖域が近づく。
そこにあるのは、救いか、それとも母が拒んだ「光」の絶望か。
私の肌を、母と同じ名の「光」を吸い込んだペンダントの熱が、静かに、けれど苛烈に灼き続けていた。
「騎士」として振る舞う陛下、最高に苛烈で美しい回となりました。
教会の騎士たちを「一介の騎士」として蹂躙する陛下……。
どれほど立場を変えても、エルゼ様を侮る者への殺意は一滴も薄まらないようです。
そして、明かされた母の本当の名前「リュミエール」。
「光」という名を持つ母が、なぜ「闇(泥)」の魔力を継承するエルゼ様を産み、反逆者となったのか。
聖域に近づくにつれ、エルゼ様の力とペンダントが共鳴を強めていきます。
次回、第21話『陛下、激昂。――「我が妃に触れる法などない」』。
ついに聖域の門をくぐる一行。
そこで待ち構えていたのは、エルゼ様を「罪人」として扱うための、残酷な「聖女認定試験」の舞台でした。
陛下の堪忍袋の緒が、ついに物理的に弾けます!
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