第19話 届いた白い招待状:聖教会の呼び出し
首筋に残る、熱い疼き。
昨夜、ヴィルフリート様が刻みつけた「独占の証」が、冷え込んだ朝の空気の中で静かに主張を繰り返している。
けれど、その甘い残り香をかき消すように、寝宮の扉が激しく叩かれた。
「――陛下! 失礼いたします! 聖教会の使節団が、教皇直筆の『召喚状』を携え、既に大広間に居座っております!」
シモーヌ様の、かつてないほど切迫した声。
私の隣で、まだ私の腰を抱き寄せていたヴィルフリート様が、ゆっくりと、しかし底知れぬ殺気を孕んで瞳を開けた。
「……朝から、うるさい。……エルゼ、もう一度眠れ。私がすべてを灰にしてくる」
「ヴィルフリート様、お待ちください。……相手は教皇様のお使いなのでしょう? 無視をしては、貴方まで窮地に……」
私が彼の腕を掴んで止めようとすると、陛下は私の頬にそっと口づけ、ひどく冷酷で美しい笑みを浮かべた。
「窮地? 笑わせるな。……神が私の腕から君を奪おうとするなら、私は今日、この手で神を殺すまでだ」
◇
大広間は、異常な緊張感に包まれていた。
黒檀の柱が並ぶ威厳ある空間に、場違いなほど真っ白な法衣を纏った男たちが十数人。
その中心に、昨日街で見かけたあの男――ザカライアスが、優雅に、けれど氷のような静寂を湛えて立っていた。
「……皇帝陛下。不躾な時間に失礼いたします。ですが、天の意志は一刻を争うものでして」
ザカライアスは恭しく一礼したが、その瞳はヴィルフリート様を通り越し、背後に控える私を執拗に射抜いた。
「異端審問官、ザカライアス。……貴様の首、今すぐここで撥ねられても文句はないな?」
ヴィルフリート様が玉座に座ることなく、私の肩を抱いたまま彼の前に立つ。
玉座の間全体が、ミシミシと音を立てて凍りつき始めた。陛下の「死の魔力」が、教会の連中が張っている『聖なる結界』を無慈悲に侵食していく。
「おや、ご挨拶ですね。我々はただ、一通の招待状を届けに来ただけだ。……エルゼ・アイゼン殿。貴女を、聖域セント・ルミナスでの『浄化の儀』に正式にご招待いたします」
彼が差し出したのは、銀の封蝋が施された真っ白な封筒。
そこから溢れる「光」の魔力は、私にとって毒のように鋭かった。
「招待だと? ……出頭の間違いだろう。この娘を『異端』として裁くためのな」
「滅相もない。我々はただ、彼女の流す『黒い涙』が、かつて失われた『夜の福音』の一部ではないかと確認したいだけです。……エルゼ殿、貴女の母親について、教会が何を記録しているか……興味はありませんか?」
「……お母様のことを、知っているのですか?」
私は思わず、ヴィルフリート様の腕の中で身を乗り出した。
アステリアでは、母のことは「不吉な娘を産んだ罪人」として、一切の記録が消されていたはずなのに。
「ええ。彼女はただの公爵夫人ではなかった。……彼女は教会の聖域から『何か』を盗み出し、アステリアへ逃げ延びた……稀代の反逆者だったのですよ」
「――それ以上、舌を動かすな」
ヴィルフリート様の指先から、黒い雷が走った。
ザカライアスの目の前で、彼が掲げていた『聖なる結界』がガラス細工のように粉砕される。
背後の司祭たちが悲鳴を上げて後退る中、ザカライアスだけは、頬をかすめた衝撃にさえ笑みを消さなかった。
「……陛下、暴力は何も解決しません。……この召喚に応じぬというなら、教会は帝国を『魔女を匿う邪教の国』と断定し、大陸全土に聖戦を布告することになる。……エルゼ殿、貴女は、自分のためにこの美しい帝国が火の海になることを望みますか?」
「…………っ」
卑怯な言葉。けれど、それは今の私にとって最も鋭い刃だった。
私がここにいることで、ヴィルフリート様の愛する国が滅びる。
それだけは、絶対に、あってはならない。
「エルゼ。聴くな。……私が、この男をここで消せば済む話だ」
ヴィルフリート様の手が、私の耳を塞ごうとする。
けれど私は、その大きな手を優しく押し返した。
「……ヴィルフリート様。私、行きます」
「エルゼ!? 何を言っている!」
陛下の赤い瞳が、驚愕と絶望に揺れる。
私は彼を見上げ、生まれて初めて、守られる側ではなく「彼を守る側」として微笑んだ。
「私はもう、泥の中にいた無力な娘ではありません。……貴方が私を、帝国の『心臓』にしてくださった。……だから、今度は私が証明してみせます。私の力が、不吉な呪いなどではないことを」
私は一歩、ザカライアスの前へ進み出た。
首筋の「刻印」が、熱く脈打つ。
「ザカライアス様。その招待、お受けいたしますわ。……ただし、条件があります」
「ほう。条件とは?」
「ヴィルフリート様を、私の騎士として同行させること。……もし彼を拒むなら、私は今ここで、この命を絶ちます。……私の死と共に、貴方たちが求めている『世界の心臓』は、永遠に失われることになるでしょうけれど」
ザカライアスの瞳が、初めて驚きに見開かれた。
そして次の瞬間、彼は狂おしいほどの愉悦を浮かべて頭を下げた。
「……素晴らしい。皇帝を『騎士』として従える聖女か。……いいでしょう。聖域への同行を許可します。……三日後、お迎えに上がりましょう」
使節団が去った後、静まり返った広間で、ヴィルフリート様が私を壊れ物を抱くように強く、強く抱きしめた。
「……馬鹿な娘だ。……なぜ、自分から檻に近づくような真似を……」
「……檻ではありませんわ、陛下。……そこは、私たちが新しい世界を創るための、最初の戦場です」
私の胸元で、母のペンダントが、これまでで最も強く、そして暖かく脈動していた。
エルゼ様、ついに「守られるだけ」を卒業し、自らの意志で聖域へ乗り込む決意をしました!
陛下を同行させるという強気な交渉術……アステリアの泥の中にいた頃の彼女からは想像もできない、気高き聖女としての成長に、シモーヌ様と一緒に拍手を送りたくなりますね。
しかし、ザカライアスが漏らした「母親の反逆」という不穏な過去。
聖教会がエルゼ様を狙う本当の理由は、単なる「浄化」ではないことが明らかになりつつあります。
次回、第20話『冷徹なる審問官、ザカライアス』。
聖域へ向かう道中、エルゼ様を奪還しようとする謎の刺客と、陛下による「一歩も近づかせない」過激すぎる守護。
そしてカイルが解析した、ペンダントの「本当の持ち主」の名とは……?
物語は、いよいよ帝国外の広大な世界へと動き出します。
「エルゼ様、強くなったね!」「陛下、聖域で暴れちゃって!」と思ってくださった皆様、ぜひブックマークや評価での応援をお願いいたします!
皆様の応援が、エルゼ様の決意をダイヤモンドより硬くしますわ。




