エピソード98 トー横
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
俺は、まだホストじゃないのかもしれない。
本当のホストなら、
こんなことでいちいち揺れないのだろうか。
誰にもらったシャツでも、
誰と朝を迎えたあとでも、
目の前の姫にはちゃんと同じ顔で笑えるのだろうか。
後ろめたさを優しさにすり替えたりしないで、
もっときれいに、もっと器用に、
全部を仕事として扱えるのだろうか。
でも今の俺には、それができなかった。
ららの指輪も、まおの一時間も、
リコピンの「女の匂いがする」も、
全部が別々のまま胸の中に残っている。
どれかひとつに名前をつければ楽なのに、
どれも営業で、
どれも本音で、
どれも嘘じゃない。
その全部を抱えたまま、
俺はリコピンのグラスに酒を足した。
ホストになったつもりでいた。
でもたぶん、
まだこの街に食われながら、
ホストの形を覚えている途中だった。
そんな折、ボーイから初回へ回るよう言われた。
「奏楽、初回一卓ついて」
「はい」
返事をして立ち上がる。
リコピンに「ちょっと行ってくるね」と言うと、
リコピンはいつも通り軽く手を振った。
「いってらー。浮気してきな」
「人聞き悪いな」
そう返して笑った。
でも、その冗談さえ今日は少しだけ胸に残った。
浮気。
リコピンはもちろん、
そんなつもりで言ったわけじゃない。
ホストクラブの中ではよくある軽口だ。
担当が他の席へ行くことを、
そうやって茶化して笑うだけの言葉。
それなのに、
今の俺には妙に引っかかった。
ららの指輪をつけたまま、
リコピンの席を離れて、
次は初回へ向かう。
それが仕事だ。
それがホストだ。
そう頭ではわかっているのに、
足元だけ少しふわついていた。
初回卓には、
二人組の女の子が座っていた。
ぱっと見て、
すぐに歌舞伎町の子だと思った。
たぶん、いわゆるトー横にいるような子たちだ。
ひとりは黒いパーカーの袖を手の甲まで伸ばしていて、
髪は少し傷んだ明るめの色だった。
目元だけやけに濃くて、
笑う前から少し疲れているような顔をしている。
スマホを握ったまま、
店の中を警戒するみたいに見ていた。
もうひとりは、少し違った。
年は近そうなのに、
身なりだけが妙に綺麗だった。
派手ではない。
むしろ落ち着いている。
でも、着ている服の生地がたぶんいい。
安い店で適当に買った服じゃなくて、
ちゃんと選ばれた服に見えた。
バッグも靴も、
主張は強くないのに、
全体としてまとまっている。
この子もトー横にいるのか、
と思うと、少しだけ不思議だった。
でも、そういう子もいる。
家がないように見える子ばかりが、
居場所をなくしているわけじゃない。
綺麗な服を着て、
ちゃんとした家に帰れそうな顔をしていても、
夜の街に流れてくる子はいる。
「初めまして、奏楽です」
いつも通りの声を出す。
笑う。
席に入る。
グラスを見て、
空気を見て、
二人の距離感を見る。
黒いパーカーの子は、
少し斜に構えていた。
綺麗めの子は、
むしろこっちをじっと見ていた。
夜に慣れているふりをしているのはパーカーの子のほうで、
でも本当に何を考えているかわからないのは、たぶん綺麗めの子のほうだった。
「え、名前かわい」
パーカーの子が、
気だるそうに笑った。
「名前だけ?」
「顔も、まあまあ」
「そこは嘘でもかっこいいって言ってよ」
そう返すと、パーカーの子は笑った。
綺麗めの子は、
少し遅れて口元だけ笑う。
その遅れ方が、
妙に印象に残った。
「二人は友達?」
「まあ、そんな感じ」
パーカーの子が答える。
「そんな感じってなに」
「トー横で知り合った」
「あ、言っちゃうんだ」
「隠すことでもなくない?」
「まあね」
俺は水割りを作りながら、
綺麗めの子のほうを見る。
「君も?」
「うん」
短い返事だった。
声は小さかったけど、
弱い感じではない。
むしろ、
必要以上に自分を出さないようにしている声だった。
「名前は?」
「……エマ」
「エマちゃんね」
そう言うと、
エマは軽く頷いた。
パーカーの子は、
みりあと名乗った。
みりあはよく喋った。
歌舞伎町にはよくいるらしく、
どのコンビニの前に誰がいるとか、
どこのカラオケが安いとか、
そういうことをやけに詳しく話した。
エマはその横で、
時々だけ笑う。
笑っているのに、
どこか会話の外側にいるようにも見えた。
「エマちゃんはあんまり喋んないね」
「聞いてるほうが楽だから」
「ホスト来てそれ言う?」
「だめ?」
「だめじゃないけど、俺の仕事がなくなる」
そう言うと、
エマは今度はちゃんと笑った。
大きく笑うわけじゃない。
でも、目元が少しだけやわらかくなった。
その笑い方に、
少しだけ引っかかる。
みりあは、誰がついてもある程度盛り上がるタイプだと思った。
言葉を投げれば返ってくるし、
こっちが少し強めにいじっても笑いに変えられる。
でも、エマは違う。
どこに地雷があるのかがまだわからない。
距離を詰めようとすると、
少しだけ引く。
でも完全に拒むわけでもない。
こっちの言葉を、
ひとつずつ観察してから受け取っている感じがあった。
「ホスト初めて?」
「初めて」
「どう?」
「思ってたより明るい」
「それ褒めてる?」
「たぶん」
「たぶん多いな」
「まだわかんないから」
その言い方が、妙に残った。
まだわかんない。
この店のことも、
ホストのことも、
俺のことも、
たぶん自分自身が何をしに来たのかも、
まだ決めていないような顔だった。
初回の時間は短い。
何人かが入れ替わって、
場はそれなりに盛り上がった。
みりあは途中で別のホストに「顔かわいー」と笑っていたし、
エマも何度かちゃんと笑っていた。
でも、誰かにハマった感じはなかった。
送り指名の時間になっても、
二人は少し困ったように顔を見合わせただけだった。
「どうする?」
みりあがエマに聞く。
「別に、なしでよくない?」
エマがそう答える。
「じゃあ、なしで」
みりあはあっさり言った。
ボーイに確認されても、
二人の答えは変わらなかった。
送りなし。
初回としては、
よくある終わり方だった。
誰かが大きく刺さったわけでもない。
誰かを次に繋げられたわけでもない。
楽しくなかったわけじゃないけど、
特別でもない。
そういう、
歌舞伎町では毎日いくらでもある初回のひとつ。
「今日はありがとね」
俺がそう言うと、
みりあは軽く手を振った。
「まあまあ楽しかった」
「まあまあかよ」
「褒めてる」
「下手すぎ」
みりあは笑って、
先に席を立つ。
エマは少し遅れて立ち上がった。
その時、一瞬だけ目が合った。
「奏楽さん」
「ん?」
「名前、覚えやすいね」
それだけ言って、
エマは小さく頭を下げた。
「じゃあ、またどこかで」
また来る、ではなかった。
店に来るとも、
連絡するとも言わない。
ただ、またどこかで。
その曖昧な言い方だけを残して、
エマはみりあと一緒に店を出ていった。
俺はしばらく、
その背中を見ていた。
今日は誰にもハマらなかった。
送りもなし。
店の数字としては、
何も残っていない。
それなのに、
綺麗な服を着たエマの、
少し遅れて笑う顔だけが、
なぜか頭に残った。
こういう子が、あとから急に来ることがある。
その時の俺はまだ、そんなことをぼんやり思っただけだった。
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