エピソード97 なーんてね
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
店が営業開始して、一時間弱。
俺はヘルプを回っていた。
月初の店内は、
まだ少しだけ気が抜けている。
それでも営業が始まれば、
やることは変わらない。
グラスを作って、
灰皿を替えて、卓
の空気を切らさないようにする。
そんな中で、
リコピンが来店した。
いつも通りの顔で、
いつも通りみたいに俺を見つける。
その安定感に、少しだけ救われる。
「えー、奏楽。そのシャツかわええね」
「ありがとう。今日おろしたんだよね」
そう言うと、リコピンは少し身を乗り出して、
俺の胸のあたりに顔を近づけた。
「くんくん」
「なにしてんの」
「女の匂いがする!」
心臓が、ほんの少しだけ嫌な音を立てた。
けれどリコピンは、すぐに笑った。
「なーんてね」
その「なーんてね」が早かったことに、
ばれないように胸をなでおろす。
冗談だ。
たぶん、ただの冗談だ。
そう思うのに、
指輪の感触と、
ららがこのシャツを選んでいた時の顔が、
急に頭の中で重なった。
女の勘はこわい。
根拠なんて何もないはずなのに、
こういう時だけ、妙に核心の近くを通ってくる。
「女の匂いってなんだよ」
「なんとなく」
「怖いこと言うなよ」
「だって今日ちょっと違うもん」
リコピンはそう言って、
何気ない顔でグラスに手を伸ばした。
今日ちょっと違う。
その言葉も、
軽いようで少しだけ引っかかった。
シャツが新しいからなのか。
昨日から今朝にかけて、
自分の中で何かが変わってしまったからなのか。
たぶんリコピンは、
そこまで深く考えて言っているわけじゃない。
でも、こっちに隠しているものがあると、
何気ない一言まで勝手に意味を持ち始める。
「似合ってる?」
「似合ってるよ。ちょっとちゃんとして見える」
「ちょっとかよ」
「うん。ちょっと」
そう言って、リコピンは笑った。
いつも通りの笑顔だった。
その笑顔を見て、俺も笑う。
ちゃんと笑えていたと思う。
でも胸の奥では、
まださっきの一言が小さく残っていた。
女の匂いがする。
なーんてね。
その冗談を、冗談として受け取れない自分が、
少しだけ後ろめたかった。
その後ろめたさを埋めたいのか、
今日はいつもよりリコピンとの距離が近い気がした。
自分でも、それがわかった。
いつもなら少し流すところで、もう一言返す。
いつもなら軽く笑って終わるところで、
少し長く目を見る。
グラスを作る時も、
話を聞く時も、
どこかでリコピンを安心させようとしている自分がいた。
安心させたいのか。
それとも、自分が安心したいだけなのか。
たぶん、後者だった。
リコピンは何も知らない。
ららがこのシャツを選んだことも、
昨日の夜のことも、
指輪のことも、
俺がそのまま別の姫の前に座っていることも、
何も知らない。
知らないまま、いつも通り来てくれて、
いつも通り笑って、いつも通り俺のことを見てくれている。
その無邪気さみたいなものが、少しだけ痛かった。
「今日、優しいじゃん」
リコピンが、ふいにそう言った。
「いつも優しいだろ」
「んー、今日はなんか違う」
まただ。
リコピンは、たぶん何もわかっていない。
わかっていないはずなのに、
こういう時だけ、
言葉が変なところに刺さってくる。
「締め日終わったからじゃない?」
「そうかなあ」
リコピンは納得したような、
していないような顔でグラスを持った。
俺は笑ってごまかす。
ごまかすのも、
だんだんうまくなっている気がした。
ホストは、いろんなものを顔に出さない。
嬉しいことも、後ろめたいことも、
誰かにもらった重さも、
誰かに向けている気持ちも、
全部いったん飲み込んで、
目の前の卓を成立させる。
でも、飲み込んだものは消えるわけじゃない。
胸の奥に残ったまま、
別の優しさになったり、
変な近さになったりする。
今日の俺がリコピンに近いのは、
たぶんリコピンのためだけじゃなかった。
ららへの後ろめたさを、
リコピンへの優しさで薄めようとしている。
そう気づいた瞬間、
少しだけ自分が嫌になった。
それでもリコピンは、
いつも通り笑っていた。
その笑顔に救われながら、
同時に少しだけ傷つけられているような気がした。
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