エピソード92 トライバル
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
ららは起きてからも、
拍子抜けするくらいいつも通りだった。
昨日の夜、
コンビニで買っておいたサンドイッチを二人で分ける。
ホテルの薄いカーテンの隙間から朝の光が入ってきて、
部屋の中だけが妙に生活っぽく見えた。
昨日の夜まであんなに重かった言葉も、
朝になると少しだけ現実の形をしている。
「奏楽は今日出勤?」
「そうだよ。着替えに家帰って、また新宿」
「面倒じゃない? またシャツ買ってあげるよ」
「えー、わるいよ」
「いつも急に泊まりとかにさせてるの、ららだから」
「それはそうか」
二人で少し笑った。
昨日の夜の続きみたいな朝なのに、
ららは変にしんみりしなかった。
彼女になったとか、抱いたとか、
そういうことをわざわざ言葉にし直したりもしない。
そこがらららしかった。
重いことを言う時は、
ちゃんと重く言うくせに、
その翌朝まで同じ重さでこっちを縛ったりはしない。
ホテルを出て、原宿へ向かった。
タクシーの中で、
ららは窓の外を見ながら特に何も言わなかった。
俺も、何を話せばいいのかわからないまま、
ただ隣にいるららの横顔を見ていた。
昨日までと何が違うのかと聞かれたら、
うまくは答えられない。
でも、違うことだけはたしかだった。
着いたのは、
前に一度一緒に来たアクセサリー屋だった。
「あれ、ここ?」
「うん。付き合った記念に指輪ほしくて」
そう言って、
ららはすたすたと店の中へ入っていった。
少しも迷いがない。
その後ろ姿を見ながら、
ああ、この子はたぶん昨夜の焼肉屋の時点で、
もうここまで決めていたんだろうなと思った。
店の中に入ると、
ららはまっすぐショーケースの前で立ち止まった。
もう欲しいものを決めていたのか、
強面の店員にすぐ声をかけて、
ひとつのリングを取り出してもらう。
「これ、どう?」
見せられたのは、
二本のシルバーリングが重なるような形になっていて、
その間にトライバルみたいな模様が入っているデザインだった。
無骨なのに少し繊細で、
たしかにららが好きそうだった。
かわいいより、少し尖っていて、
でもちゃんと意味がありそうなもの。
そういうのを選ぶところも、ららっぽい。
「ららっぽいね」
「でしょ」
「前から決めてた?」
「うん、ちょっとだけ」
「ちょっとじゃないだろ」
「まあまあ」
そう言いながら、
ららは店員にサイズを聞かれて、
自分の指に軽く当ててみる。
真剣な顔で選んでいるのに、
その横顔はどこか嬉しそうで、
そのことが少しだけ胸にくる。
「奏楽もつけてみて」
渡されたリングを指にはめる。
ひんやりした金属の感触が、
少しだけ現実味を持って残る。
昨夜のことも、
彼女という言葉も、
まだどこかふわついていたのに、
こうして形があるものをつけると急に逃げ道がなくなる。
「どう?」
「……似合う」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあこれにしよ」
即決だった。
値段を見ても、ららはまったく迷わなかった。
俺が「いや、出すよ」と言うより先に、
財布を開いていた。
「いや、待って、これは出すよ」
「いいよ」
「でも」
「付き合った記念に欲しいの、私だし」
「それでも悪いって」
「悪いとかじゃなくて、私が払いたいの」
「……」
「こういうの、ちゃんと形にしたいから」
その一言で、
もう止められなかった。
彼女にしてほしいと言ったことも、
仕事を変えることも、
抱いてほしいと言ったことも、
全部ららの中では一本に繋がっているんだと思った。
曖昧なままじゃ嫌なんだ。
気持ちだけで浮いている状態のまま、
何か大きいものを背負うのが怖いんだと思う。
だから名前をつけるし、形にするし、
目に見えるものにしていく。
ららはそのまま会計を済ませた。
俺は横で見ていることしかできなかった。
情けない気もしたし、
止められない自分が少し悔しくもあった。
でも同時に、
ららがこれを自分で選んで、
自分で払うことにも意味があるんだとわかった。
受け取った小さな箱は思っていたより軽かったのに、
その中身だけが妙に重い気がした。
ららは店を出てすぐ、
その場で箱を開けた。
待ちきれないみたいに、
自分のリングを指にはめて、
それから俺のほうを見る。
「つけて」
「ここで?」
「今がいい」
そう言われて、
俺は箱からリングを取り出した。
ららの指に触れる。
昨日の夜、何度も触れたはずなのに、
こうして昼の光の中で、
指にリングを通すほうがずっと緊張した。
金属がするりとはまる。
その瞬間、ららが少しだけ笑った。
「うれし」
「そんなに?」
「うん。思ってたよりちゃんと嬉しい」
それを聞いて、
俺も自分の指にリングをはめる。
シルバーの感触が馴染まない。
似合ってるのかもわからない。
でも、嫌じゃなかった。
むしろ、違和感ごとちゃんと覚えておきたい気がした。
原宿の人通りの中で、
俺たちはたぶん少しだけ場違いだった。
カップルなんていくらでもいる街なのに、
自分たちだけが変に輪郭を持っている気がした。
「奏楽」
「ん?」
「なくさないでね」
「なくさないよ」
「絶対?」
「絶対」
「ならいい」
そう言って、
ららは満足したみたいに自分の指を見た。
その横顔を見ながら、
昨日の夜に受け取ったものの意味が、
また少しだけ増えた気がした。
ららは言葉だけじゃ足りないんだ。
仕事を変えることも、
抱かれることも、
彼女になることも、
こうして指輪をはめることも、
全部、自分の中で揺れないために必要なんだと思う。
それは重いのかもしれない。
でも、重いから嫌だとは、
もう思わなかった。
むしろその重さの中でしか、
ららは安心できないんだとしたら、
俺はその一部をちゃんと持たないといけないんだろうと思った。
「似合う?」
「うん。めっちゃららっぽい」
「奏楽も悪くないよ」
「悪くないってなんだよ」
「ちゃんと彼氏っぽい」
その言い方に、少しだけ笑った。
彼氏っぽい、
なんて曖昧な言い方なのに、
その一言だけで不思議と現実味が出る。
昨日の夜のことも、
今朝のサンドイッチも、
原宿のアクセサリー屋も、
全部がやっとひとつの線で繋がった気がした。
それでも、
指輪の光を見つめるららの横顔には、
まだどこか急いでいる人間の顔が残っていた。
たぶんこの子は、安心したいんだと思う。
明日から始まることの前に、
ひとつずつ、自分が揺れないための証拠を増やしている。
そのことがわかるぶんだけ、
指にはめたリングは、見た目よりずっと重かった。
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