エピソード90 明日から茨城
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
新宿に着く手前で、ららからLINEが来た。
「今日ご飯いけない?」
答えはひとつしかなかった。
「いいよ、新宿でいい?」
送ると、すぐに既読がついた。
「うん、ついたら教えて」
電車の窓に映る自分の顔を、
もう一度見た。
群馬から戻ってきた顔のまま、
今度は新宿でららと会う。
数時間前までまおと群馬のカフェで向かい合っていたのに、
今はもう別の女の子とご飯の約束をしている。
それが今の自分の生活なんだと思った。
感情がひとつにまとまる前に、
次の予定が入ってくる。
誰かのことを引きずったまま、
別の誰かに会いに行く。
区切りなんてないまま、
夜の予定だけが先に決まっていく。
新宿駅に着く。
ホームに降りた瞬間、
群馬で吸っていた空気が一気に遠くなった。
人の多さも、雑音も、歩く速さも、
全部がこっちのほうが強い。
少し前まで、まおがいる街にいたはずなのに、
それがもう何日も前のことみたいに思えた。
「着いたよ」
そう送ると、ららからすぐに返事が来る。
「西口いる」
改札を抜けて、
人の流れをかき分けながら西口へ向かう。
歌舞伎町とはまた少し違う、
新宿の夜の入口みたいな空気があった。
スーツ姿の男、買い物帰りっぽい女の子、
これから飲みに行く感じの集団。
その中に混じって歩きながら、俺は少しだけ考える。
まおと会ったあとに、ららと会う。
順番がおかしいのか、
今さら普通なのか、
自分でもよくわからなかった。
西口に出ると、ららはすぐ見つかった。
スマホを見ながら立っていて、
俺に気づくと小さく手を振る。
電話の時と同じ、
やわらかい空気をまとっていた。
店の中で会う時ともまた少し違う。
ららはいつも、
店の中と外で温度差がありすぎるわけじゃない。
でも、それでもやっぱり外で会うと少しだけ輪郭が違って見える。
「ごめん、急に」
「全然。どうしたの」
「一人で食べたくなくて」
「そうなんだ」
それ以上は聞かなかった。
ららがそういう言い方をする時は、
たいてい少しだけ気持ちが沈んでいる。
明るく話せる時はもっと軽い誘い方をするし、
逆に何かを隠したい時は、
わざとふざけた言い方をする。
今日はそのどっちでもなかった。
「どこ行く?」
「決めてる」
「どこ?」
「タクシー乗ろ」
そう言ってららはタクシーを拾い、
運転手に住所を伝えた。
着いたのは住宅街だった。
大きめの一軒家に見える建物で、
よく見ると小さく看板が出ている。
中に入ると、
そこは本当に二階建ての家のリビングみたいだった。
ただ、六つほどのテーブルがあり、
それぞれがパーテーションでゆるく区切られている。
テーブルにはグリルが埋め込まれていて、
ようやく焼肉屋なんだとわかる。
店員に「一階と二階、どちらにしますか」と聞かれると、
ららは迷わず「二階で」と答えた。
二階は四部屋だけの完全個室だった。
そのうちの二番目の部屋に案内され、
向かい合って座る。
すると、ららは小さく息を吐いた。
その顔を見て、少しだけ安心する。
まおと会ったあとのざわつきは、
まだ消えていない。
でも、ららが目の前にいると、
今度は別の種類の空気になる。
営業でもあるし、それだけじゃない。
そういう曖昧な距離感の中で、
俺はまた別の顔を作らないといけない。
「なんか疲れてる?」
「そう見える?」
「ちょっと」
「今日、移動が多くて」
「なにそれ、営業?」
「まあ、そんな感じ」
嘘ではなかった。
でも、本当でもなかった。
ららはそれ以上は聞かずに、
「そっか」とだけ言った。
その言い方がやけにやさしくて、
少しだけ困る。
こういう子は、
詰めてこないぶん、
勝手にこっちが救われそうになる。
店員が来て飲み物を頼む。
ららは少し考えてから、
いつもより弱いものを選んだ。
「今日あんまり飲まないの?」
「うん、そんな気分じゃないかも」
「珍しいじゃん」
「たまにはあるよ」
そう言って笑った顔も、
少しだけ薄かった。
たぶん今日は、俺だけじゃなく、
ららも何かを抱えている。
でもその内容をすぐに聞くのは違う気がした。
まずはこうして、
ご飯を食べて、
他愛のない話をして、
そのうち向こうが話したくなったら話す。
それくらいの距離のほうが、
ららとはうまくいく。
「新宿、やっぱ落ち着く?」
「悔しいけどね」
「私もそう」
「田舎もいいけどね」
「そうね。私、明日から茨城だし」
「ん? どゆこと?」
「奏楽のためだよ」
ららはそう言って、
少しだけちゃんと笑った。
その笑みの裏側がわからなくて、
少し怖かった。
「なにしにいくの?」
「もちろん仕事だよ」
「こっちじゃだめなの?」
「だめではないけど、条件とかいろいろ考えたら茨城になったって感じ」
「条件って?」
「ソープで働くの。仕事」
その一言だけ、うまく音にならなかった。
「え、なんで?」
「なんでって、前の仕事じゃ奏楽を支えられないと思ったからだよ」
その瞬間、
さっきまで向かい合っていたららの輪郭が、
少し別のものに見えた。
やわらかく笑って、電話では眠そうな声で、
店の中でも外でもどこか落ち着いて見えるこの子が、
そんなふうに自分の先のことを決めていた。
その理由の中に、
俺の名前を入れていた。
胸の奥が、
嫌な感じにざわついた。
嬉しい、ではなかった。
重い、だけでもなかった。
ただ、自分が思っていたよりずっと、
誰かの人生の中に入り込んでしまっている気がした。
ららは平気みたいな顔で水を飲む。
その顔が、逆に苦しかった。
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