エピソード105 始まりの音
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
るなは席に座ってからも、店内を細かく見回していた。
天井の照明、
壁の装飾、
ボトルが並ぶ棚、
行き交うホストたち。
ひとつひとつを確認するみたいに目で追って、
思わず小さく声を漏らす。
「おー」
その反応が素直すぎて、
少し笑ってしまった。
「どうかな。初めてのホストクラブ」
そう聞くと、
るなはまだ店内を見ながら言った。
「綺麗で、みんなかっこよくて……友達がはまるのもわかる気がします」
「気に入ってくれてよかった」
そう微笑みかけると、
るなは少し照れたように目を伏せた。
喫煙所で急に「姫にしてください」と言ってきた時の勢いは、今日はまだない。
代わりに、初めて来た場所をちゃんと受け取ろうとしている緊張と好奇心があった。
俺はメニューを開いて、
料金のことを軽く説明した。
「最初にこのセット料金があって、
飲み物はここから選べる。
最初は無理しなくていいからね」
「これが最低料金ですか?」
「そう。ここに俺とかヘルプの飲み物を入れると、その分が乗る感じ」
「なるほど……」
るなは真剣に頷いていた。
こういう説明をしている時、
少しだけ現実に戻る。
ホストクラブは夢みたいな場所に見えるけど、
ちゃんと金額がある。
楽しさにも値段がついていて、
その値段を払うかどうかを、
女の子たちは毎回ちゃんと決めている。
だからこそ、
最初の子にはちゃんと説明したかった。
勢いだけで飲ませるのではなく、
わかった上で楽しんでほしい。
「飲み物はどうする?」
「奏楽さんは、何が好きなんですか?」
「俺?」
「はい。初めてなので、おすすめで」
そう言われて、
少しだけ嬉しくなる。
こういう小さな任され方が、
思っていたより胸に残る。
「じゃあ、今日は飲みやすいやつにしよっか。
最初から強いのいくと、たぶんびっくりするし」
「優しいですね」
「初回案内係だからね」
「テーマパーク感、まだありますね」
そう言って、るなが笑った。
その笑顔を見て、少しだけ安心した。
今日はまだ、数字の話よりも先に、
この子に「楽しい」と思ってもらうこと。
それが、今の俺にとって一番大事なことだった。
すると、「失礼します」と花音さんがヘルプに来てくれた。
実はさっき、
バックヤードで頼んでおいた。
今日は初めて指名で来る子がいるから、
一緒に盛り上げてほしい、と。
るなにとって、今日は初めてのホストクラブだ。
俺と二人でゆっくり話す時間ももちろん大事だけど、
店全体の楽しさもちゃんと味わってほしかった。
ひとりの担当だけじゃなく、
ヘルプが入って、空気が広がって、
会話が転がっていく感じ。
それも、ホストクラブの面白さだと思う。
正直、もう少し二人だけで話したかった。
るなが店に入ってきた時の緊張した顔も、
料金説明を真面目に聞く感じも、
思っていたよりずっと新鮮で、
このまま少しだけ独り占めしたい気持ちもあった。
でも、花音さんにも予定はある。
呼べるタイミングで来てもらえるだけありがたい。
「あ、花音さんありがとー」
俺がそう言うと、花音さんはいつものやわらかい笑顔で席に入ってきた。
「初めまして、花音です」
「初めまして、るなです」
るなは少し緊張したように背筋を伸ばした。
その様子を見て、
花音さんがすぐに笑う。
「そんなかしこまらなくて大丈夫だよ。初めてなんだよね?」
「はい。めっちゃ緊張してます」
「大丈夫。そこは奏楽も一緒だから」
「え、そうなんですか?」
るながこっちを見る。
余計なこと言うなよ、と思いながらも、
花音さんのこういう入り方はうまい。
担当を少し持ち上げながら、
女の子の緊張もほどいてくれる。
「まあ、初めて来てくれるって聞いてたからね」
そう答えると、るなは少しだけ嬉しそうに笑った。
「髪まで切ってきちゃって」
花音さんがさらに言う。
「ちょっと」
「え、今日のためにですか?」
るなの目が少し丸くなる。
「まあ、半分くらいは」
「半分なんですね」
「照れ隠しの半分ともいう」
「かわいぃー!」
そう言って、るなは笑った。
その笑い方を見て、花音さんを呼んでよかったと思った。
二人だけだと、俺はたぶん少し丁寧になりすぎる。
初めてだからと気を遣いすぎて、逆に空気が固くなる。
そこに花音さんが入ることで、
ちゃんと店っぽい軽さが生まれる。
「るなちゃん、奏楽のどこがよかったの?」
花音さんが自然に聞く。
「え、急ですね」
「初回だからね。担当の良さ、ちゃんと聞いておかないと」
「担当って、もう言うんですね」
「指名で来たら、もう担当だよ」
その言葉に、るなは少しだけ照れたようにグラスを見た。
担当。
その言葉が、俺の耳にも少しだけ残る。
喫煙所で「姫にしてください」と言ったるなが、
今日はこうして店に座っている。
花音さんに「担当」と言われて、照れている。
その流れが、ちゃんと現実になっていく感じがした。
「奏楽さんは……なんか、優しかったので」
るなは少し迷ってから言った。
「ほう」
花音さんがこっちを見る。
「なんだよ」
「優しいってさ」
「なにか間違いでも?」
「いいえ?」
花音さんが笑うと、るなもつられて笑った。
その笑い声が、
少しずつ店の音に馴染んでいく。
よかった。
るながちゃんと楽しみ始めている。
そう思った瞬間、
胸の奥が少しだけ温かくなった。
売上がどうとか、
次に繋がるかとか、
もちろん考えないわけじゃない。
でも今は、それより先に、
初めてのホストクラブでこの子が笑っていることが、
素直に嬉しかった。
俺はグラスを持ち上げた。
「じゃあ、るなの初ホスト記念で」
「え、なにそれ」
「乾杯」
「雑」
「でも記念でしょ」
るなは少し笑ってから、
グラスを持った。
花音さんも一緒にグラスを上げる。
「初ホスト、ようこそ」
三つのグラスが軽く触れた。
その音は小さかったけど、
俺にとっては、ちゃんとひとつの始まりの音に聞こえた。
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