エピソード100 才能
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
着いたのは、個室の焼肉屋だった。
「好きなの食べてください」
麗はそう言って、メニューをこっちに向けた。
「いや、急に先輩っぽいな」
「先輩ですからね」
「それはそうだけど」
麗は少し得意そうに笑った。
その顔を見て、少しだけ力が抜ける。
営業後の歌舞伎町の空気を吸いすぎたあとに、
こうして個室に座ると、
店の中の音が急に遠くなる気がした。
テーブルには焼き台が埋め込まれていて、
換気扇の低い音だけが静かに鳴っている。
ららと行った焼肉屋の個室とは、
また違う雰囲気だった。
あの時は、これから何かが始まる前の重さがあった。
今は、営業が終わったあとに、
やっと先輩と普通に話せる場所みたいに見えた。
「今日、りこちゃんだけでした?」
「りこ? リコピンのこと?」
「はい。りこちゃんだからリコピンじゃないんですか?」
「あー、全然本名は違うんだよね。トマトが好きだからリコピン」
「そっちかー」
まさかの由来に、麗は少し目を大きくしていた。
「毎出勤来てくれるの、でかいですね」
「そうなんだよ。ありがたい」
「もう一人くらい、そういう子がいるとベースの売上として安定するんですけど」
「もう一人かー。なかなか難しいよね」
そう言うと、麗はメニューを見ながら頷いた。
「派手にドンって使う子ももちろん大事なんですけど、
毎月ちゃんと来てくれる子は才能ですから」
「才能」
「はい。そこがある人は崩れにくいです」
麗はさらっと言ったけど、その言葉は妙に残った。
才能。
締め日で見た高額のコールも、
春さんの卓のリシャールも、
麗の卓の熱も、全部眩しかった。
でも、そこだけを見ていると、
足元のことを忘れそうになる。
リコピンが来てくれること。
めろが早い時間に来てくれること。
ららが二十を「しか」と言って持ってくること。
まおが七を作るために、どれだけ自分を削っていたか。
そういうものが全部、土台なのかもしれない。
「奏楽さん、最近ちょっと焦ってますよね」
麗は肉を選びながら、何気ない感じで言った。
「わかる?」
「わかりますよ。顔に出てます」
「ホスト失格じゃん」
「いや、今はそれでいいんじゃないですか」
「いいの?」
「二か月目で焦らないやつのほうが、俺は怖いです」
麗は店員を呼んで、慣れた感じで注文した。
タン塩。
ハラミ。
上ロース。
あとライス。
「飯までちゃんと食うんだ」
「食いますよ。営業終わりの肉と米は正義です」
「若いな」
「奏楽さんも若いでしょ」
そう言って笑いながら、
麗はレモンサワーを飲んだ。
その空気が、少しだけありがたかった。
今日一日、感情がずっと忙しかった。
ららを見送って、
リコピンの席について、
初回を回って、エマの顔が少し残って、
またリコピンに戻って。
その全部を、ひとりで持ったまま帰るには、少し重かった。
「麗ってさ」
「はい」
「前に、最初は売上三十から五十くらいだったって言ってたじゃん」
「ああ、言いましたね」
「あれ、どうやって抜けたの」
「急に本題ですね」
麗は少し笑った。
でも、その笑い方はごまかす感じではなかった。
「んー、俺の場合は時間かかりましたよ」
「時間?」
「はい。最初の一年くらいはずっと三十から五十くらいで、正直、向いてないと思ったこともありました」
「麗でも?」
「ありますよ。五年以上やってたら、売れた月もあるし、落ちた月もあるし、姫が飛んだ月もあります」
「……」
「ずっと右肩上がりの人なんて、たぶんほとんどいないです」
そう言われて、少し黙った。
「それに、五年前は今より全然荒かったですしね」
「荒かった?」
「暴力とかも普通にありました。
先輩に詰められるとか、卓で潰されるとか。
今はまだだいぶマシです」
「そうなんだ」
「だから、売れない時期って数字だけじゃなくて、
店にいるだけでしんどい時もありましたよ」
俺の中で麗は、最初から売れている側の人だった。
最初から夜の世界に馴染んでいて、
最初から姫を引っ張れて、
締め日の熱の中心に立てる人なんだと思っていた。
でも違った。
五年以上の中に、ちゃんと低い月も、
折れかけた時期も、踏ん張った時間もある。
今の麗は、その全部を通ってきた先にいる。
そう思うと、
目の前の先輩が少し違って見えた。
そこへ肉が運ばれてきた。
麗はトングを持って、
タンを焼き台に並べる。
じゅう、と音がして、
個室の中に脂の匂いが広がった。
「ホストって、急に売れたように見える人いるじゃないですか」
「いるね」
「でも、ほんとに急なことってあんまりないと思います」
「そうなの?」
「たぶん。水面下ではずっと何かが溜まってるんですよ。
連絡とか、店での時間とか、相手の生活の中にどれだけ入ってるかとか」
「生活の中に」
「はい。店に来てる時だけじゃなくて、その子が店にいない時間に、どれだけ奏楽さんのこと考えてるか」
その言葉に、少しだけ手が止まった。
まおの顔が浮かぶ。
ららの指輪が浮かぶ。
リコピンの「女の匂いがする」が浮かぶ。
麗はそんな俺の反応に気づいたのか、
気づいていないのか、焼けたタンを皿に乗せた。
「だから、焦ってすぐ結果にしようとすると、逆に壊れたりします」
「……最近、それちょっとわかる」
「でしょ」
「でも待つのも難しい」
「難しいですよ。待つのも営業ですから」
待つのも営業。
その言葉が、妙に重かった。
るなに店来てと急かさなかったこと。
まおに店の外を無理に迫らなかったはずなのに、
結局群馬まで行ってしまったこと。
ららの重さを受け取ると決めたこと。
全部、待つとか、待てないとか、
その境目の話だった気がした。
「奏楽さんは、優しいから売れると思います」
「優しい?」
「はい。でも、その優しさで自分が壊れないようにしたほうがいいです」
「……」
「あと、優しいだけではだめです」
その言葉は、少しだけ鋭かった。
「それ、先輩っぽい」
「先輩ですから」
麗はそう言って、肉を口に入れた。
俺もタンを食べる。
ちゃんと美味しかった。
美味しいと思えたことに、少しだけ安心した。
「あと」
「ん?」
「自分が誰を大事にしたいかは、ちゃんと決めたほうがいいです」
「……」
「全員を同じ熱で見ようとすると、たぶん無理です」
「それは、営業的に?」
「営業的にも、人間的にも」
麗の声は軽くなかった。
「姫って、みんな違うじゃないですか。使い方も、求めてることも、傷つく場所も」
「うん」
「だから、全員に同じ顔してるつもりでも、たぶん相手にはバレます」
「怖いな」
「怖いですよ。女の子、普通に怖いです」
「それは今日思った」
リコピンの顔が浮かんだ。
くんくん。
女の匂いがする。
なーんてね。
ただの冗談だったはずなのに、今も胸の奥に残っている。
「でも、だからこそ、嘘をつかないっていうより、雑に扱わないことが大事なんだと思います」
「雑に扱わない」
「はい。全部本気です、みたいなのは無理でも、その子がくれたものを雑にしない」
その言葉で、ららのシャツの紙袋が浮かんだ。
指輪の重さも。
まおの七万も。
リコピンのテキーラも。
全部、雑にしたくないものばかりだった。
でも、雑にしたくないものが増えるほど、自分の中はどんどん複雑になっていく。
「ホストって大変だね」
「今さらですか」
「今さらかも」
「でも奏楽さん、向いてますよ」
「そうかな」
「向いてなかったら、そんな顔してないです」
「どんな顔?」
「しんどそうだけど、やめる気はなさそうな顔」
麗はそう言って笑った。
たしかに、そうかもしれない。
しんどい。
重い。
怖い。
後ろめたい。
でも、やめたいとは思っていない。
むしろ、もっと上に行きたいと思っている。
その矛盾が、今の自分の形なんだと思った。
肉を焼く音だけが、少しのあいだ個室に響いた。
麗はトングでハラミを返しながら、何気ない声で言った。
「来月、百超えましょう」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないから言うんですよ」
「なるほど」
「奏楽さんならいけます」
「根拠は?」
「なんとなく」
「一番信用できないやつ」
「でも、俺のなんとなく結構当たりますよ」
そう言って、麗は笑った。
俺も少し笑った。
その笑いが、今日初めて少しだけ軽かった。
ららの重さも、まおの線も、リコピンの勘も、エマの遅れた笑顔も、全部消えたわけじゃない。
でも、麗と焼肉を食べながら、少しだけ思った。
この重さを全部ひとりで持とうとしなくてもいいのかもしれない。
先輩には、先輩の見てきた夜がある。
その中で言ってくれる言葉が、
今の俺には少しだけ道標みたいに見えた。
よんでいただきありがとうございます。
感想、評価、レビュー思ったままにお願いします。
いただいた方にはお返ししに行きます。
ブックマークしていただけるよう謹んでまいります。
今後とも長いおつきあいをよろしくお願いします。




