第9話 王道の青春
「おい咲良」
現れたのはリオである。
手にしっかりと卓球のラケットを握りしめ、相変わらずの絶望的な空気の読まなさを発揮していた。
「…リ、リオ…。なんでここに……!」
「ふっ、お前のストーキングだ。って、天井からぶら下がっているのは那須部長か? 頭に血が上らんのか?」
「……あ、あんたこの状況を見てわからないの?」
「部長、羽化でもするのか?」
(……駄目だこいつ)
「くくく、邪魔をするな虫ケラが!貴様も餌にしてくれるわ!!!」
刺客はリオに向けて無数の鋭い粘糸を放った。
しかし、リオは微動だにせず、ただ真剣な目で飛んでくる糸を見据えた。
「ふむ……なるほど。その糸は力で押しても、弾力で全部吸収される仕組みだな。我も少しは学んだぞ」
リオはすっと構えを取り、咲良から教わった(と本人が勝手に勘違いしている)教えを思い出す。
——『力任せに打つな。力を抜いて、回転をかけろ』と。
「咲良が教えてくれたあの日の教え……今こそ見せてやろう!」
リオの腕がしなり、ラケットが異次元の軌道を描いた。
放たれたのは、力みゼロの、しかし宇宙の物理法則を少し無視したような「超高速ドライブ回転」!
——ズゴゴゴゴゴゴゴッ!!
リオのラケットから放たれた目に見えないほどの猛烈な回転の風圧が、部室中に張り巡らされた女郎蜘蛛の「粘糸」の結界を直撃した。
「なにをしている?そんな無駄な――」
刺客が嘲笑おうとした瞬間。
バチバチバチッ! ブォーーーッ!!
「なっ……!? うそ、私の『傀儡の粘糸』が……勝手に吸い寄せられていく……!?」
衝撃吸収のクッション性能が裏目に出て、リオの放った超スピンの強力な引力に対し、
蜘蛛の巣の弾力がすべての糸をゴムパッチン状態ですべて引き寄せてしまった。
部室中の粘糸が、まるで巨大な綿あめを作る機械のように、
リオのラケットと腕を中心に、ものすごい勢いでぐるぐる、ぐるぐる、猛烈なスピードで巻き取られていく。
「あ、れ……? 体が……引っ張られる……!? 止まらない、目が、目が回るぅぅぅ――っ!!」
糸の端を握りしめていた女郎蜘蛛の刺客は、逃げる間もなく自らの糸の巻き取りに引っ張られ、コマのように激しく回転しながら部屋中を引きずり回された。
グルグルグルグル……ドンッ!!
「ぎゃああああ――っ!!」
凄まじい遠心力で壁に激流のごとく叩きつけられ、女は盛大な音を立てて気気絶し、白目を剥いて崩れ落ちた。
天井から吊るされている那須部長も、糸の巻き取りに連動して一緒に高速回転し、口から泡を吹き出している。
静まり返った部室。
そこには、刺客が気絶して転がっており、大量の糸が綺麗に(そしてコンパクトに綿あめ状に)巻き取られていた。
リオは「ふぅ」と息を吐き、ラケットを構え直しながらドヤ顔で言い放った。
「ふっ……暴力を力でねじ伏せるのではなく、優しく糸を丸め込む『手加減の回転』。見事であったろう、咲良!」
地面に縛り付けられたままの咲良は、脱力しきった目でリオを見上げている。
「ち、ちょっと…私を助けたらどうなのよ?」
「助ける? 咲良は何も攻撃を受けておらんではないか」
「……なんでわかるの?」
「我の眼は竜眼、あだち充先生のキャラの描き分けを容易に見抜く眼だ。どんな幻術も我には通じぬ」
「あら。そう」
咲良はすっと立ち上がりると、蜘蛛の糸がはらりとほどけた。さっきまでの紫色の顔色がウソのように普通の顔色に戻っていた。
「やられたふりして、やっつけようとしてたんだけどな。リオに先越されちゃったね」
(でも、追手が来るなら。もうここにはいられないかもしれない…)
「咲良よ。逃げるのか?」
「…………」
「事情は詳しくは知らぬが、いつまでも逃げ続けられるものでもなかろう」
「…………」
「……逃げるわけじゃない。ただ、これ以上この学校の平和な日常に面倒事を持ち込みたくないだけよ」
「面倒事?」
リオは腕を組み、真剣な眼差しで咲良を見据える。
「そうだ!我が知る限りの青春群像劇において、主人公やそのヒロインが一人で業を背負い、仲間の前から姿を消す展開は、大抵の場合あとで盛大な感動を生むものだ。あだち充作品であれ、王道の少年漫画であれ、そこは一緒に悩み戦うのがセオリーであろうな」
「……誰が漫画のヒロインよ。っていうか、あなたに私の何がわかるっていうの?」
「ふっ、わからん!だが——」
リオはそこで言葉を区切ると、コキリと首を鳴らし、いつものようにどこかズレた、しかし妙にまっすぐなトーンで言い放った。
「卓球台の向こう側にいるパートナーが、勝手に自分ひとりで試合を諦めようとしていたら、同じ部員として、それは見過ごせんと言っているのだ」
「…………」
咲良の胸の奥が、ほんの少しだけ熱を帯びる。
普段なら「何言ってるのよこのバカは」と一蹴するところだが、不思議とその言葉の真っ直ぐさが妙に心に染みた。
(こいつは本当に……どこまでいっても調子が狂うんだから……)
咲良は小さく息をつくと、ふっと柔らかく、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「……そうだね。勝手に試合を放棄して逃げるなんて、九尾の狐の名折れか。それに……」
咲良はちらりと、床で気絶している女郎蜘蛛と、その奥に広がる夕焼けの校庭を見据える。
「ここで逃げたら、こいつら(萬天会)はきっと、別の場所でまた同じことを繰り返す。……だったら、私からカタをつけてやろうじゃない。受けて立つわよ、萬天会」
その瞬間、咲良の背後に揺らめいていた九本の尾の気配が、
迷いを断ち切ったように力強く、黄金色の光をまといながらふわりと揺らいだ。
リオは満足そうに深くうなずく。
「うむ、その意気だ。まずはその天井からぶら下がったままの那須部長をどうにかするとしよう。見苦しい」
「……あ、すっかり忘れてた。ねえリオ、手伝って。あんたがさらに那須部長をぐるぐる巻きにしたんだから」
「よし。では我の『逆回転スピン』で――」
「絶対やめて!! 那須部長が崩壊するよー!!」
「ところで咲良。その姿はどん兵衛の吉岡里帆のコスプレか? 可愛いぞ」
かぁあああああああ。
バッキーン!!!!
顔面が真っ赤になった咲良の蹴りがリオに直撃し、激しく吹っ飛んで行ったのだった。




