第10話 萬天会円座
闇に包まれた、巨大な地下大伽藍。
天井は遥か高く、無数の石柱が闇の奥へと連なっている。
壁面には得体の知れぬ神仏や妖怪の像が刻まれ、燭台に揺れる青白い炎が、その異形の姿を不気味に浮かび上がらせていた。
紺のローブを纏った信者たちが、低く、不気味な経を唱えている。
その中央に設けられた広間では、萬天会の幹部たちが、重厚な円卓を囲んでいた。
「……まさか、あの女郎蜘蛛を取り込んだササ我尼が敗れるとはな……」
重々しい声を発したのは、萬天会の大幹部の一人、巨漢の牛殻であった。
「九尾の狐……。あれほどの妖力を持っていたとは……。ササ我尼の『妖気麻痺毒』すら効かぬとは、にわかには信じがたい」
幹部たちの間に、重苦しい沈黙が落ちた。そのときである。
「……ククク。九尾の力などではございません」
薄闇の奥から、乾いた不気味な声が響いた。
一同が振り返る。
そこに姿を現したのは、年老いた怪僧であった。
頭部には歪んだ僧帽を被り、腹部には巨大な古鏡が埋め込まれている。
その鏡面は、まるで生き物のようにぬらりと光を反射していた。
怪僧の名は、影見坊。
鏡の妖怪・雲外鏡をその身に取り込んだ、萬天会の幹部である。
「影見。何が言いたい?」
牛殻が低く問いかけた。
「我が雲外鏡の眼は、虚飾を剥ぎ、真実を映し出す。あの戦いに何が起きたのか……今、お見せいたしましょう」
影見坊は腹部の古鏡に手をかざすと呪文を唱え始めた。
すると、鏡面に青白い光が宿った。
次の瞬間、広間の中央に巨大な立体映像が浮かび上がった。
そこに映し出されたのは、ササ我尼を打ち倒した謎の男――リオの姿であった。
その手には一本の卓球ラケット。そしてその頭部は、まばゆいばかりに光り輝いていた。
「……こいつが、ササ我尼を倒したというのか?」
幹部の一人が目を細めた。
「左様」
影見坊は厳かに頷いた。
「この男、人ではございません。しかし妖でもない。雲外鏡の真実の光をもってしても、妖気はおろか、邪気すら一切感知できぬのです……!」
幹部たちの顔色が変わった。
妖怪でもなければ、人間でもない。それでいて、ササ我尼を圧倒する力を持つ。
いったい、何者なのか? 影見坊は、さらに声を潜めた。
「……そして、真に恐るべきは、奴の頭部です」
「頭部……?」
「よくご覧なさい」
影見坊が指を動かすと、映像の中のリオの頭部が、ゆっくりと拡大された。
薄暗い大伽藍の中央に、異様な光が満ちていく。
「ぬおおおおっ!?」
牛殻が思わず顔を背けた。
「な、なんという輝きだ! 目が……目が焼かれる!」
「直視できん……! あほどの光量を、頭部だけで放っているというのか!?」
「まさか……高僧の放つ仏光……!?」
幹部たちが次々と目を覆う。中には、思わず合掌する者までいた。
影見坊は、神妙な面持ちで頷いた。
「おそらく、頭部に絶大な霊気を集中させることで、あらゆる精神攻撃や幻術を弾き返す秘術……」
彼は、そこで一度言葉を切った。
「『鏡面頭甲』の構えでございましょう」
「鏡面頭甲……!そのような秘術を!!」
牛殻が息を呑んだ。
「そう考えれば、ササ我尼の幻惑術が通じなかったことにも説明がつきます。あの輝きは、単なる光ではない。精神干渉を拒絶する、絶対的な防壁術なのです……!」
幹部たちは、誰一人として反論できなかった。
「……まだございます」
影見坊が、再び指を滑らせた。今度はリオの手元が拡大される。
赤と黒に彩られた、奇妙な板状の法具。
「そして、これです」
影見坊の声が一段と低くなった。
「奴が手にする、赤と黒の法具……! 表面には、衝撃を吸収する特殊な呪性ゴム。裏面には、摩擦を極限まで高める黒き呪符が張られている……」
「影見…。そ、それは卓球のラケットではないのか?」
牛殻が低く制した。
「ラ、ラケットのわけありませぇぇぇえん!!!」
影見坊がまるで赤子の悲鳴のような声を上げた。
「ササ我尼が赤子のように倒されたのですぞ!!! おそらく我々の概念そのものを超越した法具……」
誰も笑わなかった。いや、笑える者などいなかった。
彼らは今、萬天会の歴史において、かつてない脅威と対峙していたのである。
「ササ我尼の『傀儡の粘糸』結界を、一瞬で巻き取ったのも……!?」
「…左様」
影見坊は即答した。
「奴は、あの法具を用いて粘糸を綿あめのように巻き取り、その遠心力を利用してササ我尼を撃破……」
「なんという……!」
「攻撃と防御を兼ね備え、さらに相手の能力すら利用するとは……!」
「まともに戦って勝てる相手ではない……!」
幹部たちの顔から血の気が引いていく。影見坊の表情にはさらなる恐怖が刻まれていた。
「……しかし、最も不可解なのは、奴の精神構造です」
「精神構造だと?」
「雲外鏡を通じて、奴の脳内を探ろうとしたのですが……」
影見坊は、忌まわしい記憶を振り払うかのように首を振った。
「『ミナミ……アダチ……ミツル……タッチ……カッチャン……シンデルンダゼソレデ』という未知の経文が聞こえるのです」
「な……なんだ、それは?」
「未知の経文……いや、呪詛なのかもしれません。奴はその言葉を脳内で繰り返し、強固な精神障壁を築いていたのです」
「ミナミ……アダチ……ミツル……?」
牛殻が、慎重にその言葉を反芻した。
「南に、足立……? 地名か? 風水の秘法か何かでは……?」
「わかりません……。ただ、あの精神障壁は異常です。雲外鏡の力をもってしても、内部に踏み込むことすらできませんでした」
「精神干渉を拒絶する頭部……。あらゆる攻撃を打ち返す法具……。そして、正体不明の経文……」
別の幹部が、震える声で呟いた。
「いったい、あの男は何者なのだ……?」
誰も答えられなかった。
大伽藍を満たしていた経の声が、いつしか遠く聞こえていた。
萬天会の幹部たちは、今まさに、自分たちが理解できる世界の外側にいる何者かと対峙しているのだと悟り始めていた。
そのとき――。大伽藍の最奥。
幾重もの黒い帳の向こうから、威厳に満ちた声が響き渡った。
「……動揺するな」
たった一言。それだけで、広間を満たしていたざわめきが、ぴたりと止んだ。
幹部たちは一斉に、声の主がいる闇の奥へと顔を向けた。




