第5話 咲良の過去
「なんなのよ。あいつは……」
制服から部屋着に着替え、一人になった途端、抑え込んでいた感情が一気に溢れ出してきた。
頭の中でリフレインするのは、夕闇の路地裏で繰り広げられたあまりにもシュールで、圧倒的だった光景。
――『一切の意に阿らない我が意志……この魂さえあれば、我は無敵で美しい』
――『誰の人生も、誰の心も、他人が縛って良いものではないわ』
「つるっぱげのくせに……なんで無駄に格好いいこと言ってんのよ」
咲良は仰向けになり、天井をじっと見つめた。
(誰の人生も、他人が縛って良いものではない……か)
その言葉が、咲良の胸の奥底にある古い傷に、静かに染み渡っていく。
咲良がなぜ九尾の狐としての正体を隠し、人間界へと逃げてきたのか。
それは咲良の一族を襲ってきた人間の教団から逃げるためだった。
奴らは『萬天会』と名乗り、妖を捕縛してはその能力を自らの法具に変える者たちだった。咲良の両親や仲間もまた、萬天会の奴らに囚われてしまったのだ。
逃げ出した先の人間界。温泉街でふと見かけた、仲良く笑顔で卓球のラケットを打ち合う普通の一家。
あんな風に、家族で仲良く、静かに笑って暮らしたい。
それが咲良の望みであり、卓球部に入ったのもその思い出があったからだった。
(あいつ……竜崎リオって言ったっけ。あいつにはちょっと響いたな……)
自分を縛ろうとした萬天会の刺客を、一撃で吹き飛ばしてくれた圧倒的な拳。そして、「誰も縛るな」という言葉。
(あの後、どうなったんだっけ……)
◇◇◇◇
破砕したアスファルトと土煙が残る夕闇の路地裏で、三人は静かに見つめ合っていた。
――『あんた何者?』
(ハゲが気になって言えなかったけど、やっと聞けた……)
――『我か? 我はただのだるい高校生だ』
(んなわけないでしょ……)
――『妖の百目を取り込んだ萬天会の奴を一撃で倒すなんて、絶対に人間なわけない。というか、私の蹴りを受けてピンピンしてるのもおかしいし』
――『ああ、貴様のあの蹴りか……あれは痺れた……』
――『……はい?』
――『我をあのように蹴り飛ばした女は貴様が初めてだ。自慢ではないが天才の我に手をかける者など竜族も敵の魔族にもおらんかった。あのムチのようにしなる脚、妖力の大きさ。全身に電撃が走ったと言ってもいい……体は無傷ではあるが、心にジンジンとしびれが残っておる。これが恋の始まりというものかもしれん!』
――『…あの』
――『 だから貴様を尾けておったのだ!』
(ストーカー!? そしてそれ本人の前で言う話!?)
――『ち、ちょっと、そんなバカな話より、本当は何者なわけ!!』
――『失礼します』
そこへ、ヴァイスが隣から咲良に静かに声をかけてきた。
――『自らの名前を名乗らず、相手に名前を聞くのは失礼ではないですか?』
――『あ……』
――『しかし、ストーキングしていたのは私たちですので、まずこちらから自己紹介をしましょう』
――『あ……はい』
――『体育館から観察させていただいておりましたが……あなたも人間ではないとの認識でお話しさせていただきます。私たちはドラゴニア王国の竜族でございます』
遠く離れた異界の竜族――。異国の人外を見るのが初めてだった咲良は、思わず目を丸くした。
(確かに、日本の妖とは雰囲気がまったく違う……)
――『私は……』
(こいつらを信頼して正体を明かしていいのだろうか…しかし…)
ふと見るとリオはない髪をかき上げていた。
(こいつは大丈夫か…)
『私は咲良よ。日本の妖――九尾の狐』
◇◇◇◇
咲良は布団をかぶり、ボソリと呟いた。
「ああ…そうだ助けてくれたお礼…。明日学校で会ったら……ちゃんと言った方がいい……かな」
ほんの少しだけ安堵した心持ちになり、咲良はゆっくりと目を閉じた。
「…フフッ」
しかし、夕日の中のつるっぱげのリオの姿を思い出して、思わず笑みがこぼれてしまった。
里を逃げ出して以来、今日初めて、咲良は自然と笑っていたのだった。




