第28話 咲良の想い
「少し待て!!!」
リオが大声を上げた。
「……どうしたの?」
「九尾の両親を取り込んだということは、九×二で、あやつの尾は十八本あるのか?」
「数えてないからわからないわ」
「数えてみよう」
リオは大僧正の背後に生えた無数の尾をじっと見つめた。
「えっ、今それを数えるの!?」
「重要なことではないか?」
(どこが!?)
咲良が心の中で叫ぶ間にも、大僧正の尾はうねうねと動き続けている。
「……動くな。数えられぬではないか」
リオが真剣な顔でつぶやいた。
大僧正のこめかみに、ぴくりと青筋が浮かんだ。
「貴様ら……我を何だと思っておる!!!」
怒りに顔を歪めた大僧正が、リオに向かって踏み出そうとした、その瞬間だった。
「ウネウネと動くなと言っておるだろう!!!!」
リオの拳が大僧正の頬にめり込んだ。
ドゴォン!!!
大僧正の巨体が宙を舞い、地下大伽藍の壁に激突する。壁面の彫刻が砕け、土煙がもうもうと立ち上った。
大僧正は力なく床に崩れ落ちた。
「…………」
咲良は目の前の光景を見つめたまま、口を開けていた。
先ほどまで地下空間を覆い尽くしていた妖気も、壁を揺るがすほどの威圧感も、まるで嘘のように消えている。
「よし。これで数えられるな」
リオは満足そうにうなずくと、大僧正の背後に生えた尾を数え始めた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ……」
「ちょっと待って!!!」
咲良が慌ててリオの前に立った。
「何よ、今の!? あれだけ強そうだったのに、一発で終わり!?」
「うむ。これなら数えやすい」
「そういうことじゃないでしょ!」
リオは咲良の抗議を気にする様子もなく、尾の数を数え続けた。
「……十七、十八。やはり十八本であったな」
そのときだった。
床に倒れていた大僧正の身体が、びくりと動いた。
「……おのれ……よくも……」
全身から黒い妖気が噴き出す。咲良が身構えた。
大僧正の身体がゆっくりと起き上がる。頬は大きく腫れ、白い法衣は破れ、背中の尾もあちこちに折れ曲がっていた。
「我は……萬天会の大僧正……この世の理を変える者……」
「そうか」
リオは大僧正を一瞥すると、ふいに背後を振り返った。
「ヴァイス」
「はっ!」
返事とともに、いつの間にか復活したヴァイスがリオの背後に姿を現した。
「忘れ物センターにあったか?」
「はい。無事に届けられておりました」
ヴァイスは恭しく一礼すると、懐から例の品を取り出した。
「おお! さすが日本だな!」
リオは満足げにそれを受け取った。
「速っ!!!」
咲良が目を丸くした。
「ちょっと待って! いったいどうやって回収してきたのよ!?」
「新大阪まで行っていたのか?」
「そこじゃないでしょ!! ヴァイス、さっきまであんなにボロボロだったじゃない!」
「ご心配には及びません。少々休ませていただきましたので。それに、こちらの方にもご協力いただきました」
ヴァイスが傍らに視線を向けた。
「遅れて申し訳ありませんでした」
そこにはジェット婆やが立っていた。
「婆や!!!」
咲良が驚きの声を上げる。
ジェット婆やは申し訳なさそうに頭を下げた。
「遅参。申し訳ございません。のぞみに負けじと走っておりましたが、、甲子園は兵庫県にございますので、新神戸駅が近いものと思っておりました。
しかし新大阪駅の方が便利だったようでございます」
「最寄りの駅、間違えてたの!?」
咲良が思わず突っ込んだ。
リオは微香空間(北欧の香り)を手にしたまま、うむとうなずく。
「なるほど。では、これで準備は整ったな」
その視線の先では、頬を腫らした大僧正が、怒りに震えながら四人を睨みつけていた。
「き、貴様ら……! まだ我との戦いは終わっておらぬぞ……!」
リオは微香空間(北欧の香り)を咲良に渡した。
「咲良に任せる」
咲良は、手渡された微香空間をじっと見つめた。
「……私が?」
「うむ。そなたの両親は、まだあやつの中におる。そなた自身の手で、決着をつけるがよい」
リオの言葉に、咲良はゆっくりと顔を上げた。
大僧正の身体からは、再び黒い妖気が立ち上り始めていた。折れ曲がった尾が一本、また一本と持ち上がっていた。
「愚かな……! 我が身に取り込まれた者たちは、もはや我と一体なのだ! そなたに何ができる!」
大僧正の声が地下大伽藍に響き渡る。
「お父さんと……お母さんは、本当にそこにいるの?」
咲良は微香空間(北欧の香り)を握りしめたまま、問いかけた。
「もちろんよ! 咲良!!一緒に暮らしましょう」
「昔みたいに一緒に!!」
大僧正の右手と左手が咲良の両親になり声を発した。
「違うわ…」
咲良は首を横に振った。
「お父さんもお母さんも、そんなことを望んでいるはずがない」
「咲良!!!何を言ってるの」
「だって……」
咲良の目に、涙が浮かんだ。
「私の知っているお父さんとお母さんは、私が自分の足で歩いていくことを、誰よりも喜んでくれる人たちだったもの」
幼いころの記憶がよみがえる。
転んで泣いたとき、そっと手を差し伸べてくれた父。
眠れない夜、優しく抱きしめてくれた母。
人間に恐れられ、森の奥で孤独に過ごしていた日々も、二人はいつだって咲良のそばにいてくれた。
「私を守るために、二人はずっと戦ってくれた……。だから今度は、私が二人を助ける番なの」
咲良は一歩、前へ踏み出した。
「お父さん。お母さん。聞こえているなら、答えて」
その声に呼応するように、大僧正の胸元がかすかに光った。
「咲良……」
か細い声が聞こえた。
「お母さん……?」
「咲良、もういいのよ……」
母の声だった。
「あなたは、もう十分頑張ったわ」
続いて、父の声が響く。
「私たちのことは忘れて、自分の人生を生きるんだ」
「いやよ……!」
咲良の頬を涙が伝った。
「忘れられるわけないじゃない! ずっと会いたかったんだから……!」
「咲良……」
「でも、私はもう子供じゃない。だから……今度は私が二人を迎えに行く!」
咲良の九本の尾が、静かに広がった。
青白い炎が、先ほどとは違う柔らかな光を帯びて燃え始める。
「お父さん、お母さん。もう一度、家族で一緒に帰ろう」
大僧正が顔を歪めた。
「黙れ!! そのような戯言で、我が力を揺るがせると思うな!」
無数の尾が咲良へと伸びる。
しかし大僧正の尾の動きが一瞬だけ止まった。
大僧正の胸元から、二つの光がこぼれ始めていた。
「何……!?」
「咲良……!」
父と母の声が重なった。
「お前は、本当に大きくなったな」
「もう大丈夫。お母さんたちは、あなたのことを誇りに思っているわ」
咲良は涙をぬぐった。
「うん……!」
そして、手にした微香空間(北欧の香り)を大僧正へと向けた。
「これで終わりにするわ」
「やめろおおおおお!!!」
大僧正が絶叫した。
「九尾妖術――白燐天狐!!!」
噴射された微香空間(北欧の香り)に咲良の青白い炎が点火し、
大僧正の身体を包み込んだ。
だが、今度の炎は大僧正を焼き尽くすためだけのものではなかった。
その炎は、幾重にも絡み合った妖気を一つずつほどき、取り込まれた無数の存在を解き放つように広がっていく。
「ぐおおおおおおお!!! ミナペルゥウウ!!!!!!」
大僧正の身体から、鬼や龍、天狗など、さまざまな妖の影が次々と飛び出していった。
その中に、二つの狐の影があった。
「お父さん……! お母さん……!」
咲良は必死に手を伸ばした。
二つの影は、青白い炎に包まれながら、ゆっくりと薄れていく。やがて、その姿は光の中に溶けるように消えていった。
咲良の手には、ほのかな温もりが残されていた。
それは炎の熱だったのかもしれない。あるいは、ほんの一瞬だけ触れた両親の温もりだったのかもしれない。
咲良はその手を胸元に引き寄せ、静かに目を閉じた。
長い年月を経て、ようやく触れることのできた家族の温もり。
その感触は、いつまでも消えることなく、咲良の胸に残り続けていた。
やがて、大僧正の身体が崩れ始めた。
その肉体も、取り込まれていた妖たちも、まるで砂のように細かな粒子となり、地下大伽藍の空気に溶け込むように消えていく。
「……ミナペルゥウウ……!!!!」
それが大僧正の最期の叫びの残響が消え去ると、地下大伽藍には静寂だけが残された。
少し離れた場所で、リオはその光景を静かに見つめていた。
「……よかったですね」
ヴァイスがそっと声をかける。
「ああ」
リオは短く答えた。
ジェット婆やが小さく鼻をすすった。




