第27話 父親と母親と大僧正
「そうだ。咲良。もう寂しい思いをすることはない。こちらへおいで」
母の声が優しく語りかける。
「また三人で暮らそう。昔のように」
父の声が続いた。咲良は一歩、前へ踏み出しかけた。
「咲良!!」
リオの声が響いた。
「……え?」
「本当に、咲良の父と母なのか?」
咲良の足が止まる。
「何を言っているの! 今の声は間違いなく……!」
リオは大僧正を見据えた。
「貴様の中にいる者たちは、今も自分の意思で話しているのか?」
静かに錫杖を握り直して大僧正が答えた。
「…もちろんだ。私の内で安寧に存在しておる。貴様は家族の再会を邪魔するのか?」
「では咲良の両親と、貴様の三人で話してみろ」
「……たやすいことだ」
大僧正は錫杖を床に落とした。すると、奇妙なことが起こった。
大僧正の右手がみるみる形を変え、咲良の父親の姿へと変化していく。続いて左手も変形し、母親の姿になった。
まるで二体の人形を操るように、大僧正は左右の手を動かし始めた。
「お父さん……お母さん……!」
咲良が息を呑む。
「どうですか? 健やかに暮らしていますか?」
大僧正が父親の姿をした右手に尋ねた。
「はい。大変居心地がいいです」
母親の姿をした左手も答える。
「私も暮らしやすいです。何よりも、危険を感じずに暮らせるのが一番いいですね」
「私も、それが一番のメリットだと思っております」
大僧正は右手と左手を交互に動かしながら、まるで二人が別々の意思を持っているかのように会話を続けていた。
「……」
咲良は呆然とその光景を見つめていた。
父と母の姿をした二本の腕。そして、それを操る大僧正。
まるでパペットマペットか、いっこく堂の腹話術でも見せられているようだった。
「どうだ? これで疑いは晴れたであろう」
大僧正が両腕を広げた。
「二人は我が身の内で、何不自由なく暮らしておる。そなたも加われば、さらに賑やかになろう!!!!」
そのとき、リオが口を開いた。
「咲良が戻ったとして、どこのポジションになるのだ? 左右の手は塞がっておるし……足か?」
「私、足になるのは嫌だな……」
咲良が本気で嫌そうな顔をした。
「そこは心配するな!!!」
大僧正が力強く言い放った。
「今なら、三十分以内にご応募いただければ、我の顔の場所をそなたに譲ろう! ただし、数に限りがあるのでお早めにな!!!!」
「通販番組みたいになってきたな」
リオが感心したようにつぶやく。
「私、あのじじいの顔に変わるの? やだな……」
咲良は大僧正の顔を見つめ、心底嫌そうにつぶやいた。
「な、何を申すか! 我の顔は特等席であるぞ!」
大僧正の声が地下空間に響き渡る。
「しかも今なら、両親との同居生活に加え、妖力も使い放題! まさに一石二鳥、いや三鳥! 売切れ次第終了になるぞ!!」
「どうするのだ咲良よ?」
「今回はちょっと遠慮しとこうかな」
咲良は申し訳なさそうに、しかしきっぱりと断った。
「…………」
大僧正の動きが止まった。
右手の父親も、左手の母親も、ぴたりと動かなくなる。
「……遠慮?」
大僧正の声が低く響いた。
「はい。間に合ってます」
「間に合っている……だと?」
大僧正の身体が小刻みに震え始めた。
「我が身の内に入れば、永遠の命も、無尽蔵の妖力も、そして家族との暮らしも手に入るのだぞ。それを……それを断るというのか!」
「だってあんたの顔になるんでしょ?」
「顔のことはもうよい!!!!」
大僧正の怒号が地下空間を震わせた。
次の瞬間、右手と左手が不気味にうごめき、父と母の姿が崩れ始めた。腕から黒い妖気が噴き出し、白い法衣が大きくはためく。
「愚かな娘よ! せっかく我が慈悲を与えてやろうというのに!」
大僧正が錫杖を拾い上げ、床に叩きつけた。
ドォォォン!!!
床に刻まれた紋様が一斉に輝き、地下空間全体が激しく揺れ始める。
壁面の彫刻から、鬼や龍、天狗の姿をした異形の影が次々と浮かび上がった。
それらは壁から剥がれ落ちるようにして実体化し、大僧正の背後へと集まっていく。
「人と妖の境界を越えし我が力……その身に刻むがよい!」
大僧正の背中が大きく盛り上がった。
法衣が内側から裂け、そこから無数の尾が生え始めた。
「これが私の両親を取り込んだ……大僧正の本当の姿なの?」
咲良が身構える。
「違う。これでもまだ一部にすぎぬ」
大僧正の声が幾重にも重なった。
「我はすでに、数多の妖を取り込んでおる。牛殻の妖力程度、我が力のほんの一端にすぎぬ!」
無数の尾が一斉に広がった。
その瞬間、地下空間を覆い尽くすほどの妖気が噴き上がった。
「咲良よ。最後の機会を与えよう。我が身に加わるか。それとも、ここで消え去るか!」
咲良の九本の尾が、青白い炎をまとって燃え上がる。
「何度言わせるのよ!」
咲良は一歩前に踏み出した。
「お父さんとお母さんを利用して、家族ごっこなんかしてるあんたに、誰がついていくもんですか!」
「ならば、力ずくで取り込んでくれるわ!」
大僧正が錫杖を振り上げた。轟音とともに、無数の尾が咲良へと襲いかかる。
「来るわよ!」
咲良の身体が青白い炎に包まれた。
「九尾妖術――白燐天狐!!!!」
九本の尾が大きく広がり、そこから放たれた蒼白い炎が地下大伽藍を覆い尽くした。
「ハハハハ!!!! 九尾を取り込んだ我に通じぬわ!!!」
大僧正が両腕を大きく広げる。
「白燐天狐――倍返しだ!!!!」
次の瞬間、大僧正の背後から、咲良の放った炎をはるかに上回る蒼白い炎が噴き上がった。
ゴオオオオオッ!!!!
二つの炎が激突する。
だが、押し返されたのは咲良の炎だった。
大僧正の炎は、まるで巨大な波のように咲良の炎をのみ込み、瞬く間に打ち消してしまった。
「うそ……!」
咲良が目を見開く。
「どうだ!!!! そなたの力はすでに我がものよ!」
大僧正の背後で、無数の尾が不気味にうごめいた。




