第29話 許嫁
萬天会は、大僧正の死とともに崩壊した。
地下本山もまた崩れ落ち、妖を取り込んでいた僧たちも、みな砂と化して消え去った。
崩れ落ちた地下本山には、もはや何ひとつ残されていなかった。
天井から差し込む光を見上げ、咲良はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……終わったんですね」
「ああ。これで萬天会もおしまいであろう」
リオは何事もなかったかのように答えた。
ジェット婆やが瓦礫の向こうを指さした。
「あちらに、わずかな隙間がございます。人ひとりなら通れそうでございますね」
「では、参るとするか」
リオは悠然と歩き出した。
咲良は一度だけ振り返り、崩れた地下本山を見つめた。
もう、両親の声は聞こえない。
それでも、胸に残る温もりを確かめるように、咲良はそっと手を握りしめた。
そのとき、リオが咲良の手を取った。
「行くぞ」
そう言って、リオは咲良の手を引いた。咲良は小さくうなずき、再び前を向いた。
◇◇◇
ドラゴニア王国。謁見の間。
赤い絨毯が玉座までまっすぐに伸び、その両脇には武装した竜の衛兵たちが整然と並んでいた。
騎士団長バルトメウスの姿もある。
玉座には、ドラゴニア王国の王竜が座していた。
その前に、リオと咲良が並んで立っている。
「リオ。戴冠式から脱走し、ようやく帰ってきたと思ったら、今度はハゲておるし……。ようやく戴冠式を受け入れる気になったのか?」
王竜が二人を見下ろしながら尋ねた。
「うむ。実はな、父上」
リオはいつもの調子で答えた。
「この九尾の咲良のことなのだが……」
隣に立つ咲良は、少し緊張した面持ちでリオを見上げた。
「我は、咲良と共に過ごすうちに、いつしかこの者を大切に思うようになった。今では、そばにいることが当たり前になっておる」
リオは一度、咲良に視線を向けた。
「我は生まれながらにして、ドラゴニアの王子であった。何をすべきか、どこへ進むべきか。それらはすべて、周囲によって決められておった。戴冠式も、王として歩む道も、我にとっては生まれたときから定められたものであった」
そして、再び王竜へと向き直る。
「だが、咲良は違った」
その声には、いつもの飄々とした響きはなかった。
「この者は、幾度も逆境に立たされてきた。大切なものを奪われ、誰にも頼れぬ孤独の中にあっても、決して屈することなく、自らの足で立ち上がった。己の悲しみを抱えながら、それでも誰かを守るために戦い続けたのだ」
リオは咲良を見つめた。
「我には、それがまぶしく見えた」
「リ、リオ……」
「我はこれまで、何かを失うことも、何かを守るために必死になることも知らなかった。すべてを与えられ、何不自由なく生きてきたからな。だが、咲良と出会い、共に旅をするうちに気づいたのだ。誰かを想うことが、これほど心を満たすものだとは知らなかった」
リオは咲良の手を取った。
「この者が笑えば、我も嬉しい。この者が悲しめば、我の胸も痛む。離れていれば、また会いたいと思う。いつしか我にとって、咲良はなくてはならぬ存在になっておった」
そして、王竜の目をまっすぐに見据えた。
「我は、決められた運命をただ受け入れるのではなく、自らの意思で未来を選びたい。誰かに定められた道ではない。我自身が望む道を、咲良と共に歩んでいきたいのだ」
リオは力強く言い切った。
「我は咲良と夫婦になる。父上が反対してもだ!!!」
謁見の間に、しばし沈黙が流れた。
王竜は玉座に深く腰掛けたまま、リオと咲良を交互に見つめていた。
やがて、怪訝そうに眉をひそめた。
「しばし姿を見んと思ったら、ずいぶん成長して帰ってきおって……。しかし……ん?」
王竜は隣に控えるバルトメウスへ顔を向けた。
「リオの奴は、いったい何を申しておる?」
バルトメウスは口元を押さえ、笑いをこらえている。
「どうやら、ご存じないようでございますな」
「何? 何をだ?」
今度はリオが不思議そうにバルトメウスを見た。
王竜は大きく息を吐くと、傍らに控えていた側近へ目配せした。
「持ってまいれ」
側近が恭しく差し出したのは、一通の古びた書状だった。
「リオ。お前はひとつ、大きな勘違いをしているようだ」
「何のことだ?」
咲良も思わず顔を上げた。
王竜は書状を開き、そこに記された名を指でなぞった。
「お前の許嫁は、ここにいる九尾の娘――咲良だ」
「は……?」
咲良の声が、謁見の間に小さく響いた。
「幼き頃、両家の間で正式に取り決められたことだ。お前たちが成長した暁には、夫婦となるようにな。日本の妖の姫と竜族の婚姻は、我らにとっても大きな力となるであろう」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私とリオが……許嫁!?」
咲良は驚きのあまり、リオと王竜を何度も見比べた。
一方のリオは、しばらく書状を眺めていたが、やがて納得したようにうなずいた。
「なるほど」
「知らなかったの?」
「うむ」
「咲良も知らなかったのだろう?」
「……うん」
そのとき、咲良の脳裏に、かつてジェット婆やから聞かされた父の遺言がよみがえった。
『異界へ逃げよ。そなたを守る準備は整えている』
(そういうことだったの……)
父は、ただ自分を逃がそうとしていたのではなかった。
いつか自分が安心して暮らせる場所を、ずっと前から用意してくれていたのだ。
咲良はリオの手を見つめた。
両親が守ろうとしてくれた未来。
そして今、自分の隣には、その未来を共に歩もうとしてくれる人がいる。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
二人の様子を見ていたバルトメウスが、ついにこらえきれず吹き出した。
それにつられるように、周囲の衛兵たちからも笑い声が起こる。
「はははは! リオよ、まったく相変わらずだな!」
王竜も豪快に笑った。
しかし、やがて笑みを収めると、二人を真っすぐに見据えた。
「だが、ひとつだけ言っておくぞ。許嫁として定められていたからといって、夫婦になることを強いるつもりはない。大切なのは、お前たち自身がどうしたいかだ」
リオは咲良の手を握り、迷いなく答えた。
「それならば、答えは決まっておる。我は咲良と共にいたい」
咲良は頬を赤らめながら、リオの手を握り返した。
「……私もです」
その返事を聞くと、王竜は満足げにうなずいた。
「よかろう。ならば、二人の婚姻を認めよう」
謁見の間に控えていた竜の衛兵たちが、一斉に槍の石突きを床に打ち鳴らした。
重厚な音が、広間いっぱいに響き渡る。
「おめでとうございます、リオ殿下! 咲良殿下!」
衛兵たちの祝福に続き、ヴァイスも満面の笑みで拍手を送った。
咲良は突然の祝福に、ますます顔を赤くした。
その隣で、リオはいつものように泰然と構えている。
「うむ。不思議なものだな」
「ねえ、リオ。その……」
「なんだ?」
「ちなみに、頭の毛は生えてくるの?」
咲良はリオの頭を見上げた。
「いつまでもハゲというのは、ちょっと……」
「竜の髪が伸びるには、十年はかかるな」
「その間ずっとハゲなの!!!!」
咲良の悲鳴に、謁見の間には再び笑い声が響き渡った。




