第22話 甲子園地下・萬天会総本山
阪神甲子園球場。
幾多の球児たちが夢を追い、歓喜と涙を刻んできた野球の聖地である。
今日は高校野球の開催予定はなく、プロ野球の試合も組まれていない。
グラウンドでは、数人の作業員が黙々と整備を行っていた。
内野の土をならす者。外野の芝を点検する者。トンボを手に、ゆっくりとグラウンドを歩く者。
いつもなら大歓声に包まれる球場も、この日はどこか静けさを漂わせていた。
しかし、その地下深く。
地上の穏やかな光景とは対照的な、異様な空間が広がっていた。
闇に包まれた、巨大な地下大伽藍。
天井は遥か高く、無数の石柱が闇の奥へと連なっている。
壁面には得体の知れぬ神仏や妖怪の像が刻まれ、燭台に揺れる青白い炎が、その異形の姿を不気味に浮かび上がらせていた。
紺のローブを纏った信者たちが、低く、不気味な経を唱えている。
その中央に設けられた広間では、萬天会の幹部たちが、重厚な円卓を囲んでいた。
円卓には、幾つもの空席がある。
そこに座る者たちは、いずれも人間の姿をしているとは限らなかった。
異様に長い腕を持つ者。顔の半分が獣のように変貌した者。人間と見分けのつかない姿をしていながら、その瞳だけが爬虫類のように縦に裂けている者。
彼らは皆、妖の力を取り込み、常人を遥かに超える能力を得た者たちだった。
萬天会。
人間と妖の境界を越え、異形の力をもって世界を変えようとする秘密結社である。
「……それで、夢界からの報告は?」
「それが……連絡が途絶えております」
「途絶えた?」
「はい。東海道新幹線で竜族のハゲと接触したとの報告を最後に、消息がつかめません」
「竜族のハゲだと?」
別の幹部が眉をひそめた。
「またもやあのハゲに後れを取ったというのか?」
「夢界の術は、対象を夢の世界に閉じ込めるもの。そう簡単に破られるはずがない」
「そもそも、夢界が本気を出していなかったのではないか?」
幹部たちの間に、ざわめきが広がった。
そのとき、円卓の一角に座る大男が、低く笑った。
「フン。夢界の奴も、ずいぶんと腑抜けたものだ」
その頭部には、太く湾曲した二本の角が生えていた。
首から肩にかけては分厚い毛に覆われ、口元からは鋭い牙が覗いている。
牛殻である。
「俺にがその竜族とやらをすぐに始末してやる」
牛殻は円卓に置かれた一枚の写真を手に取った。
そこには、リオ、咲良、ヴァイスの姿が写っていた。
「この三人が、わざわざ我らの本山に近づいている模様です」
「この本山に?」
牛殻が写真を覗き込む。
「ええ。どうやら、こちらの存在を嗅ぎつけたようです」
写真を置いた幹部が答えた。
「ならば、歓迎してやろうではないか」
その口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「ここは萬天会の総本山。地上の人間どもが甲子園の勝敗に一喜一憂している間も、我らはこの地の底で、着々と準備を進めてきた」
男は円卓を囲む幹部たちを見渡した。
「我らの計画を邪魔する者は、誰であろうと容赦はせぬ」
その言葉に、幹部たちが一斉に頷いた。
牛殻は写真を手に取ったまま、しばらく三人の顔を眺めていた。
「それで、このハゲが竜族だというのか?」
「……左様」
お腹に据えられた鏡を撫でながら、影見坊が答えた。
「特異な能力の持ち主か?」
「夢界の作り出した異空間から、自力で脱出しました」
「フン……」
牛殻は写真を円卓に放り投げた。
「そんなもの、俺の敵ではない」
「牛殻殿。くれぐれも油断なさらぬよう」
「心配はいらん。俺が直々に出向いてやる」
牛殻はゆっくりと立ち上がった。
「夢界のような小細工は必要ない。竜族だろうが何だろうが、力でねじ伏せてやる」
その巨体が動くたび、床の石畳が低く軋んだ。
牛殻は大きな鼻を鳴らすと、幹部たちに背を向けた。
「せいぜい楽しみに待っていろ」
その背中が暗闇に消える。
円卓に残された幹部たちは、再び写真に目を落とした。
そこに写るリオは、どこかにこやかな顔をしていた。
「……妙な男だ」
誰かがつぶやいた。
そのとき、青白い炎が大きく揺れた。
伽藍のさらに奥から、低い振動音が響いてくる。
ゴゴゴゴゴ……。
信者たちの経が、一瞬だけ途切れた。
円卓の幹部たちは、誰一人として驚かなかった。
それが何を意味するのか、彼らは知っていたからだ。
「……もうすぐだ」
地上では、作業員たちがグラウンドの整備を終え、道具を片づけていた。
その足元の遥か下。
萬天会の総本山では、何かが静かに目覚めようとしていた。




