第21話 よし。戻ろう
「見てのとおりじゃねええええっ!!」
夢界の絶叫が、崩壊寸前の世界に響き渡った。
リオが裂いた空間の向こうには、見慣れた新幹線のグリーン車が広がっていた。
整然と並ぶ座席。窓の外を流れる景色。
「よし。戻ろう」
「ちょっと待って!」
咲良が慌ててリオの袖を引いた。
「このまま戻っていいのかな? さっきの妖術で世界を壊しちゃったんだけど」
「壊れたのは夢の世界だろう?」
「そう」
「なら、夢から覚めればいいんじゃないか?」
「そんな理屈で解決する?」
咲良の不安をよそに、リオは裂け目をくぐった。
続いて咲良も飛び込む。最後にヴァイスが優雅に一礼し、夢の世界に取り残された夢界を見やった。
「それでは、失礼いたします」
「おい待て! 俺を置いていくな! ここは俺の夢界だぞ! 俺がいなければ――」
夢界が手を伸ばした瞬間、崩壊した大地が足元から消失した。
「うわあああああああっ!」
夢界の身体が、底の見えない虚無へと落ちていく。
その直前。
ヴァイスが、裂け目の向こうからひょいと顔を出した。
「お忘れ物です」
「は?」
ぽんっ。
夢界の顔面に、白い枕が一つ叩きつけられた。
「お忘れにご注意してお帰りください」
「いらんわあああああああっ!」
裂け目が閉じた。
◇◇◇
次の瞬間、三人は新幹線のグリーン車に戻っていた。
窓の外では、夕暮れの景色が何事もなかったかのように流れている。
車内アナウンスが、次の停車駅を告げた。
『まもなく、名古屋、名古屋です――』
「……終わったのかな?」
咲良は周囲を見回した。
座席はヴァイスが元どおりにした。
先ほどの異様な空間が、まるで最初から存在しなかったかのようだった。
乗客も咲良の幻術により先ほどの記憶を失わせており混乱はない。
「そうみたいだな」
リオは何事もなかったように座席へ腰を下ろす。
「いや、ちょっとさ」
「何だ?」
「今の、どうやったの?」
「何だ?」
「空間を裂いたじゃん。夢界と現実の間に、あんな簡単に!」
「ああ」
リオは自分の手を眺めた。
「そこに境目があったからな」
「境目……?」
「うん」
「いや、そんな説明で納得できるわけないでしょう?」
咲良は頭を抱えた。
夢界の妖術は、対象を夢の世界へ引きずり込むものだ。そこでは夢界自身が世界の支配者となり、外界との接続は断たれる。
少なくとも、咲良はそう感じたし事実そうだった。
それなのにリオは、まるで障子を開けるような気軽さで、その絶対的な隔たりを破ってみせたのだ。
しかも本人は、何が不思議なのかすらわかっていない。
「リオ様」
ヴァイスが静かに口を開いた。
「今の現象について、少々お伺いしてもよろしいでしょうか」
「いいぞ」
「空間を切断なさったのですか。それとも、異なる空間同士を接続なさったのでしょうか」
「どっちも違うな」
「では、どのように?」
リオは少し考えた。
「向こう側があるのに、こっちから行けないのはおかしいだろう?」
「……はい?」
「だから、行けるようにした」
沈黙。ヴァイスは目を閉じ、ほんの一瞬だけ考え込んだ。
「……なるほど。さすがはリオ様です」
「わかるの!?」
咲良が叫んだ。
「いえ…わかりませんが…」
「わからない!?」
「ですが、リオ様は竜族の天才。何らかの合理性があるのでしょう」
そのときだった。
「……おい」
低い声が、三人の背後から聞こえた。
咲良の耳がぴくりと動く。
振り返ると、通路に一人の男が立っていた。
黒い着物。乱れた髪。顔には枕の跡がくっきりと残り、その手には、先ほどヴァイスから返却された白い枕が握られている。
夢界だった。
「お前ら……よくも俺の夢界を……」
「えっ!?戻ってきたの?」
咲良が座席から飛び上がった。
「知るか! 気づいたらここにいたんだよ! しかも何だ、この枕は! 俺の顔に投げつけやがって!」
「お忘れ物かと」
「忘れてねえ!」
夢界は枕を投げ捨てた。枕は通路を転がり、ちょうど通りかかった車掌の足元で止まった。
「お客様、車内にお荷物を落とされましたか?」
「違う! 俺は妖怪だ!」
「……そうですか」
車掌は夢界を少々困った乗客と見たようで、困ったように微笑み、枕を拾い上げた。
「お連れ様のものでしょうか?」
「違うって言ってんだろうがああああっ!」
車掌は夢界を一瞥すると、丁寧に頭を下げて去っていった。その背中を見送りながら、リオが感心したようにつぶやく。
「さすがJRの車掌だな。妖怪がいても冷静だ」
「多分…違うと思う」
咲良の冷たい声が響いた。だが、夢界だけは笑っていなかった。
彼はリオを睨みつけたまま、ゆっくりと口を開く。
「……お前、何者だ」
「リオだ」
「名前は知ってる」
「そうか。なら、何が知りたい?」
「どうして俺の夢界から脱出できた!?」
リオは首をかしげた。
「出られない理由がなかったからな」
夢界の表情が凍りついた。
その言葉の意味を理解できなかったのではない。
理解してしまったからこそ、動けなかったのだ。
夢界の術は、対象を夢の内側へ閉じ込める。夢と現実の境界を曖昧にし、外界へ戻るための道筋を失わせる。
だが、目の前の男は、その境界を見つけた。
そして、何のためらいもなく開いた。
まるで世界がそう作られていること自体、当然だと言わんばかりに。
「……あり得ねえ」
夢界の声が震えた。
「そんなことができるのは……」
言いかけて、口を閉じる。
リオは興味なさそうに、窓の外へ視線を戻していた。
「ところで、夢界」
「な、何だ」
「富士山はどちらの席だと見える?」
「あ?…お前、本当に緊張感ねえな?」
夢界の妙に落ち着いた声が、グリーン車の静寂に溶けた。
「富士山なら、進行方向右側だ」
「そうか。ありがとう」
「……いや、教えてやる義理はねえんだが…」
「せっかくだから見ておこうと思ってな」
リオは窓の外へ視線を戻した。夢界はしばらくその横顔を睨んでいたが、やがて何かを諦めたように深く息を吐いた。
「お前……本当に俺のことを脅威だと思ってねえんだな」
「脅威だと?」
「俺は妖を取り込んだ萬天会の幹部だぞ。人間の精神に入り込み、恐怖を見せ、悪夢に閉じ込める。お前たちだって、俺の力に散々振り回されたはずだ」
「…そうだったか?」
ヴァイスと咲良が首を振る。
「え~???」
夢界ががっくりと肩を落とす。その横で、ヴァイスが静かに口を開いた。
「夢界殿。ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「あ?」
「あなたは、夢の世界を自在に構築できるのですね?」
「そうだ。俺の夢界では、俺が法だ」
「それは素晴らしい能力です」
ヴァイスは感心したように頷いた。
「でしたら、先ほどのような荒れ果てた景色ではなく、もう少し快適な空間をお作りになればよろしかったのでは?」
「……は?」
「たとえば、温泉旅館などはいかがでしょう。露天風呂に美しい庭園、上質な寝具。夢の世界なのですから、いくらでも贅沢ができるはずです」
「俺はヴァーチャルの観光ビジネスをしてるんじゃねえ!」
ヴァイスは涼しい顔で一礼した。夢界はこめかみを押さえた。
「……お前ら、俺を何だと思ってるんだ」
「…意外と会話できるおじさん?」
咲良が答えた。
「そういう意味じゃねえ!」
「じゃあ何よ?」
「敵だよ! 敵!」
「ああ、それはそうだ」
三人はようやく思い出したように頷いた。夢界は両手を震わせた。
これほどまでに人を馬鹿にした態度は初めてだった。
夢界の術が通じない相手など、これまで出会ったことがない。
ましてや、自分の夢界を破壊し、何事もなかったように新幹線へ戻ってくるなど、常識では考えられない。
しかし、目の前の竜族の青年には、その常識がまるで通用しない。
「……もういい」
夢界は小さくつぶやいた。
「俺は降りる…」
察した咲良が咲良が聞いた。
「…何から?」
「のぞみからだろ? 次の停車駅は名古屋だ」
察してないリオが平然と答えた。
背を丸めて「俺はもう…」と力のない声を出して夢界は車両から出ていった。




